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友人の条件

 仕立屋の話を持ちかけたときに、エコー様は、一日に三人ほどを相手にしてほしい、と仰いました。ですが一日に一人のみを仕立てることにしました。相談をメインにすれば三人でも楽にこなせますが、仕立屋をメインにすれば時間が必要でした。

 布地から衣装を仕立てるのは、絡繰人形のわたしでも一着数時間(給仕服のような簡素なもので一時間、ドレスなどは三時間程度)は掛かりました。

 わたしの仕事は、エコー様のおかげでメイドたちに知れ渡り、レディーズメイドのクロンを仕立てたことで高く評価されました。

 忙しくも充実した日々でした。

 仕立屋を始めてから六日目に、順風満帆な仕立屋メアリは小さな転機を迎えます。

 今回は、小さな転機と、小さな友人について記したいと思います。


     *  *  *


 わたしの一日は、石炭の補充から始まります。

 木箱のボックスラッチを外して、中に詰められた瀝青炭を五ポンドほど口から摂取します。一日に必要な石炭を一度に摂りますが、貯蔵庫は一五ポンドまで入りました。使用済みの石炭もおなじ貯蔵庫に入れるため、一〇ポンドを未使用の石炭、五ポンドを使用済みの石炭とわけていました。

 石炭の補充を終えてしばらくすると、朝の仕事を終えたリコが予約のメイドを連れてきます。予約の順番はメイドたちの話し合いで決めているらしく、管理はリコに一任していました。わたしは当日会うまで、だれを仕立てるのかわかりません。

 扉の向こうから雑談がきこえて、足音が近づいてきました。

 リコと今日仕立てる予定のメイドが来たようです。

 ノックのあと「メアリ姉さま、おはようございます」と元気な声で挨拶があり「おはようございます、リコ」と挨拶を返してすぐに扉がひらきました。リコは、わたしのもとまで一目散に駆け寄り「おはようございます」と二度目の挨拶をしながら抱き着いてきました。

 ここまでは日課ですが、メイドたちの反応は様々でした。

 微笑ましく見守られることもあれば、呆れられて溜息を吐かれたり、目を点にして驚かれることもありました。リコはみんなに可愛がられていますが、他のメイドに甘えることは少ないのかもしれません。

「リコ、本当に懐いているのね」

 遅れて入室したメイドは肩を竦めて、微苦笑をうかべていました。呆れと微笑ましさが半々というところでしょう。わたしはリコに抱き着かれたまま、微笑んで会釈しました。

「おはようございます、ブローバ様」

 今日予約していたメイドは、リコ・ドレスバージョンのときにリコを客人と勘違いして脂汗をうかべていたブローバ様でした。

「はい、おはようございます、メアリッサ様。今日は、よろしくお願いします」

 ブローバ様は丁寧に挨拶して、深く礼をしました。

 ブローバ様をスツールへ座らせて、反対側のベッドにわたしとリコは並んで腰かけます。リコを同席させるのは、メイドの緊張を解くためでした。わたしの外見は、一対一だと気おくれさせてしまうらしいのです。

 いつものように一時間ほど雑談しながら、好みなどを把握して、同時に目測で採寸もしていました。

 ブローバ様の顔立ちはリコに敵わないものの、美人と形容して差し支えありません。やや面長なため、大人びて見えます。オクサイドレッドの髪は軽くウェーブして、肩口のあたりまで伸びていました。もうすこし大人になれば、妖艶な雰囲気を纏いそうです。

「ブローバ様、夕食のあとにいらしてください。似合うものを用意しておきます」

「わかりました、楽しみにしていますね」

 ブローバ様は会釈して背を向けると、今にもスキップしそうに楽しそうな足取りで仕事へ向かいました。わたしとリコは、ブローバ様の背中を見送りながら小さく笑い合いました。

「楽しみにされたら、頑張らないといけませんね」

 わたしは冗談めかして言いました。

 もちろん、これまでの仕事も手を抜いたことはありません。

 これまで五人を仕立てましたが、アウレウス金貨一枚の仕事はしていると自負していました。

「リコ、盛装しますね」

 今度はリコをスツールに座らせて、出掛けるまえに着飾ります。

 わたしのドレスはいつも黒地のもので代わり映えしませんが、リコは毎日、様々なイメージで盛装していました。このあとリコを連れて買い出しにいくのですけれど、移動はスチームコーチを使いました。

『メアリ姉さまは、スチームコーチも運転できるのですね』

 と、リコは驚いていましたが、わたしもスチームエンジンで動く絡繰人形なので勝手もわかりました。馬車――馬なんて未知のものより、よほど扱いやすいです。

 リコの恰好は、オ・グラン・モゴルの店員にも好評らしく、今日はどのような服装をしているのだろう、とみんな楽しみにしているとクリノリンが話してくれました。


 寝室を出てすぐに、城内がいつもより騒がしいことに気づきました。

 メイドたちは忙しなく働いて、雑談のひとつもきこえてきません。通路を走りこそしませんが、みんな、いつもより三割ほど速足です。客の貴人も多く見かけました。

 わたしもリコも盛装しているので、客人と間違えられて、貴人からも挨拶されます。

「ごきげんよう」

 煌びやかなドレスを着た貴婦人に声を掛けられました。

 わたしもリコも「ごきげんよう」と挨拶を返します。本来、わたしとリコは客人と対等に言葉を交わせるほど偉くはないのですが(ビオラ様に雇われているので、客人を立てるのが普通です)このようなときは、恥を掻かせないために客人の振りをしました。

「あなたたちも今夜の社交界に出られるのですか」

 尋ねられて、わたしは改めて貴婦人の恰好に目をやりました。

 サファイアブルーの布地にレースをかぶせるように仕立てた、華やかなボンネットであたまを飾り、立てたブリムにリボンが結んでありました。フープドレスは通路をふさぐほどの大きさがあり、三人ほど使用人がいなければ脱着さえ無理そうです。

 フープドレスもボンネットも豪華すぎて、まるで衣装が歩いているようでした。

 すこしだけ悪い書きかたをしますが、女性を美しく見せるための衣装ではなく、衣装を美しく見せるために人に着せているという感じがしました。

 このような衣装は煌びやかな反面、着用した人を霞ませてしまいます。

「いいえ、社交界があるとは存じませんでした」

 わたしが答えると、貴婦人は安心したように表情を和らげました。

 もともと社交界は結婚した女性たちがパートナーを連れて出席するものでした。結婚してようやく一人前と思われるような風評があり、社交界に呼ばれるのは結婚してからでした。

 歴史が進むにつれて、ちからをもつ商人が現れるようになり、社交界の様相も変わりました。

 社交界に商人が呼ばれるようになり、けれども商談など仕事のために欠席者が相次ぎました。商人を社交界の名簿から外すと彼等の不評をまねくため、規則自体を変えることになり、パートナーを原則としますが親類の出席を認めるようになりました。商人たちは、未婚の娘、嫡嗣などを同伴して、次代の繋がりを早くから作ろうとしました。

 そのような歴史から、今の社交界は、未婚者の出会いも大きな目的になりました。

 社交界は女性たちの戦場と表現されるほどで、注目を集めて、名門の嫡嗣に気に入られようと野心を燃やすようです。フープドレスは社交界という戦場へ臨むために豪華に仕立てられたものですけれど、ダンスに誘われたときのことまでは考えていないようでした。互いが精一杯手を伸ばしても、フープドレスに邪魔されて指先が触れる程度です。

 貴婦人とわかれたあとに、リコに尋ねました。

「今夜は社交界があるのですか」

「はい、ビオラ様主催で、今夜、ここで開催されるようです。わたしはククリ様とメアリ姉さまの世話係なので、詳しくは知らないのですけれど」

 リコは申し訳なさそうに顔を曇らせました。きちんと説明できないことに落ち込んだようです。

「どちらにしても、わたしには関係のない話ですね」

「準備するならともかく、社交界に出席するような人たちは、産まれから育ちまで庶民とは違いますから。社交界なんて、わたしには思い描くことさえできない世界です」

 リコは苦笑をうかべて、はあ、と大きな溜息を吐きました。

 例え庶民に産まれても、社交界のような華やかな世界を経験してみたいと憧れているのかもしれません。美しいドレスを着て、哀愁を漂わせながら悩ましく息を吐くリコは、社交界に出席しようものなら、多くの青年を恋に落としてしまうかもしれません。

「今のリコは、社交界こそ似合うような気がしますけれど。リコなら名門に輿入れも可能ですね、わたしの妹ですから」

 事情を知らなければ、リコの恰好を見て、これから買い出しにいくとは夢にも思わないでしょう。わたしの軽口に、リコは頬を膨らませて不機嫌な表情で抗議すると、腕に抱き着いてきました。

「メアリ姉さまは、意地悪です」

 意地悪をしたのだから、機嫌を取ってほしいと心の声がきこえてきそうでした。オ・グラン・モゴルでリコに似合うものを買い、プレゼントして許してもらおうと思います。


     *  *  *


 道路の脇にスチームコーチを停めて、オ・グラン・モゴルまで一〇〇ヤードほど歩きました。

 仕立屋一日目はリコに他の仕事を頼んでいましたが、二日目から今日まで同伴していました。リコの人好きのする性格が幸いして店員たちともすぐに打ち解けると、今では旧知のように仲良くしています。

 オ・グラン・モゴルの扉をリコがひらきます。

 いつもなら我先にと店員たちの挨拶が飛んできますが、今日は一言もありませんでした。

 リコは首を傾げながら入店して、わたしも続きました。扉が閉まるときに真鍮のベルが鳴り、ようやく店員のクリノリンが気づきました。わたしとリコをみとめて微笑もうとしますが、無理しているのが一目でわかるほどに痛々しい笑顔でした。一日目にプレゼントしたシルバーの髪留めをしているので、表情の機微もよくわかります。

 見回してみれば、他の店員たちの表情も一様に優れません。

「いらっしゃいませ、メアリッサ様、リコ」

 いつもより静かな声でクリノリンは出迎えてくれたのですが、リコは気づかずに、

「いらっしゃいましたー、クリノリン」

 と、上機嫌を絵に描いたような笑顔と声で返しました。

「リコ、なんですか、その頓馬な挨拶は」

 わたしが咎めると「ごきげんよう、クリノリン」と、今度は澄んだ声音で挨拶しますが、ちろりと舌を出しておどけていました。こういうところは、親にかくれて悪戯するのと似ているのかもしれません。

「クリノリン、今日も布地を一緒に選んでもらえますか」

 一緒に選んでほしいというのは口実で、選んでいるあいだリコの話相手を頼んでいました。いつもならふたつ返事で承諾してくださいますが、今日は返事すらありません。無視したわけではなく心焉にあらず、レディーメードの衣装が置かれたところを心配そうに見つめていました。

 他の店員たちの視線も、おなじところへ――ひとりの少女に注がれていました。

 ここからは少女の横顔が見えますが、リコよりも幼く立派な衣装を着ていました。まだ仕事をしているような齢ではなく、着ている服も上等なので貴人と断定してよいと思いますが、選んでいる衣装がレディーメードなので違和感がありました。オ・グラン・モゴルの貴人客は、オーダーメードの衣装を仕立てるための来店がほとんどでした。使用人へのプレゼントというのも考えられますが、そうであれば店員の気遣わし気な態度が気になります。

 少女は時折、目もとを拭うような仕草をしていました。

 少女を中心に、オ・グラン・モゴルは重苦しい雰囲気に包まれていました。

「なにか問題でも起きたのですか」

 クリノリンの耳もとへ口を寄せて、囁くように尋ねました。

 ようやくこちらを向いたクリノリンは、わたしの顔が思いの外近いことに驚いて、次いで気まずそうに目をそらしました。

「お客様自身のことなので、わたしの口からはなんとも……」

 問題が起きたことは認めても問題自体は濁して「あ、今日も一緒に布地を選ぶんですよね」と、無理に明るい声で言いました。こういうときに我先にと動くのがリコでした。

「本人に尋ねれば問題ないですよね」

 クリノリンが止める暇もなく、リコは散歩のように軽やかな足取りで少女へ近づきました。

 近づく気配を感じたらしく、少女は衣装を選んでいた手を止めると顔を上げて、リコを睨みつけました。顔立ちに幼さこそありますが、射抜くような視線は大人でも怯むほどです。

「どうしたの?」

 睨まれても意に介さず、リコは優しい声音で尋ねました。

 リコは仕事柄、貴人と接する機会も多いため、見た目より精神は鍛えられているのかもしれません。睨みつけても効果が無いとわかると、少女は俯くように目を伏せました。目もとを袖で拭うような仕草をしたあとに、一度、大きく鼻を啜ります。袖は涙で濡れていました。

「見てわからないの? 衣装を選んでいるのよ」

 小馬鹿にしたような口調でしたが、一目で強がりだとわかりました。

 早口なのは、声に嗚咽がまじらないようにするため。唇に歯形がついて、左腕に抱えていた縫いぐるみが苦しそうに見えるほど少女のちからで歪んでいました。

「それなら、お姉さんと一緒に選びましょう」

 いつものリコとは別人のように、大人びた声で提案しました。

「どうして見ず知らずの人と一緒に、大事な衣装を選ばないといけないのよ」

 差し伸べられた手を払いのけてまで気丈に振舞いますが、優しさを拒みたいなら今の一言は失言でした。

 大事な衣装であれば、たとえ庶民でも奮発してオーダーメードを仕立てます。少女は貴人のようですが、大事な衣装をレディーメードの中から選ぼうとしていました。オーダーメードを選ばない理由があるなら、仕立てるまでの時間がないこと、値段が高いこと、ふたつの理由が考えられました。

「大事な衣装を選んでいるのね。わたしは、リコ。これで見ず知らずじゃないよ。なにがあったの」

 少女は苦々しく表情を歪めると、しばらくして諦めたように長く息を吐きました。

「そんなにも知りたいなら、話してあげるわ」

 少女は縫いぐるみを両腕で抱きしめるようにして、思い出すように語り始めました。

 レディーメードの衣装を選んでいた理由は次のようなものでした。

 今夜、少女は商人の娘として社交界デビューをするようです。齢を考えると時期尚早ですが、今夜の社交界は憧れの紳商が開催するものらしく、どうしても出席したいと父親に頼み込みました。

 オーダーメードのドレスを頼んでいましたが、そのときの少女は膨よかな体型をしていたようです。だらしない体型で憧れの紳商に会いたくないと、必死で運動して痩せたらしいのですが仕立てたドレスのサイズが合わなくなることまで考慮していませんでした。ドレスを仕立て直すのは均衡が悪くなり、見栄えをよくするには時間が足りません。

 手持ちもアウレウス金貨三枚程度と少なく、レディーメードの衣装の中から社交界へ着ていくものを選んでいたようです。

 話の合間に涙を拭いて、嗚咽に邪魔されながらも気丈に話し終えた少女は「これで満足したかしら」と小馬鹿にしたような声で強がりました。

 レディーメードの衣装は一番小さいサイズを選んでも、少女には大きいようでした。ここには少女の背格好に合うような衣装は一着もありません。今から欠席するわけにもいかず、どうせ着替えるのだからと等閑に着てきた今の衣装で社交界デビューしなければいけない。

 まだ身に起きたことを受け止めきれておらず、無駄と知りながら衣装を選んでいたようでした。つまりは悪足掻きです。

「夜までに時間もありますから、今からでも新しくドレスを仕立てるのはどうですか」

 リコの提案に少女だけでなく、成りゆきを見ていた店員たちまでも目を点にして驚いていました。まわりの反応からリコ本人も変な提案をしたのだと気づいたようですが、どこが変なのかわからないようです。

「あなた、正真正銘のお嬢様のようね」

 少女に呆れられて、正真正銘のお嬢様に見えるだけで庶民のリコは不思議そうに首を傾げました。リコの仕草が少女の神経を逆撫でました。

「ドレスを一着仕立てるのに、どれほど時間が必要なのか考えたこともないのでしょう。半日で仕立てられるわけない。そんな凄腕の仕立屋がいるなら、会いたいものね。もしも、いるならだけど」

「いますよ」

 リコは平然と答えて、少女は一瞬言葉を失いました。

 平凡な仕立屋では、とても半日で仕上がりません。例えばですが、正確な採寸を目測でおこなえて、型紙を使わずに僅かな狂いもなく裁断するような技術でもなければ……。その程度のことはククリ様なら余裕ですし、絡繰人形のわたしも可能でした。

 けれども常識で考えれば、半日でドレスを仕立てられるような仕立屋はいないのかもしれません。

 少女の怒声が飛びました。

「いるはずないわ、適当いわないで! わたしに追い打ちをかけて、楽しんでいるの! 本当にいるなら、ここへ連れてきてみなさいよ!」

 もちろんリコに悪気はありません。

「はい、すぐに連れてきます」

 と一礼して、わたしのもとへ歩み寄ると「メアリ姉さまなら仕立てられますよね。華々しい社交界デビューができるようにドレスを仕立ててあげてほしいです」と、わたしの服の袖を握りました。

「わたしは構わないのですが、先約はブローバ様なので、そちらを済ませてからになると少々厳しいかと」

「なら、大丈夫そうですね。わたしは一旦ビオラ城に戻り、事情をブローバさんに伝えてきます。お願いします、メアリ姉さま、助けてあげてください」

 妹の頼みなので引き受けたいのですが、先約を優先するのが基本です。

 なので、条件を出しました。

「はじめに少女のドレスの作製に着手しますが、事情をブローバ様に伝えて、もしも了承を頂けないのであれば中断して、ブローバ様の衣装から作ります。それでよいなら」

 リコは頷いて、わたしを引き摺るように少女のもとまで戻りました。

「半日でドレスを仕立てられる凄腕の仕立屋を連れてきました」

「連れてこられました、仕立屋です」

 わたしたちの遣り取りは、知らない人から見れば喜劇――滑稽で嘲笑を誘うような喜劇です。凄腕の仕立屋を連れてこいと言われたから、そのあたりにいた客を連れてきて、おざなりに済ませようとした。そういうふうに勘違いさせてしまいます。わたしの見た目は、とても仕立屋に見えませんから。

 予想したとおり、とことん馬鹿にされたと少女は憤慨しました。

「適当に選ぶにしても、せめて、仕立屋を選びなさいよ! あそこにも、あそこにも仕立屋がいるのに、どう考えたら、この人が仕立屋に見えるのよ。……いいえ、あまりに綺麗で、他の人が目に入らなくなるのもわかるけどさあ」

 リコは罵倒されて、わたしは綺麗だと褒めていただけました。

 少女はひとしきり肩で息をしたあとに、どうしてか爽やかな笑い声をあげました。

「……ふふ、あはは、馬鹿みたい。あなたと話してたら、ぜんぶ、馬鹿々々しく思えたわ。わたし、どうしようもないことで泣いて、店の人にも迷惑かけて、あなたに八つ当たりまでして」

「いえいえ、わたしは気にしていませんよ」

 リコは大きく手を振りながら「本当に、気にしていませんからね」と繰り返して言い含めました。

 そんなときに、突如「あ、あの!」と甲高い頓狂な声が上がりました。声の主――クリノリンは手まで上げていたので、みんなの注目が一斉に集まりました。

「その人は、間違いなく仕立屋です」

 クリノリンにはビオラ様のもとで仕立屋をしていると話していました。少女はしばらく呆然としていましたが、わたしを見上げて窺うような声で尋ねました。

「本当に仕立屋なの?」

 答えたのは、またしてもクリノリンでした。

「はい、わたしの知るかぎり、一番腕のよい仕立屋だと思います」

「……そう、なんだ」

 少女は目を伏せました。

 しばらくして顔を上げると、リコへ向き直り、正式に謝罪しました。

「あなたは……リコは、はじめから善意で声を掛けてくれたのに、誤解していました。今日は人生で最高の一日になるはずなのに、わたし自身が駄目にしてしまい、もうどうにもならないと拗ねていました。ごめんなさい。それと、ありがとう。声を掛けてくれて」

 次いで少女は、わたしに向き直りました。

「あなたに仕事を頼みたいところだけど、申し訳ありません。仕立てて頂いても、手持ちがアウレウス金貨三枚しかないの。そういうことだから、もう、わたしに構わないで」

 希望から目を背けて逃げるように、少女は立ち去ろうとしました。

 わたしは遠ざかろうとした手をにぎり、引き留めます。

「……離して」

 と、背中を向けたまま冷たい声で言いました。

 人の優しさに縋ろうとしない。図々しくなれない。善意を拒んでしまう。少女のすがたは、パグリシア当代、ビオラ様――これまで見てきた貴人のすがたと重なりました。

「わたしは今まで、アウレウス金貨一枚で仕立ててきました。夜の社交界までに、あなたのドレスを仕立てることもできます。もしも仮に、あなたを満足させるものが仕立てられなければ、注文を破棄しても構いません。いかがですか」

 少女は振り返り、ラピスラズリのような碧眼を細めて、わたしを見定めようとしていました。

 なにを企んでいるの? どうしてそこまで自信があるの? ここでヘタな仕事をすれば、僅かな対価をえられないのはもちろん、仕立屋として築いてきた名誉さえ損ねてしまうのに。満足な仕事をするには時間が足りなくて、満足な仕事をしなければ不名誉な噂が広まるかもしれないのに。それとも本当に、半日で満足するほどのドレスが仕立てられるとでもいうの。

 戸惑いと疑念、僅かばかりの希望を含んだ眼差しでした。

「……どうして、そこまでしてくれるの」

 絞り出すような声で尋ねられました。

 わたしは瞼を閉じて、貴人証時計の修理を引き受けたときの、ククリ様のすがたをデータから再生しました。少女の疑問の答えは、そこにありました。再生を終えて、瞼をひらきます。

「仕立てた衣装で人を幸せにすること。仕立屋には、そのようなプライドがあります。目のまえで悲しんでいる人がいて、わたしの仕事で笑顔にできるなら、見捨てたくありません。そのような薄情者になりたくありません」

 わたしは言葉を止めると、少女の瞳を見つめ返しました。

「あなたの笑顔が見たいから。それが理由では答えになりませんか」

 少女の瞳に、希望の色が広がるようでした。

 暗く沈んでいた瞳はひかりを湛えて、涙が一滴、頬を伝いました。

「わたしは、あなたの仕立てた衣装を着て、社交界にいきたい」

 一言ひとこと、言霊を宿すように、少女は言葉にしていきました。

「夜の社交界までに、わたしの衣装を仕立ててください」


     *  *  *


 ドレスを仕立てるのにビオラ城まで戻ると余計な時間も掛かるため、オ・グラン・モゴルの作業部屋を一室貸して頂くことにしました。店の奥、客の立ち入らない狭い通路をクリノリンを先頭に、少女、わたしの順番で歩いていきます。通路には布地やアクセサリーなど商品の在庫が置かれていたり、余りのドレススタンドが置かれていたり雑然としていました。

 裏口近くの一室で足を止めると「こちらです」とクリノリンは扉をひらきました。

 普段は仕立屋の作業部屋として使われていることもあり、衣装を仕立てるのに必要な道具は一式あるようでした。

「明日までは使用予定もありません。ご自由にお使いください」

「ありがとう、クリノリン」

 クリノリンは静かに首を左右へ振ります。

「いいえ、感謝するのはこちらです。わたしたちではどうすることもできなくて……。メアリッサ様がいなければ、お客様を笑顔で送り出すことができませんでした。本当に、ありがとうございます。それと先程のメアリッサ様の熱弁。おなじ衣服業界に生きる者として、大事なものを思い出しました」

 クリノリンは一礼して「ここの正面の部屋でわたしは事務仕事をしていますので、必要なものがあれば気軽に申しつけください」と出ていきました。

 部屋の中には少女のためにアームチェアと童話の本も用意してありました。アームチェアは、貴人との打ち合わせなどで使われているものを運び込んだようです。使用感はありますが、座り心地はよさそうでした。童話の本は、少女のために購入してきたようです。

「まずは採寸よね、脱げばいいの?」

 首元のリボンに手を掛けたところで、

「いいえ、必要ありません。採寸はすでに目測で済ませました」

 わたしが答えると、少女は手を止めて半信半疑の眼差しでこちらを見てきました。通路を移動するときに少女のうしろを歩いていたのは、採寸と動きの特徴を調べるためでした。

「目測だと、大まかなサイズしかわからないわよ」

「いいえ、仕立てるのに問題ない精度です」

 わたしは目測で導いた数値を読み上げました。身長、首囲、肩幅、袖丈、順番に数値を読み上げていましたが、胸囲のところで「いい、もういいから」と止められてしまいました。

「目測なのに、道具で測るよりも正確なんて、わたしの常識がまるで通じないわ。でも本当に、腕利きの仕立屋なのね」

「ありがとうございます」

 わたしは一礼したあとに、少女にアームチェアへ座るように促しました。

 アームチェアは少女には大きいようで、足の爪先を伸ばしてようやく床に着くくらいの高さがありました。少女は足もとに縫いぐるみを置いて、膝のうえで童話の本を広げました。宙ぶらりんの足を交互にぱたぱたさせながらページを捲ります。

 これから作業をするので邪魔しないで大人しくしてほしい。アームチェアへ座らせた理由をそのように勘違いしているようでした。はじめに服を脱ごうとしていたように、とても利口ですが齢相応のらしさはありません。

 わたしは少女のまえに一脚イスを移動させて、向かい合うように座りました。

「しばらく雑談をしませんか」

 少女は本から顔を上げて驚きますが、すぐに楽しむような不敵な笑みに変わりました。

「夜までに衣装を頼んだはずだけど。雑談をするような暇があるの」

 試すような質問に、わたしは笑顔で答えます。

「最高の一着を仕立てるために、必要なことですよ」

 少女は眉根を寄せて考え込むと「……どういうこと」と尋ねてきました。

「まず作業自体は、三、四時間程度あれば問題ありません。……最高の一着は、どのような衣装なのか。採寸した通りに布地を縫い合わせて、豪華絢爛なドレスに仕立て上げても、それはただ、あなたの背格好に合わせた美しいドレスというだけ。着る人のことを考えなくて済むのだから、さほど難しくありません。だれが着ても美しいドレスは、豪華なレディーメードと変わりません」

 オーダーメードは本来、採寸した通りに衣装を仕上げることでした。けれども一流の職人は、癖や特徴を見抜いてアレンジをしたり、細かな要望を取り入れます。仕立屋にもおなじことが言えました。

「あなたの美しさを最大まで引き出すように仕立てられたドレスこそ、最高の一着と呼ぶのではないでしょうか。あなたのことをなにも知らずに、あなたの美しさを引き出すようなドレスは仕立てられません」

 少女は膝のうえで広げていた本を勢いよく閉じました。パタン、と吐き出された空気が、柔らかな癖毛のブロンドを揺らします。

「不思議ね、仕立屋。あなたの言葉ならでたらめでも信じてしまいそうになるわ。三、四時間でなにが作れるの、と怒るところなのに。あなたに任せるなら上手くいく、不思議とそう思えてしまうの」

 少女の指先が、本の表紙を愛おしそうに撫でていました。

 そこへ描かれているのは、少女なら誰もが憧れるような美しいお姫様でした。美しくなりたい、と少女の声がきこえたような気がしました。

「あなたに頼るしかないのだから、いいわ。……そう、雑談よね、どんな話をすればいいのかしら」

「夜の社交界の話をしましょう。憧れの紳商の社交界だから出席したいとのことですが、ノヴァ当代も今夜、社交界を開催すると耳にしました」

 少女の目が嬉しそうに輝きました。

「ええ、そのとおりよ。わたしはノヴァ当代の社交界でデビューするの」

 恋人との惚気話をするときのように、自慢気でうわついた声でした。

 わたしとリコがビオラ様のもとで暮らしているのは、今は伏せたほうがよいかもしれません。ここでの会話がビオラ様へ伝わるかもしれないと構えられては困りますし、使用人のリコに八つ当たりしていたことに動揺するかもしれません。

「なぜ、ノヴァ当代に憧れているのですか」

 少女は俯くと、静かな声で語り始めました。

「ノヴァ当代が現れるまでは……。ううん、今でも女商人は軽く見られているわ」

 わたしは相槌を打ちました。

 ビオラ様は普段から青年のような恰好をして、商談のときには意図して声を低く、言葉遣いも男性的なものに変えていました。紳商と呼ばれるまえなら、女性というだけで軽く見られ商談でも不利になることが多いでしょう。ビオラ様は性を捨てて、商談へ臨まれていました。

「わたしの父とノヴァ当代は、三度ほど商談したことがあるんだけど、一度目の商談のときよ。父は、小娘が商人の真似事などして、と思わず悪態をついたらしくて」

 あまりに失礼な言葉ですが、商談のテーブルに着いただけよいとも思えました。女商人とも取引をするという意思を示していますから。唾棄していたなら、そもそも商談しようと会うことさえありません。

 少女は顔を上げて、上機嫌に話しました。

「父の暴言にノヴァ当代は怒りもせず、こう答えたらしいの。商人の世界は、男女の区別なく拓かれた世界だと、商才さえあれば成功するのだと紳商におそわりました。今はまだ真似事でも、あなたのように立派な商人の背中を見て、学んでいきたいと思います。互いの利益と繁栄のために、本日は、よろしくお願いします。……完璧なまでに父の負けよ」

 小娘でも出来るような楽な仕事ではない、と悪態をついたつもりが、才能さえあれば成功すると返され、立派な商人ともてはやされて、さらには不公平な取引をしないようにと釘まで刺していました。女商人を軽蔑していたなら、相手に不快感を抱かせないビオラ様の雄弁振りに驚かされたことでしょう。

「商人は、男女の区別なく拓かれた世界だなんて、本当は大嘘よ。商人になれるのは男性だけ。大商人でも女性しか産まれなければ、婿を迎えて、商売の命運を託していたの。商人の娘にできるのは、優秀な婿を迎えることだけ。好きでもない人に気に入られるように振舞い、上手く結婚できたとしても、大事な店は結婚相手に乗っ取られるようなものよね」

 軽い口調で話していましたが、そうでもしないと耐えられないのかもしれません。

 女性に産まれたというだけで、大事な店の未来を――祖先が艱難辛苦を乗り越えて築いた店の未来を、他人に託さなければいけない。そういう嫌悪感から乗っ取ると表現したのでしょう。

「今までの、常識をノヴァ当代は変えてくれたわ。わたしの父を、他の多くの商人を……。女性でも立派な商人になれることを証明してくれたの。わたしに兄弟はいないから政略結婚しか道はなくて、なのに、ノヴァ当代は女商人という道を示してくれたの。だれも店の盛衰を他人に任せたくなんてないわ。わたしはノヴァ当代とおなじ道をいくつもりよ。優秀な婿を迎えるために結婚するんじゃない、心から愛する人と結婚するわ」

 希望を与えてくれた先駆者――ビオラ様に憧れるのは当然でした。

 憧れのビオラ様に会えると気合が入り、仕立てたドレスが合わなくなるという遺漏もありましたが、少女は見た目よりも大人びた考えをしているのかもしれません。将来の道を自ら選択して、商人を継ぐと決めているのですから。

 ビオラ様は基盤を作りましたが、女商人は決して楽な生きかたとはいえません。これまでの常識通りに婿を迎えて店を任せるほうが楽でしょう。多くの人が歩いた道は、踏み均されて安定しているのも事実です。

「今夜の社交界でノヴァ当代と顔見知りになれたら、いろいろ勉強になるはずだわ。わたしは近づきたいの。……ううん、本当は一言だけでも伝えたい。ありがとう、と。……ああ、ノヴァ当代は、どんな人なのかな」

 アームチェアから身を乗りだすように前屈みになると「ねえ、仕立屋。あなたはノヴァ当代と面識はあるの」と尋ねてきました。

「ええ、ありますよ。知りたいですか」

「いい、言わないで。気になるけど楽しみがなくなるもの」

 少女はアームチェアの背板に凭れると、ふう、と短く息を吐きました。

「ノヴァ当代に憧れてる理由は、これくらいね」

「はい、ありがとうございました」

 わたしはイスに腰掛けたまま一礼して、次の質問をしました。

「今日が社交界デビューということですが、ソーシャルダンスは踊れるのですか」

 少女は腕を組んだあとに、ふふふ、と不敵な笑い声をさせて肩を揺らしていました。

「馬鹿にしないで、大得意よ」

「馬鹿にしたわけではありませんが、大得意でしたか」

「ええ、もちろんよ。優秀な婿を迎えるために、ソーシャルダンスくらい踊れなくてどうするの」

「商人になればよろしいかと」

 ラピスラズリのような碧眼で睨まれてしまいました。

「ああもう、仕立屋。あなたとの会話は、たまに噛み合わないわ。踊れるところを見せてあげたいけど、残念、ダンスパートナーがいないわね」

「でしたら、パートナーはわたしが務めます」

 少女は驚いたように目を丸くして「仕立屋は踊れるの」と尋ねてきました。

 わたしは腕を組んだあとに、ふふふ、と不敵な笑い声をさせて肩を揺らしました。

「馬鹿にしないでください。ダンスの経験はありませんが、人より上手い自信はあります」

 ソーシャルダンスのデータも一通り入れてあるので、どのように身体を動かせばよいのかなど経験がなくてもわかりました。上手く踊れるという自信はあります。

「仕立屋、あなた自信がどこからくるのかわからないのだけど、面白いことをいうわ。もちろん褒めてないわよ」

 膝に置いていた本を脇に抱えて、少女はアームチェアから跳ねるようにおりました。本を机に置いたあと、わたしへ小さな手を差し伸べてきます。

「わたしが鍛えてあげるわ、人並みに踊れるくらいにね」

「人並みより踊れる自信はあるのですけれど」

 差し伸べられた手に、わたしは手を重ねました。


     *  *  *


 少女のソーシャルダンスの腕前は、わたしに引けを取らないほどでした。

 わたしは感嘆して「さすがですね」と褒めたのですが、上目遣いに睨まれて「どうしてこんなに上手いのよ、はじめてのくせに」と不興を買いました。いくら商人を目指していても、不興まで売買してほしくありません。

 ダンスのあとにクリノリンに頼んで、少女のハーブティーを用意してもらいました。リラックス効果の高いリンデンをメインに、少女の嗜好に合わせて三種類ほどブレンドしたものです。

 精神的に疲れていたところへダンスの疲れも重なり、ハーブティーを空にしたあとすぐに少女は眠りにつきました。アームチェアへ深くすわり、小首を傾げて、縫いぐるみを抱いて穏やかな寝息を吐いています。

 わたしは裁縫の準備へ入りました。

 完成形のドレスを思い描いて、必要な材料を逆算して用意していきます。クリノリンに一声かけると「一緒に選びますね」と事務仕事を中断して、ふたり並んで、オ・グラン・モゴルの店内へ戻りました。

 客にまじり、ビオラ様とブローバ様が雑談していました。

 ブローバ様は私服で、ビオラ様はいつもの青年のような服装ですがキャスケットを深くかぶり目もとをかくしていました。大き目の衣装を着ていることもあり、ビオラ様の胸は目立たず本当に青年のようでした。なにも知らなければ、逢瀬を楽しんでいるように見えたかもしれません。

 リコが事情を伝えたあとに、オ・グラン・モゴルまで来たようです。リコはいないようなので、ブローバ様の代わりにビオラ城で仕事をしているのかもしれません。わたしは雑談していたふたりへ歩み寄りました。

 ビオラ様は気づくと軽く手をあげて、

「こんなところで会うとは奇遇だね、凄腕の仕立屋さん」

 と、おどけるような口調で挨拶してきました。

 ビオラ様の口振りから、今回の騒動の顛末をリコは詳しく話したようです。

「社交界の準備はよろしいのですか」

「エコーに任せているから問題ないわよ。わたしの本番は夜だから、準備にいても邪魔なだけ。夜まで適当に油を売ることにしたわ、商人らしくね」

 ビオラ様の軽口のあと、ブローバ様は会釈して挨拶の代わりとしました。

「リコから話をきいて、こちらに参りました。わたしの衣装より、優先したい仕事があるんですよね。社交界デビューするのに頼んでいたドレスが合わなくて、代わりのドレスをメアリッサ様が仕立てると」

「申し訳ありません」

 一礼して謝罪すると、ブローバ様は「どうして謝るのですか」と不思議そうな表情をしたあとに、大きく手を顔のまえで振りました。

「違います、わたしのような庶民より貴人の依頼を優先するのが普通ですから。今回は至急用意しないといけませんし、むしろ優先してあげてください。……でないと、こちらが申し訳なくなります」

 ブローバ様の仰るように、今回は急ぎの仕事なので優先しました。けれども庶民より貴人を優先すべきだというのは疑問が残りました。

「庶民よりも貴人を贔屓したほうが、のちに利益を生むかもしれません。ですが、そういうことに興味はありません。いいえ、わたしの仕事で喜んでもらえることより大事なこととは思えません。わたしの勝手な都合でブローバ様に迷惑をかけてしまい、申し訳ありません」

 わたしの謝罪に、ビオラ様は「許すと答えないと、延々、謝られてしまうよ」と笑うような声でブローバ様に耳打ちしていました。

「ああもう、許してます、許してますから。……もしも申し訳ないと思うなら、社交界のために最高の衣装を用意してあげてください」

「はい、もちろんです」

 ブローバ様は安心したように微笑んだあと「あ、あの」と話を繋ぎました。

「もしもよろしければ、ビオラ様と一緒にメアリッサ様の仕事を拝見してもよろしいですか」

 社交界の準備が終わるまでは時間もあり、ブローバ様は提案したようでした。ビオラ様も「名案だね」と乗り気ですが、わたしは首を左右へ振り「できれば仕事を覗くのは遠慮してください」と断りました。

 ブローバ様はハッとして、

「こちらこそ配慮が足りませんでした、気が散りますよね」

 と、あたまをさげます。

 理由は違いましたが「ごめんなさい」と、もう一度礼をしました。

 本当の理由は、少女が寝ているからでした。静かにしても、人気が煩くて起きてしまうかもしれません。ドレスが仕上がるまでは寝かしてあげたいのと、他にも理由がありました。憧れのビオラ様にはじめに見られるのが寝顔ではあまりにも可哀想だからです。

「衣装が完成するまで、ここにいるのは大丈夫ですか」

「はい、構いませんよ」

 ブローバ様は「よし」と小さくこぶしを握り締めました。オ・グラン・モゴルはドレスからアクセサリーに至るまで、一日いても飽きないほど商品の種類は豊富でした。

 わたしはドレスを仕立てるために必要な布地の種類と長さをクリノリンに伝えて、わたし自身はアクセサリーの置かれた商品棚へ向かいました。様々なアクセサリーの中から、宝石のように美しく輝くクリスタルガラスのペンダントトップを探していました。

「仕立てるのに必要なんですよね。どのようなものを求めているのですか」

 今回の経緯を承知しているのでしょう、店員が気を利かせて声を掛けてくれました。

 わたしは小さいけれどダイヤモンドのように輝くクリスタルガラスを摘まみとり、店員に見せました。

「デナリウス銀貨一五枚で、こちらのペンダントトップはいくつ買えますか」

 店員は驚いたように目を白黒させて「三〇〇個ほど買えますけれど」と答えてくださいました。一個はアス銅貨一枚と書かれていたので、いくらか値引きしてくれたようでした。

「三〇〇個では少ないですね」

 わたしのひとり言に「少ないのですか」と店員はさらに驚きました。

 ペンダントトップを正しく使うなら、もちろん一個あれば事足ります。店員のあたまの中には、首から三〇〇個のペンダントをさげた愉快な少女のすがたが思いうかんでいるのかもしれません。

「このサイズなら最低でも五〇〇個は欲しいので、質を落とさなければいけませんね」

 ドレスの布地はデナリウス銀貨七枚まで値段を抑えました。少女の小柄な背格好に対して布地の量は多いのですが、社交界用のドレスを質素なものにするわけにはいきません。

 ドレスを華やかに飾るためのペンダントトップは、布地の倍くらいの予算で考えていました。クリノリンのチップ、リコの給金、作業部屋の使用料――そのあたりで調整して、アウレウス金貨一枚に収まるように計算していました。

 店員は青ざめて「在庫、見てきます」と店の奥へ消えていきました。


     *  *  *


 ペンダントトップは種類も多く、安価なものになれば不合格品も大量にありました。

 クリスタルガラスには問題がなくても、石座やチェーンを通すところが歪んでいると不合格品になるようです。宝石であれば作り直すところですが、クリスタルガラスは割り引いて売られていました。石座などを作り直せば、売価より経費のほうが高くつくようです。

 不合格品は半額でよいとのことで、クリスタルガラスに問題ない小粒のものを六〇〇個ほど買いました。

 大きさは揃えられましたが、色沢は様々でした。

 ドレスはソーシャルダンス向きのワンピースにしました。布地をティアードのように重ねて、胸もとから足へかけて青から濃紺に緩やかなグラデーションを描くようにしました。六〇〇個のペンダントトップにチェーンは通さず、代わりにドレスへ縫いつけていきます。

 すべて縫いつけてドレスは完成しました。

 ドレススタンドへ掛けると、六〇〇個もの輝きはサーキュラースカートのギャザーのなかへ消えて、火が消えたように大人しいドレスへ変わりました。上品さこそありますが、控え目で、フープドレスほど人目は引かないでしょう。

 わたしは完成したドレスを眺めたあとに、寝息を吐く少女のもとへ歩み寄りました。

「お借りしますね」

 抱いていた縫いぐるみに手をかけて一言断りを入れますが、もちろん返事はありません。

 少女を起こさないように静かに取り上げると、顔の正面にかかげました。なにかの獣をモチーフにしているようですが、可愛らしくデフォルメされていました。上品なドレスに可愛らしい縫いぐるみでは、幼さを目立たせてしまいます。未婚者も多く出席するとはいえ、社交界は大人の世界。可愛らしい縫いぐるみを抱いていては、妹のように可愛がられても対等に見られることはありません。

「大事な縫いぐるみなので、勝手なことをすれば怒られるかもしれませんね」

 怒られるのも甘んじて受け入れようと思いながら、わたしは縫いぐるみに針を入れました。


     *  *  *


 そろそろ起こそうかと思い始めた頃、少女の吐く息のリズムが変わりました。

 甘えるようなくぐもり声を上げたあと、緩やかに瞼がひらきました。寝起きであたまも働いていないらしく、閉じかけた目で作業部屋のなかを見回して、ここがどこか確かめていました。

 しばらくして眠るまえのことを思い出したようでした。

 天井へ向けて大きく腕を伸ばしながら欠伸して、とろんとしたラピスラズリのような碧眼でわたしを見てきました。

「おはようございます」

「……うん、おはよ。ずいぶん寝た気がするわ」

 少女は寝ぼけ眼をこすりながらのんびりと挨拶を返しますが「……あれ」と呟いたあとに、目をぱちくりと瞬かせて一気に覚醒すると、アームチェアの足もとを覗き込んで青ざめました。

「ゲデヒトニスがいないわ」

「ゲデヒトニス、ですか」

「ええ、そうよ。わたしの縫いぐるみ、仕立屋は知らない?」

 少女は説明しながら、尻のしたを確かめたり、背板で潰していないかと振り向いて背中を見たり、必死に探しながら、けれども見つけられず「かくれてないで、出ておいでえ」と縋るような声で呼んでいました。

 わたしは背中にかくしていた縫いぐるみを顔のまえに出して、いつもよりも低い声で答えました。

「お嬢様、わたくしはここですよ。わたくし、ゲデヒトニスはここでございます」

「もう、仕立屋。意地悪しな……」

 安心した少女の声は途中で消えました。

 わたしは縫いぐるみの横から顔を出して、少女の反応を窺います。少女はこちらを指差して、目と口を大きくひらいて驚いていました。

「今夜は、お嬢様の社交界デビューです。お嬢様をエスコートするのに相応しい衣装を……わたくしの夜会服を仕立てるように仕立屋へ命じました」

 わたしは低い声から、いつもの声に変えました。

「はい、ゲデヒトニス様から命じられて、燕尾服を仕立てました。……いつもは、その、なにもおめしにならず、破廉恥な恰好をされていますから」

 縫いぐるみの低い声へ変えます。

「破廉恥とは笑止……いいや、羞恥。いかがでしょう、お嬢様、わたくしの夜会服は」

 布地の余りで燕尾服を仕立て、玩具のシルクハットとモノクルをつけました。縫いぐるみの可愛らしさに気品を足したような雰囲気で、有名小説の怪盗紳士を思わせるような恰好です。

「わたしも、上手く仕立てられたと自負しているのですけれど」

 いつもの声で尋ねたあとに、少女の返答を待ちます。

 少女は両手を胸にあて、興奮を鎮めるように深い呼吸を繰り返していました。落ち着いたところでアームチェアから飛びおりると、こちらへ歩いてきました。

 わたしの目のまえで立ち止まり、手を伸ばしてきました。

「ええ、とても素敵よ、ゲデヒトニス。エスコートして頂けるのでしょう」

「無論でございます、お嬢様」

 少女に縫いぐるみを返すと、顔のまえに持ち上げて「とても紳士に見えるわ、まるで怪盗紳士アルセーヌのように」と、ダンスを踊るように一回転したあと、縫いぐるみを抱きしめました。

「ありがとう、仕立屋。腹話術も上手いのね」

「まだ、感謝するのは早いですよ。ゲデヒトニス様の燕尾服は、ドレスを仕立てたあとに時間に余裕がありましたので、ついでに仕立てただけですから」

「ああ、そうよ。わたしのドレスはどこなの」

 少女の手をにぎり「こちらですよ」と、作業部屋から連れ出しました。クリノリンに一言、これからドレスを着せると伝えて、着替えのための部屋へ移動しました。

 部屋のまえに着くと、少女は、わたしの手を強く握りしめていました。今日ここで、頼んでいたドレスを着ようとしたのかもしれません。人生最高の日から最悪の日に転落した恐怖の記憶は、自然とからだを硬くしていました。

「部屋の中に用意しています」

 一声かけてから、扉を開けました。

 少女は硬く目を閉じて、恐る恐るというふうに薄く瞼をひらいて、部屋の中央に置かれたドレスを見ると一気に目を見張りました。

 ドレススタンドに掛けられた一着のドレスは、少女に着られるのを待つように静かに、けれども確かな存在感をはなちながら佇んでいました。

 青と濃紺のグラデーションのワンピースドレスは、少女から幼さを消して、大人の女性に近づきたいと背伸びするように上品なものです。縫いぐるみは幼さを強調するものでしたが、ドレスと一揃いに見えるよう燕尾服を着せることで、可憐さの中に齢相応のらしさを感じさせるようにしました。

 わたしの手を振りほどくと、少女はドレスへ近づきました。

「本当に短時間で、これほどのドレスを仕上げるなんて。仕立屋、あなた凄いわ」

「ありがとうございます」

 わたしは遅れて部屋のなかへ入りました。

 半日という短い時間では、ドレスを仕立てることさえ難しいのだと思います。少女は、短時間で仕上げられたのが凄いことだと――時間さえあれば、平凡な仕立屋でもこれくらいの仕事はできるのでしょう。

「ありがとう、あなたのおかげで恥を掻かなくて済みそうよ」

 社交界で恥を掻かないだけのドレスを仕上げてくれた。ドレスの美しさに驚くことはなく、けれども人並みの衣装で出席できることに安心したのだと思います。

「屈辱的な言葉ですが、今はまだ、本来の美しさを発揮していません」

 本来の美しさ――六〇〇個のクリスタルガラスは、ドレススタンドに掛けられているうちは一粒の輝きさえ見えません。

「どういうこと」

 少女は首を捻りますが、わたしは微笑んで誤魔化しました。

 少女にドレスを着せて、脱いだ衣装を紙袋へ入れます。

「姿見があればいいのだけど。……まあ、いいわ」

 着替えのための部屋には全身を映す大きな鏡がありますが、ここへドレスを運んだときに見えないように死角へ移動させました。

 オ・グラン・モゴルの店内へ戻ると、店員たちの視線が集まりました。

 あちらこちらから店員たちの称賛の声が飛んできて、喧騒に顔を上げた仕立屋がこちらを見て「ほう」と感嘆の声を上げました。貴人も仕立屋も一度はこちらに視線を向けますが、一〇秒もしないうちに興味を失います。

 称賛はありますが、驚きはありません。

「今日は本当にありがとう、仕立屋」

「いいえ、まだ仕事の途中です。微調整が必要かもしれません。社交界のために仕立てたので、ここで一度、踊りませんか。動きに違和感があれば調整します」

 あたりを見回して、踊れるだけの広さがあるのを確認すると「いいわよ」とクリノリンに紙袋と縫いぐるみを預けて、手を出してエスコートを求めてきます。少女の手をとり、入口近くの広いところへ移動しました。

 五人ほどの店員と、一般客の振りをしたビオラ様とブローバ様が周りを囲んでいました。

 ソーシャルダンスが始まると、一拍置いて、驚きと戸惑いの声が上がりました。

 ――こんな仕掛けがあるなんて。凄いわ、動きに合わせて変わるのね。綺麗なのはもちろん、新しいモードになるかも。生きているわ、ドレスが生きているわ。生きているなんて。でも、そう言いたくなるのもわかるわ。

 店員たちの漣のような騒めきは、次第に客たちの興味を誘いました。

 衣装を見たときは一〇秒ほどで興味を失くした貴人も仕立屋も、一度でも少女のダンスを見れば、目を奪われて瞬きすら忘れていました。波紋が広がるように、オ・グラン・モゴルの店内は歓声で溢れていきました。

 ドレスの本来の美しさを目の当たりにしているのでしょう。

 上々の反応に、仕立てたわたしも誇らしくなりました。

「仕立屋、ダンスの最中によそ見をしない。……ところで、あなた、なにをしたの」

 まわりの大袈裟な反応に少女も気づいて、訝しげな目で見上げてきました。

「ダンスの最中に雑談はいけませんよ。集中しましょう」

「あとで訊くからね」

 と、少女は拗ねた表情をします。

 けれども不機嫌な表情は長くもたず、まわりの反応に弥が上にも上機嫌になりました。自慢のソーシャルダンスを、瞬きも忘れるくらいに熱心に見てくれて嬉しくならないはずがありません。

 ダンスが終わり並んで会釈すると、割れんばかりの拍手が鳴り響きました。

 店員、客を問わず、貴人、仕立屋を問わず。ここへ居合わせた人たちはみんな、少女の美しさに拍手をおくりました。なかなか鳴り止まない拍手も段々と落ち着いて、頃合いを見て少女は背伸びをすると、わたしに耳打ちをしました。

「そろそろ教えなさいよ。あなた、なにをしたの。仕立屋の仕業でしょう」

「はい、種明かしをしますね」

 少女の手を引いて、全身を映す大きな鏡まで移動しました。

 少女は姿見のまえに立ち、首を傾げていました。

 鏡に映るのは上品なワンピースドレス。一見すると、美しいものの変哲もないドレスでしかありません。いくら上手く踊ろうと、あれほどの注目は集められないと感じているようでした。

「こうしていると、上品なドレスですが……」

 わたしはサーキュラースカートを摘まんで広げました。

 ギャザーにかくれていた六〇〇個ものクリスタルガラスが現れます。上品なドレスは一転して煌びやかなドレスへ変わり、少女は声さえ上げられず驚いていました。

 わたしはスカートを摘まんで広げたまま、少女の肩から顔を出しました。

「約束しましたよね。あなたの美しさを最大まで引き出すように、ドレスを仕立てると。わたしの仕立てたドレスは、あなたが着て、あなたが踊らなければ、本来の美しさを発揮できません。あなたのダンスに併せて、ドレス自体も表情を変えていくのですから」

 摘まんでいた手を離すと、クリスタルガラスの輝きは段々とかくれて消えていきました。

 はじめから見えるところへクリスタルガラスを配置すれば、きらきらと目に煩く、あざとくさえ感じるかもしれません。上品に仕立てると人目を引くことはありません。

 動きの少ないときには上品さを、動きの激しいダンスではあざといくらいの華やかさを――。少女の動きに併せて輝くドレスは、いくつもの表情をもち、どのような衣装にも引けを取らないと思います。あざとく感じさせずに、けれども人目を引く――本来は矛盾したふたつを両立させようと考えた結果でした。

「でも、ひとつだけ、不満があるわ」

 少女は鏡を見つめたまま、静かな声で言いました。

「周りの人たちに見えても、わたしには一番美しいところが見えないわ。わたしの踊りを見ていた人たちが羨ましい」

 少女の動きに併せて表情を変えていくドレスは、一面鏡張りの部屋でも用意しなければ本人には見えません。叶うことなら観客のひとりになり、刻一刻と変化していくドレスを見てみたい。わたしには最大級の賛辞でした。

 少女は肩を揺らして上機嫌に笑いながら「あーあ、残念」と楽しそうに仰いました。

 しばらくして少女は鏡に背を向けると、わたしを見上げました。

「本当に、ありがとう」

 ラピスラズリのような碧眼に涙がたまり、今にも溢れそうになりました。

「今日は人生最高の日だわ」

 と、わたしに抱き着いて胸に顔を埋めました。

 少女の柔らかなブロンドの癖毛を撫でながら「まだ早いですよ。このあとに社交界デビューをするのでしょう」と返しました。社交界を終えて、ようやく最高の一日になるのですから。

 少女は頷いて、しばらくすると離れます。

 クリノリンに預けていた縫いぐるみと紙袋を受けとり、袋の中からアウレウス金貨三枚を取りだしました。

「仕立屋、あなたはアウレウス金貨一枚でよいと仰いましたが、あなたの仕事がアウレウス金貨一枚でよいはずがありません。アウレウス金貨二〇枚でいかがでしょう。今日は持ち合わせが少ないので、残りは後日ということになりますが」

 商談に臨むように口調を変えて、少女は丁寧にはぎれよく話しました。

 アウレウス金貨一枚で仕事を引き受けたはずですが、二〇倍もの大金を払いたいと仰います。少女の提示した金額は、庶民の五〇〇日の給金に相当しました。

「アウレウス金貨一枚で引き受けたのですから、配慮は不要ですよ」

「あなたに配慮したわけではないわ」

 と、少女は肩を竦めました。

 大きく息を吸い込んで、アウレウス金貨二〇枚の意味を話してくれました。

「商人の心構えに、こういう言葉があるの。不当に安いことは、不当に高いことよりも罪なこと。安くすると、もちろん客は喜んでくれるわ。儲けは無くても、客に喜んでもらえるだけでいいと思うような商売人もいるわ。一見すると、なにも悪くないように思えるけど」

 わたしは相槌を打ちました。

 客も喜んで、商売人も合意しているなら、なにも問題ないように思いました。

「でもね、安くしたことで困る人たちもいるわ。不当に安くしてしまうと、業界全体の価値がさがるの。腕のよい職人ほど、仕事に見合うだけの対価を受けとらなければいけない。そうしなければ、他の職人は仕事を頼まれなくなり、あなたより低い値段で仕事を受けなければいけなくなるの。客に喜んでもらうのは大事なことだけど、業界全体の利益を守るほうが大事なのよ。わたしとあなたは友人でもなければ、あなたも仕立屋業界の衰退を望んでいるわけではないのでしょう」

 アウレウス金貨一枚で引き受けたのだから、と頑なに譲らず、少女の言葉を無視することもできました。でも、したくありません。少女の言葉は正しくて、適正な代金を払うことは商人の矜持もあるのでしょう。

 わたしは少女の矜持を守りながら、他の解決策を模索しました。

「では、友人になりましょう」

 紳商でも友人には不当に安く譲ります。ビオラ様からシャトヤンシーのイヤリングを購入したときのように。少女と友人になればアウレウス金貨一枚で仕事をしても、仕立屋業界の価値をさげることはありません。

 わたしは手を差し出しますが、少女は一瞥しただけで握手してくれません。

「仕立屋、あなたとは友人になれないわ。名前も知らない人と友人になれるわけ――」

「メアリッサ、わたしの名前です」

 言い終わるまえに名乗ると、少女は目をぱちくりと瞬かせました。

「本当に、わたしと友人になりたいの」

 疑うような声で返されたので「なりたいです」と、すぐさま答えました。

 少女は「……そう」と静かな声でこたえて、目を逸らしました。図々しいと思われたかもしれません。次の作戦を練ろうかと考えていると、少女は足もとに座り込みました。なにをしているのか見ていると、紙袋と一緒に足もとに置いていた縫いぐるみを手に立ち上がり、顔のまえに掲げました。

 わたしが縫いぐるみで腹話術をしていたように、少女は低い声で縫いぐるみが話しているように言いました。

「ドロッセル・フォン・フリューゲルでございます、メアリッサ様。これからも、ドロッセルお嬢様と仲良くしてください」

 少女――ドロッセルはもとの高い声で「……もう、余計なことを」と悪態をつきます。

 わたしは縫いぐるみを掴んでいたドロッセルの手をとり、無理やり握手しました。縫いぐるみが足もとへ落ちていきます。ドロッセルは目を合わせてくれませんが、手を払いのけもしません。

「友人なら、不当に安くても問題ありませんね、ドロッセル」

 しばらくしてドロッセルは、わたしに横顔を向けたまま小さな声で答えました。

「……建前だけの友人なんていらないわ」

 仕立代を安くするためだけに友人になるつもりなら、そんなものは求めていない。これからも友人として関わり合いたい。もしも建前だけで友人になりたいというのなら、今すぐに、その言葉を取り消して。

 ドロッセルの一言には、多くの意味が含まれていました。

「はい、もちろんです。これから、よろしくお願いしますね、ドロッセル」

 わたしが答えると、ドロッセルはようやくこちらを向いてくれました。

 頬を染めて、はにかみながら、

「よろしくね、メアリッサ」

 と、あらためて友人同士の握手をして、ドロッセルは約束のアウレウス金貨一枚をわたしに握らせました。これから仕立てるときの条件に、わたしと友人になること、と足そうと思います。

「素晴らしいわ」

 声と共に、どこからともなく、わざとらしい拍手の音が鳴りました。

 拍手をしたのはキャスケットを深くかぶり、青年のような恰好をしたビオラ様でした。ビオラ様はリズムを取るように拍手しながら、こちらへ近づいてきます。

 ドロッセルは、声にこそ出しませんが『だれよ、あんた』と不審者を見るような眼差しで、憧れのビオラ様を睨んでいました。

「不当に安いことは、不当に高いことよりも罪なこと。……ええ、全くよ。わたしも商人として、先の言葉に、身が引き締まる思いがしたわ。よければだけれど、わたしも友人になりたいわ。どうかしら」

 ビオラ様は手を差し出して握手を求めますが、ドロッセルは相変わらず訝しそうに見ていました。憧れの人が目のまえに居るのですけれど、友誼を求められているのですけれど……そうとは知らないドロッセルは今にも断りそうな雰囲気です。

「あなた、わたしの話を聞いてないの。名前も知らない人と友人になれないわ」

 ドロッセルの尊大な態度に、

「これは失礼。その通りだわ」

 ビオラ様は優雅な動作でキャスケットを左手でとり、キャスケットごと左手で大きく円を描くようにまわしてから腹にそえて、右手を背中へまわします。浅く前屈みになり名乗りました。

「申し遅れました。わたしの名は、ビオラ。ビオラ・ツェン・ノヴァと申します」

 ドロッセルの瞳が大きくひらいて、呆然とビオラ様を見ていました。ぱくぱくと口を開閉させていますが、驚きすぎて声は出ないようでした。

「花壇の女王、ビオラの花のように多くの人から愛され……どうしたの!」

 ちからが抜けたように膝を着いたドロッセルに、ビオラ様は慌てて手を伸ばして倒れないように抱き寄せました。ドロッセルを抱き起すような恰好で手をにぎり「ねえ、本当にどうしたの。大丈夫」とビオラ様はしきりに声を掛けますが、反応はありません。

「心配しなくても大丈夫だと思いますよ」

 わたしが代わりに伝えると、ビオラ様も人心地ついたようでした。

「……ビオラ、様……なの……」

 二〇秒ほどして、ようやくドロッセルから返事があり、ビオラ様は安心したように微笑みました。

「ビオラでいいわよ、ドロッセル」

 ビオラ様に抱き起すような恰好で支えられているのに気づいて、逃げるような素振りをしましたが、上手くちからが入らないようでした。逃げるのは諦めて、ビオラ様の顔を見上げて尋ねました。

「ビオラは、本当にビオラなの」

 ビオラ様は「面白いトートロジーだね」と笑いました。

 ドロッセルは馬鹿な質問をしたと頬を染めます。わたしは質問の意図を汲んで答えました。

「はい、本当ですよ。あなたを抱き起しているのは、正真正銘、あなたの憧れた女商人、ビオラ・ツェン・ノヴァです」

 ビオラ様は「わたし、憧れられてたの」と驚くと、気恥ずかしそうに苦笑しました。

 ドロッセルは改めてビオラ様を見上げて、次第にラピスラズリのような碧眼に涙が溜まりました。

「はい、憧れています。だれよりも」

 頷くと涙が頬へ流れました。

 ビオラ様はキャスケットをドロッセルのあたまへ乗せました。ドロッセルには大きいキャスケットは、耳まで覆いかくします。

「これは友誼の証。わたしも友人にしてくれるよね」

 しばらくしてキャスケットが大きく頷きました。ビオラ様はできたばかりの友人を愛おしそうに抱きしめていました。


     *  *  *


 ビオラ様とドロッセルは、社交界の時刻まで一緒にオ・グラン・モゴルでアクセサリーなどを選びながら、談笑していました。ドロッセルは終始恥ずかしそうにしていましたが、ビオラ様の飾らない性格に徐々にですが打ち解けているようです。

 社交界の時刻になると、ふたりは一緒にスチームコーチへ乗り込みました。

 ブローバ様とわたしは、ふたりを見送り、そのあとにオ・グラン・モゴルの店内へ戻りました。ブローバ様の衣装を仕立てるための布地などを買うためです。

 いつものようにクリノリンに、一緒に布地を選んでほしい、と伝えると、ドレスを仕立てた作業部屋でブローバ様の衣装も仕立ててほしい、とお願いされました。ドロッセルのドレスを仕立てたことで興味がわいて、わたしの仕立てた他の衣装も見てみたい、とそいうことのようです。

 折角の機会なので、兼ねてからのクリノリンとの約束――クリノリンを仕立てるという約束も一緒に果たそうと思いました。

 クリノリンを仕立てるという話はすぐに、オ・グラン・モゴルの店員たちに広まり、完成したのは夜遅くでしたが、誰一人、帰宅していませんでした。

 入口のプレートはOPENからCLOSEに変わり久しく、けれども店内は営業中のように明るく賑わいをみせていました。ブローバ様とクリノリンに仕立てた衣装を着せて、わたしは一足先に店内へ戻りました。

 わたしが現れると騒いでいた店員たちは閉口して固唾を呑みました。

 ブローバ様とクリノリン、ふたりが店内に現れた瞬間に、ステージショーのように盛り上がりました。ふたりとも注目を集めることに慣れていないらしく、照れたように頬を染めていますが誇らしそうでもありました。

 わたしも仕立ててほしい、とひとりが言うと、わたしも、という声が次々と上がりました。

 その様は、クロンを仕立てたときの使用人たちの反応と変わりません。

 わたしは、一日に一人、オ・グラン・モゴルの店員を仕立てると約束しました。

 料金はアウレウス金貨一枚、順番は話し合いで決めてほしい、わたしと友人になるという条件もつけました。今日は、ドロッセル、ブローバ、クリノリン――三人の友人ができました。

 夜遅く、スチームコーチの助手席にブローバを乗せて、店員たちに見送られながら帰路に就きました。

 壮大なビオラ城は眠るように霧をまとい、窓から洩れる明かりも僅かしかありません。

 社交界も終わり、もとの静寂を取り戻していました。

 ドロッセルは今頃、帰りの馬車に揺られている頃だと思います。今夜の社交界デビューの話なども含めて、一度挨拶をしておきたいと思いましたが、またの機会になりました。

 ブローバと別れたあとに、わたしは寝室に入り、テーブルのうえに一通手紙が置かれているのに気づきました。キャンドルスタンドに火を点けて、手紙を手に取りました。裏面にドロッセル・フォン・フリューゲルとサインがあり封蝋がしてあります。

 手紙をひらいて、キャンドルスタンドの明かりを頼りに読みました。明かりは無くても視覚情報を上げれば読めますが、暗闇では読むのにも時間が掛かります。はじめて頂いた手紙、友人からの手紙。早く読みたいと気が急きました。

 一秒と掛からず内容を記憶しましたが、わたしは一時間ほど手紙を眺めていたと思います。

 ドロッセルからの手紙には、次のようなことが書かれていました。



   幸せの女神 メアリッサへ


 今夜の社交界について、メアリッサに一言でも報告をしたいと考えていたのですけれど、まだ戻られていないようなので手紙を書くことにしました。本当なら、あなたに直接言葉で伝えたいのですけれど、このような形になり申し訳なく思います。――と、堅苦しい挨拶はこのくらいにして。

 あなたのせいで、足が棒だわ。

 みんな、わたしと踊りたくて次々とダンスに誘われたの。

 誰が一番、わたしを美しく踊らせられるか、なんて妙な勝負まで始まり、わたしはもうへとへとのくたくた。社交界のあいだ、休ませてくれないんだもん。

 ……あ、でも、メアリッサのせいだけでもないわ。

 ビオラが『今日は友人の社交界デビューでもあるんだ。美しいだけでなく、商才溢れる若者だから、みんなも歓迎してほしい』なんて紹介するから。

 ローブデコルテ、フープドレス、他にも見たことのないようなドレスを着た人もいたわ。

 みんな華やかで美しく、でも、わたしが一番注目を集めていた。

 メアリッサに出会わなければ、反対の意味で注目を集めていたかもしれない。

 わたしの頑張りが仇となりドレスのサイズが合わなくて、でも、神様はどこかで見ていてくれたのかもしれない。わたしを哀れんだ神様は、女神のすがたで現れたのかもしれない。メアリッサはわたしを幸せにしてくれる女神だから。

 一応、書いておくけれど、今日は人生最高の日。

 もう、断言してもいいのよね。

 社交界デビューを素敵なドレスで果たせたこと。憧れのビオラと友人になれたこと。なによりもあなたと、メアリッサと友人になれたことが嬉しい。また手紙を書くから、返事を書いてくれたら嬉しいわ。

 今度、会いにいくわ、ゲデヒトニスと一緒に。

 いつとは約束できないけれど、近いうちに。


   あなたの生涯の友人 ドロッセル・フォン・フリューゲル

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