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37 迷妄と覚悟の天秤


 平岸にある陸軍病院の特別室から、連日、優しい歌声が流れていた。


 あれから数日。

 意識が戻らない志騎の枕元で、朔良が唄っている。


 病室から見える通りの景色もすっかり白く染まったころ、志騎はようやく目を覚ました。


 窓際に置かれた花瓶の花を整えながら唄っていた朔良は志騎の視線に気づいて、花を触ったまま振り返る。

 サーモンピンクのワンピースにゆったりとしたカーディガン。

 髪は赤いリボンでツインテにまとめていた。


「おはよ」


 朔良は満面の笑みで言った。


「ずっと……おまえの声が聴こえていた。俺をこの世に繋ぎ止めておいてくれたんだな……」

「浮気者の誰かさんが、向こうに行っちゃわないように」


 悪戯っぽく朔良は笑って、志騎の手を握った。


「シキ、ありがとう。わたし、生きてるよ」


 志騎は目を細めて朔良を見た。


「怖い想いをさせたな……」

「ううん。」


 本当に怖い想いをした。

 いっぱい。たくさん。

 でも、いちばん怖かったのは、志騎があの魔女に連れて行かれるかもしれないと思ったときだった。


 志騎の視線が動いて朔良の首筋で止まった。

 まだ首にキスマークが残っている。

 朔良は気づいて首を押さえた。


「あ、ごめんなさい」


 うつむく。


「おまえのせいじゃないよ。そんな顔しないで。それより、怪我は? ……体のほうは、大丈夫なのか?」


 あのときは畳みかけるように次々と色々なことが起こって、ちゃんと気遣ってあげられなかった。


「ん。えっと……」


 困ったように唇に人差し指を持って行く。

 ああ、不本意なキスで、相手の唇を噛み切ったことはわかっている。

 志騎は目顔でうなずきながら半身を起こした。

 少し目眩がしたが問題ない。


「うん……。それでね? あの、あのね……」


 朔良は恥ずかしそうな上目遣いになる。

 頬が桃色に染まっていた。


「ねえ、シキ……。はじめてって痛いのかな?」


 志騎は不意打ちをくらった。


「えっ? いや、それは……男にはわからないっていうか……でも、きっと、多少は……」


 なにを真面目に応えてるんだ……。

 志騎は内心頭を抱えた。


「ふぁ……そうなんだ……」

「ていうか、なんでそんなこと訊くんだよ?」

「だって、加我先輩、痛くしないとか、痛くしちゃうとか、そんなことばっ……」


 ぐいっと朔良を引き寄せた。


「きゃ」


 少し強引に胸に抱く。

 あの男の名前を出されただけでムカついた。

 あのとき下着が切られていて、あいつがどこまでしたのか気になっていた。

 どこを触られて、どこを……。

 体の奥から衝動がわき上がった。


「大丈夫だよ。そんなこと考えてる余裕、なくしてあげるから」


 耳元でささやきながら、朔良の体のラインに沿って手をなで下ろす。

 ウエストのくびれをなぞると、朔良はピクリと反応した。

 制服と違って装飾の少ないシンプルなワンピースは手の感覚を鋭敏にする。

 骨盤の下……。

 小さな結び目に触れてハッとした。

 思わず体を離して、朔良の両肩に手を置いた。


「普段からこういう下着をつけるのはやめなさい」


 保護者みたいな声が出た。

 朔良はツンと唇を尖らせて挑むように言った。


「こういうって、なぁに?」

「紐は、ほどきたくなるだろう?」

「じゃあ、シキは牛さんのパンツがいいの?」


 何故、牛さん……。

 ホルスタイン柄で腰にリングがついたセクシーな下着のイメージが浮かんだ。

 朔良が言っているのはファンシーな牛のイラストが描かれたものだろうか。


「牛さんは牛さんで……悪くない……けど」

「なぁに? そのイメージ。牛さんでセクシーアニマル柄を想像するなんて、どうして? どこかで見たの?」


 志騎はめちゃくちゃ焦った。なんで漏れた?


「覗くなよ」

「視えちゃったんだから仕方ないじゃん」


 油断ならない体質だ……。

 朔良は、うろんな顔になる。


「えっち」


 一刀両断だった。


「ずっと心配してたのに、やっと目を覚ましたと思ったらパンツの話って……」

「ごめん。ただ、あんなことがあって、心配だから……」

「じゃあ、ずっと側にいて。片時も離れないで。眠るときは手を握っていて」

「手だけ?」

「もう!」


 ぼふ! 枕の直撃を喰らった。


「て」

「そんなの、言わなくたってわかるでしょう!」


 志騎は笑った。


「言わせたくなった。おまえの口から」

「いぢめっこ!」


 ぼふ! ぼふぼふ!

 見事なコンボだ。

 いつか二人で暮らすときには枕はもっと柔らかいものにしようと思った。


「おまえ、いったい、誰を殴ってると思ってる?」


 枕攻撃を腕で受けて、笑いながら言った。


「うー。えっちな、いぢめっこ」


 目が据わっている。

 だが、そんな表情も可愛い。

 枕ごと朔良を抱きしめて攻撃を防いだ。


「もう、ずるいー」


 朔良は少しジタバタして大人しくなった。


「大好きだよ、シキ……」


 枕からちょこんと顔を出してささやく。

 志騎の心臓がドキンと跳ねた。

 この娘を愛おしいと思うほど、感情が制御しきれなくて戸惑う。


「何をしているんですか? 准将」


 畔木(くろき)の少し呆れたような声がした。


「あ、畔木大佐!」


 枕を志騎に押しつけて、朔良はぴょんぴょんと跳ねるように畔木のもとに駆け寄る。


「参ったな……」


 志騎は額を押さえて仰け反った。


「ん?」


 わたし何かした? と朔良がすました顔で振り返った。


「じゃあ、わたし、類先輩に連絡してくるから」


 笑顔で手を振って朔良は廊下に出て行った。

 畔木が来たから席を外したのだろう。

 枕を振り回して暴れていたくせに、あれで、志騎の立場もしっかり理解しているようだ。


 その朔良の後ろ姿を見送って、志騎はポツリと言った。


「畔木……。お前も迷ったことがあるか?」

「もちろん。軍人ですからね、将来の保証などできません。ただ、今回のようなことがあるほうが、可哀相だと思います。未遂だったのは単に運の問題だと思いますよ」


 服を破られ下着を切られて放心する朔良の痛々しい姿が目に焼き付いている。


「……怖かった。もう二度と笑わないんじゃないかと、思った……」

「相当堪えたみたいですね……。あんな殺し方、あなたらしくない」


 畔木は窓際に歩み寄って外に視線を投げた。


「朔良さんから電話が来たときは驚きました。准将の携帯のロックをどうやって外したんでしょう?」

「暗証番号が誕生日だから簡単だ」

「は? どなたの誕生日ですか?」


「昔、朔良が決めてくれた俺の誕生日だ。俺は自分の生まれた日を知らない。公式記録はでたらめだ」

「そうですか、逆に言えばお二人しか知らないということですね……。それにしても、保護対象に助けられていては世話がありませんね。安心したのはわかりますが雪の中で気を失うとは何事です? 死にますよ?」


「反省してる。そういえば、おまえが来るまで朔良はどうしていたんだ?」

「凍死しないように、繭を作っておいででした」

「繭?」

「准将の得意な衝撃緩衝魔法ですよ。お二人で仲良く防壁繭の中です。准将から貰ったペンダントで作ったと仰ってましたが、とても初めて作ったとは思えない精度でした。准将の魔法陣をコピーしたのだと思います」


 そういえば、一度、彼女を繭に閉じこめた。

 記憶野に焼き付いた映像だろうか?


「多分、一生分くらい頑張っただろうな。あいつは理論で組み立てる魔法はからっきしだ」

「でしょうね。ご自分で作った繭から出られなくなっていました」


 は? 目が点になった。

 思わず、畔木と顔を見合わせて笑った。


「素敵な方ですね」

「ああ」

「彼女はとても聡明です。電話が繋がったとき、朔良です。聖堂は雪です、とだけ。盗聴を警戒し、情報を厳選した結果なのでしょうね。ご自身で連絡できる類さんではなく私を呼んだのも事後処理が必要だと判断したからでしょう」


 普通の方法で出来上がったとは思えない死体が二つ……。

 しかも、学生の……。

 あれは、畔木を呼んで正解だ。


「准将」

「ん?」

「興味本位で訊くのではありません。彼女は、何者です?」


 志騎は少し口元を笑わせた。

 何者……か。

 そういわれてみれば改めて考えたことはなかった。

 朔良は生まれる前からとても身近で、愛すべき対象で、今は何よりも大切な存在だった。

 自分にとってはそれだけで、戦略的な位置づけとしては彼女の力を欲する者たちが騒いでいるだけだ。

 だからあえて説明するとしたら……。


「自分の作った繭から出られなくなる、夢魔の第七世代(セプテット)だよ」



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