第3話 スケープゴートの少女
翌朝。私はいつものように教室へ入ると、どこから噂が広まったのか同じクラスの令嬢達が一斉に集まってきた。
「エニスさん、大丈夫?昨日あのマリー・ギャザウェルに水をかけられたんでしょう?」
「セレスティア様から聞いたわ。監視役になったって。それで怒ったギャザウェルに………!」
噂の伝播が早すぎて思わず顔が引き攣りそうになる。
いつもだったら仲の良い友人達と教室の隅で穏やかに話しているのだが事が事だ。
去年の騒動もあって女子達の団結は1年の時と比べて強く、マリー・ギャザウェルのこととなると目の色が変わる。
現に私の友人達も少し離れた場所で心配そうにこちらを見ていた。
「心配してくださって、ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。水をかけられたのも他の生徒が手を滑らせた事故でして………」
あんまり大ごとにしたくなくてそう言えば、取り囲んでいた令嬢達はほっとしたように息を吐く。
けれどその内の、一人の令嬢が冷ややかに言い放った。
「でも、そもそもマリー・ギャザウェルなんかと関わったから起きたことでしょう?彼女と関わらなければエニスさんに被害は及ばなかったはずだわ」
豊かな赤髪に、気の強そうな顔立ちをした令嬢──スカーレット・クラーク侯爵令嬢。
セレスティアの親友的な存在で、原作にも度々登場しては男子生徒達を虜にするマリーに「あの女のどこが良いのよ!」と憤慨していた少女だ。
そんな彼女の言葉に周囲の令嬢達も同調し始める。
「確かに………あの子に関わって碌なことはないのは事実よね」
「どうして退学にならないのかしら。まさか学園長にも色目を使っているとか?」
「やだあ!あの子ってば本当に見境がないのね!この神聖な学び舎で何をしているのかしら」
いや、元々はセレスティアが無理矢理私を『お目付け役』に指名したのがきっかけなんだけど………。
けれどそれは誰も口にすることなく、マリーに対しての悪評を話す。
正直、彼女達の気持ちも分からなくはない。
去年の騒動があって、ほぼ何のお咎めもなしのマリーに色々言いたくもなるだろう。
けれど相手のいないところで話す適当な陰口には居心地も悪くなるし、もしかしたらセレスティアはこうなることを見越して私みたいな人間を『お目付け役』に選んだのではないかと思ってしまう。
マリーを徹底的に悪く見せるため、口答えも反撃も出来なさそうな、頼りない人間を選んだのではないかと。
(………それは流石に考えすぎか)
全てマリーが元凶で、自業自得によるところが多いから仕方がないのかもしれない。
「エニスさんも気を付けて頂戴。マリー・ギャザウェルのせいで傷ついた令嬢達はたくさんいるんだから」
「…………ええ、心配していただき、ありがとうございます」
スカーレットの言葉に笑みを浮かべて頷く。
するとその時、後ろの扉が静かに開いた。
振り返れば、長い銀髪を靡かせる美しい令嬢が現れる。
セレスティアだ。
「───あら?皆さん。ご機嫌よう。朝から集まってどうかしたのかしら」
「セレスティア様!」
朗らかに言うセレスティアのもとに、私の周りにいた令嬢が次々と集まっていく。
周囲に集まる令嬢達に微笑んで応じる彼女。
そしてそれを離れた場所から見つめる私にも、彼女が軽く会釈をくれるものだから、それに返した。
(……………何だか、)
悪役令嬢小説のその後の世界で。
ハッピーエンドを迎えた主人公にだけ、まるで舞台のスポットライトが当てられているようだった。
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放課後、私はマリーにハンカチを返しに下位クラスの教室へ向かっていた。
もう遅い時間だし、もし誰もいなかったらマリーの机にハンカチを置いて帰ろう。
しかし教室へ辿り着くと、夕暮れの光に包まれたそこにマリーの姿があった。
ぼうと机の一点を見つめる彼女に不思議に思いながら、声をかけようとする。
「ギャザウェルさん、ちょうど良かった。ハンカチを返しに………」
しかしそこで止まってしまった。
彼女の見つめる先───マリーの机の表面には、この世界の言葉で《売女》と切り刻まれていたから。
「……………何これ」
おまけに机には所々赤や黒のインクで汚されている。
明らかないじめの現場に硬直していれば、私に気付いたマリーがゆっくりと振り返った。
そして「ああ、貴女か」とつまらなさそうにこぼす。
「クラスメイトにやられたのよ。きっと私に男を取られたとか言って逆恨みしてんのよね」
いや、それは逆恨みというか何というか………。
原作『悪役令嬢は優雅に微笑む』で、マリーは数多の男子生徒を虜にする。
結果、婚約破棄にまで至ったのはパトリック王子とセレスティアくらいだったが、それでも多くの恋人同士や婚約者達の間に悔恨は残っただろう。
その元凶となったマリーに復讐したいと思うのは当然だ。
すると黙り込んでしまった私に、マリーが呆れた様子で口を開く。
「貴族って本当に陰湿よねえ。言いたいことがあるなら、こんなことしないで直接言えば良いのに。貴女も用がないならさっさとどこかへ行ってちょうだい」
そしてマリーは「水拭きで綺麗になるかしら」とぶつぶつ独り言を呟きだす。
「……………」
本当ならば見て見ぬ振りをして引き返した方が良い。
彼女の自業自得によるところも大きいし、ここで同情してしまえば、セレスティアから「余計なことをするな」と後で怒られてしまうかもしれない。
けれどこんな光景を見たからには、流石に放っておくことはできなかった。
「…………確か、空き教室に机が余っていたと思う。運んでくるね」
「は?」
こっちはこう見えて前世でそれなりに生きてきたのだ。
中身はとっくに大人の私が、どんな事情があれ、こんな陰湿ないじめを受けている未成年を放っておくことはできない。
「ギャザウェルさんは用務員の人に机を処分するようお願いしてきてくれる?」
「…………わざわざ机を運んでくれるの?貴族の貴女が?お嬢様なのに?」
「え、うん。え?駄目だった?」
マリーが目を丸くしているのに対し、私も首を傾げる。
けれどそれ以上何も言ってこないため、「それじゃあ空き教室に行ってくる」と踵を返した。
関わりたくないって、思ってたんだけどなあ。
でもこんな状態のマリーを無視して、そのまま宿舎に帰ることなんて出来ない。
(それにしてもマリー、貴族貴族って言ってたな。マリーも同じ貴族の子なのに)
「…………あ、そっか。貴族の令嬢はわざわざ机を運ばないのか」
今世に生まれて17年。
生家であるハボット伯爵家で貴族教育を受けてきたものの、前世に染みついた庶民感覚は中々抜け出せていないなと脱力した。
それに、マリーも男爵家の令嬢だけど元は平民の出。
確かギャザウェル現当主と平民である女性との間に生まれて、男爵家に迎え入れられたらしい。
それもあって、貴族の私がせこせこ動く姿に驚いたんだろう。
そう思いながら茜さす廊下を進んだ。
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貴族の子女が通う学園であるためか、備品である教室の机もどことなく豪華だ。
白檀の材質に、足には細やかな彫刻。天板には金細工のエンボスが施されていて、とても美しい。
そして重量のそれなりにある机を運びながら、ようやく下位クラスの教室に辿り着くと、そこにマリーの姿はなかった。
代わりに何故か、前髪で目元を隠した青年───私と同じお目付け役を任されたグレイ・キングズリーが佇んでいた。
「貴方は…………」
「ギャザウェル嬢ならもう帰した。もう遅いからな」
「あ、そうなんですね………でもどうしてキングズリー様がここに?」
「俺も一応ギャザウェル嬢の監視役だ。彼女が帰るまで見張っているようにしている」
な、なるほど。
一人でいることの多いマリーだけれど、その陰にはグレイがいるということか。
事情を知らないと何だかあらぬ誤解を受けそうだが、彼も彼でセレスティアに任されている身。
うまくフェードアウトできたらなあと思う私に比べ、責任感の強い人なのかもしれない。
するとグレイは私から机を受け取った。
あ。ありがとうございます……そうお礼を言おうとした時、彼は静かにため息をつく。
「お前は………お人好しすぎやしないか」
「え、そうでもないですが………」
「ギャザウェル嬢は今後もっと報復されるだろう。いずれお前も巻き込まれるぞ」
それは何となく私も思っていた。
これからマリーに待ち受けるのはもっと酷い報復かもしれない。
「ギャザウェルさんが直接令嬢方に謝っても………いえ、それで許してもらおうだなんて烏滸がましいですよね」
「ああ、彼女はスケープゴートとして学園に用意された存在だからな」
グレイのその言葉に思わず「え」と声が漏れてしまう。
スケープゴート?
マリーの机が置かれていたスペースにグレイが新しいものを配置する。
そして呆然とする私に「気付いていなかったのか」と淡々と話し出した。
「短期間の修道院行きで許されるわけないだろう。王家やリュベル侯爵家、他の貴族達も面子が潰されたんだ。
学園の復学も、おそらく報復の機会を整えてやろうという魂胆があって認められたんじゃないのか 」
「それじゃあマリーはいっそ自主退学した方が………」
「それも許されないだろう。ギャザウェル男爵家もそれを見越して、マリーを学園に再び入れたはずだからな」
自分の生家からも見捨てられ、スケープゴートにされた少女。
それならこの先、マリーに何があっても、どんな目に遭っても、それは見逃されるということだ。
その残虐さに言葉を失う。
「……………ハボット嬢はこういった面倒事に向いていないだろう。俺から話を付けておく。この件からは手を引くことにするんだな」
そしてグレイは固まる私を通り過ぎて教室から出ようとする、が。
「おい、行くぞ」
「え?」
「もう遅い。寮まで送っていく」
そんなグレイに私は茫然としたまま礼を言い、ふらふらと彼のあとを着いていく。
グレイがセレスティアに話を付けてくれるよう言ってくれたが、それでも胸の内は騒めいて仕方がなかった。
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