04 未来視の視た未来
校舎西棟三階。
誰もいない廊下を歩きながら、志騎は携帯で話をしていた。
廊下の片側は教室。
反対側には中庭を見下ろす大きな窓がいくつも並んでいる。西洋の古城をイメージした校舎は、壁も扉も窓も天井さえも、上品な装飾に彩られていた。
電話の相手は陸軍作戦参謀の畔木大佐。
歳は志騎より十も上だが大学出なので軍歴は浅い。
「魔女の杖を届けさせてくれ」
『は?』
だしぬけにマジカルステッキと言われて、電話の向こうの畔木は戸惑う。
「リングタイプ。サイズは七号。衝撃緩衝魔法に特化。荷重は三十五キロ。放課後までに用意できるか?」
『はい。しかし、それはいったい……』
「鹿野朔良だが、どうも未来視酔いが激しいらしい。やたらと倒れて怪我をしている。PPISのエージェントが面倒見が良いので保護してもらおうと思っただけだ」
『珍しいこともあるものですね。准将が誰かをアテにする言葉を、初めて自分は聞きました』
「そうかな?」
『ええ。それから、後学のために少し訊いてもいいですか? 女性の体重や指のサイズをこの短期間でどうして?』
「抱けばわかるだろう?」
『は……?』
電話の向こうの畔木が絶句する。
「あ」
言葉が足りなかったと思ったが、遅かった。
志騎は額に嫌な汗をかいた。
『いい台詞、いただきました』
「おい」
『話の流れから推察するに、倒れた朔良さんを抱っこして運んだ、でよろしいですね?』
「ああ」
『指のサイズのほうは、握手ですかね? 私には手を握っただけで女性の指輪のサイズは判りかねますが……。でもそんなことはどうでもいいです。さっきの一言を着ボイスにして配信すると、女性兵士が喜びますかね?』
「おまえ、キャラ変わってないか?」
畔木は笑った。
『いいえ。私には、准将の雰囲気がいつもと違うように思えます。准将のお立場は、とても窮屈ですからね……』
「おまえは少し心配性だ。どうして、どいつもこいつも世話を焼こうとする?」
『常丸副官ですか? 彼の弟さんと准将は同い年だそうですよ』
「その、常丸から連絡は?」
常丸優馬、陸軍星形戦略作戦師団副司令官は、現在、カムイコタンに向かっているはずだ。
カムイコタンの水源の町を武装テロ組織『赤のヒマワリ』が占拠したとの報を受けて、ペンタグラム・フォース二個大隊を含む陸軍歩兵部隊に派遣命令が下ったからだ。
本来は志騎が部隊を指揮して現地に飛ぶ予定だったが、重大な別件が入った。
それは、PPISからの救援要請だった。
通常、組織の垣根を越えてこうした依頼は届かない。
独立を果たした今ならばなおさらだ。
軍にあって、縦割りの指揮系統の中で、陸軍と公安は最も相性が悪いともいえる。
だから、そのプライドを棄てた要請に、軍としても耳を傾けざるをえなかった。
曰く。
未来視が、自分が死ぬ未来を視た――。
この国で最強の能力を持った未来視、鹿野朔良はまだ中学二年生だった。
彼女の視る未来は驚くほどの確かさで現実となる。
彼女がわずか六歳のとき、独立戦争が激化した。
彼女は毎日、恐ろしい未来の地獄絵図を見ては泣いていたという。
もちろん、そんな彼女の視た未来を頼りに、実戦部隊が活躍したのは言うまでもない。
多分、彼女がいなければ志騎はもっと苦戦していた。
あるいは命を落としていたかもしれない。
独立は果たせなかったかもしれない。
その彼女が今まで一度も視たことのなかった、自分の死を視たという。
動かぬわけにはいかなかった。
だから、志騎はここに来た。
たとえ命にかえても彼女を護るために。
『常丸大佐は、現地に到着したようです。今回は陸軍歩兵部隊との共同作戦ですので、大佐が戦術的にどこまで動けるのかが焦点かと思います』
志騎の胸に一抹の不安がよぎった。
歩兵部隊の狸オヤジどもが指揮官として現地に派遣されたのだとしたら、まだ若い常丸には総指揮官としての任は重すぎただろうか。
そう。軍は一枚岩ではない。
ここはペンタグラム・フォース単独での作戦行動を進言すべきだったか。
「状況が動いたら知らせてくれ」
『わかりました』
通話が切れる。
あと二日、いや、せめてあと一日雪が降るのが遅かったなら、カムイコタンに行けただろうか?
そう考えるのもまた、何でも自分一人で抱え込むなと言われる所以だろうか。
2ーA教室の前で立ち止まった。
ドアをノックし、いくぶん目を大きめに開いて教室へ入った。
「遅れてすみません。転入生の嵯城志騎です」
思った以上に年相応な可愛い声が出た。
内心苦笑しながら、志騎は、はにかんだ笑顔を顔面にはりつけた。