03 白亜のジブリール
札幌中心街から離れた市街を一望できる丘の上に、白亜の大聖堂がそびえていた。
正面の巨大なステンドグラスのバラ窓の脇に、聖母マリアの物語を描いた彫像が聖堂を取り囲むように並んでいる。
『慈愛の天使ジブリール』だ。
繊細な細工の数々で造りあげられた、重厚で揺るぎない姿の聖堂だった。
正式名称は他にあったのだが、独立後、その聖堂はジブリール大聖堂と呼ばれている。
その聖堂が建つ丘は、かつての爆心地であった。
占領後に聖堂を中心に石畳の路地が整備され、煉瓦造りの建物が並ぶ情感豊かな街が広がっていった。
そこは慰霊の丘でもあり、焼け野原となった札幌の始まりの場所でもあった。
その聖堂がよく見える福住地区から羊ヶ丘地区一円に、学園都市が広がっていた。
中でもひときわ立派な校舎を持つのが、聖エーデルワイス学園。
気高い白と呼ばれる高山植物セイヨウウスユキソウの名を持つ、中等部と高等部からなる全寮制の学園だった。
志騎はその煉瓦造りの校舎を遙かに臨む校門に立って、キャンパス、というか雪の庭園を眺望した。
初夏になれば色とりどりの花に彩られる花壇となるのだろうそこは、今は真っ白な雪に覆われている。
風が冷たい。吐く息が白く凍った。
正門からその学園を見ると、ロの字型に建てられた建物の北側と南側の棟に半円形のアーチが穿たれている。
そのアーチから丘の上にそびえる白亜の大聖堂を臨むことができた。
志騎は、左胸の校章に視線を落とした。
この学園の校章は白く可憐なエーデルワイスをモチーフにした花の紋だった。
ロマン主義の時代、この花は不死、不滅のシンボルとして祝典や恋愛などに用いられたが、険しい山肌から転落死する採集者が相次いだため『アルプスのローレライ』という異名で呼ばれるようになったそうだ。
縁起がいいのか悪いのかわからないな……と志騎は思った。
この学園の生徒は寄宿舎で共同生活をしているため、普段、校門から登校する者はいない。
志騎は人影もまばらな校庭を正面の噴水に向かって歩き始めた。
噴水は凍結防止のため冬期間は止められている。
ラッパを吹く天使のモチーフの上に、雪が容赦なく降り積もっていた。
その周辺に小鳥が集まっている。
噴水の向こう側でしきりに地面をついばんでいるのは、何者かが餌を与えているのだろうか。
と思うより早く、水の向こうから赤っぽい髪の少女がひょこんと顔を出した。
大きな瞳を見開いて志騎をじっと見つめる。
スラリと背の高い、綺麗な顔立ちの少女だった。
「あれ? 転入生って、あんた?」
少女はでかい声で驚いて、手に持ったパンを取りこぼしそうになった。
「久しぶりだな、猫屋敷類」
「名前、覚えててくれたんだ?」
嬉しそうな笑顔になって、類は志騎に歩み寄った。
いつかススキノ交差点で会ったときと違って愛想が良い。
ひょい、と類は握手の手を差し出す。
志騎が握り返すより早く、類はガシッとその手を掴んでぶんぶんと上下に振り回した。
「第一声が『ナンパなら間に合ってます!』だったな」
「やだ~。言わないでよ~。だって、朔良って学園でもいつもあんなだから、とにかく追い払わなきゃって……」
類はテレテレと頭をかく。
「ごめんね」
両手を合わせ、目をつぶって拝む真似をした。
一呼吸おいてから、ちらっと片目を開ける。
志騎は、たまらず吹き出した。PPISのエージェントだったはずだが、隠密行動を旨とする組織にあって、このあっけらかんとした少女は異端に違いない。
「お、笑った……」
「そりゃ、俺だって笑うさ」
「おー、一人称、俺……普通っぽい」
「なんだよ?」
「うーん。なんていうか……もっと、こーんな目をした、なまら取っつきにくいヤツかと思ってたから」
言いながら、類は自分の目尻を中指で引き上げる。ついでに口がアヒルになった。
「まあ、そう思ってるヤツもいるだろうな」
あはは、と大きな口を開けて類は笑った。
「だよね~」とか言いながら、手元のパンを細かくちぎってそこら中にばらまく。
「案内してあげる」
返事も待たずに類は先にたって歩き出した。志騎は、なんとなくそれに従う。
「お姉様~」
向かって右手、東棟の寄宿舎の方から制服のスカートを翻した女の子が数人、こっちに駆けてくる。
白いブラウスと綿レースで飾られた黒のジャンパースカート。ダブルのジャケットの上に黒いマントコートを羽織っている。コートの裏地がチラリと翻る。ボルドー。深い赤だ。
ゴシック風の黒と白のコントラストが効いた中等部の制服だった。
ちなみに高等部の制服はスカートが膝上丈に、コートの裏地が深いブルーになっている。
類は「おはよー」と叫びながら、後輩たちに手を振り回した。
お姉様……。
なんとなく、志騎は、この学園における彼女の立ち位置がわかったような気がした。
校舎玄関に向かって歩いていくと、玄関ホールで中等部の女の子が数人の男子に壁際に追いつめられている。
「ったく、あいつら……」
類は、考えるより早く行動する。ずかずかと歩み寄って大声を上げた。
「こぉら、女の子一人に、なにやってんのよ?」
その威勢のいい声に、男子たちがたじろぐ。
「げ。猫屋敷!」
「風紀委員長……いや、これはその……ちょっと、朔良ちゃんにお願いが……」
囲まれていたのは朔良だった。類は腰に手を当てて仁王立ちだ。
「問答無用!」
言い放つと、男たちに向けてポンと右手を投げ出す。男たちの額で順番に小さな光が閃いた。
「てっ!」「てっ!」「てっ!」「てっ!」「てっ!」
皆が順番に、額を押さえてうずくまる。簡単な電撃魔法だ。
「必殺、デコピン電撃!」
類は、ふん! と鼻を鳴らした。
「ひでーよ、猫屋敷……」
「ビリビリする~」
額を押さえながら男子生徒が口々に文句を言う。
「じゃあ、なに? あんたたちは人に物を頼むとき大勢で囲んで威圧するのが流儀なの?」
朔良は小走りに類の傍らに走り寄る。
「あのね、類先輩。お誕生日会にお唄を唄って欲しいって頼まれたの。それだけなの……」
「唄? ああー。なるほど」
妙に納得した様子で、類はうなずいた。
「それならそうと早く言いなさいよ」
「問答無用って言ったの誰だよ……」
半べそをかいて、一人が愚痴る。
「うーん。でも、朔良はちょっと最近調子が良くなくて……」
まるで保護者のように言いかけた類の横で、ふらっと銀色の髪が不規則に揺れた。
「え?」
驚く類の傍らで朔良が急に脱力して倒れる。
類は、怪我をしないよう支えようと、慌てて振り返った。
その類の目の前に輝く魔方陣が広がった。
倒れ込んだ朔良の体が、ふわりと魔法陣に包まれる。
まるでハンモックに受け止められたようだった。
志騎は朔良に歩み寄り、その華奢な体を抱き上げた。
予期していたように自然に、倒れた少女を受け止めて抱き上げた。
お姫様抱っこされた少女の銀色の髪が、はらりとこぼれて宙に光る残像を描いた。
「なにそれ、カッコイイ」
思わず類は本音のつぶやきを漏らす。
志騎は類を見た。
「いつもこんな様子なのか?」
「二日に一度くらいかな?」
なるほど、膝に絆創膏が貼ってあるのが白いタイツから透けて見える。
「類。衝撃緩衝魔法は使えるか?」
「ううん、難易度高すぎ」
「あとで教える」
「って、そんな簡単なの?」
「君ならできる」
「あ、うん」
攻撃系の魔法よりも防御系の魔法のほうが難易度は格段に高い。
使いこなせるのは第五世代以降の子供たちだろうと研究では言われているが、まだその数は多くはない。
それに、第四世代以降、能力の増大に反比例して能力者の出現数が減少している。
パワーバランスとでもいうのだろうか。
だから、この魔法の力はいずれ消失してしまうものかもしれないとも言われていた。
大和民族独立のために神が遣わした力……とまで言う学者がいるのも事実だ。
現在、この学園に在学している十代の若者は、ほとんどが第四世代だった。
しかし、同年代が皆そうであるからといって全員が同じ世代であるとは限らない。
独立戦争の末期、独立軍は特殊部隊ペンタグラム・フォースを組織した。
旧帝国軍の体質を引き継いだやり方では埒があかなかったからだ。
星形戦略作戦師団と呼ばれるその部隊は、メタル・ブルーの認識票を特別に与えられた、特殊能力を持った精鋭たちであった。
主に第三世代以降の若者で構成されたその部隊に所属するには、『魔法』と呼ばれる力を操ることが絶対条件である。
その、特殊能力者たちの集団ペンタグラム・フォースに悪魔とも死神とも呼ばれる男がいた。
嵯城志騎。
彼は、わずか九歳のとき、オタルナイ作戦で初陣を飾った。
半年もの間、膠着状態だった戦線を一晩にして瓦解させ、港を奪取。独立軍を圧倒的勝利に導いたのだ。
オタルナイ作戦の伝説は、あっという間に内外に知れ渡った。
左手に数多の血を吸った邪刀を携え戦場に立つ少年の伝説が、人々を震え上がらせたのだ。
たちまち、人々はこの少年を英雄と祭り上げた。
彼が前線に立つ限りきっと独立を果たすのだと、味方は士気をあげ、敵は浮き足だった。
そして事実、彼に不可能はなかった。
当時、第四世代の戦士がかろうじて実戦投入できる年齢に達していたこの部隊に、ペンタグラム、星形を現す五角形の名を冠したのは、より高みを目指すという意味合いがあったのか、それとも、悪魔的な強さを誇る英雄が第五世代であったのかは、公式の記録にはない。
「保健室に連れて行く」
朔良を抱いたまま志騎は言った。
「あ、場所!」
「頭に入ってる」
こともなげに言って、志騎は歩き出す。
頭に入っている……。
そりゃあそうか、と類は思った。潜入先の構造を把握するなど、初歩の初歩だ。
案内してあげる、とか言ってしまったのを悔やんで、類は少し凹んだ。