09 翔べ! 猫屋敷類
類は校庭を走っていた。
逃走する男子生徒を全力で追いかけている。
あの攻撃魔法は志騎を狙ったものだろうか。
朔良を狙うにしては攻撃力が高すぎる。
それに、あんなのは、一般の生徒もたくさんいる校内で使うようなものじゃない。
とっつかまえて、がっつり説教をしてやらないと気がすまなかった。
校庭の噴水脇に一台のバイクが伏せてあった。
逃走用とは準備万端だ。
男子生徒はバイクに飛び乗るとキック一発、エンジンをかける。この寒いのに、チョークも引かずにかかる良いマシンだ。
バイクは、あっという間に校門を走り出した。
「くっそー。卑怯者っ!」
相手がバイクでは、走って追いつけるはずがない。
類は怒りの全てをぶつけるように大声で怒鳴った。
「サポートする。翔べ」
耳元で志騎の声。
えっ? と思う間に、淡いオレンジ色の魔法陣に包まれて、類は宙に翔んだ。
同時に志騎に腰を抱えられ、びっくりするくらいの高さに舞い上がる。
「うわ、凄い」
「山なりのボールを投げるイメージだ。着地地点を決めて方向と力を計算すればいい。慣れれば体感でコントロールできる」
また無茶なことを……。
と類の頭はパニクったが、要は体で覚えろということらしい。それならば自信がある。
校門の門柱に降りた。そのまま門柱を蹴って翔ぶ。
「翔んだ……」
コントロールはまだぎこちないが、志騎の助けがなくても思いのほか自由に翔べた。
道路を挟んだ向かい側に連なる、煉瓦の建物の屋根に降りる。
バイクが路地を抜けていくのが見えた。
「追うぞ」
志騎は屋根の上を走った。慌てて類も追う。
「これって、ニンジャ?」
必死に足場の悪い屋根の上を走りながら、類は瞳花に見せて貰った古い映画に出てくる黒装束の忍者を思いだしていた。
占領時代に建てられ整然と並んだ煉瓦造りの建物の屋根は、多少の跳躍力とバランス感覚さえあれば、自由にルートを選べる広場と同じだ。
迷路のように入り組んだ路地を上から楽々と攻略できる。
道路でとぎれた屋根の端に行き当たった。
ためらいもせず、志騎は道路を挟んだ向こうの屋根に翔び移る。
片側二車線プラス歩道で、幅員は優に二十メートルはある。
「無理無理無理――っ!」
叫びながら、類はありえない距離を翔んでいた。
少し距離が足りず、着地地点の足下で煉瓦が崩れて落ちる。
そのまま石畳の地面にまっさかさまというところを、腕を掴まえられて引き上げられた。
「やるじゃないか」
志騎がニッと笑った。
こいつドSだ、と類は本能的に思った。
でも、志騎について来られた事が素直に嬉しかった。
「猿飛類参上!」
両手の立てた人差し指を重ねて掴んで、どろん、というポーズを決める。
類は猛然と走り出した。
生き生きとした類の姿を見て、志騎はふっと笑った。
しかし。
「猿飛?」
猿飛佐助は忍者の代名詞なのか。服部半蔵ではなく?
類ならば、時代劇などに登場するくノ一の網タイツ姿が似合うだろうと志騎は思ったが、それは心の中に仕舞い込んだ。
バイクは人気のない路地に入り込んだ。
志騎はバイクを完全に捕捉する。
車体が赤い魔法陣に包まれた。
瞬間、後輪がロックする。
急に制動がかかって、バイクは薄雪の積もった路肩に滑り込んだ。
あっという間にコントロールを失って車体が横倒しになる。
運転手ごと数メートル滑って、止まった。
志騎は、停止したバイクの側に飛び降りた。
類も続く。
路上に倒れて呻いている男子生徒を、類はよく知っていた。
「ちょっと、加我じゃない? あんた何やってんのよ!」
生徒会副会長の加我聖也だった。類の情報では、朔良ちゃんの貞操を守る会の会長もやっている、らしい。
「この馬鹿! なんで中庭であんな魔法使うのよ! 最悪、校舎が吹き飛んでたかもしれないのよ! わかってるの!」
「わかってる……わかってるよ……ごめん……ごめんなさい!!」
あちこち擦り傷だらけの加我聖也は、石畳に額をこすりつけるようにして詫びた。
「俺、なんか、テンパっちゃって……朔良ちゃんがいたのに、あんな魔法……。朔良ちゃん、無事だったかな? 怪我してないかな? 朔良ちゃんにもしものことがあったら、俺……」
類は、加我の傍らにしゃがみこんだ。
「ったく、土下座で許してもらえると思うな、バカ!」
「ごめんなさいぃ」
加我は、なおも額をこすりつける。
「狙ったのは俺か?」
志騎が訊いた。
「はい」
「理由は?」
「朔良ちゃんは、みんなのアイドルなんだよ……。だから、誰かが触っちゃいけないんだ……。なのに、朔良ちゃんを抱っこしたり、だっ、抱きしめたり……。俺だってあんまり話したことないのに、転入してきてすぐに仲良くなって……ひ、酷いよ……酷いよ酷いよ酷いよぉぉ!」
土下座して泣き叫ぶ加我を見て、類は頭を抱えた。
「どうする? 志騎」
「殺す」
「え」
思わず類は半身を引いた。
「いやいやいや……。ここは戦場じゃないんだからさ……」
志騎はため息をついた。
少なくとも、この男が朔良を殺すことだけはないだろう。
「加我、俺は朔良の護衛のためにここへ来た」
「護衛? 朔良ちゃんを?」
「ああ」
「どうして?」
「理由は話せない。だがもし、君が邪魔をするつもりなら排除する」
「ひぃぃ。勘弁して下さい! もうしません! もうしませんからぁ!」
類は困ったように志騎を見上げた。
「私、余計なこと言ったかな?」
「いや。君が何を言おうと決めるのは俺だ。類、決断するということは、それに伴うあらゆる結果を全て引き受ける覚悟をするということだ」
「う、うん」
うなずきながら、類は、この男はずっとそんな風に考えて決断してきたのかと思った。
小さな事でも、思わぬ反動が来ることを知っているがゆえの厳しさだ。
だけど、それでは一瞬たりとも気が抜けないではないか。
心の底から人を信じることさえ出来ないではないか。
辛い生き方だね……。
心の中でつぶやいた。




