21 堕ちてきた天使
アイオーン型輸送機が、聖エーデルワイス学園の上空を渡っていった。
まだ明け切らない夜の闇の中、アイオーンから一人の戦士が降下する。
月光の冷たい光を浴びながら、志騎は寄宿棟三階のバルコニーに着地した。
膝を折って息を整える。
カムイコタンは強引な幕引きだったかもしれない。
だが、あれが最初から仕組まれた陥穽だったのだとしたら、他にどんな結末が用意されていたというのか。
そもそも分解する以外の方法で切り抜けられたとは思えない。
あれは、フェンリルを実戦投入して世界を獲ろうと目論む急進派の実験だったのか。
フェンリルで一帯が消失するのが正しいシナリオだったというのか。
だとしたらペンタグラム・フォース二個大隊は全滅だ。
無性に腹が立った。
いずれ暴き出してやる。
志騎は胸を押さえた。
肋骨が何本か折れている。
想像以上のダメージだった。
だが、応急処置だけをして、部下の制止を振り切って飛び降りた。
今は側にいることでしか、彼女を護る自信がなかった。
ベッドに突っ伏していた朔良はハッとして体を起こした。
テラスドアを開ける。
志騎が、ふわっと倒れ込んできた。
「きゃっ」
慌てて、朔良はその体を受け止めようとする。
だが、できるわけがない。
そのまま室内に絡まりあうようにして崩れた。
とっさに、朔良が怪我をしないよう、志騎は少女の体を腕の中に抱き込む。
衝撃緩衝の魔法陣が広がり、銀色のハンモックに護られて、二人はふわりと床に倒れ込んだ。
「ご……めん」
志騎は床に腕を突っ張って体を離す。
床に片膝を立てて座り、胸を押さえて立てた膝に額を預けた。
朔良は、その傍らにぺたんと女の子座りした。
志騎の姿があまりに痛々しくて何とかしてあげたいと思った。
だけど彼は、こちらから触れてはいけないような厳しい雰囲気をまとっていて。
全身から抜き身の刀のような鋭いオーラを放っていて。
身を案じる言葉すら、全てを拒絶されるような気がした。
朔良は、そっと身を乗り出し、手を伸ばして志騎の頬に触れた。
志騎の額の傷が開いていて、流れ落ちた鮮血が朔良の細い指先に絡んだ。
志騎は朔良の手が触れたのに気づいて、顔を上げた。
朔良は、彼の苦しげに揺れる金色の瞳を、まっすぐに見つめた。
そして。
「おかえりなさい。シキ」
とても大人びた、優しい声で言った。
その一言は、まるで非日常から彼を切り離す呪文のようだった。
こちらの世界へ帰ってきたのだと、志騎のささくれだった神経を癒すような。
ちょっと休んでもいいんだよ、と言っているような。
朔良の声に安心したように、志騎はふっと意識を失った。
朔良は床に倒れ込む志騎の体を受け止め、キュッと抱きしめた。
朔良には、カムイコタンでの戦闘の全てが視えていた。
あのとき。
志騎とシンクロしてフェンリルの少年を視たときから、全部。
罪のない少年を分解してしまったことも。
大切な副官を失ったことも。
周りの全てを焼き払い灰にしたことも。
どんなに苦しく辛い戦いだったろう。
体中傷だらけになって、たくさん血を流して、それでもここに戻ってきてくれた。
志騎の額の傷に手を触れた。
目を閉じて心を集中する。
傷が癒えますように……。
それだけを念じて祈り続けた。
「うわ。どーしてこういうことに?」
驚いたような囁き声に顔を上げると、類が複雑な表情で二人を見下ろしていた。
ちょうど、朔良が志騎を膝枕した格好になっている。
「先輩……」
朔良は、志騎の額に当てた手元を、ぽうっと輝かせて見せた。
その光だけで類には説明不要だった。
治癒魔法?
いや。
朔良の場合は『癒し』なのだろうか。
「また、ボロボロになって……。ったく、どこが英雄なんだか……」
類は毛布を取って、ふわりと二人にかけてやる。
「寝かせておいてあげな。護衛に帰ってきて爆睡って、こいつもまだまだだよね」
類は閉まりきっていなかったテラスドアを閉めて二人の傍らにしゃがみ込んだ。
志騎の顔に視線を落とす。
頬と額に目立つ傷があった。
血の流れた痕も痛々しい。
どんな修羅場をくぐってきたのだろうと、背筋が冷える思いがした。
朔良に視線を移した。
普通の女の子だったら、うろたえて泣き出してしまいそうな状況なのに、しっかりと今の志騎の状態を受け止めているようだった。
海藤亮太との戦いのあと、泣きながら彼に抱きついていった少女と同一人物だとは思えない。
「朔良、大丈夫?」
コクンと少女はうなずく。
「思い出したの?」
思わず口をついて出ていた。
少女は、え? という顔で類を見る。
類は悟った。
子供のころの記憶を全て思い出したわけではないらしい。
けれども、恐怖で囲い閉じた遠い記憶よりも強い気持ちが、今の彼女を突き動かしているようだった。
まだ子供っぽさの残るあどけない女の子なのに、このゆるぎなさはなんだろう?
想い、だろうか?
想いの強さは心の強さに繋がる。
彼を想う気持ちが、どんな状況もまるごと受け止める強さになるのだろうか。
だとしたら、今の彼女に記憶を封印する必要があるのだろうか?
もしかしたら、封印されているのは、記憶だけではない何かなのだろうか?
「それ、治癒魔法?」
類は、朔良の手元を見つめた。
物質を回復させる魔法は破壊するよりも高度なものだ。
ゆえに、使い手は限られる。
朔良は、ふるふるとかぶりを振った。
「わかんない」
でも、血は止まっている。
やはり、彼女自身もしっかりとは把握していない『癒し』の力なのかもしれない。
「綺麗な顔してるのに、無頓着なヤツ……。傷、残らないといいね」
「うん」
「唄ってあげて、朔良」
朔良の唄には『癒し』の力がある。
類は立ち上がった。
「私は、早朝ミーティング行ってくる」
外は雪が降り出したようだ。
少し積もるかもしれない。
それは朔良の身に危険が及ぶ可能性があるということだ。
彼女を護衛する以上、類はその側を離れてはいけないのかもしれないが、今は志騎がいる。
傷つき倒れていても英雄。
この状態で無理矢理戻ってきたのは、この少女を護るためなのだろう。
であるならば、もし何かあったとしても、この男はどんなことをしても朔良を護るはずだ。
ごく自然に、そう確信できた。
類はほんの二分で身支度を整え、ひらひらと手を振って部屋を出た。




