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25 想い 


 バスルームからシャワーの音が聞こえる。


 部屋に帰る前にシャワー浴びたほうがいいと思う、と言ったら彼は素直に従ってくれた。

 ずっと子供扱いされているのかなと思っていたけれど、そうでもないような気がした。


 さっき、指が彼の唇に触れたとき、甘い疼きで胸が苦しくなった。

 もっともっと近くで触れあいたいと思ってしまった。


 好き、なのかな?

 と朔良は思った。

 意識すると、ちょっと頬が熱っぽい。


 ずっとパジャマで彼を膝枕してたことを思いだして、恥ずかしくなった。

 テディ・ベア柄のピンクのパジャマは子供っぽすぎだっただろう。

 今度はシルクのさらさらの……とか考えて、今度ってなに? と慌てて妄想を振り払った。


 制服のブラウスとジャンパースカートに着替えた。

 志騎の軍服をハンガーにかけて、じっと眺める。


 あの戦場をくぐり抜けてきたのだ。

 相応の汚れが染みついている。

 とはいえ、学園のクリーニングサービスに出せるようなものではない。

 これは多分、魔法で何とかする案件だ。


 魔法といえば、湖で水をかぶったとき志騎が魔法で水を蒸発させてくれた。

 ああいう感じだ。

 多分。そう。多分。


 軍服に両手をかざして、うにゃうにゃ言ってみた。

 呪文というものを唱えてみたつもりだ。


 えいっ、と念じる。


「何の呪文だ?」


 声に振り向くと、これ着てと押しつけたピンクのガウンを羽織った志騎がいた。

 ちょっと短いけど可愛い。

 ピンクもなかなか似合う。


「あ、シキがしてくれたみたいに、乾かしたり……。濡らして乾かしたらお洗濯できないかなって思って」


 志騎はうなずいた。


「ああ、それなら、繊維に付着した汚染物質の結合を解き、成分を分解してから、空気中から水を合成して絡ませる。水分子を加速させ熱を……」


 ちんぷんかんぷんだった。


「うー」


 朔良の眉間に思いっきり皺が寄った。


 魔法は苦手だ。

 使えないわけではない、と思いたいけれど、手順を分析するのが苦手だった。

 もっとこう感覚的に、綺麗にな~れ、おセンタクシャワーえいっ!

 ぽん! 

 みたいなのがぴったりくる。


 だから志騎を見上げて、小難しいことを言うなと暗に訴えてみた。

 そうしたら、志騎は凄く優しい顔をして、少しだけ微笑んだ。

 今朝ここに来てから、初めて、ちょっとだけ笑ってくれた。


 志騎は自分の首にかけていた十字架を外した。きらきら光るペンダントだった。


「これを使うといい」


 言いながら、身をかがめて朔良の首にかける。

 志騎の着たガウンの胸元でメタルブルーのドッグ・タグが揺れるのが見えた。


「でも、これ、シキのでしょ?」


 それもまた魔法の杖。魔法力増幅装置。

 そっと十字架に手を触れる。


「いや。俺は……」


 志騎は言葉を濁した。

 多分、彼はこんなものを必要とはしないのだ。

 あの爆発は、彼のそのまんまの力……。


 あんな力持ってるのって、辛いね。


「最初から、君に渡そうと思っていた」

「ありがとう。嬉しい」


 本当に嬉しくて頬が染まった。


「わたし、やってみようかな?」


 軍服に向き直る。


「いや。これは、俺が自分で処理する」

「やだなぁ。燃やしたりしないよ」


 と、言ってみたものの自信がない。

 魔法を使うかわりにそっと腰の辺りのシミに手を触れた。


 ちょっと触れて、胸がいっぱいになった。

 そこに残る『彼』の気持ちが胸に溢れて、溺れそうになった。


「これ、血……だね」

「ああ」


「あの……ね」


 少し迷って、志騎の手を取った。

 見上げる。


「あのね、あのね、伝えようかどうしようか迷ったんだけど……。だけど……」


 常丸優馬(つねまる ゆうま)の想いが溢れてくる。


 あなたにずっと憧れていて、いつも目で追っていた。

 田舎の弟と同じ歳だと知ったときは驚いた。

 お側にいる期間が長くなるにつれて、少しだけ心を許してくれたような気がして嬉しかった。

 普段のちょっとした仕草に若さがかいま見えて、それが凄く嬉しくてほほえましくて……。

 でも、英雄を演じているときと普段とのギャップが危うくて、いっそうあなたから目が離せなくなった。


 副官に任命されたときは飛び上がるほど嬉しかった。

 あなたを精一杯、支えていくのだと心に誓った。

 やっぱりあなたは圧倒的で、恐ろしいほどに強くてどうしたってかなわない。

 作戦中の厳しさにはいつも身が引き締まる思いだった。

 だけどそれは部下の安全を慮っているからで、どんな時もあなたは他の誰よりも優しかった。

 あなたの強さも厳しさも、それは全てあなたの優しさだった。


 なのにあなたは、誰よりも自分自身には厳しかった。

 どんなことも、全部、全部、自分で背負ってしまうのが見ていて辛くて、なんとか力になってあげたいといつも思っていた。

 まだ十七歳なのに。

 田舎の弟と同じ歳なのに。

 なんて重いものを背負っているのだろうと、いつもいつも思っていた。


 その重い荷物を少しでも軽くしてあげようと、自分も背負ってあげたいと、それなのに、やっぱり力になるどころか自分もお荷物になってあなたの背負う重さを増しているだけなんじゃないかと思って、迷って、悩んだ。

 だからせめて、未来視の鹿野朔良の護衛任務だけは、専念させてあげたいと、なんとしても自分の力でカムイコタンを乗り切るのだと、あなたに安心していただくのだと……。


 そして、一言、よくやったと言ってもらえたなら、あなたの笑顔が見られたなら、自分は、自分は本当に幸せです。


 あなたのお側で少しでもあなたの役に立てたなら、あなたの力になれたなら、あなたの支えになれたなら……。


 あなたの笑顔が見られたなら……。



 志騎の頬を涙が伝った。

 こぼれ落ちた涙に、志騎は驚く。

 朔良は、優馬の想いを映すように微笑んだ。


「大好きが、溢れてるね」


 朔良は手を伸ばして、そっと志騎の涙をすくった。

 志騎は涙を拭いてくれた小さな手を握る。

 握った手が震えた。


 志騎は少女の小さな肩に額を預けた。今まで誰にも見せたことのなかった心の裡をどれだけさらけ出しただろう。

 どれだけこの少女に預けただろう。


 朔良の華奢な体を抱きしめた。

 腕の中の少女は、小さくて細くて壊れてしまいそうだった。

 だけど、とても暖かかった。


 朔良は志騎の背中に手を回して、きゅっと強く抱きしめた。

 何も言わなくても、ただ触れあっているだけで心が安らかになった。

 抱き合った互いのぬくもりだけが、この世界でたったひとつの確かなものだった。



 そのとき、ランチバスケットを抱えた類が、いつもの調子でドアを開けた。

 その目に飛び込んできた光景に、ガツンと衝撃を受けて反射的に廊下に逆戻りする。


 ドアを閉めてそのドアに背もたれかかり、混乱した頭をなだめた。

 心臓が口から飛び出しそうに高鳴っている。


「あいつ、泣いてた?」


 ……ような気がした。

 大きな体で小さな女の子に抱きついて、泣いていた。


 あまりにも重い責任と力を抱えた少年は、同じように重い運命を背負った少女に、その心を預けたのだろうか。


「そっか……。泣けたんだね……」


 なんだか気が抜けて、そのままずるずるとドアを伝ってしゃがみ込んだ。


「やだなぁ。敗北感ハンパな……」


 コツン。

 ドアに後頭部をあずけた。

 なぜだか、鼻の奥がツーンとした。


 ――最初から、勝負になってないけどさ……。


 思っていた以上に、辛かった。




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