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36 魔女に愛された騎士


 朔良はゆっくりと半身を起こした。


 まだ、終わってない……。


 血にまみれて雪の中に横たわる自分の姿が脳裏に浮かんだ。


 雪? 雪が降っている……。


 よろよろと立ち上がりながら倒れている志騎を振り返った。

 こんなふうに倒れている彼を何度見ただろう。

 とても無防備で痛々しくて、胸がしめつけられた。


 いつも無理ばかりさせてごめんね。

 わたし、がんばってみるね……。


 それは確信だった。

 雪の中を誰かがやってくる。


 出口に歩み寄って扉を押し開けた。

 重い観音開きのドアが軋みながら開くと、外から冷たい空気が吹き込んできた。


 雪が、舞っている。

 ずいぶん積もっていて、ショートブーツが半分埋まるくらいだ。


 朔良は雪の舞い散る屋外に出て、扉を閉めた。


「君が出迎えてくれるなんてね」


 丘を登ってきた少年が言った。

 海藤亮太だった。


「何か……あったみたいだね? ひどい格好だよ」


 朔良は手を胸元に持って行った。

 ぶかぶかの上着の合わせを寄せるように掴む。

 聖エーデルワイス学園の制服の上着は、合わせが逆なだけでデザインは男女ともに同じだ。


 雪の中に倒れた自分の映像を思い出した。

 そういえば合わせが右前の男物だった。


「あなたが、わたしを殺しに来たの?」

「うん。君に恨みはないんだ。でもね、考えた。あいつにダメージを与えるには君を殺すのが一番効果があると思うんだ」


 亮太は淡々と言いながら、ポケットから折りたたまれたナイフを取り出した。

 折りたたみ定規のようだ、と朔良は思った。

 だが、定規と違うのは、その二分割された(グリップ)の間には溝があって、そこに刀身(ブレード)が挟まれるように収納されているところだ。


「僕は、あいつに父を殺されたんだ……。僕はあいつを殺すために強くなった。そのカタキがこんなに近くにいる。逃す手はないでしょう?」


 亮太は手首を軽く振る。

 金属的な音が鳴って、魔法のようにブレードが現れた。


「そんなの、強いって言わないと思うよ?」


 朔良はふるっと体を震わせた。

 さすがにコートなしでは寒い。


「君に何がわかるの?」

「わかるよ。わたしのお母様もシキに殺されたから」


 弾かれたように亮太は朔良を凝視する。


「お父さんがどう思ってたかなんて誰にもわからない。ただ、わたしは、亮太くんの時間が止まってることが哀しいの。だから前に進もうよ?」

「うるさいな!」


 亮太は手にしたナイフを水平に振った。

 刃先から炎が燃え上がり、鞭のようにしなって朔良の足元を打った。

 ジュッと音をたてて雪が蒸発する。

 ビクッとして朔良は後ずさった。


「僕はずっと、この国の運命を呪って、父を殺した悪魔を憎んできた。今更、変えられない。前へ進むなら、あいつに同じ想いを味合わせてやる! 君の母親を殺した? なんだよそれは……。本当にあいつは悪魔なんだな」


「違うよ。みんなが彼を追いつめるからだよ」


 亮太は低く笑った。


「追いつめるから? じゃあ、君を失ったら、あいつはどうするのかな? 泣きわめくかな? 怒り狂うかな? そしてこの爆心地を再び消してしまうのかな?」


 亮太は高揚した様子で笑い出した。

 まるで怨念が憑依したような狂気の高笑いだった。


「ダメだよ……。亮太くん殺されちゃうよ……」


 朔良は下唇を噛んだ。

 今度は彼は容赦しないだろう。

 さっき、ためらうことなく加我聖也を潰れた肉塊にしたように。


 瞬間、亮太がナイフを腰だめに構えて体ごとぶつかってきた。


 蹴散らされた雪が地面から舞い上がる。


 細い刃先が体に迫ってくる様子がスローモーションで見えた。

 冷え切ったナイフの放つ冷たい輝き。


 朔良の銀色の髪が闇に舞い、真っ赤な鮮血が白い雪を染め……。



 そのイメージを轟音が打ち砕いた。


 朔良の体に刃先が触れる瞬間、聖堂の扉が叩きつけられるように開いて爆音が轟いた。

 脳天を割るような音をたてて空気の固まりがぶつかってくる。

 それをまともに喰らって、亮太の体が吹っ飛んだ。


 煽られて尻餅をついた朔良の視線が、聖堂の中から現れた人影をとらえた。


 志騎だった。

 志騎はゆっくりと聖堂の中から姿を現す。

 新月を左手に握りしめていた。


 彼は背筋が凍るほどの殺気を身にまとっていた。

 朔良は声が出なかった。

 志騎の姿を見て、初めて怖いと思った。


 いっしゅん、その背に真っ赤な血塗られた翼が翻ったような気がした。

 この禍々しさは、もはや人のものではない。




 抑えられない……。

 志騎は体のなかで黒く禍々しいものが膨れあがって来るのを感じていた。

 全身を襲う激しい痛みよりも、胸を貫くような喪失感に気が狂いそうだ。

 意識が自分のものであって自分のものでないような感覚に支配されている。

 やっとこの手に取り戻した少女を、また永久に失うのかと思うと心が煮えた。


 海藤亮太……。

 朔良が赦しても俺は許さない。

 朔良に手をかけようとする者は、徹底的に排除する。


 雪の丘を転がり落ちて、亮太は頭を押さえて立ち上がった。

 手にしたナイフが炎をまとった長剣を形作っている。


「乱暴だな……。いっしょに鹿野朔良を吹き飛ばすつもりか?」

「誰に言っている?」


 色のない声で志騎は言った。


 朔良は思い出した。

 さっき、ほんのコンマ何秒かの刹那、目の前に銀色の魔法陣が広がったような気がする。

 同時に亮太を赤い魔法陣が、まるでロックオンするように捕らえていた。


 彼はどんなふうに対象を判別しているのだろう。

 彼にとっては扉など何の障壁にもならないのか……。


 志騎は新月を水平に払った。

 パ、と亮太が赤い魔法陣に囚われる。


 ぐしゃっと嫌な音がした。

 亮太が口から血を吐いて膝を着く。


 志騎は跳躍した。

 亮太との距離を瞬時に縮めて、その傍らに着地する。

 亮太がゲブゲブと血を吐きながら何か言った。

 それは既に言葉ではなかった。

 亮太は手にした炎の剣を渾身の力で振り回す。


 志騎は片手で新月を振った。

 払った、という感じだった。


 ナイフを握った亮太の手首が飛んだ。

 獣のような声で亮太は叫んだ。

 同時に亮太の手足の関節に小さな赤い魔法陣が閃く。


 亮太の手足があらぬ方向を向いて力を失った。

 白目を剥いて痙攣する少年の心臓に、新月が突き立てられる。


 わずか数秒の出来事だった。


 朔良は口に両手を当てて悲鳴を押し殺したまま、まばたきするのも忘れて硬直した。


 これは……。

 こんな、圧倒的な……。


 あのときの学園での戦いは本当に茶番だったのだ。

 相手を制圧するだけなら、こんなにたやすい。

 多分、一撃でも殺せる。

 なのに手数を増やしたのは、より苦痛の伴う死を与えるため?


 ――わたしを、殺そうとしたから……?


 朔良は息をするのを忘れていた。

 苦しくなって、浅く何度も呼吸する。

 全身がガタガタ震えていた。

 だけど、目をそらすことはできなかった。


 志騎は血を吸った新月を携えたまま、虚空を仰いだ。

 その目線の先に赤い翼の魔女がいた。

 魔女は細くなまめかしい腕を伸ばして志騎の頬をなぞる。


 朔良はグッと自分の両足に力を入れた。

 ダッシュする。


 魔女が血塗られた翼で志騎の体を抱き込もうとしていた。


 朔良は志騎の体に体当たりするような勢いで抱きついた。


「シキ!」


 志騎は、ハッとした様子で、腰に抱きついた少女に視線を落とした。

 朔良はふわっと微笑んだ。


「ありがとう。全部、終わったよ」

「朔良……」


 志騎の金色の瞳が苦しげに揺れた。少女の体を抱きしめる。


「朔良……朔良……朔良……」


 志騎は少女の体を伝ってひざまづいた。

 立っていられないほどの激情が彼を襲っていた。


 彼がどんなに少女を失うことを畏れていたのか、朔良は知った。

 未来視が視た自分の死の映像。

 それを打ち壊すのは不可能だったのかもしれない。

 そう心のどこかで想いながら、彼がどれほど強い決意で彼女を護ってきたのか。


 大丈夫。

 彼はちゃんと心のある人間だ……。


 朔良も膝をついた。

 志騎は震えている。


 そう。

 この想いはもう引き返せない……。


 たとえどんなことがあっても。

 宿命の星が二人の頭上に堕ちてくるその時まで……。


 シキ……。

 あなたが人ではなくなってしまうのだとしても……。


 朔良は、震える志騎の頭をそっと撫でて、その体を抱きしめた。



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― 新着の感想 ―
亮太君…恨みは晴れなかったですね… 誰もこんな形は望んでなかっただろうから余計に辛いです… もうみんな心のどこかが壊れていて可哀想で…
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