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26 林檎の原罪


 それから、志騎と朔良はいつも一緒にいた。


 昼休みも放課後もきちんと志騎が朔良の教室まで迎えに来る。

 昼休みなどはみんなでランチを取ることも多かったが、放課後は瞳花から預かって類に返す、そんな感じだった。


 もういっしょに暮らしちゃいなよ~、とか類は呆れていたが、志騎としては冗談ではなく、学園の規則さえなければそうしたいくらいだった。

 彼女を腕に抱いて眠れたらいちばん安心できるのに、と思っていた。


「なぁに、考えてるの?」


 ツンと頬をつつかれて志騎は我に返った。

 北棟空中庭園のベンチに座っている志騎の横に、朔良はちょこんと正座している。

 一瞬、頭の中を見透かされたような気がして、反応が遅れた。


「なんか、へん?」


 朔良は訝るように眉根を寄せて、志騎の表情をのぞき込む。


「い、いや、なんでもない」

「おや、シキくん。何か、よからぬ事を考えていました、ね?」


 誰だそれは? というような妙なしゃべり方をして、朔良は笑った。


「否定はしない」

「え……」

「ずっと……。一日中、片時も離れずにいられたら安心できるのに、と思っていた」


 志騎は、正直に思った通りに答える。


「それは、お仕事のため?」


 朔良は、ぴょんとベンチから飛び降りる。


「でも、わたしもそうしたいなぁ」


 言いながら、志騎の手を取った。


「ね。桑園(そうえん)通りのカフェに行きたい。いっしょに行こ?」


 このところ、朔良は何かに追い立てられるように、次々と想い出作りコースを提案してくる。

 彼女も察しているのだろう。

 志騎は普通の転入生とは違う。

 仕事でここに来た以上その成否に関わらず、また沙汰があればここからいなくなってしまうのだ。


 成否……。

 朔良の命が救われれば彼はここを去り、未来視の通りに雪の中で死んでしまうのだとしても永遠の別れになる。


 志騎は立ち上がった。


「行こうか」


 朔良はうなずいて、志騎の手を引くように歩き出した。


「あのね、市場を通って行くと近道なの」


 南棟のアーチをくぐって学園の前庭に出る。

 朔良は笑顔で志騎を見上げた。

 その朔良の視線が南校舎の窓に向けられる。

 二階の窓、鈴なりになって窓ガラスに張り付いている男子たちの姿が見えた。


「あれ? なにかあったのかな?」


 パチパチと二回、目をしばたたいて、朔良は首をかしげた。

 志騎は朔良の視線の先をちらりと見上げる。

 納得して自分の右手に視線を落とした。

 朔良の小さな手がしっかりとからみついている。


「走るぞ、朔良」


 言って、校門に向かって走り出した。

 朔良はあわてて従う。

 窓に鈴なりになっていた男子たちの「あー」という声が聞こえてきそうだった。


 校門を出て志騎は止まった。

 もちろん、彼女に合わせてゆっくり走ったつもりではいたが、案外、朔良は足が速かった。

 はあはあと空気を取り込みながら、朔良は言った。


「どうしたの? シキ」

「なんとなく、ギャラリー背負って走るのもいいかな、と思って」

「ギャラリー?」


 鈍いのか天然なのか、彼女には窓にくっついていた男子たちの気持ちはまるでわかっていないらしい。


「行くぞ」


 促して、歩き出した。

 薄く雪の積もった石畳の路地をゆっくり歩く。

 学園の中とはまた違った気分だった。

 季節の果物を売る屋台が並ぶ路地に出ると、そこは活気で溢れている。


「お嬢ちゃん、彼氏かい?」


 屋台のおばさんが声をかけてきた。


「うん」


 朔良は笑顔でうなずく。


「仲良くね」


 おばさんは志騎に向かって売り物のリンゴをポンと放った。

 それを受け止めておばさんを見るとニコニコと手を振っている。


「ありがとう!」


 朔良もおばさんに大きく手を振った。

 普段、朔良がどんな風にここで暮らしているのかがわかるような気がした。

 暖かい人たちに囲まれて笑顔の絶えない生活をしているのだろう。

 そんな生活はきっとかけがえのないものに違いない。


 朔良がじっと志騎の手の中のリンゴを見つめていることに気づいた。


「食べる?」


 訊いてみる。


「うん。シキ、かぷってして、かぷって」


 かぷっ?

 言われた通り一口かじる。

 朔良が嬉しそうに手を出したのでリンゴを渡した。


 朔良は大きなリンゴを両手で持つ。

 かぷっ。しゃりっ。

 大きな歯形に重なるように小さな歯形がついた。


 うわ。なんだろう、この、いたたまれないような照れくささは……。

 志騎は、天を仰ぎたい衝動にかられた。

 が、耐えた。


 おそらく朔良にとっては、丸ごとだと囓りにくいから、以外の何物でもない行為なのだろう。

 間接キスとか、そういったことは考えていないはずだ。


 朔良は志騎を見上げた。


「おいしいね」


 はい、とリンゴを差し出す。

 これは、交互に一口ずつ食べるというシュチュエーションなのだろうか?

 笑顔で強いる少女の差し出すリンゴを見て、無垢な攻撃に打ちのめされる。

 志騎は、あろうことか顔が赤くなったような気がした。


「朔良」


 ふわりと抱き寄せる。

 少女は素直に身を預けた。


 もう、抱きしめずにはいられなかった。


 いたずらに惑わすようなことをしてはいけないと思っていた。

 本当の気持ちなど伝えてはいけないと思っていた。

 でも、そんなやせ我慢も限界だった。


 この八年、どんなに彼女のことを想ってきたか。

 逢いたくて、逢いたくて、逢いたくて……。

 けれども、二度と逢うことは叶わないと己に言い聞かせ、諦め、気持ちを押し殺して。

 闘うことで彼女の幸せが護れるのならそれでいいと、それしか自分に残された道はないのだと。


 なのに今、腕の中に、その想い焦がれた少女がいる。

 甘い、花の香りがした。


「シキ……大好き……」


 朔良はささやいた。


 それは、志騎にとって、眩暈がするほど幸せな言葉だった。


 受け入れてはいけないのだ。多分。


 突き放さなければいけないのだ。きっと。


 でも無理だった。

 そんなに大人にはなりきれなかった。


 この衝動は朔良を傷つけるかもしれない。

 泣かせてしまうかもしれない。


 それでも……。


 優しく、朔良のおとがいをすくい上げた。

 そっと唇を合わせる。

 リンゴが転がり落ちた。


 疼くような甘やかな痛みが胸をしめつけた。

 愛しさでどうにかなってしまいそうなくらい、心が傾いていた。

 唇を離した。


 志騎を見上げる朔良の瞳が涙で潤んでいる。

 朔良は小さく喘いで、ねだるように再び目を閉じた。


 志騎は、そのさくらんぼ色の唇についばむようなキスをする。

 ぐっと頭を抱き込むようにして、もう一度深くくちづけた。



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