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07 記憶と迷宮の扉


 お昼休みになった。

 2ーA教室の前に中等部の女の子が二人、食事に向かう高校生たちの邪魔にならぬよう、ずいぶんと気を遣った様子で待っていた。

 朔良と、同級生の逢見瞳花(おうみ とうか)だった。

 二人そろうと、同じ髪型をした黒髪と銀髪の双子人形のようでとても愛らしい。

 瞳花は類と同じPPISの所属で、朔良を護衛する任についている少女だった。


「うわ。朔良ちゃん、瞳花ちゃん。どうしたの? こんなところで」


 二人に気づいた体格のいい少年が、優しく微笑みながら少女たちの表情をのぞき込んだ。


「えっと。あの……」


 朔良は、人見知りを発動して、はにかんでうつむく。


「転入生に会いに来ました」


 そんな朔良を背に庇うようにして、瞳花はきりりと言い切った。


「えー。それより、俺とお昼ゴハン食べない? ごちそうするよ」


 ニコニコと少年は中学生たちを誘い始める。


「それはお断りします。私たちは、用があってここに来たのですから」

「いいじゃん。ゴハン食べようよ~。湖の白鳥見に行こうよ~」


 学園の敷地内に西岡水源地から流れ込む湖があった。

 その周囲はとても景色が良くて、湖畔には生徒たちがいつも集まっている。


 少女たちは困ったように互いの顔を見合わせた。

 瞳花はきゅっと口元を引き締める。

 瞳花が言葉を発する前に、ナンパ少年の肩にポンと手が置かれた。


畑端伊織(はたばた いおり)。古典の先生に呼ばれてるんだろ?」


 瞳花はその大きな手の主を目で辿る。

 朔良も見上げた。

 なんだろう。他の先輩たちとは空気感がぜんぜん違う。

 それは彼が外から来たばかりだからだろうか。


「フルネームで呼ぶなよ、志騎。なんか犯罪者みたいじゃん」


 伊織は面倒くさそうに振り返る。


「悪いな。クラスメイトの名前を覚えてる最中なんだ」

「ああ、そっか。まあ、そりゃそうだよな。この子たち、お前に用だってよ」

「俺に?」


 目線を少女たちに落とす。

 二人とも志騎より四十センチ近く背が低い。本当にお人形のように可愛らしかった。


「君たち、どうしたの?」


 志騎は優しく微笑む。かがみ込むようにして二人に目線を合わせた。


「あの、鹿野朔良(かの さくら)です」


 朔良は瞳花の前に出て、きちんと志騎の瞳を見、お辞儀をした。


「はじめまして。逢見瞳花(おうみ とうか)です」


 控えめに瞳花は頭を下げる。


「はじめまして、嵯城志騎(さじょう しき)です」


 志騎は朔良の前に長い手足を折って膝を着いた。

 朔良はその所作にふわりと微笑む。

 まるで姫に傅く騎士のようだ。

 綺麗な絵になったのを見て周囲の生徒たちは感嘆のため息をついた。


「あのっ、今朝は……」


 優雅で高貴な構図に反して朔良はとまどったような声を出す。

 言いかけた少女をそっと左手で制して、志騎は、ちょっと待って、と目顔でサインを送った。

 志騎の背後には、中等部の女の子二人が転入生に会いに来たというので、折り重なるようにギャラリーができている。

 こういうとき野次馬を蹴散らしてくれそうな類は、放課後の準備だと言って生徒会室に飛んでいった。


 志騎は立ち上がり、黙ってクラスメイトを見回した。

 それだけだった。

 クラスメイトたちはなんとなく気圧されて、思わず一歩下がる。


 志騎はみんなにニコっと微笑んだ。

 少女たちを振り返る。


「場所、変えようか?」


 二人をうながした。


 瞳花は少し値踏みするような視線で志騎を見たが、素直にうなずいた。


「うん。じゃあ、外に出ようか。少し庭を案内してくれると嬉しいな」

「あ、わたしたちでよければ」


 朔良は志騎を見上げて微笑んだ。



 三人は、階段を下りて、食堂でテイクアウトのランチバスケットを注文した。

 食堂から外に出てランチを楽しむ生徒が多いので考案されたメニューだ。

 重ねて持てるバスケット風の容器に一食分が見た目にも可愛らしく盛りつけられており、食後のデザートやコーヒーなども好みに応じてチョイスできるようになっている。


 いかにもピクニック風の可愛いランチバスケットなのだろうが、志騎にはコンバット・レーションのように思えて仕方がなかった。


 だが、バリスタのお姉さんに「アーモンドプラリネラテ。メープルシロップトッピングで」などとカウンターに向かって背伸びして真剣に注文している朔良の姿を見ると、志騎は知らず笑顔になった。

 と、同時に、世の中にはそんな飲み物があるのか、と思ったのは二人には内緒だ。


 食堂から外に出た。

 三段重ねのバスケットを持ち少女たちに歩調を合わせて歩きながら、志騎は朔良に話しかけた。


「はじめまして、じゃなかったよね?」

「あ、でもあそこでは、そう言って貰ったほうが」

「そう。良かった」


 朔良がパタパタと志騎の前に回り込んだ。


「あっ、あのっ。今朝は、ありがとうございました」


 深々と頭を下げる。絹糸のような銀の髪が頭を下げた拍子に肩から落ちて、キラキラと光る残像を描いた。

 志騎はそっとその頭に手を伸ばす。

 

 瞬間。志騎の脳裏で真っ赤な鮮血に染まって倒れている少女の姿がフラッシュした。

 あまりに痛々しく生々しい映像に、朔良の頭を撫でようとした指がピクリとこわばる。

 手が震えているのがわかった。

 志騎は、それをごまかすようにポンポンと少女の頭を軽く叩いた。


「怖くない?」

「未来視の視る未来は決して変えられないって。でも、未来視は自分が死ぬ未来だけは視ることができないはずなのに、どうしてって思うけど、これも意味があるのかなって……」


 志騎は、何物も恐れることはないと思っていた。

 どんなことにも動じないと思っていた。


 けれども、この少女を失うことだけは……。


「これを、毎日視るの?」

「え?」


 朔良は驚いたように志騎を見上げた。


「もしかして、わたし、ダダ漏れ?」


 慌てて、朔良は、何かに蓋をするように自分の頭に両手を持って行く。

 瞳花がすかさず言った。


「ご心配なく。わたくしには漏れてません。基本的に、猫屋敷先輩くらいの不可視感応能力がある方が集中しないと視えませんから」

「でも、あなたには、前にも……?」


 彼女が認識しているのはススキノ交差点での出来事だろう。

 だが、志騎は、ずっと以前から彼女が視た映像にはシンクロすることができた。

 戦場でも、それで何度も命を救われた。

 彼女は憶えていないのだろう。

 不安な顔はさせたくないので話題を切り替えた。


「どこに行きたい?」


 笑顔で二人に問いかける。志騎が案内して貰うのではなかったか。


 瞳花は少し面食らったような表情で志騎を見た。

 ダダ漏れの件は触れてはいけない問題なのか?

 今朝、類から嵯城志騎が転入生としてやって来たと聞いたときは何故英雄が? と思ったものだった。

 だが実際に彼らを見ていると、浅からぬ因縁があるだろうことは容易に想像がつく。

 なのに、朔良のほうはそれをまるでわかっていない。


「白鳥……」


 恥ずかしそうに朔良は言った。


「白鳥さん、見たいな」

「やだ、朔良。さっきの……」


 伊織が言っていた湖の白鳥だ。


「もう、朔良ったら……、あーいうお誘いに乗ったら、誘拐されてしまいますよ」


 瞳花はお姉さんのように朔良をたしなめる。


「だ、だめかな?」


 朔良は困ったように瞳花を見た。


「い、いえ。だめってことは……、ただ、それだとなんだか子供みたいっていうか、お菓子を貰ってついて行くみたいなお子様感がですね……」


 うにゃうにゃ言いながら瞳花は長い黒髪を揺らす。

 志騎は瞳花を見てニコッと笑った。


「白鳥、見たくないの?」

「見たいです!」


 即答。


「じゃあ、行こうか」


 あわわ、と瞳花は自分で自分の口を抑える。そんな瞳花を見て朔良はクスッと笑った。


 校舎の北側から湖へ向かって背の高いイチョウ並木が遊歩道を作っていた。

 イチョウはもうほとんどが散っていて木々の枝が少し寒そうに見える。

 その並木を抜けると大きな湖が広がっていた。

 湖面に丘の上の大聖堂の白亜のドームと流れる雲が映り込み、太陽の光でキラキラ輝く。

 湖畔には背の低い蔓性の実のなる木や色とりどりの花が植えられ、白い屋根のついた八角形のガゼボとともに湖の景観を彩っている。

 周囲にはベンチ、チェステーブルなどもしつらえられ、ちょっとした公園のようだった。


 朝降った雪も石畳の遊歩道の上はすっかり融けている。

 さっき視た映像の中で倒れていた朔良の周りの雪は、もっと深かった。

 そして天使の羽のような牡丹雪が舞っていた。

 この札幌であの大きさの雪が降るのはやはり冬の入りか雪解けの進む春先。

 気温の低い厳冬期には、まずありえない。

 朔良の視る映像は正確だから、そこから時期を推察することができる。


「わあ、白鳥さん!」


 朔良はスカートを翻しながら走っていって湖畔にしゃがみ込んだ。湖面に浮かぶ白鳥と目線を合わせているのだろう。


「あの」


 瞳花が少し神妙な顔をして言った。


「本当は朔良、凄く怖いんだと思います。だから、わたくしも助力させていただきますので、あの子を安心させてあげてください」


「君は、優しいね」

「お、お友達ですから」


 瞳花は照れたようにそう言うと、パッと身を翻して朔良の傍らへ駆けていった。



 湖畔の少女たちは声をひそめて話し出した。


「朔良、あの人には人見知りしないのね?」


 瞳花は言った。


「そうかな?」


 朔良は小首をかしげる。


「ええ。白鳥見たいとか言えるし。バスケット持たせてるし、とても自由。良い意味で妙になれなれしいといいますか……。わたくし、朔良が自然に甘えるとこ、初めて見ましたわ」

「わたし、甘えてるかな?」

「不思議な雰囲気ですわよ。まるでお兄さんか、もしかしたらお父さんに接しているような感じ、ですかね」


「お父さんって……。うん。でも、あのひと、凄く、凄く優しいね」

「あなたには特別優しいんですよ」

「やだ。なにそれ」


 朔良は笑った。瞳花は眉間にしわを寄せる。


「思うんですけど……わたくしたち子供っぽくありません?」


 さきほどからの言動を顧みるに、確かに中二としては子供っぽいかもしれない。

 でもそれがありのままの姿なら背伸びをする必要などないと朔良は思う。


「どうしてそんなこと? 瞳花?」


 朔良は赤くなった瞳花を不思議そうにのぞき込んだ。


「……だって、彼って、素敵じゃないですか」


 ぼそっと言う。


「そうだね」


 朔良は、うんうん、と無邪気にうなずいた。


「なんだか、側にいると、凄く、安心するね」

「安心?」


 ついさっき志騎に言った言葉だ。

 ああ……。そうか……。


「あなたにとって、安心できる存在というのは、かけがえのないものなのかもしれませんね。もちろん、彼にとっても」



 少女たちからほんの数メートル離れたベンチに腰掛けて志騎はコーヒーを飲んでいた。

 やはり、朔良は憶えていないのだろう。

 あの日の記憶は彼女にとって忌まわしいものでしかない。

 忘れているならそのほうがいい。今が幸せならそれでいい。


 太陽と湖面に反射して朔良の髪がキラキラ光っていた。

 昔、志騎の髪を見て、朔良の髪も大きくなったら黒くなるの? と大きな目をくりくりさせて訊いていた。

 もっともっといっぱいお歌覚えるからまた聴いてね、と言いながらかわいい声で童謡を唄ってくれた。


 あのひとときが、もう戻ることのない幼い日の触れ合いが、志騎の生きる糧だった。

 生涯でただひとり、あの幼かった少女だけが人としての志騎を慕い求めてくれた。

 小さな両手で必死に抱きしめてくれた。

 あのときの少女がいなければ生きる意味などなかった。

 彼女を護るためでなければ闘う意味もなかった。


 朔良……。


 光の中で笑っているのがよく似合う。

 あの日と同じ澄んだ瞳のまま、とても綺麗になった。

 そしてもっと綺麗になっていくのだろう。

 だから、どんなにこの手を血に染めてもその未来を護ってみせる。

 その笑顔を、護ってみせる。


 瞬間。湖面に大きな水しぶきが上がった。


「きゃあ」


 驚いた朔良がポテッと尻餅をつく。


「朔良!」


 志騎の声とほとんど同時に、朔良は彼の腕の中にいた。

 驚くほどの速さで、転んだ朔良を右腕で抱き上げた志騎の身のこなしに、傍らの瞳花はぽかんと口を開ける。


「速っ」


 魔法ではない。加速装置でもついているのかと思うほどの身体能力だ。

 頭から水をかぶった姿で志騎の腕の中の少女は無邪気に笑った。

 心配性のボディーガードの気持ちなど、まるで知らないように。


「お魚さんが跳ねただけだよ、シキ」


 ――シキ……。


 ズキンと志騎の胸が痛んだ。

 心の奥に打ち込まれた抜けない楔が疼いた。


「あ……れ? ごめんなさい。なんで、わたし……」


 朔良も思わず口をついて出たその呼び方にとまどう。


 シキ。シキ……。


 昔、何度も何度もそう呼んだ。金色の瞳の少年。


 ――あれは……誰?


「朔良、ちょっと目を閉じて」


 記憶のきざはしに捕らわれた少女を引き戻すように志騎は言った。


 再び名前で呼ばれるとは思っていなかった。

 胸の奥がねじ切られるように痛んだ。

 だが、そんな動揺はつとめて押し隠した。


 ふわっと、朔良の濡れた髪に、服に、手をかざす。

 瞬時に水が蒸発した。


「あったかい」

「目を開けていいよ」


 ぽかんとしたまま座り込んでいる瞳花に右手を差し伸べる。


「ランチにしよう」


 言いながら、志騎は瞳花を立ち上がらせた。



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