17 赤い魔方陣の閃く夜
カムイコタン高原には雪が舞っていた。
札幌から北に百キロ余り。
砲撃と機銃掃射の音が断続的に響いている。
町のいたるところから燃え上がった炎は既に辺り一面を焼き尽くしていた。
そうして、家を追われ逃げまどった人々は、道端で折り重なるように死んでいった。
高原の町が突然襲撃されたのは数日前だった。
何の前触れもなく町は武装集団に占拠された。
近隣に潜伏し、テロ活動を続けている武装テロ組織『赤のヒマワリ』が声明を発表した。
カムイコタンは有数の水源地でもあることから、陸軍は介入を決定。
ペンタグラム・フォース二個大隊を含む陸軍歩兵部隊の投入を決めた。
国境警戒から戻ったばかりだった志騎は、これを率いてカムイコタン入りする予定だったが、派遣間際になって、雪が降った。
一ヶ月ほど前、鹿野朔良の視た『未来』について報告を受けていた。
未来視の護衛に当たっていたPPISは警護強化のため、朔良のSOSをキャッチできるだろう志騎に対して特別派遣を依頼してきた。
雪がキーワードだった。
雪が降ると同時に志騎の任務の最優先事項は未来視の護衛になる。
志騎は副官の常丸優馬大佐にカムイコタンの指揮を任せたのだが、現地の混乱は予想を超えたものであった。
混乱は混沌を呼び、その混沌の中で敵武装テロ組織の自爆攻撃が炸裂した。
軍の指揮系統は乱れ保護対象と敵テロリストの判別がつかない状態に陥った。
そうして町の大部分が廃墟と化し、瓦礫の廃墟に『赤のヒマワリ』の赤と黒に彩られた旗が翻ることとなった。
廃墟の町に陣を構える『赤のヒマワリ』と対峙する山間の前線基地に志騎が着いたのは、辺りがすっかり夜の帳に呑みこまれたころだった。
アイオーンを降りた志騎の元に、疲弊した表情の常丸が駆け寄ってくる。
「自分が不甲斐ないばかりに、お手を煩わせることになってしまい、申し訳ありません」
常丸はごつい体を折り曲げるようにして志騎に頭を下げた。
睡眠もろくに取れていないのだろう、酷い顔をしている。
「指揮官がむやみに頭を下げるな。それより、歩兵部隊のオヤジどもはどうしている?」
歩きながら志騎は手袋をはめた。
町はずれの教会に司令本部を置いたという報告は受けている。
歩兵部隊の左官以上の指揮官は四人。
おそらく醜い責任のなすりあいでもしていることだろう。
常丸はまだ二十四で、堅苦しいくらいに真面目な男だ。
腹芸の得意な狸どもの駆け引きの中に放り込むのは気の毒だったかもしれない。
それに、この戦況では歩兵部隊の腹の太った指揮官どもが大人しく常丸の指示に従ったとも思えない。
旧軍属のオヤジどもは、とかくペンタグラム・フォースを毛嫌いする。
新しい特殊部隊が疎まれるのは今に始まったことではないが、上層部の指揮権争いほど現場を混乱させることはない。
この作戦の指揮を常丸に任せるのならばペンタグラム・フォース単独での作戦を強行すべきだったかもしれない、と志騎は思っていた。
「坂下耕作大佐が戦死されました」
「そうか」
あれは、自らが兵を率いるタイプの猪突猛進型の指揮官だった。
腹芸にしか興味のないオヤジどもの中でも戦術的な男だったのだが、戦略を軽んじる傾向にあった。
そういうヤツは長生きできない。
「准将! 自分は、少しでも准将のお役に立ちたいと……」
まっすぐに教会へ向かって歩いていく志騎の傍らで常丸は必死に話し続ける。
なんとなく、自分にまとわりついて歩く様子が類に似ている、と志騎は思った。
「わかっている」
「准将は陸軍元帥直々の大切な任務に就かれておりましたのに、自分はお助けするどころかこのような……」
志騎は立ち止まって常丸を見た。
いかつい肩に雪を積もらせている。
この男は馬鹿正直に冷え切った体で雪の中を待っていたのか。
そっと手を伸ばして常丸の体に積もった雪を払った。
「じゅ、准将」
大あわてで常丸は飛び退く。
「常丸大佐。学園ではPPISと協定を結んでいる。心配ない」
志騎は歩き出した。
「PPISというと、無茶な条件を呑んだのでは……」
「今回は利害が一致している。大丈夫だ」
「あなたはいつもそうです。己の身を犠牲にして……。自分だけで解決してしまわれる」
常丸……。この男はどれほど自分を責めているのだろう。
一軍を束ねるには、多分、真面目すぎるし、優しすぎるのだ。
「そんなことはない。おまえのことは頼りにしている」
「准将……自分は……」
彼はもう、おそらく精神的にギリギリの状態だ。
「優馬」
声音を変えて呼びかけた。
「は、はい」
「すぐに闘いは終わらせる。いっしょに、札幌に帰ろう」
志騎は、ふわりと笑った。
ぽかんとした顔で常丸は志騎を見た。
それは、伊織の言う「女の子に微笑み返してもらえる笑顔」だったかもしれない。
一番身近な部下が驚いて毒気を抜かれるほどの破壊力を持っているようだった。
常丸はじめ、追従していた部下たちがうろたえて立ち止まった。
戦場で王子様スマイルを見せる英雄の姿は、逆に恐怖だっただろうか。
入り口の警備兵の敬礼を受けて教会へ入った。
中では、予想通り狸が腹芸の真っ最中だ。
「これは、嵯城准将。どうだね? 酒があるぞ」
「いや、准将はまだ学生でいらっしゃる」
「おお、そうであったな」
「女学生とフォークダンスを踊るのも一興というものだ。いや羨ましい」
ばかばかしい。情報だけは速い無能の集団だ。
「これより、ここは私が指揮をとる」
挨拶もなしに志騎は有無を言わせぬ口調で言い放った。
「いや、しかし、それでは陸軍歩兵部隊の……」
「坂下大佐の件もあることだし」
狸の戯れ言だ。
「責任は、私がとると言っている。陸軍省と参謀本部への報告も私が引き受けよう。よろしいですね?」
志騎は、階級の同じ、勲章だらけの軍服をこれみよがしに着ている古狸に向かって言った。
周囲の狸オヤジとその取り巻きにも視線を向ける。
逆らう意志はなさそうだ。
狸どもにしてみれば失態の責任を若造に押しつけられるのだから願ったり叶ったりだろう。
逆らう意志があるわけでも状況を打開する策があるわけでもない。
ただ口実が欲しいだけの能なしだ。
「では。全軍、第四次防衛ラインまで即時後退。待機。命令は以上だ」
頭への筋は通した。ここにはもう用はない。
志騎はパッと身を翻した。側で呆然としていた常丸に声をかける。
「常丸大佐。後退の指揮を執れ」
「待って下さい、准将!」
常丸は悲鳴のように叫んだ。
こんなときの志騎が考えていることは決まっている。
兵を下げる。
それは、たった独りで闘う決意をしたということだ。
志騎は教会の外に出た。
常丸は追いすがる。
チャキ。
志騎は、腰に下げた日本刀の鯉口を切った。
すらりと銀色に輝く刃を抜き放つ。
邪刀『新月』だった。
召喚して実体化させた時とは違って鞘や柄巻、鍔などの拵もきちんとしている。
柄木に巻いた鮫皮を締める組糸は、上下とも捻って巻く諸捻巻。
いつもは茎に麻布を無造作に巻いただけで振り回しているのだが、実は志騎なりのこだわりがある。
「准将! 自分も、自分も闘います!」
「大佐。命令だ」
「准将!」
志騎は軽く助走して宙に飛んだ。
羽織ったコートが風を孕んで翻り、大刀が月明かりを浴びて冷たい軌跡を描く。
常丸は呆然としてその姿を見送った。
機動装置を一切使用していないにもかかわらず、あの速度と跳躍力だ。
彼には誰も追いつけない。
実際問題として崩れた陣形を立て直すには時間がかかるだろう。
PPISと協定を結んでいると言っていたが、今、彼があの学園を離れるわけにはいかなかったはずだ。
未来視の少女を守るという大任のために、この戦場を自分に任せてくださったというのに。
期待に応えるどころか、この間に鹿野朔良にもしものことがあったら……。
時間がないのだ。
状況は逼迫しているのだ。
最高指揮官がその身ひとつを盾にして敵を叩く以外に選択肢がないほどに。
常丸は自責の念に押しつぶされそうだった。
志騎は町はずれの丘に降り立った。
何も遮る物のない廃墟の町から丸見えの場所だった。
目標はわかりやすいほうがいい。
コートの裾が風になびいた。
雪がふわりふわりと舞い降りてくる。
瞬間、銃声がこだました。
志騎の周りに小さな銀色の魔法陣が、まるで花が咲くように次々と広がる。
銃弾が魔法陣に弾かれて消えていった。
魔法は通常、目には見えない。
使い手が可視化させた場合にのみ誰もが目にすることのできる光となる。
志騎が魔法陣を作るのは主に魔法の効果範囲を示すためだ。
乱戦の中、仲間が巻き込まれないように配慮しているうち習慣になった。
ペンタグラム・フォースの戦士たちは、時として志騎の放つ魔法陣から身を守るだけで精一杯ということすらある。
志騎は刀を手に、ゆっくりと丘を降りて行った。
着弾位置に次々と正確に広がる魔法陣の輝きは闇に映えていっそう美しい。
敵から見れば、いくら放火を集中させても攻撃が届かない様は恐ろしいものだろう。
そればかりか、反撃を受けたわけでもないのに狙撃手が次々と倒れていく。
英雄、いや魔王に銃を向けた者は呪い殺される。
そんな噂もまことしやかに伝えられていた。
志騎はぐっと新月を握りしめた。
柄巻が手に馴染む。
腰を落とし、びゅんと水平になぎ払った。
赤い輝きとともに無数の魔法陣が同心円状に広がり、その一つ一つが爆散して消える。
雷管用起爆薬ジアゾジニトロフェノールに反応する攻撃魔法だった。
魔法の便利なところは個々に狙いを定めた対人攻撃が必ずしも必要ではないことだ。
特定の物質に反応する魔法は、物質自体に反応するがゆえに防ぎようがない。
志騎がそんな攻撃を繰り出すときは、全てを殲滅する覚悟を決めたときだ。
瓦礫と噴煙が舞い上がり、周囲に硝煙と血の臭いが充満する。
ありとあらゆる物が爆散し降り注ぐ地獄絵図の中を、志騎は、赤い魔方陣を閃かせながら駆け抜けていった。




