15 小春日和のポウトレイト
「ねぇねぇねぇ、これってやっぱ絵になるよねぇ」
すっかり元気になった類が廊下を歩く志騎の周りを嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねている。
携帯の待ち受けに表示された一枚の写真をためつすがめつしていた。
「だから、それはよせ」
一方の志騎は地獄のように不機嫌だ。
「理寛寺先生感謝ぁ~」
待ち受け画面にキスをして、類はその場でクルクルと回る。
「類、体の具合はもういいの?」
クラスメイトの女子が群がってきた。
志騎は暗澹たる気持ちになった。
「見て見て。かっわいいでしょぉ~」
語尾にハートマークをつけて類は携帯を見せびらかす。
「きゃぁぁ。可愛い~」
女の子たちが集まってきて、わいわいと大騒ぎだ。
どれどれ? 私も私も。
わぁぁ。可愛い~。可愛い~。可愛い~。
異口同音に発せられる可愛いの洪水は、志騎にとっては拷問だ。
女の子たちは待ち受け写真と仏頂面の志騎を見比べる。
「やだ。志騎くん、眠ってると天使」
「すっごくいい構図。光の加減も完璧だわ」
「なんで三人で眠ってるの?」
「朔良の頭、ナデナデしてる~」
「これ、理寛寺先生の仕業?」
「あの人、生徒の寝顔写真、コレクションしてるから」
保健室で二匹の猫に膝を貸していたとき、志騎は不覚にも少しだけ眠りに落ちた。
理寛寺のかすかな気配に気づいて目が覚めた時は、遅かった。
「男のくせにガタガタ言うな」
とか言いながら、彼女はその写真を類と朔良にさっさと送信してしまったのだ。
あの校医は全く油断ならない。
普段なら絶対にあんなところで眠ったりしないはずだ。
一見平和な学園の中とはいえ任務中に。
それは多分、朔良のせいだ……。
あの少女が腕の中にいた。
いつでも護りきれる場所に彼女がいた。
側にいてぬくもりを共有することの安心感が、これほどに大きなものだったとは。
「おい、志騎、志騎」
後ろから畑端伊織に呼ばれた。
「朔良ちゃんの写真、俺にもくれ」
このクラスメイトは相変わらずだ。
「残念だな。理寛寺先生曰く、女の子の写真は男には渡せん、だそうだ」
「あちゃー」
伊織は大げさに頭を抱える。
「朔良なら、ちゃんと頼めば写真くらい撮らせてくれるだろう?」
「ばかやろう。寝顔というのは貴重なレアアイテムなのだぁぁ」
レアアイテム……。
確かに簡単に見られるものではない。
女の子の無防備な寝顔の価値は計り知れない、のかもしれない。
「なんでお前ばっか、懐かれてんだよ……」
真剣にぼやく伊織を見て、ふと志騎の頭に疑問がわき上がる。
「ところで、君と朔良はどういう関係だ?」
「はぁ?」
「友達? なのか?」
「まさか。俺なんか相手にされないよ。怖がられないように笑顔の練習だってしてんのになぁ」
言いながら、伊織は両手で頬を引っ張り上げてニマニマしてみせる。
なるほど。その笑顔では、年下の女の子は引く……だろう。
しかし、笑顔の練習とは、案外、男子高校生はケナゲなものなのだな、とぼんやり志騎は思った。
そんなことに興味を傾けられることが少し羨ましくもあった。
「ずるいよ、お前。やたら強えーのに笑うと王子様だし。てゆーか、お前、どうやって笑ってんだよ?」
悪魔や死に神ではなく、王子様と言われたのは初めてだ。
「どうやってって……」
「女の子に笑い返してもらえるような笑顔、教えてくれよ~」
「それは教えるようなものなのか?」
「教えるようなものだよ! ……ああ、朔良ちゃんとお昼寝……いいなぁぁ」
志騎は、あっけにとられて伊織の百面相を見つめた。
朔良ちゃんとお昼寝……。
昔、いつも膝で眠っていたから気づかなかった。
あれは、男子高校生にとってポイントの高いイベントだったのか。
この学園に来てから、自分がいかに社会というものから隔絶された生活をしてきたのか思い知らされる。
自分と同年代の学生たちは実に些細なことで一喜一憂しているようだ。
多分、そうやって経験を積み成長していくのだろう。
この伊織が、少し羨ましかった。
ポケットで携帯が震えた。
取り出しながら、志騎は人の少ない場所へ移動する。
伊織はまだ、「類だって、あれで黙ってれば美人なんだぜ~」とか言っていた。
すぐさま、「黙ってればって何よ!」というでかい声が聞こえてくる。
学園は平和だ。
こんなにも平和な日常があるというのに……。
電話は畔木からのスクランブラー通信だった。
「俺だ」
『畔木です。カムイコタンの第二次防衛ラインが突破されました』
戦局が動いた。
『敵の自爆攻撃で指揮系統が混乱。後退中です』
「自爆攻撃?」
水源を獲るにしては強引なやり方だ。
『准将の不在を突く作戦に思えます』
「気に入らないな」
『……情報が漏れたのかもしれませんね』
誰かが英雄不在の情報を『赤のヒマワリ』に流した?
それでカムイコタンを確実に獲れると踏んで無茶な攻勢を仕掛けてきたということか?
「鶴喰一哉の最近の動向を探ってくれ」
『陸軍省の鶴喰技術研究本部長ですか?』
「そうだ」
『まさか、朔良さんのお父上でしょう? 娘の護衛に准将がつかれていることもご存じのはずですが』
「だからだろう? あのイカレた男は、時々わけのわからん嫌がらせをする」
畔木は、少し間を置いて応えた。
『調べます』
「カムイコタンへ飛ぶ。三十分でアイオーンを回せ」
『わかりました。大聖堂裏のヘリポートに降ります』
志騎は携帯を切って、窓から外の様子を確認した。
今日は晴れている。
雪はいつ降るだろう?
携帯を操作して類にメールを送った。
類が気づいて、自然な笑顔で友達の輪から抜けてくるのが見える。
類は、小走りに近づいてきた。
「どうしたの? 志騎」
大階段の手すりにもたれている志騎に、類は笑いかけた。
「少し出かけてくる。あとを頼む」
「って、どこに?」
「遅くても、二、三日で戻る」
用件だけ告げて、身を翻す。
「待ってよ。答えになってない」
志騎は階段を下りかけて、止まった。
肩越しに振り返る。
類は心配そうな顔をしていた。
「危険なんでしょう? 今朝、朔良がうなされてた。関係あるの?」
「君もそれを視たのか?」
類はかぶりを振る。
「ううん。私が視たのは、あの子の封じ込めてる過去」
な……。
まったく、この少女には驚かされる。
「危険なのはどっちだ? 廃人になりたくなければ踏み込むな」
「うん。ごめん。でも、だから、無事に帰ってきて」
互いの視線が、まっすぐにぶつかる。
志騎は浅くうなずいて、階段を下りた。
「だから」と類は言った。
あの「だから」は朔良の心とシンクロしたからこそ出た言葉なのか。
さりげない一言が心を揺らす。
決して朔良には聞くことのできない、真意ゆえに。
志騎は、ふわりと飛ぶように階段を下りていく。
二階の踊り場で携帯が震えた。
類からだ。ファイルが添付されている。
お守り。そう書いてあった。
ファイルを開くと、窓から差し込む淡い木漏れ日の中で、少年と二人の少女が寄り添って眠っている写真が広がった。
音のない、恒久の安らぎがそこにはあった。
確かに存在した切り取られた時間だった。
それは、どんなに求めても手に入ることのない幸せなのだろう。
ほんのつかの間の夢だったのだろう。
それでも。
「ありがとう。類」
つぶやいて、携帯を握りしめた。




