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34 左手の契約


 志騎は腕の中の少女を固く抱きしめた。


「行くな、朔良!」


 抱きしめて叫んだ。

 お願いだから、彼女を連れて行かないでくれと全身全霊で祈った。


 祭壇の上に浮かぶ魔女に挑むような視線を向けた。

 魔女はかすかに首をかしげる。


 そう。

 朔良を連れて行ったとしても、おまえは満足できない。

 力を暴走させた朔良は魔力の泉なのだろう。

 だが彼女は制御することができない。

 溢れ出る力に溺れ、惑うだけだ。


 溢れる魔力は出口を求める。


 俺が全て受け止めると約束しただろう?

 全部この身で受け止めるとあの日誓ったはずだ。

 溢れる魔力の受け皿が欲しいなら、それはここにある。


 ――俺を獲りに来い!


 腕の中の朔良にキスをした。

 ガツンと目の奥に衝撃を受ける。

 今まで朔良を通して視てきた凄惨な未来視の映像が次々とフラッシュする。


 過去に死んでいった数多の魂の怨嗟の声が頭の中で反響した。

 それは地獄の血の池から志騎を呼ぶ声だ。


 腕の中の少女の肩がピクリと動いた。

 閉じられた瞼が震えてゆっくりと長い睫毛が持ち上がる。

 血のように赤い瞳が開かれた。


 少女はそっと手を伸ばした。

 志騎の頬に小さな掌が触れる。

 その指先が頬をすべり、唇に触れた。

 少女は志騎を見つめる。

 禍々しくも美しい魔性の瞳をした少女は、男の唇を愛おしそうになぞって、婉然と笑った。


 朔良はそっと体を起こした。

 その背に真紅の翼が広がる。

 それは蝙蝠の翼のようでもあり、神話の世界の悪魔を象徴するもののようでもあった。

 翼はどろりとした鮮血に濡れ、輪郭から、糸を引くように血液がしたしたたり落ちている。

 禍々しきものの象徴のような翼だった。


 これが……。玲子の視た朔良の姿……。


 母が愛する娘を自らの手にかけようとしたのは、この、魔力を暴走させた娘の姿を視たからなのだろう。

 そして、この姿をした魔女が世界を喰らうのだろうか。


 朔良の目が動いて、志騎を捕らえた。

 その瞬間、耳元をジェット機が飛んだ。

 いや、そんな風切り音が鼓膜に突き刺さった。


 銀色の魔法陣が志騎の周りで重なり合うように閃く。

 しかし、頬や腕に直線的な切り傷が広がった。

 魔法では防ぎきれない力……。

 それは、魔法という名を借りた物理的な力ではないということだ。


 もともと、朔良の持つ力は理論を必要としない。

 多分に感覚的な……。

 そうしたいと思ったから、という理由で発動するものだった。

 それが破壊という方向に転じると、こうも強大な、制御を知らない力になるのか。


 玲子が娘を殺そうとした理由がわかるような気がした。

 だが志騎は約束した。

 玲子の死の代償に、朔良に代わって全ての宿命を背負うことを。


「戻ってこい、朔良」


 呼びかけた。

 その言葉が耳に届いたかどうかわからない。


 ――俺が欲しいなら朔良から手を離せ。夢を統べる魔女……。


 朔良はかすかに首をかしげて志騎を見上げる。

 ひざまづき、胸の前で指を組んだ。


 甲高く金属的な音が耳元で響いた。

 志騎は魔女が作りだした結界の中に放り込まれた。



 それは、何枚もの鏡によって囲まれた鏡の結界だった。

 四方八方に合わせ鏡の映像が広がり、少し動くと万華鏡のように彩りを変えて感覚を惑わせる。

 鏡の中から黒い影のようなものが浮き上がってきた。

 それは次第に人型を成し、何体も何体も、次々と志騎を模した姿で実体化する。

 まるで鏡結界の魔物だった。


 魔女は、力で志騎をねじ伏せ自分のものにするつもりなのか。

 志騎と同じように刀を携えたそれは、背後から問答無用で斬りかかってきた。


 ビュンと空気が唸る。

 振り向きざま、左に体をねじって新月を寝かせて担ぐ。

 初撃を峰で受けた。

 そのまま肘を支点に振り抜いて、強引に相手の体を開かせる。

 振り抜いた刀を返し、右手で素早く引き寄せた。

 踏み込んで、突く。

 前方の鏡が割れた。

 相手は動きを止め、黒い影になって四散した。


 とても感覚的な舞台だと志騎は思った。

 大げさな重火器を用意するでもなく、大部隊を動かすわけでもない。

 人の心に入り込んで惑わせるのが魔女のやり方なのだろう。

 確かにそれも効果的だ。

 合わせ鏡の檻に閉じこめられただけで、人は狂気の底に突き落とされてしまうかもしれない。


 しかし、であればこそ、魔女は志騎の力が欲しいはずだ。

 この世の全てを破壊し、全ての命を喰らい尽くすには、圧倒的な攻撃力が必要だ。


 気配が、した。

 右手を軽くついて後ろへトンボを切る。

 空中でひねって着地すると、今まで立っていた場所に炎が上がっていた。

 空間自体が燃える、といった感じだった。


 もしも、あれをかわしきれず、直撃を受けてしまったら……。

 朔良に跳ね返ってしまうかもしれない。

 あの日、玲子を雷が撃ったように。


 左手に握った刀を水平に返すと、すうっと左上に引き上げた。

 殺気が複数、撃ちかかってくる。

 志騎はその全てに一撃で致命傷を与えるように刃をふるった。

 空気を裂く鋭い風切り音とともに、白刃が光る残像を描き出す。

 振り下ろした勢いのまま、右に一旋転。

 周囲の時間が凍った。一瞬の後、右で複数の鏡が四散した。


 万華鏡に赤い影が散って、炎が四方八方から襲ってきた。

 とっさに耐熱防御の魔法陣を展開する。

 しかし、炎はやはり防壁を越えて侵入してくる。

 全身に熱風を感じた。

 悲鳴も上げられないほどの熱に膝を折る。


 だが、その炎は物理的に物質を焼き尽くすたぐいのものではなかった。

 精神波とでもいうのだろうか。

 人間の目には明らかに炎として認識されるし、熱による苦痛も受けるが、服が焼けたり肌がケロイドになったりはしない。

 焼き尽くされるイメージだけが最大の苦痛を伴って襲ってくる。

 まるで脳を焼かれる感じだ。


 炎は鏡の結界によって縦横無尽に反射する。

 いつ、どこから、何度襲われるかわからない。

 そして反射しながら襲い来る炎は、敵も味方も区別ができない。

 映し出された複数の人型が炎に包まれた。


 燃える人型が袈裟に撃ちかかってきた。

 片膝を立て、低い位置で峰で攻撃を受ける。

 この人型が志騎を模したものであるならば、自分の力で斬り込まれているということだ。


 ――くっそ重い……。


 腕が痺れる。

 片目を閉じて奥歯を噛みしめた。このときばかりは己の力を呪った。

 強引に手首を返す。

 右手で刀を取り、峰で人型の首の辺りを叩き割った。

 時代劇で、峰打ちだ安心しろなどというのは嘘だ。

 日本刀の打撃力はその自重だけで人の骨など簡単に折れる。

 燃える人型が脇に沈んだ。


 しかし、きりがない。

 この結界はまるで鏡の迷宮だ。

 幾重にも重なった写し鏡が次々と自分自身を映し出す。

 自分という存在をあやふやにし、消し去ろうとするかのように。


 自分がここにいるのかさえわからなくなるような、無限に復元される虚像の海の中で、志騎は迷った。


 ここを強引に力技で破壊してしまってもいいのだろうか?

 これはもしかしたら、朔良の心の中なのではないか……?

 だとしたら、ここを壊すことは彼女の心をも壊してしまうことになるかもしれない。


 志騎は、目を閉じた。

 視覚情報を遮断することにより、無限に連なる合わせ鏡の地獄から一時的に解放される。

 だが、目を失うことは死と隣り合わせの危険に身を置くことにかわりはない。

 左右から迫る殺気を斬り払った。

 炎になぶられてよろめいた。

 やはり、抵抗は無意味なのかもしれない。


 そう。

 魔女は溢れる魔力を受け止める器を求めている。

 出口を捜している。

 ならば……。


「朔良」


 名前を呼んだ。

 彼女のように、直接心の中に響くように呼べない自分がもどかしい。


「朔良!」


 もう一度呼ぶと、脳裏に赤い翼を持った魔女の姿が蘇った。

 この魔女とは長いつきあいだ。

 玲子を殺し、夢魔と契約してからずっと、戦いの中でこの魔女とともにいた。


 いつも、魔女の差し出された手を取るたび、強大な破壊衝動に襲われ、それを制御することができなくなった。

 だから、畏れた。

 この魔女の手を取ることは、自分が人ではなくなっていくことだと思っていたから……。


 ずいぶん無駄な抵抗をしてきたのかもしれない。

 目を開けると、そこに血塗られた翼を背にした魔女がいた。

 いつものように、口元が微笑んでいる。

 ただ今日は、彼女をひどく身近に感じた。

 離れてはいけない存在のように思えた。


 志騎は魔女に微笑みかけた。

 そっと自分から左手を差し出す。

 全てのものを破壊しつくす悪魔の左手だった。

 この魔女の手を取ることは、人であり続けることを放棄するに等しいとわかっていた。

 多分、あの日玲子が言ったように、自分は人ではなくなっていくのだろう。

 強大な魔力を体に受け止め続け、その力をふるい続ける限り、人としての心も失われていくのだろう。

 もっとも、今でも充分化け物じみてはいるが。


 だけど、それでも……。

 これがたったひとつの道だ。


「おいで」


 志騎はささやいた。


 朔良……。

 君は君のままでいればいい。

 君が笑ってくれるなら、俺は……。


 魔女は志騎の傍らに舞い降りて、ふわりと細い腕を伸ばした。

 志騎は、その手を掴まえて、忠誠の接吻を送る。

 その瞬間、体が砕け散るほどの衝撃を受けた。

 遠くでたくさんの鏡が割れ落ちる音が響く。


 鏡結界の消失する音だった。



 祭壇の前に、志騎と朔良が倒れていた。

 うつぶせに倒れた志騎の左手に、大きな上着の袖からちょこんと出た朔良の指先が絡みついていた。



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