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1影の契約

 


王都ラステルの南端に、古びた倉庫がひっそりと佇んでいる。

昼間は誰の目にも留まらぬ場所だが、夜になると、そこには違う意味が生まれる。

それは――“影の集まる場所”。


建物の奥、薄暗い通路を抜けた先にある地下の広間。

その中心に設えられた作戦室で、一人の男が静かに地図を見下ろしていた。


「……次の動きは、中央区の貴族商会か」


無造作に投げ出された書簡や報告書の束。

その中から必要な情報だけを抜き出し、素早く脳内で並べ替える。


男の名はノクス。

この“アルセイン”と呼ばれる影の情報組織を束ねる存在だ。


整った顔立ちと鋭い瞳を持つが、感情の読めぬその目つきには人を寄せ付けない冷たさがある。

年齢は三十を少し過ぎたころ。だが、誰もがその歳を信じない。

生きる世界が違うのだと、本能で悟らせるものが彼にはある。


「……レネ」


名を呼ばれ、背後からすぐに返答があった。


「ここに」


姿を現したのは銀縁眼鏡をかけた細身の男。

彼は“アルセイン”の幹部のひとりであり、情報と戦略を担う参謀――レネ・ミルトン。


「王都中央通りの爆発事故。どうも表の報道と辻褄が合わん」


「調査済みです。貴族商会のうち、第四分会の物流倉庫が内部から破裂しています。

 事故ではなく“意図的な爆破”と見て間違いありません」


「……犯人は?」


「いまのところ不明。ただ、報告者がひとり、例の場所から来ています」


ノクスは視線を上げた。


「“例の場所”というのは、王都南区の館か」


レネは頷く。


「ええ。『ある女性』が、あなたに直接会いたいと申し出てきました。依頼内容は“噂の出所を探れ”――と」


「噂、ねぇ……」


ノクスは椅子の背にもたれ、指を組んだ。

いかにも興味なさげな仕草だったが、その目には確かな光が宿っていた。


「貴族の誰かか?」


「詳細は伏せられています。ただし、依頼文に使われた印章……微かに王家の紋に似ていました」


「……ふうん。面倒事の匂いがするな」


ノクスが呟いた声に、レネは苦笑を浮かべた。


「依頼を受けますか?」


ノクスは少しの沈黙ののち、小さく頷いた。


「王都で広がってる噂の出所……面白い話じゃないか。

 受けるよ。ただし、“名前を明かさない”ならこっちも本気は出さない。条件付きだ」


「かしこまりました。では、初動調査班を動かします」


「……ああ、それと。ガロをそっちにつけてやれ。場合によっては物理的な対処が必要になる」


「了解」


ノクスが命じるまでもなく、アルセインの幹部たちはすでに動き始めていた。


この組織は、法律の網目をすり抜け、情報という名の刃で王国の“裏”を操る存在。

そこに属する者たちは皆、何かを失い、何かに背を向け、それでも“知る”ことに価値を見出した者たちだった。


ノクス自身も、そのひとりである。


「……影はいつだって、表の都合を知らないふりをしているもんさ」


ひとりごとのように呟き、ノクスは立ち上がった。

部屋の隅にある壁掛けを外すと、奥の隠し扉が静かに開いた。


そこはギルドの私室へと続く通路。

ノクスだけが知る、彼の“領域”。


だが今夜は、その静寂の中に、何かが差し込んでいる気がしてならなかった。

まるで、風のように――いや、“誰か”の気配。


次に現れる依頼人。

その者がただの噂に怯える貴族なのか、それとも――。


ノクスの視線はゆっくりと闇に沈んでいく。


 

 


王都ラステルの夜は長く、そして静かだった。

貴族たちの館に灯る光の向こうで、目に見えぬ取引や裏の動きが渦を巻く。


そんな闇の中――

アルセインの地下拠点に、音もなく一人の来訪者が現れた。


彼女はフードを目深に被っていたが、その歩みにはためらいがなかった。

付き添う者もいない。警護の気配もなし。


「……まさか、ひとりで?」


案内役のレネが驚き混じりに言葉を漏らす。


だがノクスは無表情のまま、彼女を出迎える。

いつものように、相手の身分も事情も気にしない。“真実”だけを知ればいい。


「こちらへ」


促され、来訪者は作戦室の中央へ進む。

フードを外したその瞬間、室内に緊張が走った。


淡い金の髪に、整った顔立ち。

気品をまといながらも、目に宿る光は不安と覚悟が交差している。


「……なるほど。いい面構えだな、お前」


「……お前?」


少女――否、明らかに“貴き身分”にある者は、わずかに目を細めた。

だがノクスは態度を変えない。


「依頼に来たなら、こちらもお前と呼ばせてもらう。肩書きには興味がないのでな」


少しの沈黙のあと、彼女はふっと笑った。

冷たいのでも、嘲るのでもない、静かな笑みだった。


「……わたくしの名はリュシア。あとは何も申しませんわ。

 “影”に頼る者が、名乗ることを強要するのもおかしいでしょう?」


「賢いな。なら、その“噂”ってやつを話せ」


ノクスが椅子に腰かけ、無造作に顎をしゃくる。

リュシアもそれを合図と見て、対面の椅子に座った。


「わたくしの周囲に流れる話。ほとんどは根も葉もないものです。

 しかし、それがまことしやかに流布されている。誰が、何のために……それを知りたいの」


「それで、影を頼った……」


「ええ。王都には人が多すぎて、信じられる者が誰一人おりませんでした。

 そして、“あなたの噂”だけは、信用に値すると感じたの」


ノクスは眉一つ動かさず、彼女を見つめる。

上辺だけの言葉ではないと、すぐに察した。


この王女――リュシアという女は、“演じて”生きている。

言葉の選び方、視線の置き方、呼吸の間さえも、練られたもの。


だが、その奥底には確かに“真実を求める声”があった。


「……よし。受けてやるよ」


「条件は?」


「こちらの調査に、一切干渉しないこと。

 もうひとつ――自分の手を汚す覚悟があるか、だ」


リュシアは視線を伏せ、一瞬だけ考えた。


「……あるわ。もう、戻る場所などありませんもの」


その答えに、ノクスの口元がわずかに動く。


笑ったようにも見えたが、それは誰にもわからない。


「ならいい。調査を開始する。最初に話に出た“噂”の具体例、三つ挙げろ」


「了解しましたわ、“ノクス”」


「敬語はやめろ。やりづらい」


「……ふふ。なら、あなたも“様”付けは避けてくださいな」


「最初からそのつもりだ」


ふたりの間に流れた空気が、少しだけ変わる。

わずかな緊張の緩和。だが、それは刃のような鋭さを内に含む。


「お前の言葉が本物なら、こちらも全力で応える」


「ええ、期待しております」


こうして、影と姫君の“契約”は静かに結ばれた。

誰にも知られることなく、夜の帳の奥――闇の中で。


 



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