13 特級呪物の子守唄
鶴喰一哉はタワーマンションの最上階からつまらなそうに夜景を眺めていた。
無造作に白衣をひっかけた上背のある男だった。
髪が白い。
まだ三十代だが遺伝的な要因なのか彼は生まれたときから髪の色素がなかった。
遙か眼下の道路をオレンジ色のナトリウム灯が規則的に彩り、車のライトが列を成している。
独立を果たしてから街は無機質になった。
今この瞬間にも命の炎が消えるかもしれないと怯え暮らす戦乱の日々には、もっと街の明かりにも命が灯っていたような気がする。
自分は病気だ、と自覚はあった。
殺し合いが好きなのだ。
どうしようもなく焦がれるのだ。
机の上のパソコンに着信があった。
歩み寄ってメールを開く。
嵯城志騎に挑んだが、手も足も出なかったという海藤亮太からの報告だった。
「だから止めたのに……。あのソ連を退け独立を勝ち取った英雄に、たかが第五世代の子供が一人でかなうわけないでしょう、海藤くん」
男は含んだ笑いを漏らしながら吐き捨てるように言った。
マントルピースの上の写真を見やる。
「あれにとっては、日常など全てが茶番……。世界を掴むことすらたやすいというのに、学生ごっことは、欲がないのだな、我が娘のナイトは……」
写真に写っているのは、初夏の海辺で白いワンピースに身を包んで笑っている朔良の母、鹿野玲子の姿だった。
玲子は志騎をずいぶんと気に入っていた。
歳の離れた弟、くらいの認識だったのだろう。
だから朔良を妊娠している時からおなかの中に志騎といっしょに話しかけていた。
お兄ちゃんが遊んでくれるよ。
あなたを護ってくれるよ。
ずっといっしょだよ……。
なんという洗脳。
胎児期にいちばん強く影響を受ける能力者は、母の想いを刷り込まれながら胎児期を過ごした。
志騎という存在を、強く強く刻み込まれて育った。
玲子としては生まれてくる我が子の未来を案じたのだろう。
玲子の知る限り最強の力を持ち、かつナイーブな感性を持った優しい男の子は、我が子を護るナイトとしてふさわしかったのだろう。
そうして生まれたのが朔良だ。
朔良は玲子の力を強く受け継ぐ、第七世代の未来視だった。
独立戦争当時、魔法力研究の盛り上がりはまるで何かに取り憑かれたようだった。
人々は独立という大儀に突き動かされ、しばしば人の道を逸脱した。
しかしそれが必ずしも間違いであったかどうかわからない。
時代は勝者に優しく敗者に厳しいものだから、神をも欺く傲岸な罪も時に天啓にすり替わる。
離島の研究所で秘密裏に行われていたのは、人工的に能力者の世代を更新、加速させるための研究であった。
人工世代更新実験、作戦名七号研究。
それを推進する組織を鶴喰機関と呼んだ。
そこに集められた子供たちは、とりわけ魔法力の強い者たちだった。
世代を重ねることにより魔法力が増大することは、第三世代が現れたころからまことしやかに囁かれていた。
追跡調査により事実を確認した研究者たちはやがて、遺伝的に魔法力の強い者の遺伝子を掛け合わせた人工繁殖に着手した。
しかし、魔法力を継承増幅させているのは遺伝子ではなかった。
人間の体に蓄積された『何か』が影響しているのだという結論が導き出されるにはそう時間はかからなかった。
特に胎児期に母親から受ける影響が最も優位に作用するのだという観測結果を得るに至って、人工的に世代を更新するには限界があることもわかった。
もちろん、限界があるからといって諦めたわけではない。
生殖可能となった少女たちが人工授精させられ、処女のまま子供を産まされるという、もはや家畜としかいいようのないルーチンが組まれるような暗黒時代を経て、十代の少女が少し早い恋をして出産するというシステムにたどりついた。
それがいちばん有意に能力を継承増幅することができ、また、能力者の発現率も良かった。
だが、この能力者の促成栽培による無敵軍隊の結成という目論みは失敗に終わった。
世代を重ねるごとに能力の発生率が減少するという問題をどうしてもクリアできなかったからだ。
そして、鶴喰機関では第五世代の誕生をもって人工世代更新実験の規模は大幅に縮小され、能力者の教育育成、つまり、いかに効率的に敵基地を破壊し敵対する人間を殲滅するかを叩き込むことに重点が移された。
しかし、往々にして、自然の理というものは人知を超える。
実験とは何ら関わりのないところで、第六世代と思われる女の子が保護された。
鹿野玲子という名の、恐るべき未来視能力を持った、十歳の少女だった。
当時の機関の責任者鶴喰一哉は、自身も七号研究の被験者である第五世代の科学者だった。
鶴喰はこの少女に公私ともに傾倒していった。
同じころ、鶴喰機関に不思議な少年が保護された。
出自は不明。ゆえに世代も不明。
しかし、少年には誰にも説明できないような力があった。
それが嵯城志騎である。
鶴喰は魔法の技術の全てを志騎に教え込んだ。
そう。魔法は物理法則に則った技術である。
たとえば無から有を、多用な物質で構成される石ころ一個でも作りだすことは非常に難しいが、物体をA点からB点まで移動させたり熱や雷を発生させるのはたやすい。
それに必要なプロセスが格段に違うからだ。
魔法を巧く使いこなすには魔法と呼ばれるものの得手不得手、出来ること出来ないことを正確に把握することが必要である。
目的を達成するために、どんな方法でアプローチするのが最も効率がよいのかを分析判断する力こそが必要なのだ。
もちろん、簡単なルーチンワークだけをこなすなら少し力のある者なら誰にでもできる。
鶴喰が教えたのは、魔法を駆使した戦闘の極意だった。
既に理論は出来上がっていたのだが、それを実践できる技量を持った者がいなかったのである。
だから彼は志騎の才能に夢中になった。
志騎は、俗に魔法の杖と呼ばれる増幅装置を必要としない魔法使いだった。
逆に言えば、うっかり魔力を増幅させようものならどんなことになるか見当もつかない、といったレベルの使い手だった。
しかも、魔法を研究しつくした鶴喰にも説明のできない能力を持っていた。
それが能力なのか体質なのか、判別はつかない。
志騎に対して『殺意』を持って攻撃すると、攻撃をした方が死んでしまうという現象が何度も確認された。
それはまるで悪魔の力だった。
便宜的に、鶴喰はそれを『殺意を跳ね返す』と呼んでいたが、どういった現象なのか解明はされていない。
しかも、それはあくまでも『殺意』を込められた攻撃に対して反応するのであって、偶発的な事故や飛散した瓦礫を浴びる、などの場合には普通の人間と何らかわることなくダメージを受けてしまう。
それでも、殺意を跳ね返すというのは恐るべき能力だった。
仮に全身を拘束され、魔法防壁などによって魔法が使えない状態でも、相手を倒せる可能性があるからだ。
神話の世界には何者にも傷つけることができないという光の神が存在する。
まるで、その神話の神が降臨したのかと思うほどに志騎の能力は現実離れしていた。
だから鶴喰は、極力それを隠すように指導した。
それは防御魔法の徹底である。
狙撃手からの銃弾も飛散した瓦礫の欠片も、等しく魔法で排除する。
殺意を跳ね返す能力が発動する前に攻撃を回避できれば相手を必ずしも死に至らしめることはない。
じきに、戦場では選択的にその能力を使い分けられるようになるのだが、それは後の話だ。
志騎が三歳のころ、鶴喰と鹿野玲子の間に第七世代となる女の子が誕生した。
鹿野朔良だった。
志騎と朔良はまるで兄妹のように育った。
能力をコントロール出来ずに悪夢に泣き叫ぶ朔良をいつも志騎が抱きしめていた。
玲子の話によると、志騎は朔良の視た映像を彼女が視たままの形で受信しているのではないかということだった。
志騎本人に『視る』力はない。
でも、ときどき説明できないような先を読んだ行動をする。
ただでさえ強大な力を持った少年だった。
そこに未来を読む力が加わればおよそこの世に怖いものなどありはしない。
鶴喰は志騎と朔良を使って世界を掴む妄想を巡らせた。
日出る国日本の最も早く太陽が昇る北海道。
この小さな占領された国が世界の覇権を握るのだ。
だが、そんな幻想は玲子の死という現実の前にもろくも崩れ去った。
玲子は死んだ。
娘の朔良を殺そうとして、彼女を護る志騎の刀に刺し貫かれて死んだ。
鶴喰はパニックに陥った。
いったい、何が起こったのか理解できなかった。
考えられる原因はただひとつ。
玲子は未来を視たのだろう。
娘にまつわる何か良くない未来。
それを視てしまったために母親としての彼女は壊れてしまった。
玲子がどんな未来を視たのか。
どうして愛娘を殺そうとしたのか。
彼女が残した断片的な言葉から類推するしかない……。
鶴喰が玲子の姿を最後に見たのは、要領を得ない妄言を叫んで駆けだして行くところだった。
玲子は娘を殺すことで自分の視た未来を変えようとしたのだろうか。
未来視の視た未来は変えられないというのに……。
そう。玲子には未来は変えられなかったのだろう。
あるいは玲子よりも強い力を持つ朔良が玲子の暴挙を視、それが志騎に伝わったのかもしれない。
その後の独立戦争のさなか、朔良の視たソ連軍の配置、戦略、部隊の動きその全てが志騎に筒抜けだったことを考えるとあり得ないことではなかった。
未来視の視た未来は変えられないと信じられてきた。
だが、嵯城志騎は未来視の視た未来を壊すために存在しているかのようだ。
あの少年はどこから来たのだろう。本当に人間なのだろうか。
「朔良……」
鶴喰はつぶやいた。
玲子の写真の傍らに、聖エーデルワイス学園に入学したときに撮影した朔良の写真がある。
母の死の顛末も、独立戦争当時の経緯も全部忘れて屈託なく笑っている。
幸せな笑顔だった。
「愛しい朔良、おまえをあの呪われた悪魔から引き離すことは可能だろうか? 玲子もきっとそれを望んでいるのだから」
娘の写真を手に取り、口づけた。
「でもね、期待してもいるんだよ。そう遠くない将来、おまえは、あれの子供を産みたいと望むだろうね。これだけ深く結びついていれば、他の男なんて考えられないだろう? 父としては複雑だが、科学者としては大歓迎だ。……私は見守るべきなのかな? それとも……」




