02 ススキノぱにっく!
月寒通の中央分離帯を乗り越え、突然、セミトレーラーが反対車線に突っ込んできた。
中央分離帯の段差でバウンドし横倒しになったトレーラーは、道路を塞ぐように横になって滑ってくる。
何台かの乗用車が巻き込まれ、コントロールを失って他の車と激突した。
連結器を破砕されたパンウイング型のトレーラーは、片側四車線の道路を塞ぎ、規則的に走っていた車の群れをなぎ払うように滑り続ける。
首都札幌の幹線道路。人も車もあふれかえる休日の出来事だった。
無秩序にクラクションが鳴り響き、居合わせた人々の悲鳴が交錯する。
そして、相次ぐ衝突音。
無惨に潰され煙を上げる事故車両を蹴散らして、怪物と化したトレーラーは道路に火花を散らしながら滑り続ける。
路上で急制動をかけて停止したバスから、小さな子供たちが泣きながらこぼれ出てきた。
「優馬、左だ!」
歯切れ良く大男に命じて、志騎が迫り来るトレーラーに向かって飛んだ。
人間わざとは思えない跳躍力。
コートの裾が宙に翻る。
少年は、左手を握るように前に出した。
その手の中に、ひとふりの日本刀が現れる。
拵のない大刀が、冴え冴えとした輝きを放った。
銘は『新月』と刻まれている。
邪刀『新月』、その輝き消えるとき災いの星が堕ちるという、古い謂われのある反りの浅い刀だった。
武器召喚。
その物質の構造を知り尽くした者にだけ使える召喚魔法だ。
もちろん、物質の構造が簡単なものほどたやすい。
ゆえに時間を優先する場合、日本刀などは鞘や柄などの拵の再現は省略する。
志騎は、空中で新月をトレーラーに向かって振り下ろした。
白刃が空を裂き、光る残像を描く。
茎に巻かれた麻布の端が長く翻った。
刃が触れたわけでもないのに、滑り続けるトレーラーがまっぷたつに切断された。
側面のウイングが開いて積み荷のオレンジがバラバラと散乱する。
切断されたトレーラーは、モーセの十戒のように道路の中央から左右に分かれていった。
車を捨てて逃げようと右往左往する人々や、バスから降りて泣きながら逃げまどう子供たちを避けるように、絶妙な角度で。
右側、中央分離帯に近いほうのトレーラーの行く手を、銀色の魔法陣が阻んだ。
パ、と車体の下に広がった魔法陣が車体を包む。
急制動をかけたようにトレーラーが停止した。
まるで蜘蛛の巣に捕まった獲物のようだ。
停まったトレーラーの上に少年がふわりと降り立つ。
嵯城志騎。十七歳。
日本国特別自治区北海道陸軍星形戦略作戦師団司令官。階級は准将。
驚くべき運動能力と卓越した剣技、強大な魔法力を持った少年だった。
志騎は左を任せた優馬を見た。
常丸優馬大佐。二十四歳。
陸軍星形戦略作戦師団副司令官。浅黒く日焼けした筋肉自慢の大男だ。
常丸は志騎の百メートルほど後方の路上で両腕を突き出し、腰を落として唸っている。
制動魔法を発動させる型、なのだろうか。
あいつは、腕は確かだが少々ポーズが古くさい。
男の突き出した掌の少し前で車体が止まったのを確認して、志騎は新月を消した。
遠くからサイレンの音が絡まり合って聞こえてきた。
緊急車両の到着だ。手回しがいい。
おそらく先ほどの赤毛の少女、猫屋敷類の仕事だろう。
志騎は後方へ飛んだ。
トレーラーを牽引してきたトラクターの傍らに降りる。
サッと視線を走らせると、人工的な衝撃を受けて破砕した連結器とバーストしたタイヤに気づいた。
併走する車から銃撃を受けたようだ。
――追えるか?
常丸を振り返った。
常丸は事故車両から運転手を救助している。
目の前の困っている人を助けずにはいられないところが、あの男らしい、と思った。
志騎は、反対車線を走るトラックの荷台の上へ、ひらりと飛び乗った。
「え? じゅ、准将!」
まるで翼竜の背に乗って飛んでいくように反対車線を通り過ぎていく志騎の姿を見て、常丸は慌てて追いかけようとする。
「ふえ」
常丸は、上着の裾を握りしめている小さな手に気づいて視線を落とした。
年端もいかない小さな女の子が、べそをかきながら必死に常丸の服を握りしめていた。
「ああ……。もう怖くないからな」
しゃがみ込んで幼女と視線を合わせる。
くりくりとごつい手で頭を撫で、ひょい、と片手で抱き上げた。
おそらく、志騎はこの事故の原因を追って行ったのだろう。
また、独りで……。
彼はいつだって独りだった。
副官として行動を共にしたこの数ヶ月、わずか十七歳の少年がどれほどの重責を背負っているのかを知った。
彼の戦力は圧倒的だった。
身体能力はもちろん、その剣技も魔力も化け物じみていた。
戦場に立つ彼を味方さえもが恐れた。
戦力差は共に闘う友軍の兵にさえ危険なものであったからだ。
彼はそれを良く知っていた。
だから自分が矢面に立って、何でも独りで解決しようとする。
孤高の英雄なんて言葉が似合いすぎる。
まだ子供のくせに……。
常丸は、そんな少年が少し歯がゆかった。
副官としてもっと頼って欲しいと思っていた。
「おじちゃん、たすけてくれたの?」
「おじ……」
常丸は内心ずっこけた。
とりあえず、志騎の向かった方向に治安警察が向かうように当局へ連絡を入れる。
トラックの走り去った先を、複雑な想いで眺望した。
志騎はトラックの屋根づたいに硝煙反応を追っていた。
対象の車を発見する。
『迅速デリバリー、インペラトル・クリーニング・サービス』
ハンガーにかかった衣類を後部に満載した白いワゴン車だった。
インペラトル・クリーニング……。皇国の洗濯?
世界に残された最後の皇国『日本』を皮肉ったネーミングか?
白いワゴン車の上に飛び移った。
着地の衝撃で車内の複数の人間が色めきたつ。
瞬時に人数を把握した。四人だ。
ルーフバーに手をかけて助手席の窓を蹴破った。
その勢いで助手席の男を蹴り倒す。走行中の車を乗っ取るときの常道だ。
といっても、アクション映画俳優くらいしかこんな荒技はこなせやしない。
慌てた運転手がハンドルを切った。
車体が大きく揺れる。
後部の洗濯物で隠れた部分に潜んでいた二人がよろめいた。
「貴様、何者だ!?」
しかし正体などわかりきっている。
怪しい者か正義の味方の二択だ。
後部から座席ごしに銃口が覗いた。
アサルトライフルがぴたりと志騎に照準している。
「死にたくなければ撃たないほうがいい」
銃口を向けた男に素っ気なく言って、志騎は運転手に向き直った。
「路肩に寄せて停めろ」
優しく言ったところで従うはずもない。
「ふざけるな! 自分の立場がわかってんのか、このクソガキ!」
恫喝するように声を張り上げる銃を持った男。
「や、なんかこいつ……やべぇよ!」
後にいたもう一人の若い男が、あからさまにビビった様子であとずさった。
まだ子供だ。おそらく志騎よりも若い。
後ろに下がりすぎて洗濯物にガサガサと絡まった。
「あああん?」
銃を構えた男が大げさに眉をつり上げる。
「ふざけんなフロル。こんな女みてぇな顔したガキに、なにビビってんだよ?」
男はせせら笑った。
フロルと呼ばれた少年はロシア人とのハーフか?
占領から八十八年。独立から八年。彼らを取り巻く環境もまた複雑だ。
志騎は落ち着き払った声で言った。
「おまえたちを拘束する」
突きつけられた銃口など意に介さず、志騎は男を見た。
金色の瞳が鋭く男を射抜く。
野生動物のような光を集める瞳を見て、男は気圧されたように唸った。
「ま、魔法は使えねぇぞ! この車は抗魔法防壁仕様車だ」
魔法が使えなければ狭い車内で三人を拘束することなど通常は不可能だ。
「残念だな。それが本当なら逃げ場がないぞ」
「逃げられないのはどっちだ! この野郎!」
気の短い男の指が引き金を引いた。
銃声が狭い車内に反響する。
瞬間、引き金を引いた男の頭が、弾けたザクロになった。
「ひぃぃぃぃ!」
弾けたザクロの汁が洗濯物の中に埋まる少年に降り注いだ。
少年は無我夢中で男が手に持ったアサルトライフルをもぎ取る。
銃を確認して、暴発したのではないとわかってパニックに陥った。
少年は泣きながら銃口を志騎に向けた。
「よせ」
「なんでだよう? なんで、撃ったほうがこんな……」
少年は可愛そうなくらいに怯えて、ガタガタ震えている。
「撃つな」
……撃つと死ぬ……。
何者も志騎を『故意に』傷つけることは出来ない。銃弾であろうと刀剣であろうと魔法であろうと、『殺意』をもって彼を攻撃した者は、その自らの『殺意』によって死を迎える。
それはまさに、殺意を跳ね返す能力だった。
「やだよう……。こんなのやだよう……」
ガチャリと少年の手から銃がこぼれ落ちた。
頭から血と肉片を浴びた姿で少年は泣き崩れる。
「停めろ」
再び志騎が運転手に命じると、今度は運転手もワゴン車を路肩に寄せて停車した。
志騎は二人を促し車外に出る。
遠くから治安警察車両のサイレンが聞こえてきた。
「おまえたちの所属は?」
必要最小限の質問を繰り出す。
「赤のヒマワリ」
少年が半べそで答えた。
近年、各地で無差別テロを起こしている武装テロ組織だった。
ヒマワリは、ソ連の国花だ。
「ススキノの真ん中で騒ぎを起こす目的は?」
二人を順に見た。どうやらそれは知らされてはいないようだった。
「フロル」
志騎が少年に呼びかけると、名前を呼ばれた少年はビクッと体を硬直させた。
彼のような年端もいかない少年が武器を取り闘いの中に身を投じるには、相応の理由も覚悟もあるのだろう。志騎にも覚えがないわけではなかった。
だからこそ。
「命を粗末にするな」
静かに言った。本心だった。
治安警察の車両が、ワゴン車の前方を塞ぐように一台、横を守るようにもう一台、滑り込んできて停まった。
警官がバラバラと降りてくる。
「あ、あんただって……」
警官に拘束されながら少年は言った。
伝わった、のだろうか。
志騎は連行される少年を見送って、事の経緯を警官に話し始めた。軍が介入するのは治安警察への越権行為だと突っ込まれる前に、善意の協力者としてさっさと話を終わらせようと思った。
志騎の日常は血と硝煙にまみれていた。
軍人である限りそれは当たり前のことだった。だが、あんな少年を見ると心が痛む。
いつか、子供が子供らしく、伸び伸びと笑って暮らせる日がくるのだろうか。
矛盾だ。
自分が戦い続ける限り、そんな日は来ないのかもしれない。
第二次大戦末期、米英ソの三国首脳によってクリミア半島のリヴァディア宮殿に於いて極東密約が結ばれた。
それは徹底抗戦を続ける日本を追い込むための密約だった。
ドイツの無条件降伏から二ヶ月が過ぎ、西部へ裂いていた兵力を東部へ集結させたソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄、一九四五年七月一五日、日本に宣戦布告した。
ソ連は満州、樺太を制圧し、北海道へと侵略の手を伸ばす。
折しもソ連参戦の翌日七月一六日、アメリカで人類初となる核実験、トリニティ実験が成功した。同時に、これを日本に落としソ連への示威行動とする、という情報が世界を飛び交う。
もちろんソ連も原爆開発には余念がなかった。
この時代、日本も含め、ドイツなどでも核武装の意識は高まり、各国が新型爆弾の開発に躍起になっていた。
占守島の激戦を経て千島を手中に収めたソ連だったが、ソ連にとって、不凍港、不凍海峡を有する北海道はとても魅力的な土地だった。
しかし、連合国側としての極東密約を守る限り、日本本土への侵略はアメリカの顔色を伺いながら進めねばならない。
そんな中、広島に原爆が落とされ、続いて長崎にも二発目の爆弾が落とされた。
ほどなくして日本はポツダム宣言を受諾する旨を連合国側に通告。降伏文書調印まで秒読み状態となった。
八月十五日、昭和天皇の玉音放送によって終戦とされる向きが多いが、実際には停戦はすぐには叶わなかった。
実際、アメリカ軍による本土への空襲は止んだ。
しかし、終戦間際の領土拡大を目指していたスターリンは、北方からの進軍の手を緩めず、日本への攻撃を続けた。
八月十七日、ソ連軍によって札幌に新型爆弾が落とされ、武装解除を命じられていた日本軍の北の守りは総崩れとなった。
そして、指揮系統の混乱した日本軍は崩壊し、同月二十八日にGHQが厚木に到着するまでの間に、北海道は、ほぼソ連の手中に落ちた。
そんな混乱の中、九月二日、戦艦ミズーリにおいて降伏文書への調印がなされ、第二次世界大戦は終結した。
その後、ソ連は領土分割に応じず、東西冷戦に巻き込まれた占領下の北海道はソ連の前線基地となった。
北海道に取り残された日本人は、労働力としてソビエトに取り込まれていったが、当初の混乱のあと占領下の街で独立を目指し地下活動を始めた。
それは長きに渡る戦いの日々だった。
しかしながらソ連の体勢は圧倒的で、力のない者たちの反抗などひとたまりもなくねじ伏せられてしまう。
日本本土からの働きかけもあるにはあったが、当時の敗戦国日本は、軍は解体され、戦争放棄を憲法で定められ、自衛の組織は許されたが専守防衛という枷が外せない。
「呼び戻そう北海道」運動が時折盛り上がりを見せることもあるが、完全に渡航制限を課せられてしまった冷戦下では、ベルリンの壁ならぬ津軽海峡がいっそうの距離を広げるだけだった。
そうして戦後五十年を過ぎたころ、ソ連各地で民族独立の気運が高まり始めた。
紛争が相次ぎ、どこかの大国の援助があってか、独立を果たす国も出てきた。
世界地図が次々と書き換えられる激動の時代に突入したのだった。
そんなとき、北海道に住む日本人にも大きな転機が訪れた。
爆心地札幌で育った子供たちの中に、不思議な力を持った者たちが現れ始めたのだ。
それは、広島や長崎では見られなかった特異な現象だった。
そしてその力は、代を重ねるごとに強く大きくなっていった。第三世代の子供たちの中に、物理的に物を動かしたり火を起こしたりできる者が現れ、ソ連の軍事政策でもあったESP研究に一役買った。
第四世代の子供たちの中には、もはや兵力と呼んでも差し支えのないほどの力を持った者たちがいた。
子供たちは、その生まれ持った『魔法』と呼ばれる力を駆使し、弾圧を強める当局に対し反乱を起こした。
通常兵器では太刀打ちできない魔法という特殊な兵力に、遂にソ連軍は崩壊。
残存兵力は命からがら本国へ敗走した。
北海道独立戦争、その最前線に立ったのは、まだ年端もいかない少年だったという。
それから八年――。