第2話 明晰夢
「夢か……」
目覚まし時計のアラーム音で、薄墨改は目を覚ました。
ベッドで上体を起こし、大きく伸びをして体の覚醒を促す。
辺りを見渡すと、そこは百色島の高級コテージではなく、住み慣れたワンルームの室内だった。疲れていてソファーの上に脱ぎっぱなしになっていたシャツやジーンズ。同じ理由で洗い忘れたシンクの食器が、一気に生活感を加速させる。カーテンを開けた窓から眩い朝日と共に飛び込んできたのは、自然あふれる無人島ではなく、未来志向なコンクリートジャングル。視覚情報がこれでもかと現実感を押し付けてくる。
明晰夢という言葉がある。
夢の中でそれを夢と自覚し、自由に動き回ったり、人によっては夢の内容を自由に操れることもあるという。
改も百色島のコテージで過ごす時間を明晰夢だと理解していた。無人島を丸ごと宿泊施設としたあのような高級コテージは、一般的なサラリーマン家庭に育ち、自身も単なる大学生に過ぎない改の身には余る。
それでも、夢の中での生活は現実と錯覚しそうになる程のリアリティを誇り、高級食材に舌鼓を打つ感覚や焚火の温もり、他の宿泊者達とのやり取りに至るまで、実体験のように鮮明に覚えている。夢というのは起床から時間が経つにつれ、内容の記憶が曖昧になるというが、そんな兆候は見られない。何故なら。
「今日で二日連続か」
高級コテージで過ごすリアルな夢を見るは今回が初めてではない。二日続けてだ。前日の内容も鮮明に覚えているし、夢にありがちな突拍子な展開もなく、内容もごく自然に繋がっていた。
初日に自己紹介をしたので、コテージの宿泊客の名前も全員覚えている。
会話の中心だった朱雀錬治。
おしとやかな印象の婦人、紫菖蒲。
美貌と愛嬌を併せ持った未咲雪緒。
どこかやつれた印象の青年、桃園路輝。
ショートヘアーの女性、藍沢茉莉。
フランス人の青年、フェルナン・ルージュ。
そして、今回の夢には不在だったが、初日に顔を合わせた灰塚意志郎。
計七名の宿泊客。
夢の中の登場人物とは思えない程、それぞれの個性を鮮明に記憶している。
もちろん、どれだけリアルであろうとも、所詮、夢は夢だ。無人島の高級コテージはテレビ番組か、何かの動画で見た内容が印象に残っていたのかもしれない。アウトドアを好む改なら十分に考えられることだ。
夢の中の登場人物についてもきっと、町中などで印象に残った他人の姿に、フィクションなどに登場する名前が混ざり合い、カオスな状態になっているのだろう。実際、未咲雪緒は現実の知り合いではないものの、その顔には明確に見覚えがあった。
「テレビを点けて」
音声認識でテレビを点けると、改は朝の情報番組を見ながら歯磨きを開始した。丁度コマーシャルのタイミングで、日本を代表する大企業「透上コーポレーション」の映像が流れていた。
「先端技術で、住みよい社会を目指します」
ロボット工学、先端医療、IT技術など、透上コーポレーションが手掛ける様々な事業のダイジェスト映像をバックに、イメージモデルを務める俳優が会社のキャッチコピーを口にしている。
「やっぱり、似てるな」
画面に映る雪城つかさは、夢の中に登場した未咲雪緒と瓜二つの容姿であった。
俳優、雪城つかさ、二十四歳。類稀なる美貌と、見るものを引き付ける圧巻の演技力で、若手演技派と評される現代のミューズだ。透上コーポレーションを筆頭に、多くの企業や商品のコマーシャルにも起用されており、テレビでその姿を見ない日はない。日本を代表する俳優の一人だ。だからこそ改の記憶にも強く印象に残っており、夢の中にそっくりさんが登場するに至ったのだろう。
「流石に、三度目はないよな?」
改は思わず自問する。二度あることは三度あるとはいうが、流石に三回連続で同じ夢を続きから見るなんてことは有り得ないだろう。三度続けば、どんなに居心地の良い夢だろうと気味が悪い。
「本日のトピックです」
コマーシャルが明け、情報番組は世間の関心が高い出来事をランキング形式で発表するコーナーへと差し掛かった。
2047年4月22日の話題。
第一位は、若手イケメン俳優の鶸飛ケントと、動画配信サイトで絶大な人気を誇るストリーマーの瑠璃玉薊が電撃結婚を発表したニュース。
第二位は、軌道エレベーターの本格稼働に先駆け、抽選で選ばれた一般市民による搭乗体験が行われたというニュース。
第三位は、これまでは疾患の治療や健康診断にのみ有効だった医療用ナノマシンの保険適用を、健康社会促進のため、将来的には疾病の予防を目的とした使用にまで範囲を拡大すべきとの議論が国会で始まったというニュース。
第四位には同率で、アアンドロイドの不具合によって発生したアメリカでの死亡事故と、大人気VRMMORPGの最新作である、ナハトムジークLEVEL3発売のニュースが並んでいる。
軌道エレベーターやナノマシン、アンドロイドといった話題は工学部の学生としては関心事だし、ナハトムジークLEVEL3はシリーズのファンで、今作も当然プレイ予定だ。図らずも、興味深い話題ばかりの朝の時間帯となった。
※※※
どこかの高校の、ホームルーム前のどこかの教室。
オカルト好きの女子高生が、友人にある噂話を吹き込んでいた。
「ねえねえ、夢に現れる不気味な男の噂って知ってる?」
「初耳だけど、何それ?」
「ここ半年ぐらいの間、夢の中で不気味な男を目撃する人が続出してるの。あまりにもインパクトがあったから、体験者の一人がその男の特徴を書いてネットに上げたら、自分も同じ人を見たってコメントが、次々と寄せられるようになったんだって」
「それってどんな男なの?」
「大元の絵はいつの間にかネット上から消えちゃったらしいけど、特徴を第三者が再現した絵がこんな感じみたい。服装はいつも同じだよ」
「……確かに、こんなのが夢に出てきたら気味悪いかもね」
差し出された画像を見て友人が顔を顰めた。夢に登場する人物を再現した絵は、鮮烈な印象の真っ赤なレインコートを纏い、目深に被ったフードから、薄気味悪い口元の笑みだけが浮かんでいた。確かにこのインパクトは一度見たら忘れられないだろう。
「だけどさ、大勢の夢の中に同一人物が登場するなんてこと、有り得るのかな? 載せられた絵のインパクトに引っ張られて、自分も見た気になっただけかもしれないし。そもそもやらせって可能性もあるんじゃない?」
「自分から話しておいてなんだけど、私も正直やらせは疑ってる。この噂を知った流れで調べたんだけど、かなり昔、四十年ぐらい前かな。世界中で大勢の人が、夢の中でまったく同じ男を目撃したっていう話が、インターネットと中心に騒がれるようになったの。『THIS MAN』って言うらしくして、それを題材にした作品なんかも作られたみたい」
「その騒ぎは結局どうなったの?」
「現実的な考察やオカルト、陰謀論まで様々な説が飛び交ったけど、結局のところ、この話題は創作で、何かのマーケティング活動だった、ということみたい。真偽のほどは置いておくとして、過去にこういった前例が存在しているから、それをベースに誰かが、現代でも似たような話を流布しようとしたんじゃないかって、そんな意見が大勢を占めてるみたい」
「そうなんだ。創作の可能性が強いのなら一安心だけど、インパクト抜群だから、あたしも何だか夢に見ちゃいそう」
「本当にそうだよね。だけど今でも時々、夢の中での目撃証言が上がるらしくて、そこだけは何だか不気味だよね――おっと、そろそろ席に戻らないと」
始業のチャイムが鳴り、二人はそれぞれの席へと戻っていった。