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3.動き出す影たち

 


「では、まず前提としてお伝えしたいことがございます」


リュシアは静かに口を開いた。 ノクスはその様子を無言で見つめる。


「噂が流れ始めたのは、ちょうど“あの晩餐会”の直後でした。わたくしが、ある公爵家からの縁談をお断りした夜のことです」


「……ほう」


ノクスはそれだけ呟き、椅子に身を預けた。 手元の書類にはまだ何も記されていない。だが、すでに彼の脳内では繋がりが構築され始めていた。


「公には“体調不良”で欠席したということになっております。ですが、実際には……その場にいた方々の前で、はっきりと拒絶の意思を表明しました」


「……それは、かなり派手にやったな」


「黙って従っていれば、きっと今頃は“無難な姫”でいられたのでしょうね」


皮肉を含んだ笑み。だがその目には、一切の揺らぎがなかった。


「わたくしは、己の意志で未来を選びたい。ただそれだけのことなのです」


「だが、その“未来”を邪魔する連中がいる」


「ええ。まるで、わたくしに“傷”があるとでも言わんばかりに」


ノクスは腕を組んだ。 その場で初めて、リュシアに対し真正面から言葉を返す。


「……お前に“傷”はあるのか?」


沈黙。 リュシアの指が微かに震える。 けれど、やがて彼女は静かに首を横に振った。


「ありません。誰に責められるようなことなど、一つとして」


ノクスはそれを一度だけ頷き、目を細める。


「ならば話は早い。お前が“何者か”を明確にしよう。それが、この依頼の核心だ」


リュシアは椅子の背に身を預け、深く息をついた。


「……いいえ、ノクス。わたくしは、わたくしが“何者か”を証明したいのではありません」


「何?」


「この国が、わたくしを“何者でもない”と断じようとする、その構造自体が誤っていると証明したいのです」


ノクスの眉が僅かに動く。


「なるほど……面白い姫君だ」


そう呟いたとき、部屋の外から足音が近づいた。 扉がノックされる。


「ノクス、報告だ」


声の主はユンだった。


「入れ」


ユンは足早に入室し、手にした数枚の紙束をノクスに手渡した。


「リゼットと連携して、王宮女官の一部に接触しました。その中に“ある日を境にリュシア様が異様に避けられ始めた”という証言があります」


「……異様に?」


「はい、命令系統も変わらぬまま、まるで共通の忌避感が共有されていたように」


「それが“噂”の源か」


「もしくは火種をばら撒いた者の手口です」


ノクスは紙束を手にし、視線を落とした。 文面の端には、ひとつの名があった。


――レオニール・ヴァルク公爵


ノクスは口元を歪めた。


「こいつか。……これは、随分と旧い“貴族”の臭いがするな」


「リュシア様の縁談相手の家です」


「なるほど。断られて面子を潰された腹いせに、か。古典的すぎて逆に新鮮だな」


リュシアは瞳を伏せた。 だがその手は、拳を固く握っていた。


「わたくしは、過去に囚われたままにはなりません」


その言葉に、ノクスは返事をしなかった。 ただ静かに紙束を置き、再び彼女を見た。


「証拠を押さえる。方法は任せろ」


「……お願い、いたします」


淡く交わされたそのやりとりが、やがて国を揺るがす騒動へと繋がっていくことを―― まだ誰も知らなかった。


アルセインの地下作戦室。再び静けさが戻る。


ノクスはリュシアが退室した後も、しばらく黙っていた。


「……レネ」


「はい」


「ヴァルク公爵家に関する過去の情報を洗い直せ。表も裏も、徹底的にな」


「すでに調査班を動かしてあります。レオニール公爵個人にも接触を図っています」


「早いな」


「王宮周辺の案件は、すべて“仮想脅威”としてリストアップしていますので」


ノクスは満足そうに頷いた。 その視線は、机上の地図から、貼り付けられた証言の断片へと移る。


「これだけ揃えば、罠を張れるな」


「はい。ただ、問題は王宮の“中”です。こちらが手を伸ばすには、もう少し接点が欲しい」


「……リュシア自身に動いてもらうか」


レネが眉をひそめる。


「危険です。彼女の立場上、下手に動けば更なる疑念を呼びます」


「だが、“姫”という立場だからこそ、できることもある」


ノクスは椅子から立ち上がり、長いマントを翻す。


「俺が直接、彼女に指示を出す」


「了承しました。……ただし、最低限の護衛はつけましょう」


「ガロか?」


「いえ、リゼットです。彼女ならば姫君の側にも自然に溶け込めます」


「それで行け」


その会話が終わると、ノクスは私室に戻る。 室内には最小限の家具と、使い込まれた長机。窓のないその空間は、情報屋としての“影”そのものを象徴していた。


彼は棚の奥から一冊の古いノートを取り出す。


中には、かつて彼が自らの手で記録した“粛清の夜”の断片。


【リュシア。ヴァルク。断罪。】


その文字を見つめながら、ノクスは低く呟いた。


「……貴族同士の小競り合いに見えて、実際はもっと深いな」


古い血統、失われた正統性、そして公には語られぬ過去の事件。 全てが、今ここに繋がっている。


(俺の過去と……重なるのか?)


一瞬、セイランの名を思い出しそうになった自分に、ノクスは舌打ちをする。


「……違う。これはあくまで、依頼だ」


その頃、リュシアは王宮の私室で、紅茶を口にしていた。


日の光が差し込む室内。だが彼女の瞳は、どこか遠くを見つめていた。


扉の前に、控えめに立つ影がある。


「入って」


入ってきたのは、姿を変えたリゼットだった。黒髪を束ねた侍女の姿。


「ご挨拶を失礼いたします。わたくし、今後の補佐を仰せつかりました“エルナ”と申します」


「……リゼット、ですね?」


「気づかれては困りますよ、姫様」


リュシアはくすりと笑った。


「けれど、見覚えのない顔より、信頼できる瞳のほうが安心できますもの」


リゼット――“エルナ”は小さく頷いた。


「今後は、こちらからも動きます。姫様の指示ひとつで、どこにでも入ります」


「では、早速命じますわ。“噂”の流布を、誰が最初に囁いたのかを突き止めてください」


「畏まりました」


その言葉とともに、“エルナ”は姿を消した。


リュシアは残された紅茶をひと口含み、静かに息を吐いた。


「……わたくし、決して負けません」


それは、王女の“決意”だった。 王国という巨大な構造に立ち向かう、個人としての強さ。


そして、アルセインの“影”たちが動き出した今、物語はさらに深く絡み合っていく。






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