06 過去からの挑戦状
西校舎北側の一階に図書館がある。
窓から大聖堂を臨む北西の角は円柱形の塔のような設計になっていて、その円形になった窓際に読書スペースが設けられていた。
図書館内には背の高い書架が林立し、およそ需要のなさそうな分厚い本が重々しく並べられている。
中央部分がドーム天井まで吹き抜けになった、贅沢な造りの図書館だった。
司書室から最も遠く、窓からも外れた棚の前で、志騎はなんとなく本を手に取りページをめくっていた。
「転入早々、サボリまくりですね、嵯城志騎先輩」
背後の気配に、志騎は振り返った。
中等部の赤と紺のレジメンタルタイを締めた少年だった。
少し色素の薄い髪の毛と瞳の色。あどけない表情が冷たく凍っていた。
「君は?」
「初めまして、僕は中等部一年の海藤亮太です。少しあなたにお話が聞きたくて来ました」
とても礼儀正しい態度で亮太は志騎に一礼した。
「あなたが、僕の父を殺した時の話です」
志騎はパタンと本を閉じ、それを書架に戻した。
この手の話は初めてではない。いきなり襲われることもあった。
志騎にとってはそれすらも日常だ。
「説明してくれるかな?」
志騎は静かに言った。
「稚内の最終防衛ラインで、あなたがソ連軍の基地を吹き飛ばしたときの戦いですよ。
……僕の父はロシア人と日本人とのハーフで、ずっと双方から迫害を受けてきました。
父はどんなにがんばっても普通の仕事にはつけなかった。母や姉たちも差別され、僕もどっちの国の子供たちからもいじめられた。
そんなだったから、父は生活を守るため、基地の兵士たちの世話をする仕事に志願したんです。
父は戦闘員じゃなかった。厨房で食事を作っていただけの優しい人だった。
なのにあなたは非戦闘員にも容赦なくその狂った力を振るった。
父が何をした?
日本人を殺したわけでもない、ただ食事を作っていただけだ。
僕たち家族を守るために、必死で生きようとしていただけなんだ!」
話はだいたいわかった。よくある話だ。
そう、とてもよくある、ありふれた不幸話。
「で、君はどうしたい? 口先だけの謝罪でも欲しいのか? それとも欲しいのは俺の命?」
こんな言い方は相手の気持ちを逆撫でするだけだ。そんなことはわかっている。
だが、相手が納得するまで敵意を向けさせるしか、やり方を知らない。
よく、自分の命を天秤にかけすぎだと言われるのはこういう不器用さなのかもしれない。
「外に出ろ。殺してやる」
海藤亮太は憎悪に満ちた目で志騎を睨んだ。
恐れを知らない瞳だった。
その言葉はあながち嘘でもなさそうだ。
中等部一年生、第五世代の能力者か。
「ちょっと待った」
猫屋敷類だった。
話は聞かせて貰った、という顔をしている。
「物騒だね。殺すとかさ。海藤亮太、ここは戦場じゃないんだよ! 志騎、あんたもさ、煽ってないで、避けられる争いなら、ちゃんと回避しなさいよ。トーシローじゃあるまいし。無駄に場数踏んでんじゃないわよ。あんたは正面からぶつかるしか能がないの?」
そうかもしれない。志騎は思った。
何でも力業で解決するのが一番効率が良かったからそうしてきた。
そのたびにお節介な側近たちから文句を言われたのも確かだ。
争いを回避する? 考えたこともなかった。
さすが、権謀術数を弄して大儀を成すPPISのエージェントは視点そのものが違う。
「あなたは関係ないので、引っ込んでいてもらえますか、風紀委員長」
亮太は冷たい目で類を睨む。その口調は決して後へは引かないと言っているようだった。
「ま、ここで引くようなら英雄に殺すなんて言うわけないか」
やれやれと類は頭をかいた。
そして、きっぱりと言う。
「それでも、学園内での私闘は認められません」
「じゃあ、敷地から出る。逃げるなよ、嵯城志騎」
やはり亮太は一歩も引かない。さすがの類も途方に暮れた。
「仕方がないわね。そんなに殺し合いがしたいなら、正式におやりなさい」
窓際の席で参考書を読んでいた長い髪の美女が立ち上がった。
優雅な物腰で歩み寄ってくる。
「会長……」
類が驚いたようにつぶやいた。
生徒会長の海馬沢紅葉だった。
「決闘のルールに準じて正式に、ね。立会人はわたくしが勤めます。午後四時より格技場にて。武器、魔法の使用は自由。立会人の判定か、どちらかが敗北を認めるまで。よろしいかしら?」
「ちょっと、会長……なんでそうなるんですか?」
「あらいいじゃない。まさか本当に死人が出るとでも思ってるの? こんなの、ゲームよ。ね、海藤亮太、あなたには一パーセントの勝ち目もないわ。引くなら、今よ。嵯城志騎がその気になれば、今この瞬間にもあなたを殺せると思うわ」
紅葉は笑顔で亮太を見つめる。とても美しい笑顔なのだが、なぜだか背筋が凍るような凄みがあった。
「会長、容赦なさすぎ……」
類のほうが表情を強ばらせる。
亮太は唸った。悲鳴のように叫ぶ。
「あなたたち、第四世代に何がわかる! 僕は負けない! 僕がもっと早く生まれていたら、こんなヤツを英雄なんて呼ばせなかった!」
「ちゃー、ムカつく。そういう差別発言ってさ、自分を下げるよ。あんたが第五世代なのはわかった。だから何? 独立戦争末期、あんたは五歳の子供で泣きながら震えていて、九歳だった志騎は最前線で闘った。事実はそれだけだ。歴史に『もし』はない」
類は強い口調で言い放つ。
「うるさいうるさいうるさい! 僕はもう小さな子供じゃない! ちゃんと闘えるんだ! この力があれば父さんだって救えたかもしれないのに、僕が闘えば助けられたかもしれないのに!」
志騎は紅葉に向き直った。
「会長の提案、お受けします。ただ、不測の事態に備え、参謀本部から部下を呼びますが、よろしいですか?」
「不測の事態って……」
類が呆然とつぶやく。それは、志騎が負けるということか?
「勝負に絶対はない」
「わかりました。では放課後。あなたもよろしいですね? 海藤亮太」
亮太は、ギリッと唇を噛んだ。
「逃げるなよ、嵯城志騎!」
言い捨てて図書館を走り出て行く。
「あーあ……。あんた、もしかして、ずっとこんななの? いちいち殺すとか突っかかってくるヤツを相手にしてたら、身が持たないでしょーに」
亮太の後ろ姿を見送りながら類が呆れたような声を出す。
「いや、軍ではあまりこういうことはない」
「あるのかよ!」
「人の心は簡単に割り切れるものじゃない。占領の歴史も辛いものだが、いざ独立したからって本国とさえうまくいっているとは言えないだろう? あくまでもここは自治区だ。周辺各国から腫れ物に触るように牽制されている。内部にだって色々あるさ」
「そうですね。革命を為し得た者はその後の為政者たり得ないとはよく言われることですが、それは、カリスマに対する求心力が、目的を達したとたん、反感や妬みに変わるからだと理解しています。なのにあなたは、独立してからもずっと、この国を護り続けている。並大抵のことではないと思います。出過ぎた提案をしてしまいました。お許し下さい。そしてどうか、あの子にも慈悲を」
「海馬沢会長。彼は、そんなに簡単に勝てる相手ではないと思います」
「マジ?」
類が志騎を見上げる。
「彼は鶴喰機関の出身者でしょう」
「鶴喰機関……!」
類と紅葉が合唱する。
PPISの類はともかく、海馬沢紅葉もなかなかの曲者のようだ。
鶴喰機関は魔法力の強い子供を集めて戦士に育て上げるための特務機関だった。
独立後はあまり話題にのぼらないが正式に解体されたわけでもない。
鶴喰機関には主に中学校就学前の戦災孤児が集められるが、能力が発現する者は世代とともに数が減っている。
第二世代では約半分の五十パーセントの者が能力を有していたのに対し、第三世代ではその半分の約二十五パーセント。
第四世代では十二パーセント程度、といった具合だ。
この計算でいけば第七世代になると百人の子供に対して能力を持つ者は一人ということになる。
「あそこは……人の殺し方を教える所です」