第6話 朱雀錬治
「うわあああああああ!」
絶叫と共に、改はソファーの上で飛び起きた。バランスを崩し、そのまま背中から床へと落下する。
「……夢か」
落下した背中の痛みよりも、動悸の方が主張が激しい。直前に夢で目撃した凄惨な光景が脳裏に焼き付いて離れない。冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを飲んで気持ちを落ち着けようとしたが、急激に吐き気を催し、慌ててトイレへ駆け込んだ。鼻孔に、夢の中で感じた七号コテージの血生臭さが残っている感じがして耐えられなかった。
「……あれは夢だ」
洗面所で口を濯ぎ、そのまま眠気覚ましに冷水で顔を洗った。悪夢の明晰夢など性質が悪すぎる。現実感が強い夢の中で、仮にも顔見知りが惨たらしい死に方をする。夢の中の出来事をさらに夢に見てしまいそうだ。これが例えばファンタジーやSFのような世界観で展開される夢だったなら、現実離れし過ぎて逆に冷静でいられたかもしれない。
「ゲームでもするか」
時計を確認すると時刻は午後三時を回ったところだった。流石に寝直す気にはなれず、今日はこのまま起きていることにした。丁度いいので、ダウンロードで購入しておいたVRMMORPGゲーム、ナハトムジークLEVEL3をプレイしてみることにした。
ゲームを起動しデータの更新を済ませると、メッセージボックスに運営からお知らせが届いていた。内容は不具合のお詫びで、昨日の二十一時頃から、日付を跨いで午前二時頃まで、大規模なシステム障害が発生しており、それが無事に復旧したとの報告だった。後日全てのプレイヤーにはお詫びとして、アイテムの配布が行われる予定とのことだ。自分がプレイしていないタイミングでの出来事だったので、ラッキー程度に思いながら、改はゲーム本編を開始した。
※※※
「改くん。疲れてる感じだけど大丈夫?」
昼食時を迎え、改は渚と共に大学の学食で日替わりランチを食べていた。講義中から改はどこか心ここにあらずといった様子だったが、こうして向かい合って食事をしていると、目に見えて表情から疲労感が滲み出ている。
「いい年して恥ずかしいんだけど、ヤバイ夢を見て夜中に飛び起きた。寝付けずにそのまま朝までゲームしてたから寝不足気味」
「もしかして、昨日言ってた明晰夢の続きとか?」
「正解」
「どんな内容だったの?」
「心配させておいてなんだけど、食事中にするような話しじゃないから今は止めとく」
渚がサラダのトマトを食べているのを見て、果肉と夢の中で目撃した朱雀の凄惨な遺体の姿がだぶる。詳細を語って渚の食欲を奪っては申し訳ないので、この話題は控えることにした。改だってあの光景はなるべく思い出したくない。
『結婚を発表されたお二人に、関係者から続々と祝福のメッセージが寄せられています』
学食のモニターではお昼のワイドショーが放送されており、改と渚の席からは画面がよく見えた。今は朝の番組でも取り上げられていた鶸飛ケントと瑠璃玉薊の結婚の話題を放送している。
『ここで訃報です。イベント運営会社スピラルの代表取締役社長、朱雀錬治さんが昨晩、亡くなっていたことが分かりました。三十二歳の若さでした――』
「朱雀?」
画面越しに聞こえて来た聞き馴染みのある名前に、改の食事の手が止まる。どうしてそこで朱雀錬治の名前が出る? どうして昨夜、夢の中で遺体となって発見された人間の訃報が現実で流れる? あれは夢の中の話ではないのか?
『朱雀さんと連絡が取れないことを不審に思った会社関係者が自宅を訪ねたところ、亡くなっている朱雀さんを発見し――』
淡々とキャスターが情報を伝えていく中、以前に同局の番組で取材を受けた際の朱雀の姿が画面に映し出された。スーツ姿なので印象が異なるが、その容貌や背格好は紛れもなく、百色島のコテージで何度もやり取りを交わした、あの朱雀錬治であった。
「……何が起きている? あの人は夢の」
状況が飲み込めず、咄嗟に腕が動いた瞬間、誤って肘が水の入ったグラスと接触し、テーブルから落下。グラスが甲高い音を立てて割れた。何事かと、学食にいた全員の視線が改に向けられる。
「ちょっと、大丈夫?」
驚いた渚がハンドバックからハンカチを取り出し、濡れた改のシャツを拭いてあげた。
「大丈夫かい? 今チリトリを持ってくるからね」
渚の心配も、学食のおばちゃんの気遣いも、改の耳には届いていなかった。夢の中の住人だったはずの朱雀錬治が現実にも存在しており、そして同日に亡くなった。こんな偶然があるはずがない。だとすればあの夢は一体何なんだ?
※※※
どこかの高校の、放課後のどこかの教室。
オカルト好きの女子高生は今日も懲りずに、友人にある噂話を吹聴していた。
「ねえねえ。夢の中の殺人鬼って知ってる?」
「また夢に纏わる怖い話? あんたも好きだね」
「夢の中に現れるレインコートの男の噂をきっかけに、似たような話しを調べてたら興味が湧いてさ。昔流行った都市伝説とか怪談を調べ始めたら止まらなくて」
「それで、今度は誰かに話したくてたまらないって?」
「そういうこと」
「まったく、私も暇じゃないんだけど。まあいいや、聞かせてみなさいよ」
「そうこなくっちゃ。これは古くからある都市伝説なんだけど、夢の中で殺人鬼に殺されてしまう主人公が、現実でも殺人鬼そっくりの男と遭遇するって話し」
「自分が殺される夢とか普通に嫌だわ。その後主人公はどうなってしまうの?」
「夢とは違う行動を取ることで、殺人鬼から逃れることが出来るの。パターンはお店に逃げ込むとか、自宅に逃げ込んで鍵をかけるとか色々あるけど、オチは毎回決まっていて。最後に扉やガラス越しに殺人鬼が『夢と違うことするんじゃねえよ』と言い捨てていくんだって」
「何それ怖! 殺人鬼も主人公と同じ夢を見ていたってこと?」
「そういうことになるよね。お話しはそこで終わっているけど、めでたしめでたしとは言い難いよね」
「確かに、また夢の中で遭遇するかもしれないし。一時的に逃げ込めたとはいえ、殺人鬼そのものをどうこう出来たわけじゃないもんね。普通に考えたらその後も大変な目に遭いそう」
「夢ってさ。ある意味で究極のプライベート空間なわけじゃん。そこに誰が潜んでいたらと思うと、滅茶苦茶怖いよね」
「想像したくもないよ。だけどこの都市伝説が、今あなたが熱を上げてるレインコートの男と何か関係あるの?」
「関係あるかは分からないけど、この都市伝説の成分もどこかに入ってそうな気がするんだよね」
「というと?」
「夢の中のレインコートの男の目撃証言について、こういうものもあるの。男はコートの中に凶器を潜めていたって」