39 Epilog
穏やかな陽光が白亜の大聖堂を照らしていた。
昨夜降った新雪が丘一面を銀色に覆い尽くしている。
志騎は昨日退院して寮に戻った。
だが、この一件に一応の決着を見た今、彼が学園で学生をする理由はない。
聖堂の丘に登って迎えのヘリを待ちながら、そこから臨む札幌の街を眺めた。
風が心地よい。
今日はこの季節にしては気温が高いので、天気予報でも「所により雪か雨になるでしょう」などと曖昧なことを言っていた。
その後、朔良の警護を倍に増やした。
彼女にとっては窮屈なことだろうが、黙って受け入れたそうだ。
その一方で、志騎はPPISの局長から直々に打診を受けた。
未来視の少女を引き受けるつもりはないか? というものだった。
それは可能な限り行動を共にし、側にいて護れということだ。
占領以来、産めよ増やせよ世代を更新せよという風潮もあってか若い婚姻はむしろ歓迎される国柄である。
この国で最強の戦力を持つ男が側にいれば大抵のことはクリアできるから、好きならさっさとくっついてしまえ、ということなのだろう。
確かに合理的な判断ではある。
引き受ける……。
本当にそれが正解なのか?
自分の感情のままに突っ走ることが彼女の幸せに繋がるのか?
魔女に魅入られた騎士に姫を抱く資格はあるのだろうか。
もうずっと、そんな迷いの中にいた。
だから自分自身に言い聞かせてみる。
一度距離を置けば、気持ちも落ち着くかもしれない。
……そんなはずがないことはわかっているのに。
朔良が丘を登ってきた。
銀色の髪が陽光に反射してキラキラ輝いている。
とても綺麗だ。
志騎は片手を上げる。
朔良は満面の笑顔で、大きく手を振り返した。
「すごいね。聖堂も丘も真っ白。綺麗だね」
変わらぬ無邪気な表情で、朔良は志騎を見上げた。
変わらない笑顔。
変わらない声。
変わらない瞳……。
――玲子、あなたが思うより、あなたの娘は強くたくましい。
閉じこめていた記憶も、自分の宿命も、志騎という悪魔の存在も、全て受け止めた上で彼女は明るく笑っている。
「行くんだ?」
笑顔で志騎を見上げたまま朔良は言った。
志騎はうなずいた。
「また、会える?」
ためらいがちな声で朔良は訊く。
陽を受けて赤く輝く瞳が揺れていた。
「会えるよ」
短く答えて朔良の頭を撫でる。
その手の中にすっぽり入ってしまう小さな少女。
こうして側にいて触れることができるなんて、少し前までは到底思えなかった。
今日、ここで別れたら、二人は再びもとの生活に戻るのだろう。
物理的にはごくたまにしか会うことは叶わないのだろう。
それも、数々の闘いの中で、志騎が生き延びることができれば、の話だ。
「朔良」
「なぁに?」
「おいで」
そっと頭を包み込むように抱き寄せて、髪の毛にキスをした。
朔良は腕の中で身じろいで、顔を上げる。
その額にも、キス。
朔良の大きな瞳が寂しげに揺れた。
「わたしも連れてって」
懇願するように朔良は言う。
その声があまりに切なくて、志騎は一瞬、息をするのを忘れた。
「わたし、何でもするから」
続けて朔良はたたみかける。
「わたしに出来ることは何でもする……。出来ないことも出来るようになる。わたし、追いつくから。がんばって強くなるから。誰よりも、いちばん、シキの近くに居られるように、がんばるからっ……」
大きな瞳からみるみる涙が溢れた。
「困らせて、ごめんなさい」
なおも、ポロポロと少女の瞳から涙がこぼれる。
「ごめんね。邪魔だよね……。わたし、類先輩みたいに、シキのこと助けてあげられない……。迷惑かけっぱなしなのに、わがままばっかりで……こんなんじゃ、ダメだよね」
ああ、そうか……。
類を副官に任命したことは、彼女を選んだように思えただろうか?
「類に聞いたの?」
「うん。わたし、嫌な子だ。喜んであげられなかった」
「そんなことないよ。……ちゃんと説明しなくて、ごめん」
朔良は、ふるりと首を横に振る。
「だって、それは、お仕事だもの。わたしには関係な……」
それ以上言えなくなって、朔良は自分の口を自分の手で覆う。
バラバラと音をたてて上空に軍用ヘリが飛んできた。
「なんて、ね。わがまま言ってごめんなさい。ごめんね。気にしないで」
朔良は、涙を浮かべたまま無理矢理笑顔を作ってみせた。
朔良は、キュッと志騎の左手を握った。
そのまま、ヘリが降りるだろう聖堂の裏手へ、手を引くようにして進む。
顔を伏せて先を歩く朔良の頬の辺りから、キラキラと小さな雫が散っているのがわかった。
それを隠すかのように、晴れ渡った空から日照雨が降り出した。
少し強く繋いだ手を握ると、朔良はもっと強い力で握り返してきた。
小さな手が、必死で気持ちを伝えているようだった。
この手を、片時も離さずにいられたら……。
ローター音が大きくなった。
旋風が容赦なく吹き付ける。
周囲の雪が舞い上がった。
ヘリは地上数十センチ程度まで降りて、ホバリングする。
お客様相手ではない。
志騎も迎えの兵の敬礼など求めてはいない。
左舷のステップ付きドアは開放されており、乗り込めばすぐに飛び立てる。
右手でバーを握り、ステップに足をかけた。
朔良はローター音にかき消されないように必死の大声で叫んだ。
「体に気をつけて。無茶ばかりしないで。あ、いちばん無茶させてるのはわたしだけど……」
志騎は、ふっと笑った。
「ごはんは、ちゃんと食べなきゃダメだよ。切り干し大根とか、ヒジキの煮物とか残さないでね……」
この短期間に好き嫌いまで把握されていたようだ。
「それからね、疲れたらちゃんと休んで……。辛いときは、辛いって……。我慢しすぎないで……」
朔良の瞳に、あとからあとから涙が溢れている。
その涙をぬぐいもせず、少女は必死に言葉を紡いだ。
「それから、それから……」
かすかなGがかかった。ヘリが上昇し始める。
「シキ、大好き! 死なないで!」
ああ……。
もう、ダメだ。
ぐっと左手で朔良の体を抱き寄せた。
ヘリが浮き上がり、朔良の足が宙に浮く。
朔良は慌てて両腕を志騎の首に回した。
「うそ」
朔良の足をそっとステップに下ろした。
「反則だろう、それは……」
抱きしめたまま、耳元で囁いた。
「えっ?」
朔良は戸惑う。
「どれだけおまえに惚れてると思ってる?」
「えっ?」
ばさばさと、朔良のスカートが風を孕んで翻った。
「鈍いにもほどがある」
耳の後ろにキスをした。
朔良はくすぐったそうに身をよじる。
コツン。
おでこを合わせた。
「さあ、覚悟しろ」
それは自分自身への言葉だったかもしれない。
朔良を連れて行く。
ずっと側にいて、この手で彼女を護りぬく。
もう二度と離れたりしない。
あの血塗られた翼を持つ魔女が代償を求めて誘いの手を伸ばしても、いつか心を失い、人ではなくなってしまうのだとしても。
命尽きる日まで、朔良と共に……。
「シキ……」
朔良は、嬉しそうに頬を染めた。
そのとき、日照雨の降りしきる青空に大きな虹が広がった。
「わあ。綺麗」
朔良ははしゃいだ声を出す。
「いつか、あの橋を渡って行けたらいいね。幸せの国を捜しに」
まだ小さな子供だったころ、そんな夢物語を信じていた。
虹の橋のたもとにはお城があって、辛いことも苦しいこともない永遠の楽園があるのだと。
もちろん、そんなものが存在しないことも、幸せな未来などないかもしれないことも、二人にはよくわかっていた。
だからこそ、互いのぬくもりだけが全てだった。
ただそこにいるだけで、お互いがそこにいることだけが至上の幸せだった。
幸せの国は、多分、ここにあるのだ。
いつ果てるともしれない宿命に翻弄される二人だった。
互いを感じあえる、今という確かな瞬間。
それだけが、二人にとっての幸せの国なのかもしれないから。
眼下に、陽光を浴びて輝く白亜の聖堂があった。
丘を降りると煌めく湖が広がり、並木道の向こうに聖エーデルワイス学園が堅固なたたずまいをみせている。
占領時代の古めかしい町並みが連なり、その向こうに巨大なビル群に埋め尽くされた摩天楼の都市がかすんで見える。
優雅な絶景のパノラマだ。
大きな虹の橋はその全てを覆うようにどこまでも続いていて、果てを見ることはできない。
朔良はそっと志騎を見上げた。
乾いた頬の傷を旋風がなぶっている。
そっと伸びをして、頬の傷にちゅっと接吻を送った。
驚いたように志騎が朔良を見下ろす。
朔良は少しはにかんだように首をすくめて、悪戯っぽく、微笑った。
幕
2015.3.16. Lei Tojoe.
改 2025.6.10. Lei Tojoe.
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
今の流行とは少し、いやかなり違ったジャンルの作品にも関わらず、ここまで読んで下さった方に、最大の謝辞を。
この作品は北海道が舞台ということもあり、キャラの名前がルビ必須なものになっています。
畔木なんて読めないでしょう?
あれは、札幌の近くに花畔という地名があるのです。
はなはん……ではなく、ばんなぐろ、です。
ばんなぐろの畔木大佐、お気に入りのキャラです。
映画等のオマージュシーンはちょこちょこ挟まっていると思います。
メインタイトルの副題も乙一先生のオマージュですね……。なんか語呂が悪いなーと思いつつ、タイトルで少しでも興味を引かねばならないかも~! と思いまして……。
もしも、気に入っていただけたら、本当に嬉しいです。嬉しくて踊ります。
たった一人でも好きだと言って下さったら、そんな僥倖はございません。
もし、もしも、感想などいただけましたら、嬉しいです。
どうもありがとうございました。




