仕立屋
五日振りにビオラ城へいくと、主城の門のところにリコがいました。わたしを見つけて一瞬驚きましたが、みるまに満面の笑みへ変えて駆け出すと、わたしの胸へ飛び込んできました。
「メアリ姉さま、メアリ姉さま、わあ、どうしたのですか」
胸に顔をうずめて燥ぐリコに、
「元気なのはよいですが、淑やかになれば更によいです」
と、さりげなく窘めました。
わたしの胸もとから顔を出したリコは「いつまで一緒にいられますか」と、大きな瞳で見上げて尋ねてきました。今回の仕事は、時計に銘を入れるだけです。正直に答えるとリコを悲しませるような気がしました。
わたしはククリ様のほうを向いて、困り顔をしてみました。
「今回は、銘を入れるだけの簡単な仕事だからね」
ククリ様の一言で、予想通り、リコは今にも泣きそうになりました。
「正直なところ助手は必要ないんだ。仕事はすぐに終わるんだけど、ビオラ城の絡繰の点検を一通りしようと思うから、リコさん、しばらくお世話になります。それと、余計な仕事を増やしてしまうんだけど、メアリはまだビオラ城に不慣れだから、面倒を頼みたいんだ」
リコは目をぱちくりと瞬かせて「メアリ姉さまと一日中、一緒にいてもよいのですか」と、信じられないように呟きました。本当に一日中、一緒では困ります。わたしの食事シーンはリコに見せれませんから。
「うん、頼めるかな」
「はい、もちろんです。任せてください」
元気よく答えたリコは、もう一度、わたしを見上げてから胸に顔をうずめました。
ククリ様の仰るように、わたしはビオラ城に不案内でした。
貴人証時計の修理のときは、六一日間、ビオラ城ですごしましたが、いつもククリ様の目の届くところにいました。会話らしい会話をしたのもリコくらいです。会話も、朝食のときにククリ様が食べ終わるまで、他愛ない話をするくらいでした。他の使用人と話してみたいという思いもありましたが、ククリ様の迷惑になるかもしれないと控えていました。
今回は、ビオラ城で自由にすごしてよい、とククリ様は遠回しに許可してくださいました。
「でも、ククリ様が自ら絡繰技師紐の仕事をするなんて、珍しいですね」
紐とは役職のことで、上級管理職を指していました。
ビオラ様を頂点に、料理の責任者はコックチーフ(最近ではシェフという呼びかたもするようです)、メイドの責任者はメイド紐、絡繰技師の最高責任者は絡繰技師紐のククリ様になります。
紐の仕事は多岐にわたり、仕事の割り振りから雇用に至るまで、一手に担います。職名の由来も、多くを束ねる紐からきていました。
「そうなのですか」
わたしは尋ねながら、ドレッサーのスツールにリコを座らせました。
ビオラ城散策のまえにリコを盛装しようと、わたしの寝室へまねいていました。ワインレッドの天蓋つきベッド、五灯の真鍮シャンデリア、オーク材のドレッサー。リコがいつも清掃してくれた寝室は、落ち着いた女性の雰囲気がありました。
「メアリ姉さまと一緒にいられるようにしてくれたのだと思います」
「ええ、そうかもしれません。ククリ様は優しいですから」
「はい」
わたしの起動された日に、衣装で着飾るのは女性の楽しみのひとつ、とビオラ様は仰いましたが、どのように楽しめばよいのか未だにわかりません。リコを盛装すれば、喜んでくれると思います。楽しみかたの参考になるかもしれないと企んでいました。
「リコ、あなたは宝石のように美しいわ。けれども宝石も手入れをしなければ、輝きは失せてしまいますよ」
宝石も汚れていては輝きません。着用したあとは柔らかい布で軽く拭くなどして、汚れを落とさなければいけません。汚れがひどくなれば、ブラシなどを用いて磨く必要もありました。
リコは叱られたと勘違いしたようで、申し訳なさそうに俯いてしまいました。
しばらくして、鏡の向こうから上目遣いにわたしを見つめて、自信なさそうに小声で話しかけてきました。
「メアリ姉さま、わたしは本当に美しいのでしょうか。顔は雀卵斑だらけで、姉さまのように肌も白くありません。褒めて頂けるのは、嬉しいですけれど……」
わたしは鏡のなかのリコへ向けて微笑みました。
「それでは、リコ、勝負をしましょう」
「勝負、ですか。メアリ姉さまと?」
リコは呆然と繰り返して、次いで苦笑しました。
「メアリ姉さまに勝てる気がしませんけれど。どんな勝負ですか」
勝負ということで、リコは、身構えたようでした。
「リコは容姿に自信がないのでしょう。これからリコを盛装して、自信が持てたなら、わたしの勝ち。今のまま変わらなければ、わたしの負け。どうかしら」
リコと勝負するのではなく、リコの心に住み着いた弱気に勝てるかどうかです。勝敗を決めるのはリコ本人でした。
リコはからだを強張らせて、全身で返事をするように頷きました。表情が暗いのは、自信なんて持てるはずがないと考えているに違いありません。緊張していれば、勝てる勝負も勝てなくなります。
はじめに、ランプブラックの髪を束ねていた白のリボンを外しました。
いつも束ねているせいで、リコの髪は少しだけ癖毛でした。一見するとパーマネントのようにも見えますが、雀卵斑と合わせると素朴にすぎて見えます。
ドレッサーから櫛をとり、まずは目の粗いほうで軽く梳かしてから、反対に持ち替えて目の細かいほうで丁寧に梳いていきます。櫛歯のさきに手を添えて、優しく撫でるように櫛をあて、時間をかけて梳かしました。
時間をかけたのは、勝負と意識して緊張していたリコをリラックスさせる目的もありました。リコは「心地よいです、メアリ姉さまあ」と甘えた声で言います。程よく緊張も解けたようでした。
「ええ、そうですよ。手入れは心地よいものです」
リコの髪は見違えるように艶やかになり、サイドの髪をうしろへ集めて目立たない黒のリボンで留めました。ハーフアップという髪型で、美しい黒髪とあわせると上品に見えます。これだけで印象もずいぶん変わりました。
髪の手入れが終わると、リコをこちらへ向けさせました。しばらくリコの顔を眺めながら、どのようなテーマで盛装していこうかと悩みました。リコの顔立ちはよく、長い睫毛が瞳を大きく見せていました。嬉しいときには愛くるしく、悲しそうに俯いたときにさえ睫毛が影を落として哀愁を漂わせます。
リコは恥ずかしそうに身動ぎしていましたが、こちらを向いたままでいてくれました。
「……あのう」
いよいよ耐えられなくなり、リコは訴えるような声をあげて、わたしは手をひとつ叩きました。
「化粧は必要ありませんね」
「ええー、でも雀卵斑ですよ。髪を手入れして頂いたのに、台無しにしてしまいます」
リコは不満そうに言います。ついでに雀卵斑の頬を膨らませました。
リコの顔には、鼻筋から頬にかけて雀卵斑があります。リコの自信のなさ、自らの美しさに気づかないのは、雀卵斑を好きになれないことが原因のように感じました。よく動く表情と雀卵斑は幼さを強調してしまいます。ですが、喜怒哀楽を素直に出すことは、欠点ではありません。
化粧をすれば雀卵斑を目立たなくすることもできました。化粧した顔を好きになることで、自信を与えることも可能でしょう。けれどもリコの雀卵斑は決して欠点ではありません。
リコを宝石のように美しいと誉めそやしたのは、雀卵斑も含めてでした。
美しく磨かれた宝石に化粧をおこなう人などいません。美しく飾り立てたように思えても、本来の美しさを消してしまうからです。宝石を美しく飾り立てるための化粧とは、緻密な装飾をした土台にあたるもの。イヤリングでもネックレスでも、宝石そのものの美しさを引き立てるように作られます。リコに必要なのは宝石を輝かせるための手入れであり、化粧などしなくても美しいことに気づいてほしいのです。
「ええ、雀卵斑は宝石の濁りのようなものかもしれません」
「……はい」
わたしの言葉で気落ちしたらしく、リコは沈んだ声で答えました。自らの欠点を指摘されるのは、いくら自覚していても堪えるものですから。ごめんなさい、と声に出さず謝り、わたしはドレッサーに置かれていた宝石箱をあけて、リコに似合いそうなアクセサリーを探しました。
「リコの美しさを宝石に例えるなら、クリソベリルでしょうね」
「クリソベリル、ですか」
馴染みのない宝石に、リコは首を傾げながら繰り返しました。
宝石箱は、自由に使えばよいとビオラ様から借りたものです。ビオラ様は宝石に興味がないようで、きちんとわけて管理していますが、高価のものも安価なものも、種類さえ等閑に入れてありました。思い返せば、ビオラ様が宝石を身につけていたことはありません。
「ええ、クリソベリルは種類も豊富で、最も高価なものはアレキサンドライトと呼ばれています。このような宝石ですよ」
小指の先ほどの大きさのアレキサンドライトを取りだすと、リコの手のひらへ置きました。高価であると伝えたせいかリコは緊張していましたが、やがて美しいブルーグリーンの宝石に見惚れて目を細めました。
「暗くしますね」
一声かけてから、明かりとりの小窓を閉めて、次にシャンデリアのスチームライトを消します。テーブルのキャンドルスタンドへ火を点けると、蝋燭の火が淡く揺らめきました。わたしはスタンドを持ち上げると、蝋燭の明かりをアレキサンドライトへ近づけました。
「わあ!」
リコは声を上げて驚きました。
ブルーグリーンのアレキサンドライトは、蝋燭の明かりを浴びてレッドパープルに変化したからです。リコの表情は次第に見惚れるように変わりました。リコの表情を見ていると、様々な色彩に変化していくアレキサンドライトと重なりました。『リコもおなじように、表情がよく動きますね』と、そのようなことを本人に伝えてしまえば『メアリ姉さまは、意地悪です』と拗ねてしまいそうです。
こうして宝石に見惚れるのは、貴人でも庶民でも変わらないのでしょう。本当に美しいものは、地位など関係なく、だれをも魅了してやまないのです。
しばらく眺めて満足したのか「どうしてわたしを、このような美しい宝石に例えられたのですか」とリコは不思議そうに尋ねてきました。わたしは蝋燭を吹き消してから、明かりを点けました。
「いいえ、リコをアレキサンドライトに例えたわけではありませんよ。アレキサンドライトは色彩の変化が明確であるほど価値が高く、日中はエメラルド、夜中はルビー、と例えられます。クリソベリルのなかで最も高価なのは、このような性質からですよ」
「そうなのですね。……でも、高価なのもわかります。色の変わる宝石なんて、今まで知りませんでした」
リコの手からアレキサンドライトを摘まみとり、宝石箱へ戻しました。
「さて、リコに質問します。先に述べたように、アレキサンドライトはクリソベリルのなかで最も高価な宝石です。では、二番目に高価な宝石には、どのような特徴があると思いますか」
リコは腕を組んで「うーん」と声まで出しながら考えていましたが、わからないようでした。
知識があるなら、クリソベリルに例えた理由もわかるはずです。その宝石をリコが好きになれるなら、雀卵斑も好きになれるような気がしました。
「ええと、濁りのない澄んだ宝石だと思います」
多くの宝石は澄んでいるほどに価値が高く、そのような知識はリコもあるようでした。
「残念、違いますよ。その宝石は澄んでいません。けれども、澄んだ宝石よりも高値で取引されています」
リコは大きな目を瞬かせて「そのような宝石もあるのですか」と驚いていました。
正解して褒められたいのかもしれません。リコは「なら磨き上げた大理石のように。なら漆黒に輝くように……」と、様々な答えを述べていきます。
「リコ、勘で答えても当たりませんよ」
「ぶうう、メアリ姉さまは意地悪です。宝石の知識なんて、あるわけないですもん」
とうとうリコは拗ねてしまいました。
「申し訳ありません、意地悪でしたね。アレキサンドライトに次いで高価なクリソベリルは、シャトヤンシーですよ」
「シャトヤンシー、ですか。どのような宝石なのです」
正解をおしえるとリコは機嫌を直して、興味津々に尋ねてきました。
宝石箱の中から、リコに似合いそうなシャトヤンシーのイヤリングを取りだしました。リコは待ちきれないとばかり、わくわくして手を差し出してきます。
「こちらですよ、わたしがリコに例えた宝石は」
手のひらに乗せると、リコは息を呑んで目を細めました。
淡いイエローの色彩に、縦に一本ひかりのラインを描いたような宝石です。リコは目を輝かせながら、鮮やかなシャトヤンシーに見惚れていました。リコの美しさとシャトヤンシーの美しさは、本当によく似ていました。
「リコはシャトヤンシーのひかりのラインを、醜いと思いますか」
尋ねるとリコは小さく首を左右へ振り、わたしは続けて「淡いイエローの色彩を、醜いと思いますか」と、尋ねると、おなじように否定しました。
「リコは雀卵斑を醜いものと考えているようですけれど、おなじですよ」
「……わたしと、おなじ」
実感を含んだ声でリコは呟いたあとに、もう一度「わたしと、おなじ」と今度は確かな声で刻むように言いました。
「濁りのない澄んだ宝石だけでは、こうも美しく輝きません。シャトヤンシーが高価なのは、ふたつの異なる美しさがあるから。リコの雀卵斑はひかりのラインとおなじように、わたしには美しく見えます」
わたしは語りかけながらイヤリングを取り上げて、リコの耳へつけていきます。クリップオンイヤリングなので、穴のないリコの耳にもつけれました。リコは満面の笑みを湛えて、イヤリングを指先で弾くようにしながら「でも、少しだけ残念です。イヤリングでは宝石が見えませんから」と声を弾ませていました。
「うしろに鏡があるわ」
ドレッサーの鏡が見えるように、からだを半回転させると「わあ!」とまた声を上げました。
「素敵でしょう」
リコの肩から顔を出して、鏡越しに話しかけます。
「はい、とても」
リコは夢心地な声で返事しました。
「リコ、あなたは美しいわ。雀卵斑さえも、あなたの美しさを引き立てるための、あなただけの化粧ですよ。かくしてしまうのは、勿体ないでしょう」
雀卵斑を欠点だと思い込んでいた気恥ずかしさもあるのか、リコは照れたように頬を染めて小さく頷きました。
「メアリ姉さまの勝負、絶対に姉さまは負けると思いました。でも、そんなことありませんでした。わたし、雀卵斑も好きになれそうです。こんなにも、シャトヤンシーは綺麗だから。わたしも負けられない。ううん、姉さまの言葉を信じたい」
一番美しいものは、リコの自信に満ちた笑顔ですけれど、とわたしは胸のなかで思います。いくら美しく飾り立てても、自信がなければ輝くことはありません。
「メアリ姉さま、わたし欲しいです。わたしに例えられた宝石なので、少々高いのは承知していますけれど、いくらほどで買えるものですか」
イヤリングを揺らしながら振りかえり、わたしに尋ねてきました。
高価なものが多いビオラ様の宝石の中でも、自信を持たせるために最も高価なシャトヤンシーを選んでしまいました。リコの知識は宝石は高価なもの程度のようです。
「そうですね、そのイヤリングと同等のシャトヤンシーであれば、庶民の給金で一周期ほどでしょうか。アウレウス金貨で三〇〇から四〇〇枚程度です」
「――……ふえ?」
リコは奇妙な声を上げたあとに、赤く染めていた顔を青くさせました。
リコの給金はわかりませんが、人の一生が三周期半ほどなので、おばさんになるまで貯金すれば買えるかもしれません。それほどまで宝石は高価で、庶民には手の届かないものでした。
「宝石は、性質と大きさで、値段は大きく変わります。手頃な宝石もたくさん」
「買い、ます……」
リコは呟いて、わたしは絶句しました。
リコの声は気合に満ちているというより、絶望の淵で嘆くように弱々しいものでした。
「あの、無理をしなくても」
「いいえ、絶対に買います! メアリ姉さまのおかげで、わたし、雀卵斑も好きになれそうだから。気づけたのは、イヤリングのおかげです。姉さまがシャトヤンシーに例えてくれたから、わたし、自信が持てました」
さて、困りました。
リコに自信を持たせるためにしたことが、裏目に出てしまいました。いいえ、目的は達せられたのですが、思わぬ副作用がありました。きかんぼうリコは宝石の値段に一度尻込みしたものの、説き伏せるのは難しそうです。貯金は悪いことではありませんが、使い道が高価な宝石となれば話は違います。
「リコ、シャトヤンシーは高価ですが、庶民でも手の届くものもありますよ。小振りで美しさも値段相応になりますけれど」
「違います、メアリ姉さま。綺麗だから、大きいから。そのような理由ではなく、わたしはこれがいい。姉さまの選んでくれた、わたしの宝石だから」
諦めさせるのは、わたしでは無理かもしれません。
「それほど気に入られたのなら、わたしからプレゼントします。かわいい妹を着飾るのは、姉の楽しみですから」
リコは驚いたように大きな黒目を瞬かせて、首を左右へ振りました。
「駄目です、いけません。わたしはメアリ姉さまの世話係です。世話をされたうえに、このように高価なものを頂くなんて、とても」
わたしは次々と文句の飛びだずリコの口を人差し指でふさぎました。
「思い違いをしていますよ、リコ。一番いけないのは、姉から楽しみを奪うことです」
リコは申し訳なさそうに、わたしを見上げていました。
口をふさいでいた指を離して、微笑みながらリコを見つめ、静かな圧をかけながら「いいですね、わたしからのプレゼントです」と有無を言わせない口調で諭しました。きかんぼうリコもようやく折れて、小さく頷いたあと、愛くるしい表情でわたしを見つめてきました。
「メアリ姉さま、大好き」
「ええ、わたしもよ」
はじめてわたしから、リコを抱きしめました。
リコの温もりを胸の奥で感じながら、わたしは思います。リコが自信を持つためのプレゼントなら、ひとつも惜しくありません。惜しくはありませんけれど、わたしは絡繰人形です。仕事をしているわけでもなく、給金も頂いていません。
頂くのは、燃料の石炭くらいでした。
おそらくビオラ様に相談すれば『ああ、わたしには不要だからね。好きなのをあげるわ』と、パンをあげるような気軽さで仰るような気がします。けれども、わたしは相応の働きで返したいと思いました。
ビオラ様に相談したときに、激しい価格交渉(わたしは値上げを要求しますが、頑として受け入れてもらえません)がおこなわれますが、それはのちに記すとして、リコを盛装していきます。
わたしの衣装の中からリコに似合いそうなものを選んでは、次々と着せていきました。
リコは感情豊かに「どうですか」「派手ではありませんか」「少し恥ずかしいですね」「わあ、素敵です」と、着つけるたびに姿見のまえで楽しそうにしていました。どのように楽しめばよいのか、リコに答えを貰えた気がします。けれども、自らを着飾ることよりも、雑談しながらリコを盛装しているときのほうが有意義だと感じていました。
有意義――楽しいと言い換えてもよいかもしれません。
リコの衣装は本人の希望もあり白のドレスに決まりました。パゴダスリーブにティアードスカート、胸もとから首にかけてシルクレースと、見た目は淑やかなお姫様スタイルです。わたしも黒のドレスに着替えてビオラ城の散策へ出掛けました。リコ・ドレスバージョンのお披露目です。主城だけでも桁違いに大きいので、しばらく散策を楽しめそうでした。
リコは着慣れないドレスに、どことなく不安そうにしています。
及び腰のリコの手をにぎり、わたしは妹を自慢するように寝室を出ました。
* * *
リコ・ドレスバージョンは、ビオラ城に小さな事件をもたらしました。
事件はリコの可憐さと共に、わたし、メアリッサの名を一躍有名にしてしまうのです。ククリ様はビオラ城でも知らぬ者のいない絡繰技師の頂点、絡繰技師紐ですけれど、助手のわたしのほうが使用人に慕われるようになりました。それこそ大層な渾名を頂くほどです。
いわく、モードのメアリ。
いわく、幸せの女神。
他にもアウレウスの仕立屋メアリ、美の請負人などなど。わたしも全てを把握していません。
発端は、今回のリコの一件でした。これを始まりとして、わたしは多くの女性たちから相談を受けるようになり、その女性たちが次々と幸せになることから、様々な渾名で呼ばれることになりました。そのような経緯もあり、わたしに会えた日は、よいことが起きるなど変な噂まで流れるようになりました。まるで関係ないと思います。
噂を信じたメイドから『今日は人生で一番素敵なことがありました。お慕いしていたファルクス様から、恋文を頂いたのです。これも今朝、メアリッサ様のお顔を拝見して、さらに声までかけて頂いたからに違いありません。本当に、わたしの恋を叶えてくださり、ありがとうございました』と手紙を頂いたこともありました。
もう一度、書いておきます。
おめでたいことですが、わたしとは関係ないと思います。
今回は、幸せの女神、モードのメアリ誕生の小さな事件について記したいと思います。
* * *
美しく盛装しましたが、着慣れないドレスは恥ずかしいらしく、リコは足もとを見るように俯いて歩いていました。寝室を出てから一〇歩ほど歩いたところで、近くにいた使用人が小さく会釈して「おはようございます」と挨拶してきました。
わたしたちを客人と勘違いしているようで、あたまを低くさげたまま通りすぎようとしたので、わたしは慌てて挨拶を返しました。
「おはようございます。おつとめ、大変かと思いますが、お励みください」
使用人は足を止めて顔を上げると、虚を衝かれたように呆然としていました。
「どうか、なさいましたか」
「い、いえ、お心遣い、感謝します」
客人から挨拶を返されるのは珍しいのでしょう。
「あの、ええと、おはようございます。ブローバさん」
リコはドレスを握りしめて、緊張した声で挨拶しました。
使用人――ブローバ様は、口をひらいて青ざめました。理由は簡単です。客人に名を覚えられているのに、使用人が客人の名を知らないのは失礼だからでした。必死に思い出そうとしているようですが、ひたいに脂汗までうかべていました。
可哀想なので、わたしは助けることにしました。
「仕事の邪魔をして申し訳ありません。……リコ、参りましょう」
「あ、はい、メアリ姉さま。ブローバさん、失礼します」
立ち去ろうとすると「ちょ、ちょい、おまちください」と、ブローバ様は速足でわたしたちのまえに回り込みました。リコのまえに立つと、はじめて目にした食材をどう料理すればよいのか悩むように観察して「リコ!」と頓狂な声を上げました。
「なんて恰好してるの、あんた」
リコは頬を染めて俯くと「メアリ姉さまに、可愛らしく飾り立てて頂いたのですけれど。駄目でしょうか」と不安そうに尋ねました。
「駄目なんて、とんでもないわ。最高よ、最高に可愛いわ」
褒められてリコは顔を上げると、はにかみながら「ありがとうございます」と感謝しました。ブローバの声につられて、わたしとリコを取り囲むように使用人が集まり始めました。その様ときたら、オペラの人気歌手が目のまえに現れても、こうはならないと思えるほど盛況でした。
取り囲んだ三〇人ばかりの使用人たちは、口々にリコを褒め称えました。
「リコ、本当に見違えたわ」
「髪型と衣装を変えるだけで、こうも美しくなるものなの」
贅沢をいうなら、高価なイヤリングをつけているのに気づいてください。ドレスよりも高価なので、気づいてもらえないのは不満です。さらにいえば、わたしのプレゼントですから。
リコは「あの」「その」「メアリ姉さまが」と、はじめは返事しようとしていましたが、次々と話しかけられて圧倒されていました。
けれども、そうなるのも無理はありません。
今のリコは、昨日までとは別人のように美しく見えるのですから。
一番の理由は髪型でも衣装でもイヤリングでもありません。リコを美しく変えた最大の要因は、本人の心持でした。わたしが勝負を挑んで打ち負かした、心に住み着いていた弱気はどこにもいません。リコは照れ臭そうにしながらも、どことなく誇らしそうでもありました。
昨日までのリコであれば『わたしなんて』と俯いて否定していたことでしょう。
「もしかして、リコ。婚約でもしたの」
喧騒の中から飛び出した一言に、あたりが静まりました。
あまりにも予想外の質問で、リコは反応できずに固まり、それを見た使用人たちは肯定と捉えたようです。
「でもリコは、絡繰技師紐の世話係ですよ。ククリ様もリコも、恋人がいたという話もないし。だとしたら、婚約の相手はククリ様かな。……ねえねえ、どうなのよ、リコ」
どんどんと話題は怪しいところへ逸れていきます。
「絡繰技師紐と婚約なんて羨ましいけれど、ククリ様の恰好は、ねえ……。あれよね。無頓着というか、なんというか」
「そうよね。今のリコとククリ様が並んで歩けば、まるで姫様と馭者に見えるわ。どちらが世話係かわからないわよ、ねえ」
「あはは、それ、ククリ様に失礼ですよ」
リコを姫様に例えたのは、とても的確でした。
お姫様に見えるようなドレスを着てみたい、と要望もあり着せたものですから。けれどもククリ様を馭者に例えるのは、本当に失礼です。馭者とは馬の世話をしたり、馬を操る人のことです。馬相手の仕事なので、決して清潔とはいえません。髪は寝癖かもわからないほど乱れていて、服に泥がついていたり、穴があいても気にしないほどに無頓着です。そのような人を馭者というのです。なぜだか、ククリ様のすがたと重なりました。
リコは明るく人好きのする性格でしたが、あがり症のきらいがありました。
一対一なら友人でも、一対三〇ではそうもいかず、しかも話題の中心はリコ本人です。
「……婚約ではないのですけれど」
顔を上気させてリコは呟きますが、他の使用人の声に掻き消されてしまいました。
「ククリ様相手なら、齢だけは似合いよねえ」
「ククリ様は色恋に無関心だと勘違いしてたわ。こんなことなら、わたしが口説いていれば」
「あはは、あなた、鏡というものをご存知かしら」
「ううう、リコがわたしより可愛いのは事実として、あんたも似たようなものでしょうが」
「そうなのよねえ。これほど愛くるしいと嫉妬心もわかないわ。リコ、おめでとう、幸せにしてもらいなさいよ。ああでも、寂しくなるわね」
「ククリ様と婚姻するのだから、これからもククリ様の世話をするんじゃないの。それこそ、うふふ、昼も夜も、お世話をして……。それなら、寂しくならないわ」
「もう、夜のお世話だなんて、淫奔なんだから」
当人を差し置いて盛り上がり、なぜだかリコとククリ様が婚約したことになりました。知らないところで婚約させられていようとは、ククリ様は夢にも思わないでしょう。
どう収拾をつければよいかと悩んでいたときでした。
「あなたたち、なにを騒いでいるの」
突如現れた女性の叱責で、あれほど騒いでいた使用人たちは水を打ったように静まりました。互いに目配せして、だんだんとブローバ様に視線が集まりました。はじめに騒ぎ出したのはあなただから、あなたが説明すべきでしょう、とそのような視線です。
現れた女性は、メイドたちの倍くらい生きていそうな齢で、上等な給仕服を着ていました。
ブローバ様は、今度は説明のために脂汗をうかべていました。
「メイド紐、あの、これはですね」
あたふたと手まで動かしながら、ブローバ様は言い訳を始めました。
使用人たちが委縮していたので、偉い人なのだろうと思いましたが、予想していたよりも高い地位でした。メイド紐はメイドたちを束ねる役職で、ビオラ様直属の使用人です。ククリ様も絡繰技師紐なので、上級管理職なのはおなじですが、地位でいえばククリ様よりも高いのです。というよりメイド紐はビオラ様に次いで偉いのです。
メイド紐はわざとらしく咳払いをすると、ブローバ様は震え上がりました。理由を尋ねたのではなく、仕事を疎かにしていることを咎めたようです。
「メイド紐、騒いでたのはリコがあまりに可愛いから」
というのに空気を読めない使用人が、とても簡素に理由を述べました。
叱られているとは夢にも思わず、なんならメイド紐も一緒に雑談しませんか、と誘いそうな口ぶりでした。
「ふふ、わかりましたから」
メイド紐も毒気を抜かれて、厳しい表情を崩しました。
メイド紐が周りの使用人に目配せすると「さて、仕事仕事」「あ、わたしも」「あそこの床が汚れているわ、大変大変」と、騒いでいた使用人たちは散り散りになり、空気を読めない使用人も「ほら、あなたも仕事に戻りなさい」と促されて「はあい」とのんびりした返事のあとに立ち去りました。
ぽつんと残されたリコは、先程まで上気していた顔を青くしていました。
ビオラ様相手ならリコも緊張せずにときは冗談を交えるほどですが、メイド紐相手では気さくに話せないようです。なにより使用人たちの騒ぎの原因はリコにありました。叱られるとリコは俯いて、からだを強張らせていました。
わたしはリコを庇うようにまえに立つと、ドレスを摘まんで広げながら挨拶しました。
「はじめまして、メイド紐。わたしはククリ様の助手をしています、メアリッサと申します。舘の案内をリコに頼み、折角ならと粧し込みました。ほんの戯れのつもりでしたが、思いの外好評をいただいて、メイド紐の手を煩わせてしまいました。申し訳ありません」
使用人たちが騒いでいたのは、すべてわたしに非があると言い含めました。
「いいえ、よいのです。ククリの助手をするくらいですから、美しいだけでなく、腕のよい絡繰技師なのでしょう。なにより群を抜いたセンスだわ。どうか侮辱と受け取らないでほしいのだけれど、絡繰技師の助手にしておくのは惜しいくらいよ。仕立ての道を選んでも、大成するでしょうね。わたしはエコー。ノヴァ当代のもとでメイド紐をしています。どうぞ、よろしく」
メイド紐――エコー様は礼儀正しく、へそのあたりで手を重ねると会釈されました。
「それで、リコ」
顔を上げたエコー様は、わたしの影のように背中へ張りついていたリコへ声を掛けました。リコは諦めたようにわたしの背中から歩み出ました。エコー様の値踏みをするような視線を受けて、居心地悪そうに身動ぎしています。叱られると怯えているのかもしれません。
エコー様は値踏みしていた目をうすく細めて、柔らかく笑いました。
「メイドたちが騒ぐのも道理ですね、よく似合うもの。シャトヤンシーの耳飾りも似合うけれど、ビオラ様のものによく似ているわ」
さすがは、メイド紐のエコー様です。
きちんと気づいたうえに褒めて頂けたので、盛装したわたしも誇らしくなりました。
リコに代わり、わたしが答えました。
「はい、ビオラ様のものです。ビオラ様に宝石箱を借りていたのですが、リコに似合うものを見つけて着装しました。リコにプレゼントしたいと考えているので、のちほどビオラ様に相応の値段で譲り受けたいと話すつもりです」
エコー様は驚いて目を見張り、リコを見つめました。
リコは「はい」と、はにかんで頷きました。高価なプレゼントを、すんなり受け取るような性格ではないとエコー様も承知しているようでした。エコー様は「……そう」と相槌を打ち、口もとへ手のひらを当てて考えるような仕草をしました。
「ではまだ、正式にリコのものではないのね」
エコー様はひとり言のように呟いたあとに、慌てて「いいえ、咎めるつもりはないのだけれど」と勘違いしないように足しました。
「はい、ビオラ様のものです」
「そうですか」
エコー様は安心したように微笑んで、改めてリコを見つめました。
「それはそうと、ずいぶん思いきりましたね。はじめは客人を取り囲んで騒いでいるかと肝を冷やしました。よく見れば、取り囲んでいたのは、リコなんですから」
弾むように明るいエコー様の声に、リコもつられて笑顔になりました。
「はい、メアリ姉さまに髪を梳かして頂いて、ドレスとイヤリングで飾り立ててくださいました。メアリ姉さまは、本当に凄いんです。わたしの要求に、思い描いていたものより美しく仕立ててくださいました。とてもよくして頂いています」
リコの話に合わせて、エコー様も頻りに頷いていました。
「よい人と巡り合えたのね、大事にするのよ。これからもククリとメアリッサ、ふたりの世話に励みなさい」
「はい、もちろんです」
リコは元気にこたえて、大きく礼をしました。
エコー様も頷いて、今度は、わたしに視線を向けました。
「メアリッサ、わたしからもリコのこと、よろしくお願いしますね」
「ええ、かわいい妹ですから」
エコー様は会釈して立ち去りました。
ビオラ城で一番忙しいのは、おそらくエコー様です。長々と雑談に興じている暇はありません。けれども気に掛けてくれているようで、使用人に囲まれるたびに助けてくださいました。
ただ一言「仕事が進まないわ」と小声で嘆いていましたけれど。
わたしたちが客人のふりをすれば解決するのでしょうけれど、使用人から挨拶されて無視するのも道理から外れます。それ程までに、リコ・ドレスバージョンは人気を博しました。おそらく、このような事態になることをエコー様は予見していたのでしょう。エコー様は聡明で、けれども厳しく、なによりもメイドたちの幸せを第一に考えるような人でした。
先に書いてしまうと、幸せの女神、モードのメアリ誕生にエコー様は大きく関わります。いいえ、エコー様こそ生みの親といえるかもしれません。
* * *
夕食の石炭を頂いたあとに、わたしはビオラ様の私室へ呼ばれました。
こちらもイヤリングの件で話があり、好都合でした。リコにプレゼントしましたが、所有権はビオラ様にあります。まずはビオラ様から購入しなければいけません。
ビオラ様の私室はいうまでもなく、わたしにあてがわれた寝室より豪華でした。
部屋の中央にエンパイア型の一〇〇灯シャンデリアがあり、その奥のアームチェアにビオラ様は腰かけていました。ビオラ様の右側にエコー様もいました。アームチェアは背ボタン締めの黒レザーです。さながら玉座のようでした。アームチェアのうえに三枚ほど肖像画が飾られていました。白壁に黄金で紋章を描いていたり、幾振りもの剣も飾られていました。
まるで上流騎士のような部屋です。
女性の私室をそのように例えるのは失礼ですが、そうとしか例えようがありません。
「呼び出して申し訳ないわ、メアリッサ」
「いいえ、わたしからもビオラ様に相談があるので都合がよいです」
わたしはちらり、とビオラ様の横に控えていたエコー様に視線をおくりました。わたしの合図に気づいたらしく、エコー様は会釈で返してきます。どうやらこちらの要件は、エコー様からビオラ様へ伝わり、そのことで呼び出されたようでした。
「ところでメアリッサ、君の相談というのは」
「ビオラ様から借りた宝石箱のなかに、シャトヤンシーのイヤリングを見かけたのですが、それを購入したいのです」
「わたしには不要なものだからね。好きなものをあげるわ」
思い描いていたようにパンをあげるような気軽さでビオラ様は仰り、なぜだかエコー様は足を踏み鳴らしました。大理石の床が悲鳴をあげるように大きく鳴ります。ビオラ様は怯えるように、びくり、と背筋を伸ばしました。
主を言葉で咎めるわけにはいかないので、床を踏み鳴らして咎めたようです。
「ビオラ様、打ち合わせの通りにお願いします」
エコー様は、ビオラ様だけに聞こえるように囁いたつもりのようですが、人より耳のよい絡繰人形のまえで秘密の会話など出来ようはずがありません。筒抜けでした。ビオラ様の耳もとで、ビオラ様に聞き取れないほど小声で囁いても、わたしには聞こえてしまいます。
わたしは知らない振りをしました。
「そういうわけにはいきません。あれはとても、高価なものです」
「それなら君のドレスも相応に高価なものよ。わたしからのプレゼント」
このようにビオラ様は清々しい性格をしています。ビオラ様の一言に、エコー様は業を煮やして「だから、打ち合わせの通りにしてください!」と叫ぶように大声で咎めました。
大声を出されては、さすがに無視するわけにもいきません。
エコー様のほうを見ながら「打ち合わせ? どのような打ち合わせでしょう」と、尋ねると、エコー様は目をそらして「打ち合わせ? はて、なんのことですか」とわかりやすく誤魔化してきました。
「申し訳ありません。夜の風が、遠くから誰かの声を運んできたようです」
わたしは誤魔化された振りをしようとしましたが、
「ええ、打ち合わせというのは」
と、ビオラ様は正直に答えようとしていました。またしてもエコー様は足を踏み鳴らします。そのように音を立てて踏まれては、床が可哀想になります。ビオラ様の心配はしませんよ。原因はビオラ様にあるようなので。
「打ち合わせなどしなくても、メアリッサなら、こころよく引き受けてくれるわ」
「もしも頼んで断られでもしたら、どうするのです。メアリッサのセンスは群を抜いています。ククリには申し訳ないけれど、絡繰技師の助手に収まるような器ではありません。ククリも手に負えないと自覚しているから、点検のあいだ、メアリッサを自由にしているのではないですか。ですが、メアリッサの意思はわかりません。頼み込むのではなく、取引にすべきです」
「あなたのしようとしていることは、取引ではなく、弱味につけ込むというのよ、エコー。でも、あなたの心配は杞憂にすぎないわ」
「杞憂と思えるほどに、わたしはメアリッサのことを知りません」
「わたしが保証するわ」
「申し上げているように念のためです。きちんと打ち合わせの通りにしてください。よいですね、ビオラ様」
ちなみに、ふたりの会話は内緒話です。
エコー様が惨めに思えますけれど、内緒話なのでまざりませんでした。
「え、ええ、イヤリングが高価なものという話よね」
話を強引に戻したビオラ様に、わたしも合わせました。
「わたしは、様々な衣装をビオラ様に頂きました。もちろん感謝しています。けれどもシャトヤンシーのイヤリングを頂くわけにはいきません。ビオラ様に頂くと、わたしからのプレゼントではなく、ビオラ様からのプレゼントになります。うぬぼれ交じりに言わせてもらえば、わたしからのプレゼントだから、リコは喜んでくれた。だからこそビオラ様から購入して、わたしから贈りたいのです」
そう捲し立てると、なぜだかエコー様から「ありがとう、メアリッサ」と感謝されてしまいました。
ふたりの反応から、打ち合わせがどのようなものなのか、薄々、気づいていました。
明日も今日とおなじように盛装したリコを引き連れてビオラ城を散策すれば、すぐに使用人が集まり、エコー様は仕事ができません。なにかしらの手段を講じて、わたしたちが一緒に出歩かないようにしなければいけない。
リコは、ククリ様とわたしの世話係なので、わたしと一緒に出歩くことになんら問題はありません。わたしはビオラ城に不案内なので、リコと一緒に出歩くのは当然のことでした。問題なのは、使用人が集まることです。
エコー様も仕事を疎かにしている使用人なら咎められますが、きちんと仕事をしているリコを咎めるわけにもいきません。汚れるような仕事でないなら、盛装も禁止されていません。リコを担当から外すこともできますが、不適格の烙印を押すのとおなじでした。
エコー様は悩んだ末に、シャトヤンシーのイヤリングを利用しようと考えたようでした。
ビオラ様は商談をするときの表情になり、しばらく悩んでから低い声で言いました。
「恥ずかしいことに、宝石の価値というものがわからないんだ。二〇では高いだろうか」
わたしはすぐに答えました。
「いいえ、安すぎます。宝石の価値でいえば二〇でも高価なものですが。わたしの購入したいシャトヤンシーのイヤリングは、すくなくとも三〇〇アウレウスの価値があります」
「なるほど、それほどまで高価なものなのか。なら、五〇でどうだろう」
三〇〇アウレウス以上で購入したいという意図を無視して、ビオラ様は仰いました。
わたしは挑発を交えながら、値上げ交渉することにしました。
「わたしの記憶が確かであれば、ノヴァは元々宝石商で財を成したとか。宝石の価値がわからぬほど審美眼が衰えてしまうとは。代々のノヴァ当代が、どう思うことか。ああ、嘆かわしい」
正しくは、宝石商ではなくアクセサリー類全般を扱う商人でした。
さすがのビオラ様も堪えたらしく「ほう、口の巧さは、わたしが鍛えただけあるわ」と不敵に微笑みました。口ではビオラ様と対等に渡り合えると自負していました。
「ならば三〇〇で譲ろう。値段不相応と思いながら、三〇〇にしたんだ。リコに着せていたドレスもつけるよ。いいね」
少しばかり抵抗があると予想していましたが、やけに素直でした。
肩透かしをされたような心地になります。ええ、ここに罠があるなど思いませんでした。ビオラ様は一言も、アウレウスとは仰いませんでした。
「はい、ドレスと一緒に三〇〇で購入します。ありがとうございます」
会釈して礼を述べると、ビオラ様は意地悪く笑いました。
「そうだね、一度に三〇〇アスは無理だろうから、期日は設けないことにするよ」
わたしは耳を疑いました。
内緒話さえ鮮明にきこえてしまう耳ですから、いくら疑おうと正確ですけれど。
「……三〇〇アス? 三〇〇アウレウスの間違いですよね」
ビオラ様は驚いたように目を丸くすると、大袈裟に天井を仰いで、わざとらしくひたいに手を当てました。
「ああ、それは申し訳ないことをした。わたしは三〇〇アスのつもりで話していたんだ。三〇〇アウレウスに値上げしたいところだけれど、商人は一度価格を決めてしまうと、その値段でしか売らないものなんだ。一度纏めた話を反故にすると、信用問題になるからね。今回はわたしたちの思い違いがまねいたものだけれど、申し訳ない。わたしの顔を立て、三〇〇アスで取引したい」
ルミナージュの通貨は、アウレウス金貨が最も高く、次いでデナリウス銀貨。二五デナリウスで一アウレウスです。次いでアス銅貨。一六アスで一デナリウスになります。
四〇〇アスでようやく一アウレウスです。三〇〇アスは一アウレウスにも満たない額でした。
「やられました」
わたしは苦々しい表情を作りました。
ここから値上げするのも無理でした。三〇〇アスで買うのか、それとも買わないのかという話になります。もちろん買わないという選択肢はありません。
「ふふふ、商人に口で勝とうなど、自惚れがすぎるというものだ」
ビオラ様はしたり顔です。
「どこの世界に、三〇〇アウレウスの宝石を三〇〇アスで売り払う商人がいますか」
「おやおや、ずいぶんと気前のよい商人もいたものだね」
「ビオラ様、あなたのことですから」
わたしは大きく溜息を吐いてから「わかりました。三〇〇アスで購入します」と負けを認めました。
「ああ、儲け損ねたわ」
儲け損ねたわりに、ビオラ様は清々しい笑顔をしていました。
価格交渉が一段落ついて、エコー様はオークショニアよろしく手を叩きました。
「はい、値段は決まりました。不当に安いというのはわたしも同意見ですけれど、友人価格で譲るのは紳商でもよくあることですので。ところで、メアリッサ。三〇〇アスとはいえ、そこそこの値段です。あてはありますか、ありませんよね」
エコー様は、わたしが払えないと答えてほしいようでした。
ここでようやく、打ち合わせの全体像が見えてきました。わたしに仕事をさせて、リコと一緒にビオラ城を散策させないようにしようという魂胆です。
三〇〇アウレウスでも三〇〇アスでも、給金を頂いていないのだから払えません。庶民の一日あたりの給金は、およそ、デナリウス銀貨一枚といわれています。三〇〇アスは二〇日ほど働いた給金に相当しました。エコー様の仰るように、そこそこの値段でした。
「すみません。ありませんでした」
正直に答えると、エコー様は安心したように微笑みました。打ち合わせの通りに進んでいるのだから、嬉しくなるのもわかります。けれども、わたしの懐事情が寂しいことに、あまり嬉しそうにしてほしくありません。
「メアリッサに提案なのですが。ククリの手伝いを最優先で構わないのだけれど、余暇で、仕事をしてほしいと考えているの」
「まあ、本当ですか。ありがとうございます、エコー様。それで、どのような仕事を」
わたしはわざとらしく喜んで、先を促しました。
「リコは使用人の中でも五本の指に入るほど美しいと、わたしは感じていました。メイドの仕事は美しく着飾ることではありませんけれど、見栄えのよいメイドは、客人にも喜ばれます。リコの面倒を見ていたメイドにそれとなく伝えるように頼んだのです。リコの顔から雀卵斑が消えでもしないかぎり、わたしには無理ですと匙を投げられてしまいました。リコに自信を持たせるのは諦めていたのですけれど、今日のリコは自信に溢れていました。なにより不思議なのは、雀卵斑を化粧でかくすことなく自信が持てたことです。リコが変われたのは、メアリッサ、あなたのおかげだと、わたしは確信しています」
エコー様は一拍置いて「違いますか」と尋ねてきました。
「そうであると自負しています」
わたしの答えに、エコー様は驚いたように目を見張りました。
確信していると仰いましたが、半信半疑なのでしょう。リコの性格を考えるなら、いくら褒めても委縮するだけで自信を持つことに繋がりません。
「どのような手段を用いたのですか」
これまで泰然と構えていたエコー様は、まえのめりになり興奮しているようでした。
「リコと勝負をしました。リコに自信を持たせられたら、わたしの勝ちという勝負です」
「そのような勝負をしても、緊張するだけではないの」
わたしは頷いて先を話しました。
「はじめは緊張していたので、解すために髪を念入りに梳かしました。リコの自信のなさは雀卵斑と考えていたので、それさえ好きになれたなら、自信が持てると思いました」
「ええ、わたしも同意見よ」
エコー様は相槌を打ちます。
「わたしがしたのは、とても簡単なことです。リコの雀卵斑をシャトヤンシーに例えました。シャトヤンシーには、ふたつの異なる美しさがあり、雀卵斑もおなじように美しいのだと、そのような例え話です」
エコー様は目をぱちくりと瞬かせたあとに「素晴らしいわ、メアリッサ」と手を叩きました。
「ああ、口惜しいものね。これまで誰も解けない難問を、こうも見事に解決されてしまうと。すぐに納得してしまえるのも、本当に口惜しいわ。わたしたちでも解けた問題なのに、諦めていたのだから」
エコー様は興奮を鎮めるように、深い呼吸を繰り返していました。
落ち着いたところで本題へ入ります。
「今日のリコは、どのような貴人であれ見惚れるほどに美しく、とても似合いのドレスを着ていました。衣装のセンス、自信を持たせた手腕。それらを評価して、メイド相手に仕立屋。あとはどのような衣装、アクセサリー、化粧が似合うかなどの相談を受けてほしいの。あなたがリコにしたようなことを、他のメイドたちにもしてあげてほしい。そのような仕事をお願いしたいのです」
多くの人と話す機会が頂けるのは、わたしとしても願うところでした。けれども仕事というからには無償というわけにもいきません。なにより三〇〇アスを手に入れなければなりません。
「わたしに可能なら、引き受けたいと思います。値段はどのように設定すればよいのでしょう」
「相談をメインにするなら、時間も相応に必要ですよね。一日に三名ほどを相手にすると仮定して、ひとりあたり、アウレウス金貨一枚程度が妥当と考えています」
あまりに高額な設定に、今度はわたしが驚かされました。
一日に三名を相手にするということは、一日にアウレウス金貨三枚を頂くということです。アウレウス金貨一枚で、庶民の二五日の給金に相当します。わたしの一日の給金は庶民の七五倍でした。
わたしの仕事にどの程度の価値があるのかわかりませんが、正当な価格とは思えません。
「高すぎます」
わたしが反論すると、エコー様は首を左右へ振りました。
「実績のない者の仕事なら破格にすぎますが、あなたの才能はすでに証明されています。むしろ、あなたの才能を思えば足りないくらいです。実績がないこと、メイドを相手にしてほしいこと。アウレウス金貨一枚程度に抑えてほしいと、こちらの要望でもあります」
評価して頂けるのは嬉しいですが、わからないこともありました。
「仮に、わたしの才能にそれだけの価値があるとして、美しくなることは、どのような意味を持つのですか。エコー様自身の考えを知らないまま、頷くことは出来ません」
美しくなることの意味を、わたしは理解していません。
けれども、わたしを評価しているエコー様に真正面から『美しくなることに、どのような意味があるのですか』と尋ねたら『あなた自身が、誰よりも承知しているでしょう』と返されるような気がしました。だからこそ、エコー様自身の考えを知りたい、と足しました。
わたしの質問を正しく訳すなら、わたしの仕事に対して、エコー様は正しい評価ができるのか、と尋ねたことになります。
「わたしを試しているのですね」
エコー様は不敵な笑みを見せて、すぐに真剣な表情へ変えて答えました。
「わたしは、このように考えています。美しさとは、人生を決めるものだと」
本当に人生を決めるほど重要なものなら、アウレウス金貨一枚の価値があるのも頷けました。
エコー様は、こほん、と咳払いしたあとに、詳しく話してくれました。
「ここで働いていたメイドの中には、貴人と夫婦になり、賓客としておとずれた者も多くいます。本人の気立てはもちろんのこと、美しくなければ歯牙にもかかりません。美しければ、多くの機会に恵まれます。それだけでも素晴らしいことですが、美しさは、人生を前向きに変えてくれるものです」
わたしは相槌を打ちながらも「ですが、顔形は生来によるところも大きいですよ」と反論を試みました。
「そうですね。顔形の美醜は、化粧で誤魔化すこともできますが、大本は変えられません。ですが、醜悪に生まれたら、美に無頓着でもよい。そのように諦めてしまうのは、厳しい言葉になりますが怠惰だと考えています。醜悪に生まれながら美しくあろうとすれば、口さがない人々から、無駄だと笑われるかもしれません」
過去に、そのような人たちを見てきたのか、エコー様の表情が悲しみに歪みました。
「外見の美醜だけでは、性格まではわかりません。ですが、はじめに人を判断するのは外見です。すこしでも好く思われたい、すこしでも美しくありたい。そのように自強している者に、わたしは好感を覚えます。例えばですが、怠惰な美人と身綺麗な醜人、眺めるだけなら美人が好まれても仕事を頼むとなれば多くの者は醜人と答えるでしょう。申し上げたように、はじめに人を判断するのは外見で、外見を疎かにする者は怠惰と思われても仕様がありません。生来の美醜ではなく、美しくあろうとすることに意味があるのです。あなたに任せたい仕事は、美しくなりたいと願う者たちを正しく導いてほしい。美しさを諦めた者たちに、希望のひかりを見せてあげてほしい。あなたの仕事には、そのような意味があると考えています」
熱心なエコー様に、わたしは頷いて応えました。
「エコー様の考えはわかりました。明日からでも、仕事を始めたいと思います」
こうしてメイドを相手に仕事をすることになりました。ひとりでも相談に乗れば、三〇〇アスのイヤリング代を払えます。エコー様が設定した値段があまりに高額なため、ひとり来るかも不安でした。予約というシステムの利便性を実感したのは、翌日のことでした。
* * *
エコー様の提案で働くことになりましたが、いくつか問題もありました。翌日の朝、わたしは石炭の補充を終えたあとに、エコー様との会話を思い出しながら問題点を洗い出していました。
やはり一番の問題点は、アウレウス金貨一枚と高額なことです。
美しさが人生を左右するなら、高額なのも合点がいきます。実績があるなら、妥当な金額かもしれません。わたしの実績といえば、リコを盛装しただけで無いも同然でした。
薄給のメイドがアウレウス金貨と引き換えに、仕事を頼むとは思えません。エコー様に仕事の状況を定期的に報告すると決めていたので、客入りが少なければ金額も含めて見直すことになります。
次の問題点は、わたしの仕事をメイドたちへ広めることでした。
ここはメイド紐のエコー様に頼ることにしました。今日の朝礼で、メイドたちに公表するようです。そろそろ朝礼の終わりの時刻なので、わたしの仕事はメイドたちに周知されていると思います。
「こんなところですね」
問題点を纏めたところで、寝室の扉がノックされました。
近づく足音に気づいていたので、驚いたりしません。足音はふたつありました。ひとつはリコの足音ですが、もうひとつはわかりません。時計のように一定な律動、足音の響きなどから姿勢がよく几帳面な性格をしているようです。
立ち上がり扉をうちへ引くと、リコと知らないメイドが並んでいました。
リコは髪をハーフアップにして、耳にシャトヤンシーのイヤリングを着けていました。ドレスを着ていないのは残念ですが、仕事着なので仕様がありません。
「おはようございます、メアリ姉さま」
「早朝にお邪魔して申し訳ありません、メアリッサ様」
リコの元気な挨拶のあと、知らないメイドは美しい所作で会釈しました。
齢はビオラ様とおなじくらいに見えました。シルクのような光沢のハビットシャツ、うえに重ねるようにピナフォア。華やかな給仕服、あるいはドレスに見えなくもありません。仕事上、上等な服を着用しなければいけない地位のようでした。
顔立ちは、失礼なことをいえば普通で、飾り気もありません。
さがり気味の目尻、厚い唇、肩のあたりで揃えた髪はライトブラウン。どことなく穏やかで優しそうな雰囲気があり、けれども立ちすがたは美しく、一目見て外寛内明な性格をしているのだとわかりました。
「おはようございます。どのような用件でこちらへ」
「メアリッサ様は仕立屋のような仕事をしているとうかがいました。ビオラ様からアウレウス金貨を渡されて、仕立てて貰いなさいと。ご迷惑でなければ、お願いできますか」
差し出された金貨を受けとり、愛想好く頷きました。
「もちろん引き受けますよ」
ビオラ様の口添えということで、どういう地位の使用人なのか確信しました。
「レディーズメイドからの仕事を断るなんて出来ませんから」
レディーズメイドの主な仕事は、主人の世話――ビオラ様の世話係です。ビオラ城だけで仕事をするメイドたちと違い、ビオラ様と共に各地をまわることも多いため、使用人の中では特別に上等な衣装を着ていました。
主人の古着や宝石を与えられることもありますが、ビオラ様は青年のような恰好を好むので、レディーズメイド用に仕立てた給仕服を着ているようです。
「違いましたか」
ふたりとも目を瞬かせて驚いていたので、予想は的中していたと確信していますが、一応尋ねておきました。レディーズメイドは表情を微笑に変えて、
「いいえ、さすがの慧眼です」
と、頷きました。
「凄いです、メアリ姉さま」
手を叩いて飛び跳ねていたリコに「そう難しいことではありませんよ」と、それとなく窘めました。
「常人に出来ることではありません。名乗るまでに見抜かれたのは、はじめてですから。投げた匙を拾うだけはありますね。わたしはビオラ様のもとでレディーズメイドをしています、名をクロンと申します。よろしくお願いしますね、メアリッサ様」
リコは「投げた匙を拾う? なんの話ですか、クロン姉さま」と尋ねると「リコが可愛いという話ですよ」と、クロン様は愛おしそうにリコのあたまを撫でました。雀卵斑が消えないかぎり自信を持たせられない、と匙を投げたのはクロン様のようでした。リコがクロン姉さまと呼んでいることからも、リコの新人教育をしたのはクロン様ということです。
「レディーズメイドから敬称をつけて呼ばれるのは、こそばゆいですね」
「痒いところがあれば、掻いて差し上げたいところですけれど、敬称について改めるつもりはありません。メアリッサ様は、エコー様を唸らせるほどの仕立屋ですから。エコー様は滅多なことでは人を褒めないのですけれど、メアリッサ様の才能は過褒と思えるほどに称賛を尽くしていました。それほどの才能を持ちながら、わたしなどに時間を割いて頂くのは本当に申し訳なく思います」
反論したのはリコでした。
「そんなことありません。メアリ姉さまは、わたしを美しく盛装してくださいました。わたしよりクロン様に時間を使うほうが有意義です」
「あなたはもとが可愛いから、仕立てがいもあるのよ。メアリッサ様に仕立てられてからは、見違えるほどに美しくなりました」
クロン様の微笑みの中に、僅かな自嘲もまぎれていました。
「わあ、ありがとうございます」
リコは素直に喜びます。こういう純真なところもリコの好ましいところですけれど、舞い上がらずに援護をしてほしいと思いました。リコの援護があれば、クロン様もいくらか積極的になれるかもしれないのです。
「いいえ、どちらにしても、わたしには有意義な時間ですよ。正直なところ、アウレウス金貨一枚では高額すぎて、しばらく暇になるだろうと思いましたから」
今回の仕事はビオラ様の口添えなので、わたしの腕を見込んでの来店ではありません。
クロン様とリコは目を大きく瞬かせて、しばらくのあいだ見つめ合いました。どちらともなく、ふふ、と吹き出すように笑います。
「今日の朝礼で、エコー様が褒めていたのは先に話した通りですけれど、大半の者は半信半疑でした。ええ、エコー様がリコを呼び寄せるまでは……。リコは一日で、これほどまでに美しくなりました、と紹介すると疑う声はなくなりました。ですが、ちらほらと、不満の声もありました。どうして昨日のドレスを着ていないの。あれを着ていれば更に綺麗なのに。リコの美しさが半減しているわ、と。リコの面変わりに驚いていた者たちは、さらに美しいリコを思いうかべて、目を輝かせていました。エコー様は想像の余地を残すことで、みんなに興味を抱かせるようにしたのでしょう。わたしは特に外見に興味がないので、他の人を優先してあげたいのですけれど」
「いいえ、あなたのような人にこそ、わたしの仕事が必要です」
クロン様をスツールへ、わたしとリコはベッドへ腰掛けて、しばらくのあいだ他愛ない話をしました。クロン様は見た目どおり、優しく穏やかで、リコとタイプは違いますが人好きのする性格でした。ですが、自己評価がとても低いようです。
リコの美しくなれた一番の要因は、自信を持てたことでした。
はじめての仕立屋の仕事は、クロン様に自信を持たせるとこです。リコは雀卵斑を好きになれば自信が持てると確信していましたが、クロン様は平凡な顔立ちゆえに自信がなく、さらにいえば興味が無いとまで明言していました。
服装、化粧、アクセサリーなどの助言をしても、本人に興味が無ければ意味がありません。
昨夜、エコー様から美しさの意味を教わりました。今度はわたしが、美しさに興味のない人、美しさを諦めた人に、その意味を伝えなければいけません。それがわたしの、仕立屋メアリの仕事でした。
簡単な仕事に、アウレウス金貨の価値はありません。
しばらく三人で雑談しながら、どのような衣装、アクセサリー、化粧が似合うかと検討していました。サイズの合うものを用意するために、クロン様のからだを観察して採寸などもしていました。
話題への反応などを見ながら、好みも把握していきます。
一時間ほど雑談して、仕事の指針を大まかにですが決めました。
「クロン様、夕食のあとにいらしてください。似合うものを用意しておきます」
「はい、わかりました」
クロン様は会釈して立ち去りました。
楽しみにしています、の一言もないことから、変わりたいという気持ちは薄いのでしょう。どれほど美しく盛装したところで、クロン様の心持を変えられるとは思いません。
「メアリ姉さま、どんな衣装を用意するのですか」
リコが声を弾ませて話しかけてきました。
「まだ秘密です。わたしは用事を済ませてきますので、リコは、ここにソーイングマシンを運び込んで貰えますか」
仕立屋の仕事は、要望に合うように衣服を作ることでした。採寸、デザイン、布地選び、裁断、縫製。衣装を作るうえで必要な仕事を一手に担います。
アウレウス金貨は似合いの衣装、アクセサリーの類を用意するための予算。そのように考えれば、妥当な金額に思えました。残念ながら、わたしではクロン様を変えれそうにありません。
「はあい」
リコは間延びした声で返事をしました。
「あ、リコ、他にも頼みたい仕事があるのですが」
* * *
わたしは寝室を出ると、ビオラ様の私室へ向かいました。
上流騎士風の部屋にはビオラ様とクロン様がいました。ビオラ様はアームチェアに腰かけており、肘を立てて顎を乗せていました。豊かな胸がなければ、どう見ても貴人の青年です。ふたりは談笑していたようでした。
他の使用人であれば、仕事に戻るまえに休憩を挟むところです。こうしてすぐに仕事に戻るあたり、本当にクロン様は真面目な性格をしているようでした。
クロン様は先程の件で話があると思われたようで、ビオラ様に一言断りを入れてから話しかけてきました。
「先程ぶりですね、メアリッサ様」
「はい、今回の仕事について、ビオラ様に一言感謝を述べるのが礼儀だと思いましたので。クロン様に仕事を頂けたのは、ビオラ様のおかげですから」
クロン様は微笑んで「わたしは外しますね。ビオラ様、わたしは外で控えております」と部屋から出ていきました。
「客人に紅茶の一杯でも淹れて持て成したいところだけれど、クロンがいなければ紅茶ひとつ満足に淹れられなくてね。申し訳ないわ」
「紅茶を出されては、わたしのほうが困ります」
真水なら冷却用の貯水タンク、あるいはスチームタンクなどへ貯めておけます。けれども紅茶など不純物をタンクへ入れてしまうと、あとでタンクを空にして、改めて真水を補給しなければいけません。とても面倒でした。
ビオラ様は一息吐くと、本題へ戻しました。
「仕事を引き受けてもらえたと、クロンからの報告で承知しているけれど。本人はあまり乗り気ではないようね」
「はい、本人があれでは、美しく盛装したところで意味がありません」
正直に答えると、ビオラ様は肩を竦めました。
「天才仕立屋もお手上げかい」
ビオラ様の軽口に、わたしは困り顔をしました。ビオラ様に近づいて、耳もとに口を寄せます。部屋にはビオラ様とわたしだけですが、秘密の話をするように、小声で話しかけました。
「ビオラ様は、なぜ、クロン様をレディーズメイドへ抜擢したのですか」
ビオラ様は痛いところを突かれたと顔を歪めて、
「さすが、メアリッサだわ。クロンの真面目な性格と、外見に興味がないのは、そこに原因があると気づいたんだね。ご明察だよ」
ビオラ様はクロン様との出会いから話してくださいました。
クロン様の両親は、もともとビオラ様の先代からの使用人で、婚姻したあとも先代のもとで仕事をしていました。そうしているうちに、クロン様が産まれて、ビオラ様は一五〇日ほどあとに産まれたようです。姉妹というには地位が違いすぎますが、齢が近いこともあり暇があれば一緒にいました。名門の令嬢として幼い頃から厳しく育てられたビオラ様は、クロン様にだけは弱音を吐いていたようです。幼い頃からビオラ様を献身的に支えていたようでした。
ビオラ様がノヴァ当代となり、しばらくは熟練のメイドを側近としていました。クロン様をレディーズメイドに抜擢したのは、ビオラ様自身が紳商と呼ばれ始めた頃でした。一人前になれたら、クロン様をレディーズメイドにすると決めていたようです。
クロン様の性格が外寛内明に変わり始めたのは、レディーズメイドに抜擢されてからでした。
旧知の間柄という理由で、レディーズメイドに選ばれた。面と向かい言われなくても、たとえ悪気がなくても、雑談程度に話題にのぼることもあるでしょう。偶然、クロン様がきいてしまえば、他のメイドたちからレディーズメイドに相応しくない、そう思われていると感じてしまいます。
レディーズメイドに抜擢したのは、贔屓したというよりも、幼い頃から支えてくれたクロン様の気遣いを心地よく感じるからという理由でした。例えば、高級な茶葉を使用した上品な紅茶よりも、クロン様の淹れた紅茶のほうが、ビオラ様には美味しく感じるようでした。
他のメイドたちは、そのような事情を知りません。
特別な役職に就くのなら、相応の才能と実績、技術が必要です。
レディーズメイドの基準といえば、次に記すような項目を満たしている必要がありました。美人であること。気が利いて、明るく従順なこと。裁縫薬品の知識があること。クロン様は性格も知識もレディーズメイドに相応しいのですが、一番わかりやすい美人という点で特に優れていません。
顔形――美人か否かは、生来のものが大きく本人の意思ではどうにもなりません。
美人ではないのにレディーズメイドに選ばれたのだから、それだけ、主人の希望に応えないといけない。他の者たちより、仕事に励まなければいけない。精一杯、務めを果たしていれば、贔屓してレディーズメイドに抜擢されたという声もなくなるかもしれない、と。
ですが、レディーズメイドは特殊な地位ゆえに、いくら仕事に励んでもメイドたちの評価が変わることはありません。レディーズメイドの仕事振りなどメイドたちは知らないからです。クロン様は真面目な性格ゆえに、嫉妬の声を正面から受けて、肩のちからも抜けないようでした。
「美しく盛装したところで、やはり無意味ですね。残念ながら、わたしでは自信を持たせられません。クロン様の自信の無さは、客観的評価に起因するものです。他のメイドたちの評価が変わらなければ、クロン様自身の評価も変わりません」
ビオラ様は、リコとおなじようにクロン様も美しさに自信が持てたなら、気張りすぎずに肩のちからも抜けると考えていたようでした。レディーズメイドに抜擢したうしろめたさを感じているのかもしれません。
「……悪いわね、無理な仕事を押しつけて」
ビオラ様は表情を暗くして呟きました。
「ええ、わたしには無理です。……みんなのちからを借りなければ、とても、クロン様に自信を持たせられません。もちろんビオラ様も手を貸してくださいますよね」
みるまにビオラ様の顔に明るさが戻りました。
「もちろんよ、いくらでも手を貸すわ」
ビオラ様と打ち合わせしたあとに、すぐに退室しました。夜までに衣装を準備しなければいけないので、時間がありません。外にいたクロン様に「また夕食のあとに」と一礼して、主城を上へ上へと走りました。
螺旋階段をのぼり、頂上へ着くと、バルコニーがありました。円形の塔のまわりに石の手すりを設置したバルコニーです。
手すりから身を乗りだして、視覚情報を上げていきました。
霧に覆われた風景のなかに、ぼんやりとですが使用人たちの共同宿舎が見えました。わたしの心臓――スチームエンジンに、いつもより多く石炭を焼べていきます。蒸気圧が高まり、頃合いを見計ると手すりへ足をかけて、共同宿舎めがけて一躍しました。あまりの衝撃に、手すりの石を砕いてしまいました。あとでビオラ様に謝罪して、今度から壊れないように補強して頂こうと思います。
ごう、と風をきりながら、共同宿舎の屋根へ飛び乗りました。
足だけでなく全身を大きく発条のように使いながら着地します。けれども無音とは程遠く、雨とおなじ程度の音を立ててしまいました。このように身体を使うことは今までになく、練習が必要かもしれません。
共同宿舎の屋根に立ち、白い霧を見つめながら、次の作業へ移りました。
ルミナージュの詳細な地図を思い描いて、目的地の商店へ目印をつけるとビオラ城と一直線になるように線を引いていきます。わたしは線をたどるように、商店のあるほうへ身体を向けて、ふたたび跳躍しました。
すこしでも加減を間違えれば、壁に激突して穴をあけたり、屋根を飛び越えてしまいます。慎重に、けれども迅速に――。
しばらく跳躍を繰り返すと、目的地の商店が見えてきました。
わたしは向かいの商店の屋根で一休みしました。石炭の供給を一旦抑えて、大きく息を吐きます。霧よりも濃い白煙が棚引いて、石炭の燃えかすが口もとで火花を散らしました。息を吐くたびに白煙にまじり、ぱちぱちと小気味よい音が鳴り、収まるまでしばらく休憩しました。
寒い日であれば人の息も白くなるようですが、今日はそれほど寒くなく、口から火花を散らす人などいません。わたしは絡繰人形で、見た目をのぞけば人とまるで違います。
休憩しているあいだ、風で乱れていた髪とドレスを整えて、トーク帽をつけました。
しばらくして人気がないのを確認すると(路肩に停められた馬車と欠伸を噛み殺していた馭者などはいますけれど)屋根から地面へと飛びおりました。音もなく着地したあと、さも当りまえのように向かいの商店――目的地の商店へ歩みを進めます。今なら人に見られても、不思議に思われません。
「立派な店ですね」
正面に『オ・グラン・モゴル』と店名を入れた看板があり、店の横のかざり窓は外からでも美しいドレスが見えるように工夫してありました。
衣服店ですが服だけでなく布地、アクセサリー、さらには香水など美容商品全般を販売していました。商品数が多いため、他の店とくらべると五軒くらい入りそうなほどに広く立派でした。
店のなかも相応に広く、見えるだけでも店員らしき人が五名、客は一〇名ほどいました。客の半数は仕立屋のようで、布地の並んだ棚のまえで右往左往していたり、立ち止まり腕を組んで悩んでいました。布地を選別する眼差しは、どことなくククリ様と似ているような気がしました。職人の目つきとは、一目でわかるほどに違うのかもしれません。
布地の買いつけなどは仕立屋の店主、主に男性が多いようです。布地を裁断したり縫製して衣装に仕上げるのは雇われた女性が担当しました。仕立屋メアリは、わたしひとりで買いつけから裁断、縫製など全てをしなければいけません。
安価な布地は丸めて展示してあり、腰くらいの高さの棚に立てて並べられていました。シルクなどの高級な布地は棚に置いてありました。布地の棚は入口正面から右手に、左手には一点品の見本と既製品など衣装に仕上げられたものが並んでいました。
オーダーメードの見本衣装はドレススタンドに飾られて、レディーメードの衣装は畳まれて積まれるように置いてありました。高価なものと安価なものでは、布地も衣服も、店での扱いから違うようでした。
五名の店員のうち三名は客の貴婦人と話しているようで、このように仕上げてほしい、希望の日は――、など話し声がきこえました。仕立屋に布地を販売しているだけでなく、仕立屋の仕事もしているので注文を受けているようです。
わたしはまず、レディーメードの衣装が積まれたところへいきました。オーダーメードの衣装であれば定価がないので交渉次第で変わりますが、レディーメードは一着ごとの値段が書かれていました。布地は一ヤードの値段が書かれています。
レディーメードの衣装の平均価格は、一着あたりデナリウス銀貨三枚ほどでした。庶民の給金で三日程です。貴人の多い地域なので、全体的に高価なものが置いてあるようでした。
「どのような衣装をお求めですか」
手透きの店員に話しかけられて、わたしはどう答えようかと思案しました。
「あなた様に似合いの衣装でしたら、このような雰囲気のドレスはいかがでしょう」
オーダーメードの見本衣装のとなりに並んで薦めてくれます。見本のドレスはアウレウス金貨一〇枚ほどで、わたしの着ている衣装と値段はそう変わらないような気がしました。
「ありがとうございます。ですけれど、申し訳ありません。わたしの衣装を選んでいるわけではないのです」
「そうなのですね。贈りものなら、布地を選んでいただいて、ご本人の採寸も必要になりますが。こちらで希望に沿うように仕立てますよ」
店員の目には、わたしはどこかの貴人に見えているはずです。きちんとしたドレスを着て、トーク帽までつけているので、そう思われるのも仕様がありません。人の衣装を選んでいると言えば、贈りものと思うのも自然でした。
貴人がレディーメードの衣装を見ていたのだから、不思議に思い助けるつもりで声を掛けてくれたのでしょう。
「申し訳ありません、誤解させてしまいました」
わたしは会釈してから、
「わたし、仕立屋をしています」
まだ一日目ですが、と胸のなかで足しました。
店員は目をぱちくりと瞬かせたあとに「申し訳ありません」と深く礼をしました。客は大きくわけて、仕立屋を利用しにきた貴人、布地を買いにきた仕立屋、どちらかです。どちらなのかは一目見て判断できますが、貴人の恰好をした仕立屋のわたしは特殊な例でした。
「いいえ、このような身なりです、あなたに非はありませんよ。だからどうか、顔を上げてください」
わたしは店員の頬に手を伸ばして、慈しむように触れました。
顔を上げた店員は、眩しそうにわたしを見ていました。どことなくリコがわたしを見るときのような眼差しです。
「機会があれば、あなたを美しく盛装したいわ。……そうね、髪がすこし邪魔に見えるわ。いいえ、あなたの美しい顔をかくしているの。こうして纏めるだけで、見違えるほど綺麗になるけれど、アクセサリーは禁止されているのかしら」
わたしは前髪を指で挟むようにして、店員の顔がよく見えるようにしました。
それだけのことですけれど、清潔感と明るさ、女性らしさが引き立ちました。貴人相手の衣服店なので、身なりは清楚で、顔立ちもよい店員が多いようでした。
「ええ、とても似合うわ」
わたしは微笑んで言うと「申し訳ありません、失礼なことを致しました」と手をどけます。髪がさらりと流れてひたいをかくしました。
「いいえ、ありがとうございます。とても参考になりました。禁止されていないので、明日からでもそのようにしたいと思います」
世辞なのか、本当に明日から髪留めをするのかまではわかりません。
けれども一連の会話で、打ち解けてくれたような気がしました。はじめは店員らしく凛とした雰囲気をかもしていましたけれど、話しているうちに気さくに、時として冗談を言い合うほどになりました。友人と思うのは失礼かもしれませんけれど、そのように親しく話しながら、一緒に衣装や布地、アクセサリーなどを選んでくださいました。
レディーメードの衣装を一着、シルクやレースなどの高級な生地を数ヤード。アクセサリーなどの装身具、ボタンなど仕立てるのに必要な様々なもの。あとは店員に似合いそうな、シルバーの髪留めのアクセサリーを一点購入しました。
「合計で二〇デナリウスになります。袋に纏めて入れますね」
「はい、お願いします」
アウレウス金貨を手渡して、デナリウス銀貨五枚を受けとります。
デナリウス銀貨四枚を店員(クリノリンと名をおしえて頂きました)に返しました。チップの相場は料金の一割ですが、時間を多くとらせたので上乗せしました。
袋を受けとると中からシルバーの髪留めを取りだして、クリノリンに差し出します。
「髪留めはクリノリンに。似合うものを選んでみたわ」
クリノリンは嬉しそうに両手で受けとり、胸に抱くようにしました。
立ち去ろうとすると「あの!」と、大きな声で呼び止められて振り返りました。
「メアリッサ様は、どちらの店で働いているのですか。わたしも仕立てて貰いたいのです」
「ビオラ・ツェン・ノヴァ。ご存知ですか」
わたしの質問に、クリノリンは首を傾げて、
「え、ええ、もちろん。ノヴァ当代のことを知らない人はいないと思いますけれど」
「わたしはノヴァ当代のもとで仕立屋をしています。わたし、メアリッサに用があるとたずねてください。案内してもらえると思いますから」
クリノリンは今日一番驚いた顔をしました。
目を大きくひらくのはよいですけれど、口まで大きくひらくのは、はしたないと思います。ビオラ様のもとで仕立屋をしているとなれば、ルミナージュでも有数の仕立屋に違いないと誤解されたかもしれません。
有数かどうかはともかく、仕立屋一日目でした。
「今度はクリノリンが、わたしのお客様ですね。お待ちしています。それでは、ごきげんよう」
あたまを少しだけ傾けて、貴婦人風の挨拶でわかれを告げました。
店を出てから人気の少ないところまで歩いて、あたりに人影が無いのを確認してから、屋根に飛び乗りました。約束の夜までには、クロン様の衣装を完成させられそうです。
* * *
寝室にはリコに頼んでいたソーイングマシンが運び込まれていました。
わたしが戻るまで寝室の清掃をしていたリコは、わたしの抱えた袋を見つけると、頬を膨らませて見るからに不機嫌そうな表情を作りました。どうやら勝手に買い出しに出掛けたのが不満らしく「明日は、わたしも一緒にいきますから」と、三度ほど念を押されました。
「一日中、メアリ姉さまと一緒にいられると喜んでたのにな」
ソーイングマシンとテーブルの位置をリコと一緒に調整したあと、ひとしきり残念がられたり、文句を言われてしまいました。これからリコには他の仕事を頼んでいたので、日中も一緒にいられません。
扉のまえでわかれを惜しむように抱きしめられて、しばらくしてリコはからだを離しました。
「では、メアリ姉さま、夜に……ええと、ビオラ様が入室したあとでいいんですよね」
「はい、お願いします」
リコにデナリウス銀貨を握らせました。
クロン様から頂いたアウレウス金貨一枚――デナリウス銀貨換算で二五枚は、二〇枚で仕立てるのに必要なものを買いつけて、四枚はチップとしてクリノリンに渡して、残りの一枚をリコに渡しました。わたしの手もとにはアス銅貨一枚すら残りませんでした。
「あの、これは」
「仕事を頼んだ給金ですよ」
デナリウス銀貨一枚は庶民一日の給金相当です。今日一日、様々な仕事を頼んだリコの報酬としては妥当な金額でした。リコは「ありがとうございます」と深く礼をしました。
リコが出ていくと、わたしは袋から布地を取りだしてテーブルへ広げました。はじめから完成図を思い描いていたので、高級な布地に迷いなく鋏を入れていきます。絡繰人形のわたしには型紙すら必要なく、ほとんど布地を余しません。
鋏を入れたところに端縫をほどこしたり、縫い合わせるのに絎縫いをして見栄えをよくしていきます。縫製の作業は、ソーイングマシンも使いました。ククリ様の作業着の修繕に掛接ぎなどもしていたので、裁縫は手慣れたものでした。
用意した衣装は四着ありました。
一着目はレディーメードの衣装に手をくわえて仕立てました。黒地のえりの折り返しに白地の布を用いたり、カフスも同様に仕立て、シンプルながら細かなところに工夫をしました。汎用性が高く、一般的な給仕服に近いものでした。
二着目は、見栄えに重点を置きました。
ビオラ様の商談に同席するときなど、貴人と接することを想定した給仕服です。首に白のジャボをつけて、袖はアンガジャントにしました。合わせるためのホワイトプリムも用意しました。
三着目はエプロンのワンピース、ワインレッドのピナフォアです。
胸のしたをボタンで留めて、紐を首のうしろでリボンのように結びます。二着目の給仕服と合わせて着るように仕立てました。
四着目は、白地のフィッシュテールドレスにしました。
鎖骨が見えるほど大きく肩のひらいたノースリーブです。肘の上まであるシルクのオペラグローブも裁断して縫製しました。ノースリーブですが肘から先はオペラグローブを嵌めるので肌は見えません。足もとの露出が多いため、クロン様は驚くかもしれません。
顔立ちだけをいえば、クロン様は平凡です。
クロン様の美しさは顔形ではなく、肌の透明感、からだ全体、立ちすがた、洗練された所作などにありました。人を見るときに、はじめに目がいくのは、全体の雰囲気でした。クロン様の均衡のとれた美しさは、はじめに好感を抱かせます。けれども、すべてが完璧であれば、人心は離れていきます。
クロン様の平凡な顔立ちは、親しみやすさを与えます。
フィッシュテールドレスは、本来は欠点の顔立ちを長所へ変えるように仕立てました。
完成した衣装をそれぞれスタンドに掛けたところで、足音がひとつ近づいてきました。寝室のまえで止まり、二度、ノックの音が響きました。
もちろん、おとずれたのはクロン様でした。
招き入れると、クロン様は立て掛けられた衣装のまえに立ち、見惚れるように目を細めていました。楽しそうな笑顔を湛えて「凄いわ、エコー様が称賛するだけあります」と声を弾ませていました。けれどもフィッシュテールドレスが横目に入ると楽しそうな表情は一変して、暗い影を落とすと「……本当に、凄いわ」と自嘲まじりの溜息を吐きました。
給仕服でも手を抜いたりせずに、どれも自信の一品だと胸を張れます。
ですが一番に目を引くのは、フィッシュテールドレスでした。シルクのオペラグローブだけでもアウレウス金貨一枚の価値があります。ドレスと合わせるとアウレウス金貨一〇枚ほどの価値がありました。
美しいフィッシュテールドレスは、他人に仕立てたもの。
平凡な顔には、地味な給仕服こそ似合いで、華やかなドレスは似合わない。クロン様はそう考えているようで、ドレスと比較して地味な給仕服を仕立てられたのだと自嘲したのかもしれません。そのような性格にクロン様を変えたのは、周囲の評価と、本人の思い込みもあるかもしれません。
「それでは、試着させていただきますね」
「……はい」
クロン様の了承をえて給仕服を脱がせて、一着目、二着目と順番に着せていきます。
着用したあとに、腕を伸ばしてみたり、屈んでみたり、いろいろと動いて仕事に支障がないか確かめていました。
「今日仕立てたものとは思えないくらい、動きやすいわ。わたしの体格に合うように作られているのですね。本当に、素晴らしいです」
ピナフォアを含めた三着を試着して、クロン様は満足したようでした。
もともとクロン様の給仕服も清楚で品がよいのですけれど、汎用性が高いものでした。長年着ているようで、すこし草臥れていたので、交換するにはよい頃合いかもしれません。けれども、この程度の仕事なら、腕のよい仕立屋なら当りまえという程度のものでした。
エコー様に見込まれたのは、仕立屋の腕ではありません。
残りの一着、美しく仕立てたドレスこそ本命でした。
もとの給仕服を着たところで、こちらへ向かう足音がきこえました。足音の正体は、ビオラ様です。きちんと打ち合わせのとおり、よい頃合いに来てくださいました。
「それでは、ビオラ様に許可を頂いたのちに、着用したいと思います」
二着の給仕服とピナフォアを手にクロン様は礼をして、顔を上げるとドレスを一瞥して、名残惜しそうに寝室を出ようとしました。
「おまちください。フィッシュテールドレスもクロン様のために仕立てたものですよ」
クロン様は大きく目をひらいて驚くと、あわや衣装を落としかけました。冗談かとわたしの目を疑うように覗き込んできましたが、本気だとわかると、音が鳴るほどに激しく首を左右へ振りながら「わたしなどには、似合いません」と叫ぶような声で仰いました。
変わることは、恐怖を含んでいるのかもしれません。
今のままで満足はしていないけれど、不満を訴えたところでどうしようもないと諦めてしまう。フィッシュテールドレスを一目見たときのクロン様の表情は、このような美しいドレスの似合うすがたに産まれたかった、と自嘲と願望がないまぜに思えました。
「クロン様の立ちすがたは美しく、そのような人にこそ似合うように仕立てました」
「申し訳ありませんけれど、二着の給仕服とピナフォアでアウレウス金貨の価値はあります。そのうえ、ドレスまで頂くわけにはいきません。もしも不要でしたら、わたしより似合う人へ差し上げてください」
クロン様を脱がせたときに、思い描いていたように、美しいラインをしていました。肌の手入れもきちんとして、張りがあり白く透明感がありました。仕立てたドレスは肌の露出も多いため、美しいラインと肌をしてなければ着こなせません。クロン様でなければ、不格好にさえ見えてしまいます。
「給仕服を仕立てるだけなら、わたしに頼まなくてもよいのです。わたしの腕を見込んで、ビオラ様は仕立てるように頼んだのですよ。リコとおなじようにクロン様を美しく仕立ててほしいからではありませんか。なにより、給仕服だけでは仕立屋メアリの面目が立ちません。わたしの名誉のためにも、クロン様に着てほしいのです」
クロン様は足もとを見るように視線を落として「……ですけれど」と断りの言葉を考えていました。
わたしがどのような話術を用いても、クロン様にドレスを着せることはできません。このまま長引くと『時間がないので、仕事に戻ります』と逃げられてしまうでしょう。こうなることは予想のうちでした。だからこそビオラ様にも頼みごとをしたのです。
クロン様が断るより先に、ノックの音が響きました。
「クロンがまだ戻らないのだけれど、まだ仕立てているのかい」
扉の向こうからビオラ様の声がして、
「はい、ビオラ様。どうぞ、お入りください」
返事をして、扉をひらきました。
扉の向こうにビオラ様と、扉から一〇歩ほど離れた柱のかげにリコもいました。
突如現れたビオラ様に、クロン様は目を白黒させて驚いていました。
ビオラ様にはクロン様が入室したあとに、しばらくしてから来てほしいと頼んでいました。クロン様にドレスを仕立てるつもりですが、わたしでは着せることができません。わたしは用意するだけ。ビオラ様の口添えで着させてほしいと、そのような打ち合わせでした。
「ドレスを用意するのは承知していたけれど、なるほどね。クロンに似合うだろうことは、一目でわかるわ。リコを仕立てたメアリッサの腕を疑うわけではないけれど、本当に素晴らしい仕事ね。でも、クロン、どうして着ていないの。わたしも着たところを見たいのに」
意地悪なビオラ様に、クロン様は口籠りました。
「これから着つけるつもりでしたが、どうせなので、ビオラ様に頼んでもよろしいですか」
「ええ、任されたわ」
クロン様が正気に戻るよりも早く、話は終わりました。
しばらくしてクロン様は諦めたように長く息を吐きました。もう、好きにしてください、と心の声がきこえそうです。
「テーブルにネックレスとオペラグローブも用意しているので。あとは、お願いします」
立ち去ろうとしたわたしに、ビオラ様は耳打ちました。
「ありがとう、メアリッサ」
「感謝するのは、まだ、早いですよ。肝心な仕事はリコに任せていますから」
ドレスを着せたところで、自信が持てるわけではありません。クロン様に自信を持たせるのは、リコの仕事次第でした。
苦虫を噛み潰したような表情のクロン様と、どことなく意地悪な微笑をうかべたビオラ様を残して、わたしは寝室を出ました。扉を閉めると、リコが足早に近づいてきました。
「お願いしますね、リコ」
「はい、みんなをここへ呼べばいいんですよね。今は食堂に集合していますが、わたしの見たときには、一〇〇人を超えていました。たぶん、今は倍くらいに増えているかも。みんな、メアリ姉さまの仕事を見たいんです。エコー様の話で、みんな、興味津々でしたから」
リコは「呼んできますね」と一礼して食堂へ向かいました。
寝室の外にいても、ふたりの会話はきこえてきました。目論見どおり、クロン様もビオラ様には弱いようです。ビオラ様の弾んだ声と、クロン様の慌てふためく声が交互にきこえて、とても楽しそうでした。
そうしているうちに、たくさんの足音が近づいてきました。
リコを筆頭に、二〇〇人ほどのメイドの大群衆でした。足音だけでも地響きのようですが、幸いなことに、室内にいたクロン様は気づいていないようです。人生はじめてのドレスに緊張して、それどころではないようでした。
メイドたちは、クロン様がどのように変わるんだろう、と小声で話していました。
「メアリ姉さまは、本当に凄いんだから。クロン姉さまも凄く美しくなるんだよ」
わたしの仕事にリコは疑いを持ちませんけれど、語彙が乏しいです。
「リコの変わりようを見れば、楽しみよねえ。でも、相手はクロン様だもん。リコのように、自信満々にはならないと思うけれど」
「これまで自信ないのが不思議なのよ、あんたは」
リコは照れたように、はにかむと「えへへ、ありがとうございます」と小さく会釈しました。褒められて委縮することはなくなりましたが、今度は素直すぎます。齢でいえばリコは使用人のなかでも若く、みんなに可愛がられているようでした。
しばらくして扉がひらくと、ビオラ様に先導されるようにフィッシュテールドレスで盛装したクロン様が現れました。まるで紳士にエスコートされる淑女のようです。扉をひらくと二〇〇人ものメイドが待ち構えているとは、クロン様も予想していなかったでしょう。
クロン様はメイドたちの注目を一身に浴びて、恥ずかしそうに顔を伏せてしまいました。
メイドたちも声を上げれません。
長い沈黙でした。
仕立てたわたしでさえも、言葉を失います。
よく手入れされた白い肌を惜しげもなくさらして、純白のドレスがクロン様を引き立てていました。美しい鎖骨のライン、立ちすがた。胸もとで輝くネックレス。シルクのオペラグローブ。例えるなら、白の貴婦人。そのような呼称が相応しいほどに美しく変わられていました。
どのような社交界、ダンスパーティーに出席しても、目を引くはずです。
「わあ、すてき」
どこからともなく、溜息のように、感嘆の声が上がりました。
声を出した本人さえ気づかないほど自然にこぼれた称賛でした。まぎれもなく、本心からの言葉です。
クロン様は驚いて顔を上げると、次々と称賛の声が上がり、一気に騒々しくなりました。二〇〇人ものメイドたちの称賛の嵐に、クロン様は戸惑いながらもぎこちなく笑顔をうかべていました。
やがてクロン様の目もとに涙がうかんで、頬を伝いました。
ビオラ様は懐からハンカチーフを取りだして、クロン様の涙を拭きます。
「ほら、みんなもわたしとおなじ意見でしょう。美しいわ、クロン」
「……はい、はい!」
クロン様は繰り返して頷きました。
クロン様の自信のなさは、客観的評価に起因するものでした。他のメイドたちの評価が変われば、クロン様に自信を与えられると考えました。だからこそ、ここへ、多くのメイドたちを連れてくるようにリコに頼みました。
「わたしも、メアリッサ様に仕立てて貰いたいわ」
ひとりが言うと、次々とおなじような声が上がりました。
「はいはい、順番だからね。メアリ姉さまも忙しいんだから」
と、リコがしきります。
昨日までの自信のないリコは、もう、どこにもいません。身なりひとつで女性は――少女ですら心持は変わります。仕立屋はそういう仕事なのだと、わたしは身に染みて感じていました。
助手のようにリコが処理してくれるので助かりますが、明日から忙しい日々になるだろうと予感していました。
喧騒から離れるように、ビオラ様はクロン様の手を引いて、立ち去ります。
クロン様とすれ違うときに「申し訳ありません。クロン様を仕立屋の宣伝に利用しました」と今回の騒動を謝罪すると、クロン様は小さく笑い「はい、そういうことにしておきます、メアリッサ様。……いいえ、メアリ姉さま」と返しました。わたしはクロン様からも、メアリ姉さまの称号を頂いたのです。
メイドたちに見送られていくクロン様の背中は、わたしには似合わないとドレスを拒んでいた人とは思えないくらい堂々としていました。女性の美しさが顔形だけではないことを、今回の一件で改めて感じました。
あとから、クロン様ではなくクロンと呼んでほしい、と言われたので改めました。レディーズメイドを呼ぶのに敬称を省いて許されるのは、ビオラ様、エコー様、わたしの三人だけかもしれません。
仕立屋メアリのはじめての仕事は、こうして幕を閉じました。




