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一回天少女

作者: 絈野糸

 今日はお天気雨だ。近年、これを経験することが多い。別名狐の嫁入りとも弁ずるらしいが、僕はその理由を知らない。

 正直、雨は苦手だ。何処となく言葉では書けない感情があるが、言い尽くせないからだ。何かを描いていないと落ち着かない僕にとっては、表せない抽象が一番苦手である。

 だが、毎日続けないと習慣にならないと教示されたのを思い出し、靴をとる。冷たい靴底は、冬の訪れを福音していたが、不快な雨音に遮られてしまう。東京では些細な移ろいも、こんなには儚くないのではと、夢想人は思う。

 戸を開けると、やはり雨音で木漏れ日が殺される。だから、雨は嫌いなんだ。





 

 バイパスを左に曲がり、国道に出る。「この先、一キロメートル道なりです」と、機械音が鳴る。同時に、姉が目を開けたが、何もなかったように前を向く。

 ペンを執る。描写する。この一秒を取り零したくないと思うが、その女性は、僕の綻びを、刺す。糸が崩れるように、腕時計のカチカチという音が耳に木霊する。

 「もうちょっとで着くから、大人しくしていなさい」

 そうは言われても、何もしていないじゃないかと反論したくなる、気持ちを押し退けて目を閉じる。今日は何が表現できるかと吟味している間に、「目的地周辺です」

 「ほら、着いたよ。じゃあ私涼君のとこ行ってくるから、一時間後ね」

 わかった、と首を縦に振る。所物は先の尖った数多い鉛筆とゴム字消し、スケッチブック。どれも、姉が羽振り良かった際に買って貰った。砂濱を駆け、水に足を入れる。至近で見れば海そのものである波も、風に吹かれた物を感じると磯味がないことに気づく。

 見上げたその雨脚が照らした場所には、意味ありげな顔をしている、黒髪の一人の少女が座っていた。





 「あら、お客さんですかぁ?」

 方言味のかかった言の葉を少女は浮かす。そもそも公共の湖畔に客というものを使うのは気に食わないが。

 「はい。失礼していいですか?」

 「はい。どうぞ」

 僕は腰掛ける。湖の傍には僕と少女。ふたり。瞬間、夕立と残光が二人を包んで放してくれなった。

 なぜ自分はいつもこうなってしまうのだろうと思う。話しかけられただけで自分を気になっているだとか、目が合っただけで、僕のことが好きなのではないかと。社会に出たらそれは当然であるのかもしれない。勿論、当然であるはず、そうである必要がある。

 学生にはこんな複合的な感情は理解できない。そんな僕を、この湖の夕風が子供であると決定づけた。

 「何か書かれるんです?そんな鉛筆ケンケンにする必要あるかいね?」

 「はい。今、絵画の練習をしてまして……あまり上手ではないんですけどね」

 「いいや、すごいですよ!私には出来んかなー」

 本当に方言がきつい。ここらの人ではないのだろう。ではなぜここにいるのだろう。運命的な何かではあるまいかと、僕の胸は脈打った。

 「すみません……どこの方ですか……?」

 「出身ってことですか?石川県のほうですよ」

 石川と聞いて、色々なことを思い浮かべる。何故ここに座っているのかという理屈も裁量できる。だが、次にかける言葉は出てこなかった。

 「何時もここにいるんですか?」と少女は言い、僕は「はい」と一言交わす。

 「へーそうなんね。見た感じ私と身長同じくらいだし、タメ?」

 「中学三年ですけど……」

 「わー!後輩君だ!じゃあ、私には敬語つかいまっし?」

 「んーと……敬語を使えということでしょうか?」

 「そうそ!あんただらじゃなくてよかたはー」

 見た感じ、相手も紺色のいかにも学生らしい服を身にまとっている。高校生だろうか。

 「では、敬語で」と流し、僕はスケッチブックを開く。辺りの光模様は、既に増しており、夕立がかった空は晴れに近づいて行ったはずだ。





 

 「おー、よおできとるがいね。りくつなぁー」

 急な晴れの囁きにビクッとしたが、すかさず「ありがとうございます」を返す。

 「これほんとに鉛筆だけで描いとるのかー。人間ってすごいなぁ」

 「まあ……伊達に絵描いてる訳じゃ済まないんで」多少皮肉を込める。

 絵を描くことに情熱をかけているのは確かだ。ただ、絵で生きていけるかと言われたら何も言い返せない。好きなものを好きと言える現代は才能がない人にとって生きずらいのだと思う。第一、大人は醜い。僕たちに好きなことをやれと言うものの何かできるという事実を傲慢に求めてくる。そんな事を言われると、好きなことなどできないのが分からないのだろうか?なぜ、何も考えずに生きてきた大人たちに従う必要があるのか。

 その答えは、少女が僕に託してくれた。

 「てかさー、聞いてくれる?後輩君」

 「なんですか……」

 「君って、あんまり嘘つきじゃないやんな?」

 「ま、まあそうっすね。……普通、みんなそうだから。嘘吐く必要あるのかなみたいな……」

 「考えてるねぇー。そういう人嫌いじゃないよ、後輩君。もしくは好き、かな」

 水のぽちゃぽちゃという音色が胸に聞こえた気がした。

 「それはどうも……」

 確かに人との関わりだなんて好みという御一言で済まされるものなのだろう。波打ち際の光は弱まって、ほのかにホワイトムスクの薫りが辺りに漂う。同時に、冷たさを感じる。

 秒針を砕くと、針は一周目を回りかけていた。





 

 少女が、「もういっちゃうんっけ?」と口をはさむ。軽く「はい」と返す。

 「私ね、」と言いかけるような呼吸が聞こえた。

 「いや……狐の嫁入りって知ってる?後輩君?」

 ドキッとした。急に質問をし出すのだから頭がこんがらがる。

 「はい。今日みたいな天気雨は狐の嫁入りを大衆に隠すために起こしたってやつですよね」

 「うお、一気に雄弁さんやなぁ、ま、そうだかよ」

 それが何なのだろうと思う。だが、天気雨について語る健気な少女は、僕よりも二回りほど身丈が小さく見える。

 「すぅごぉくさ、ロマンティックだと思わん?」

 「は、はあ……」

 「私ね、今日いけないものを見ちゃったんだ。それがさ、見られた人たちはすごく楽しそうだったの。なんであんなことをしていて楽しいのかが私、わかんない」

 「何をみたんですか?」

 「……キス」

 「え?」

 「キス。屋上での淡い青春」

 「なんかさー見たら思っちゃったんよ。なんで隠さないんとかさ」

 「例えばさ、病院にある薄っぺらいパーテーション、あんなもの欲しいのかなって。隠す必要ないじゃない?ほんとに意味ねぇとよって感じ」

 「だけどさ……あれは見たくなかった。なんで人って隠したがるんだろうね。私みたいに」

 「それは……恥ずかしいからじゃないんですかね」

 「だったら、今君は恥ずかしいと思うとるかい?」

 「そ、それは……」

 「まあね、人には選り好みがあるからさ、私は隠して生きる人がちょっと嫌いってだけなんやけど、なぜか自分は隠したがっちゃうんだよね……お狐様も隠してたわけやん?なんで結婚とか派手なものほど隠したがるんだろね。人間も」

 「はあ……」

 「私ね、今日あることをするの。私にとってはいいことなんだけど、周りの人らには迷惑かけてまうかもしれん。でもね、もう我慢できっこないの。周りは粗大ごみみたいなのばっかだし、相談しても帰ってくる言葉は変なものだったり……私ね、辛いの。もう無理なの。別に後輩君に救ってほしいとかじゃないんだけどね……」

 「何が、あったんか、教えてください……」

 「無理だよ。隠さなきゃ意味がないもの」

 「じゃあなんで話したんですか」

 「後輩君のためだよ。だって、後輩君、私のこと好きでしょ?」

 「い、いやいや。そんなこと……ないっすよ。まあ、優しい、とは思いますげんとも」

 「バレバレだよ。面食いなんだね……まあ、なんでもいいよ!」

 「なんなんすか……」

 「とにかくね、後輩君には私みたいな人生を歩んでほしくないなーって思った、それだけだよ。私はこれからも何もかも隠していくよ。でもね、一つだけ言えるのは、後輩君はがんこだらってコト」

 「私は応援してるからさ、頑張りなよ。応援してるからさ、ね!」

 その日の夜は記録的な豪雪に見舞われたそうだ。彼女から、春の音が感じられた気がしたのだが、気のせいだったのだろう。

 僕は雨がちょっと好きになった。いろいろ流して、隠してくれるから。

初めて、雪が嫌いだと思った。

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