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奇跡の贋作

 起動されてから一〇日間、部屋の外へ出ることはありませんでした。

 見た目こそ人と変わりませんが、所詮は心も感情も持たない絡繰人形です。どのようなときに、どういう表情をすればよいのかわかりません。もしも外出して、わたしの正体を知らないままに話しかけられでもしたら気味悪がらせてしまいます。

 急に笑顔になるのは恐ろしい、とビオラ様に気味悪がられたように。

 外出しなくても、わたしの記憶装置には様々なデータがはじめから入れてありました。

 例えば、わたしたちの暮らすルミナージュのことなど。ご承知のとおり、ルミナージュは深い霧に覆われており、霧の国とも呼ばれています。この深い霧の正体は、絡繰の息、スチームエンジンの排気煙によるものだと考えられていました。わたしの吐く息と変わらない煙が、世界を覆い尽くしているのです。

 石炭の発見から、世界は一変しました。

 五〇〇〇日も経つと、人々の生活は石炭なしでは成り立たなくなり、今と変わらない霧が立ち込めました。石炭の発見にともない六五八五日を一周期とする新暦――白暦(サロス周期と呼ばれていたものを新暦に採用しました)が使われるようになりました。わたしの起動された日は、白暦二五周期、四七一八日。石炭が発見されてから、一六七七五九日目に起動された計算になります。

 このように知識量では人を凌駕していますが、わたしが不出来な絡繰人形だから外出を許されないことも理解していました。わたしに必要なのは知識ではなく、人を理解すること。より具体的には、人は、どのようなときに、どのような感情を抱くのか。心の動きを理解できたなら、心を持たない絡繰人形のわたしも、人らしく振舞えると考えたからです。

 なぜ、人らしく振舞う必要があるかといえば、わたしの作られた目的にありました。

 ククリ様の家族になるために――当時のわたしは、そのように考えていました。愚かだと思われるかもしれませんが、唯一の道標でもありました。

 人を理解するために、暇を見つけては読書をしました。

 はじめて読んだ本は、メメントモリという童話でした。

 メメントモリのストーリーは次のようなものです。

 怖がりな王様は、夜が明けるごとに死に近づいていると、恐怖で夜も眠れないほどでした。ある日、王様は名案を思いつきました。世界中の時計を止めてしまえば、永遠に老いず、死ぬこともないと。世界中の時計を止めて、ようやく王様は安心して眠りにつきました。美味しそうなにおいがして起きると、朝食を準備していた使用人が言います。

「おはようございます、王様の体内時計は正確ですね」

 王様は青ざめました。

 メメントモリを読み終えたあとククリ様に質問をしました。

「なぜ、王様は世界中の時計を止めれば、老いないと考えたのですか?」

「時計は時間を表示するために、常に動いているでしょう。つまりは変化の象徴なんだ。時計を止めるというのは、変化を止めること。そうすることで反対の意味、つまり不変の象徴になると王様は考えたんだ」

 完璧に理解できたとは思いませんが、ククリ様の答えで理解を深められたと感じました。

 他の本も読んでみようと探したのですが、絡繰の専門書しかありません。ビオラ様に相談すると一〇冊ほど本を貸して頂けました。大人向けに書かれた小説は、恋愛、嫉妬、地位、しがらみなど、わたしが理解するにはあまりに難解で理不尽でした。ビオラ様に「難しいので、メメントモリのようにわかりやすい本を」と改めてお願いすると、その日のうちに、童話を一〇〇冊ほど貸してくださいました。

 はじめこそ童話の喜怒哀楽さえ難解でしたが、七〇冊ほど読み終えたときには、ずいぶん理解できたと自負していました。

 七一冊目を読み終えたときに、はじめて外出するときが来ました。

 始まりは、ククリ様に舞い込んだ仕事です。


     *  *  *


 ククリ様は大麦パン、わたしは瀝青炭。

 朝食を終えてククリ様は道具の手入れ、わたしは読書とのどかな時間をすごしていたときです。静寂を破るようにノックが響いて、わたしは読み終えた童話をテーブルへ置きました。わたしが起動されてから今日まで、来客はすべてビオラ様でした。もちろん今回もビオラ様です。ビオラ様はノックこそしますが、返事をまたずに戸をあけて入ります。

 ビオラ様が入室しても、ククリ様は道具の手入れをやめません。細かい目のやすりで道具を研いだあとに、砂を入れた布でこすり磨き上げていました。道具の手入れに余念がないククリ様に代わり、わたしは立ち上がり会釈をして、ビオラ様を迎えました。

「ごきげんよう、ビオラ様」

「ええ、ごきげんよう、メアリッサ。今日も君は美しいわ」

 挨拶のあとに褒めるのは、ビオラ様の常套句でした。

 三度目にビオラ様がたずねてきてから、わたしも真似てみようと褒め返すようにしました。童話にも、褒められて怒るような人はいない、と書かれているので、良好な関係を築くために褒めるのは大事かもしれません。

「ありがとうございます」

 はじめに褒めて頂いたことに感謝して、もう一度会釈をします。

 顔を上げて、ビオラ様に微笑みを向けながらも「ですが」と謙遜も含めて、打消しの言葉から始めます。

「ビオラ様の鳶色の瞳がなによりも美しいから、見るものすべてを美しく変えてしまうのです」

 毎回、言葉を変えて褒め合いながら、どちらがより相手を褒められるかという対決をしていました。今ではビオラ様に引けを取らないほど褒めるのも上手くなりました。

「もしもそうなら、わたしは商人に向いていないのだろうね。職業柄、目には自信があるつもりよ」

 ビオラ様は鳶色の目を指差すと、うすく細めて微笑みます。

「そのうえで、君の美しさは、一日ごとに磨かれていると断言するわ。昨日の君は世界で一番美しいと思えたのに、今日の君は昨日よりも美しいのだから」

 ビオラ様は大袈裟な身振りをまじえて褒めてくださいました。演劇を観賞したことはありませんが、役者さながら芝居染みています。身振りをまじえるのは、わたしには難しく言葉だけで返しました。

「なるほど、そうでしたか、失礼いたしました。ビオラ様の目は慧眼だからこそ美しく見えたのでしょう。ところでビオラ様は、鏡を見たことがないようですね。わたしより美しいものを見たことがないと仰るのですから」

 ビオラ様が世界で一番美しいと褒めます。

「ふふ、お世辞だとしても、君のような美しい女性からいわれると悪い気はしないわ」

「わたしの口は嘘を嫌い、真実しか述べません。いいえ、ビオラ様の美しさのまえでは、世界一の大嘘吐きさえも、真実を述べるに違いありません。誰の目にも明らかなことに嘘を吐いても滑稽なだけ、信じる者などいないのです」

 ビオラ様が返答を考えているあいだ、道具の手入れを終えたらしいククリ様が大きく溜息を吐きました。一仕事終えた一息ではなく、わたしたちの会話に呆れた吐息のようです。

「僕には、メアリが大嘘吐きに思えるよ」

 わたしはすぐに反論しました。

「ククリ様、失礼ながら申し上げます。わたしは嘘など吐いていません。嘘ではなく世辞です」

「違いがよくわからないんだけど」

 ククリ様に返されて、わたしは大きく息を吸い込みました。

「よいですか、ククリ様。嘘と世辞の違いは、目的にあります。広くいえば世辞も嘘に含まれますが、嘘は主に、利己的、あるいはなにかしらの目的のために欺くことです。対して世辞は、相手の気をよくするために大袈裟にいうことです。嘘の目的は相手を騙すことにあり、世辞の目的は相手に好意を伝えて、相手からも気に入られたいという意思表示です。このように嘘と世辞では、虚偽という共通点はあるものの目的が異なるのです」

 わたしが説明しているあいだ、ククリ様は「はいはい」と相槌を打ちながら、道具の片づけをしていました。

「世辞だ、世辞だ、といわれると、わたしも落ち込むよ」

 ククリ様に説明するためとはいえ、本人のまえで世辞と明言するのは失礼でした。

「わたしが世辞をいうのは、好意をビオラ様へ伝えるためです。それとも、わたしに好かれるのは、お嫌でしたか。迷惑でしょうか」

 悲しそうに目を伏せて、ちらりとビオラ様の顔色を窺います。

 このように失言のフォローもできるようになりました。

 誤解のないように書いておきますが、ビオラ様が美しくないとかそのようなことはありません。三〇人の女性がいれば二番目か三番目くらいに美しいです。服装こそ青年のようなものを着ていますが、清潔感があり、近づけば心地よい香りがします。(人が心地よく感じるデータと一致するという意味です)さらに髪は寝癖ひとつありません。胸も大きいです。なので顔は三番目でも、女性らしさでいえば一番です。

「今のメアリッサであれば、人前に出しても上手くやれそうね」

「はい、完璧だと自負しています」

 わたしは自信があると表現するために胸を張り、さらに「えっへん」と言葉を足したのですが「不安は尽きないけれど」とビオラ様は呟きました。わたしの自信とビオラ様の不安が比例しているように思えるのですが、なぜでしょう。

「というわけで、これからわたしの舘に来てほしいのだけれど」

「仕事ですか?」

 道具の片づけを終えたククリ様が低く静かな声で尋ねました。

 ビオラ様は大きく息を吸い込んで、数秒間止めると、短く吐いてから答えました。

「ああ、仕事だ。ルミナージュ屈指の絡繰技師でなければ、手の負えない。ククリにしか頼めない仕事だ」

 低く、男性的な声と言葉に変化していました。

 ビオラ様の仕事は商いです。商談相手は男性が多く、女性の言葉づかいでは足もとを見られたり、不利になることも多いようです。そのため、仕事の話をするときは女性らしさを消すように習慣づけていました。青年のような服装も、趣味と実益が半々というところでしょう。

「引き受けるかどうかは別として、僕に可能かどうか、今の時点ではわかりません。詳しい話をきいて判断します」

 ビオラ様は安心したように笑顔を見せて「ああ、それで構わない」と一足先に戸口から出ていきます。

 ククリ様であれば、どれほど困難な仕事でも完璧にこなすと、わたしは確信していました。けれども仕事は恐ろしく困難でした。いいえ、仕事自体は難しいとはいえ、ククリ様ほどの絡繰技師であれば造作もありません。ククリ様の手を煩わせたのは、他のところにありました。

 仕事の内容よりも、ようやく外出の許可が頂けたことに、わたしは喜びを感じていました。当時のわたしは喜怒哀楽のない絡繰人形であると自身のことを評価していましたから、喜びというのは適当ではないかもしれません。

 けれども、人前で人らしく振舞うこと。外出の許可が頂けるのは目標の第一歩でした。

 わたしの最終的な目標。わたしの作られた目的は、ククリ様の家族になることです。ビオラ様が仰られたように、ククリ様がわたしを作品ではなく家族と思うなら、わたし自身も人のような振舞いを身につけて、人の心すらも理解できるようにならないといけない。そう判断しました。

 童話を七一冊、メメントモリを含めると七二冊読んだだけで、人の心を完璧に理解したような気になっていました。いくら人の真似事をしてみても、心の機微はわからない。あるいは完璧に他人を理解することなど、不可能かもしれません。当時のわたしは、人の心さえ画一的なものだと考えていました。

 この仕事を通して、人の心がそれぞれ違うことを実感することになります。

 人を助けるのは善いことだと童話には書かれていました。けれども、相手の望まない方法で、相手に傷心を残すような手段で助けることは果たして善悪どちらなのでしょう。助けることと救うことは似て非なるものかもしれません。


     *  *  *


 一日の長さは誰にでも等しくて、人でも絡繰人形でも変わりません。

 けれども一日の濃淡は、どのようにすごしたかで変わります。一日中、ぼんやりしているとすぐに暗くなり、なにかに没頭してもすぐに時間はすぎていきます。最も濃密な一日のすごしかたといえば、新たなことに挑戦した日に違いありません。

 わたしのような絡繰人形にもおなじことがいえます。

 一日の長さはおなじでも、保存されたデータ量は異なります。わたしが起動されてから一〇日目、はじめて外出した日。わたしの人生で最も濃密な一日、データ量の多い一日をすごすことになります。ほんの一日で、数えきれないほど多くのことを経験するのですから。


 はじめての経験、その1・給仕服ではない衣装を着たこと。

 外出するにあたり、わたしは給仕服からドレスへ着替えました。ビオラ様から頂いた衣装のなかでも特別豪奢な漆黒のロングドレスです。腕のところへ、白糸でアンテミオンのような柄の刺繍が入れてあり、腕から手首にかけて黒のレースがあたかもスカートのように広がっています。手首を足に見立て、パニエを穿いているようだといえば伝わるでしょうか。ネックラインは胸の谷間が見えそうなくらいのスクエアネックです。

 黒地に白のラインがあしらわれたドレスを着て、白のトーク帽をあたまの左側へ斜めに乗せて着つけは終わりました。これから社交界へいく貴婦人のように見えます。

 ククリ様もいつもの残念な恰好ではなく、きちんとした服に着替えていました。

 太いサスペンダーのついた黒のズボンに、染みひとつない白の長袖シャツ。相変わらず髪はぼさぼさですけれど、いつもより五割は増して格好よく見えました。


 はじめての経験、その2・いよいよメインイベントの外出です。

 身支度を終えたわたしは、小さな部屋から広い世界へ、外の世界へと足を踏み出したのでした。外の世界は、書くまでもありませんが白い霧に覆われていました。

 白い霧――わたしの息とおなじ排気煙の霧は濃く、視覚情報を最大まで上げても一〇〇歩ほど先までしか見えません。人の目であれば二〇歩先に人影があれば見えるかどうか程度です。

「どうだい、外の世界は」

「どう、なのでしょう。正直に申し上げると、よくわかりません」

 童話であれば、新しい世界に心奪われて、目を輝かすことでしょう。わたしには奪われる心もなければ、外の世界が霧に包まれていることはあらかじめデータにありました。外出も目的を達成するための通過点でしかありません。

 今にして思えば、ビオラ様は生きた情報をわたしに教えようとしていたのかもしれません。そこへ立ち、霧の中にうかぶ街並みを見て、喧騒をきいて、においを嗅いで、五感を通して体験してほしいと。このような感覚での体験は他人に伝えられない生きた情報。専門的には感覚質、クオリアと呼ばれるものです。

「あれは、ビオラ様のスチームコーチですか?」

 わたしは道沿いに停められていた一台の蒸気自動車(スチームコーチと呼びますが、コーチは大型馬車を指す言葉で、蒸気で動く馬車という意味からきています)を指差して尋ねました。

 一般的な移動手段といえば徒歩、裕福な人であれば馬車ですが、当代の称号を持つほどの名門貴人(ビオラ様も当代の称号をもつため、一般的にはノヴァ当代、あるいは国王の代弁者という意味のビオラ宣という呼びかたをします)であればスチームコーチを所有している人も多くいました。スチームコーチは自動車部と、それを背負うようにスチームエンジンを連結させた構造をしています。見た目でいえば、蜘蛛に近いでしょうか。

「ええ、そうよ」

 ビオラ様は答えると、スチームコーチのエンジンを始動させます。

 馬車にはエンジンがついていないので馭者がいれば動きますが、スチームコーチはそう簡単にはいきません。蒸気圧でピストンを動かす一般的なスチームエンジンですが、フラッシュボイラーに火種を入れたり、エンジンの始動をクランクでおこなうなど動かすまでに手間がいりました。

 ビオラ様は木綿の手袋をはめて頬にススをつけながら楽しそうに準備していました。

「おとこのこにしか見えないね、ビオラは」

「いいでしょう、好きなんだから」

 ククリ様の軽口に不貞腐れた声でビオラ様が答えたところで、エンジンが始動しました。汚れた手袋を道具箱に入れて、ひたいの汗をハンカチーフで拭います。ふちに沿うようにアラベスクレースの入れられた白のハンカチーフは、ふいに垣間見えるビオラ様の女性らしさを表しているようでした。

 わたしたち三人(わたしは絡繰人形なので、本来なら一体と数えるべきかもしれません)はスチームコーチへ乗り込んで、ビオラ様の運転で走り出しました。霧のなかを走るので、決して速いとはいえません。

 ルミナージュの街並みは、基本的にふたつの通りからなります。

 白壁の箱が並んだ住居通り、露店や商店の並んだ店通り。どちらかの通りが大半を占めますが、それらを繋ぐように大通りが走っていました。他に目につくものといえば、大通りと住居通りや店通りを繋ぐ交差点に設置された案内灯くらいでしょうか。道路の脇に建てられた案内灯には、いくつかの役割がありました。

 近くに住んでいる人たちは霧の中でも迷うことはありませんが、土地勘のない余所の人たちはそうもいきません。似たような風景ばかりで、道を間違えたり、どこに居るのかさえわかなくなるそうです。そういう人の為に、交差点ごとに住所を記して目印としました。

 もうひとつの大きな役割として、大通りは馬車とスチームコーチが頻繁に往来します。霧で視界が悪いため乗り物で移動するさいはライトの点灯を義務づけていますが、もしも枝道から人が飛び出してきたら馬が驚いたり(馬は大きな体躯に似合わず、とても臆病なので、驚いて暴れたら馭者でも手に負えなくなるそうです)、スチームコーチで撥ねてしまうかもしれません。大通りと交わるところが霧でわかりにくいため、なにかしら目印が必要でした。案内灯のライトは、ここは大通りと交わるところ、と遠くからでもわかるようにしています。

 はじめのうちは様々なデータを記録していたのですが、すぐに記すことがなくなりました。

 似たような風景が延々と続いて、大通り沿いを歩く人影が見えても挨拶さえさせてもらえないので、記録することがありません。スチームコーチは移動に便利ですが、有意義な時間とはいえませんでした。

 そうしているうちに、街の風景が変わり始めました。

 住居通り、店通りがあるのは同じですが、道路の幅は倍くらいに広くなり、立派な住居が増えてきました。大きな門のついた住居、庭に馬車を停めているような舘。平民層と富裕層がともに暮らす地域です。馬車を所有している人も多いため、道幅は広く作られていました。

 当代などの称号を持つほどの貴人になれば数百という使用人を雇い、共同宿舎を設ける人がほとんどでが、そこそこに裕福な人たちは数人のお手伝いさんで済むため、小さな住居と大きな住居が混在したところで暮らしていました。

 様々な人が暮らしているため、優雅な挨拶をかわす婦人の足もとを元気な幼児たちが駆け回り、独特の活気がありました。大人になれば雇用主とお手伝いさんにわかれますが、幼いうちは関係なく、大人でも友人のように気さくな人が多いようです。

 そこからしばらく走り、大通りから枝道に入り、ひときわ立派な舘のまえでビオラ様はスチームコーチを停めました。門こそありませんが広い庭があり、舘は霞んでしまうほど遠くにありました。

「ここが、ビオラ様の――」

 舘ですね? と尋ねるまえに、ビオラ様は「違うわ」と先回りして答えました。

「ここは、パグリシア大図書館」

 ビオラ様は一言だけ説明して、わたしはパグリシア大図書館のデータを検索しました。

 パグリシア大図書館は、ルミナージュで五本の指に入るほど蔵書は多く、今から一七周期ほど昔(人の一生がおよそ三周期半といわれています。一七周期は人が産まれてから死ぬまでを、およそ五回繰り返すほど昔のことです)に建造されました。

 栄華を極めていたパグリシア当代が、建造費用を負担して建てました。

 このように貴人が費用を負担して建造したり道路を作るのは、貴人の義務ノブレス・オブリージュといわれるもので、富める者の当然の慈善奉仕でした。もしも貴人の義務を果たさなければ、あいつは裕福なくせにケチだ、と世間から悪く思われたり、他の貴人も相手をしなくなり落ちぶれてしまうのです。

 貴人は費用を負担する代わりに、命名権を与えられました。

 パグリシア大図書館と命名すれば、パグリシア当代が建設費用を負担して建てたのだ、と誰でもわかります。ビオラ様がここへ寄られた理由は、先に書いてしまうとククリ様に仕事を依頼した人こそパグリシア当代だからでした。

 今回の仕事は、貴人のプライドが引き起こした悲劇といえるのかもしれません。

 ビオラ様は、霧で霞んだパグリシア大図書館を悲しそうな表情で眺めていました。目尻からこぼれた涙のしずくが頬を伝います。ククリ様もおなじように涙を流していました。ちなみにククリ様の涙の原因は、欠伸のようです。

 遠目にパグリシア大図書館を眺めたあと、ビオラ様は静かに涙を拭い、今度こそ目的地の舘へスチームコーチを走らせました。

 次第に豪奢な舘が増えて、小さな住居を見かけなくなりました。

 庭の見えるところへスチームコーチを停めているような舘もあり、敷地の広さも尋常ではありません。どの舘もククリ様の住居がゆうに一〇〇軒は入るでしょう。移動距離を割り出してデータ上の地図と照らし合わせるとノヴァ大通りと表記があり、上品とあざとい気品がないまぜでした。

 あざとい気品とは、外から見えるところに豪奢な馬車を停めているような品格を指します。歴史の浅い富豪ほど見栄を張りたがるようですが(歴史のない劣等感を無自覚に抱いているのかもしれません)そういう人たちを揶揄して、見栄は破産の第一歩という諺もありました。

 やがて富裕層ばかりが暮らすノヴァ大通りの中でも異質な舘――いいえ、お城が見えてきました。ククリ様の住居の天井よりも高い壁がカーテンウォールさながらぐるりと取り囲み、その向こう側に巨大な城影が見えていました。

 ビオラ様は門扉のまえにスチームコーチを停めると「ただいま戻りました」と左右にいた四人の使用人に一声かけました。モーニングコートのようなものを着ていますが、四人ともに巨漢でした。ひとりが「ひらけえー」と怒鳴るような太い声でいうと、鉄の重たい音を響かせながら内側へ扉は開きました。

 スチームコーチで乗り入れると、門番の四人と内側にいた一〇人が道の左右へわかれていました。左手を腹にそえて右手を背中へまわし「お帰りなさいませ、ビオラ様。お帰りなさいませ、ククリ様」と声を揃えます。

 ビオラ様に「お帰りなさいませ」と挨拶するのはわかりますが、なぜ、ククリ様にもおなじ挨拶をしたのか疑問に思い尋ねようとしたら、ククリ様は顔を背けていました。

「どうだい、メアリッサ。わたしの舘は」

 敷地を運転しながらビオラ様は笑うような声で尋ねてきました。

 近づくほどに城影は威圧感を伴いながら鮮明になりました。驚くべきことに、わたしの目で見上げても、主城(敷地内を城としたときに、メインの建物のことです)の頂上は霧で霞んで見えません。

「凄いです。舘ではなく城でした。ビオラ城でした」

 あまりに立派で、ビオラ城と命名すると「ビオラ城、ふふ、よい響きね」とビオラ様は気に入られたようです。

 もちろん世辞ではありません。

 ここに着くまで立派な舘はいくらでもありました。けれどもビオラ城は桁が違います。主城を正面に見据えるように、使用人の共同宿舎が二〇軒ほど並んでいるのですが、その宿舎でさえ貴人の舘と遜色ないほどに立派でした。地図で確認するまでもなく、ここの地域はビオラ城を中心にして栄えていました。

 主城手前でビオラ様はスチームコーチを停めました。

 わたしはスチームコーチからおりて、改めて主城を見上げました。

 わたしのとなりにビオラ様は並んで、おなじように見上げていました。

「ククリとメアリッサにその気があれば、ここに住んでも構わないんだよ。ここにはククリ専用のアトリエが一軒と、主舘にも――いや、主城にもククリの部屋があるんだから。もちろん君の部屋も用意してあるよ、メアリッサ。どうだい」

 わたしはすぐに返事しました。

「ククリ様、わたしはビオラ城で暮らすことを提案します」

「はいはい、考えとくよ」

 まるで考える気がないような口調でククリ様は仰いました。

「ククリの職人籍はわたしのもとにあるから、扱いは使用人だけれど、仕事のときくらいしか住んでくれないんだよ」

 ビオラ様の言葉で、先程の使用人たちの、ククリ様への挨拶の意味がわかりました。

 ククリ様はビオラ様の使用人――専属の絡繰技師ですが、アトリエを一軒与えられていること、主城にも部屋があることから特別な地位にあるのでしょう。毎日のようにククリ様の住居へ来ていたことからも、特別視しているのは明白でした。

 ビオラ様の愚痴に、わたしは「それでは、これからしばらく、ここで暮らすことになるのですね」と答えました。

「受けるかどうか、まだ、わかんないんだけど」

 ククリ様が、ぼそり、と洩らします。

 ビオラ様はきこえていない振りをして「ここで立ち話もなんだから、主城を案内するわ」と先導して、わたしたちはビオラ様のあとを追いかけました。


 はじめての経験、その3……はじめての経験シリーズは、今回で終わりにします。ビオラ城での出来事は、本当に未知のことばかりでした。細かく書いてしまうと、日記のページが足りません。

 はじめての経験シリーズを終えるまえに、改めて、わたしの目的について記しておきます。

 わたしの目的は、ククリ様の家族になることでした。そのために、人の心を理解しなければいけないと思いました。はじめに童話を読んで、理解しようとしました。いくら童話を読んだところで、ククリ様とビオラ様のふたりとしか話したことがありません。

 外出した主な目的は、他人との会話でした。

 失礼な書きかたをするなら、わたしにとり他人は、テストするための役割しかもちません。

 絡繰人形と見抜かれたり、見抜かれなくても不気味に思われたり、そのような人としての不自然さがないかをテストするための道具のように考えていました。


「お帰りなさいませ、ビオラ様、ククリ様」

 主城へ入ると、使用人がひとり、お辞儀をして出迎えました。

 リンネル生地の給仕服(リンネル生地は丈夫で乾くのも速いなどの長所がありますが、シワになりやすいという短所もありました。給仕服に広く採用されているのは、シワになりやすいとうい本来の欠点を逆手にとり、常に身だしなみに気をつけなさいと意識させるための役割があるそうです)を着た少女で、鼻筋から頬へかけて雀卵斑そばかすがあり、どことなく素朴に見えます。髪はランプブラック。漆黒までいきませんけれど、美しい黒髪でした。うしろ髪を左右で束ねているのも、幼く見える一因かもしれません。

「ただいま、リコ」

「お世話になります、リコさん」

 ビオラ様、ククリ様と順々に挨拶して「はい、それで……」と使用人の少女――リコ様は、わたしを窺いながら戸惑われていました。わたしのことを尋ねたいけれど、失礼のないように言葉を探しているようです。リコ様を助けるつもりで、こちらから挨拶しました。

「はじめまして、リコ様。わたしはメアリッサ。ククリ様のもとで助手をしています」

 挨拶のあとに微笑みをうかべて「どうぞ、よろしくお願いしますね」と先程よりも親しく語りかけて、あたまを少しだけ右側へ傾けました。貴婦人風の挨拶です、ビオラ様におそわりました。わたしは会釈するより、小さく首を傾げたほうが似合うとのことでした。

「メアリッサ、様……」

 リコ様は眩しそうに目を細めて夢心地に呟きました。

 わたしを見上げながら「お綺麗。本当に、お綺麗です……」と繰り返します。漆黒のロングドレスと純白のトーク帽で武装したわたしは、給仕服のときよりも三倍くらい美しく見えるでしょう。

 リコ様は素朴な雰囲気がありますが、顔立ちはよく、大きな黒目はひかりを美しく反射させていました。給仕服を着ていても、ビオラ様に匹敵するほどの美少女です。化粧してドレスでも着せようものなら、みなが振り返るほどの美人に変わるでしょう。

「リコ様、わたしの台詞を取られては困ります。わたしはドレスで着飾らないと美しくなれません。ですが、リコ様の美しさは宝石そのもの。どのような服を着ていようと、宝石の美しさに勝るものなどないのです」

 リコ様の頬が熱を帯びたように染まりました。

 わたしの正体が見抜かれていないようで、ひとまず安心していました。

 リコ様はふいに顔を伏せて、小さく首を左右へ振りながら「わたしなんて……」と呟きました。世辞も多少はありましたが、リコ様が美しいことは事実です。理由はわかりませんが、リコ様は自らの容姿に自信がないようでした。わたしは俯いたリコ様の顎へ手を添えると、上を向くように促しました。リコ様は恥ずかしそうに顔を上げて、わたしを見てくださいました。

 雀卵斑の頬を染めて、けれども瞳は不安そうに揺れています。

「宝石のように美しいリコ様が謙遜してはいけません。わたしは、リコ様のように美しい人から綺麗と褒められたから、素直に受け入れました。それなのに、リコ様はわたしの言葉を疑うのですか。わたしを本心から綺麗と思うのなら、わたしの言葉をどうか信じてください」

 不安に揺れていたリコ様の瞳が大きく美しく輝きました。

 一拍置いて、大きくひらいていた目を細めると、リコ様は微笑むようにわたしを見上げていました。先程よりも親しみを感じるような笑顔です。

「メアリッサ様。……いいえ、メアリ姉さまとお呼びしても構いませんか? どうぞ、わたしのことはリコとお呼びください」

 期待に満ちた目で見つめられて、わたしは答えあぐねていました。

 しばらく考えてから「わたしとリコに血の繋がりはありませんよ」と、リコと呼ぶことは了承しましたが、なぜ、わたしを姉さまと呼ぶのかわからないと返しました。

 リコは短く声をあげてから「そうですよね」と恥ずかしそうに理由を話してくれました。

 リコの説明は次のようなものでした。

 メイドの仕事で、はじめに覚えるのが客人の世話でした。新人メイドに世話の仕事をおしえるのは、先輩メイド。いきなり客人の世話をさせるのではなく、先輩メイドを客人に見立て、身の回りの世話をしながら手解きを受けます。そのあいだ先輩メイドと新人メイドの部屋もとなりで、まるで姉妹のように見えることから、新人メイドは担当の先輩メイドを敬愛を込めて、姉さま、と呼ぶという仕来りがありました。

「わたしは、なにかを教えられるほど立派ではありませんよ」

 期待に満ちていたリコの目がとたんに曇りました。わたしは起動されてから一〇日目で、知識は深くても経験の浅い、世間知らずでした。知識を披露することはできますが、なにかを教えた経験などもちろんありません。

「そのうえで、わたしを慕って頂けるなら、好きに呼んでいただいて構いません」

 わたしの一言でリコは笑顔を咲かせました。

 はじめは絡繰人形と見抜かれるかもしれないと思いましたが、蓋をあけてみれば、姉さま、と慕われるまでになりました。

 どうでしたか、と胸を張りながらビオラ様へ向くと「いきなり、わたしの使用人を口説き落とすとは。油断ならないわ、メアリッサ」と震撼していました。

「わたしを教育した人のたまものですね。ビオラ姉さま」

 わたしはビオラ様へウインクしました。

 わたしに女性らしい振舞いを指導してきたのは、他ならぬビオラ様でしたから。メイドの仕来りに倣えば、わたしの姉さまはビオラ様ということになります。わたしの返答にビオラ様は渋面していました。

 リコに視線を戻すと、なにやら不満そうに頬を膨らませていました。

「メアリ姉さまは、ひとつだけ、嘘を吐いています。メアリ姉さまは、ドレスで着飾らなくても美しくて……ううん、なにより心が綺麗でした」

 無いはずのものを褒められて、わたしは戸惑いました。

 手透きのリコは楽しそうに「さあ、メアリ姉さま、案内します」と主のビオラ様を差し置いて、わたしの手をとり、主城を案内してくださいました。

 エントランスホールの奥に女性の彫刻があり、入口から彫刻まで真直ぐに深紅の絨毯が伸びていました。左右の壁には絵画が掛けられており、吹き抜けの高い天井には豪奢なシャンデリアがスチームライトの明かりを乱反射させていました。

 正面の絨毯とは別に、左右に設けられた階段にも絨毯が伸びていて、女性の彫刻の真上に半円を描くようにホールがありました。さながら巨大な美術館という趣です。

 リコはわたしの手を引きながら、右へいこうとして、はたと足を止めて左にしようかと迷います。

「ところでビオラ様、メアリ姉さまをどちらへ案内すればよいのでしょう」

「普段は名の示すように利口な使用人ではあるけれど、舞い上がると途端に役立たずになるね、リコは。パグリシア当代のもとへ案内してちょうだい」

 ビオラ様に呆れられて、リコは頬を膨らませて反発しました。

「リコはいつでもリコーな使用人です。メアリ姉さまのまえで、おかしなことを仰らないでください。……では、改めて案内しますわ、メアリ姉さま」

 こうして軽口を言い合えるあたり、気取らないビオラ様の性格が城内の雰囲気のよさにも影響を与えているのでしょう。

 リコはわたしを離さないとばかり手を握りしめて「さあさあ、こちらです」と急かしながら歩いていきます。「逃げたりしませんよ」と伝えると「えへへ」と誤魔化し笑いのあと腕を組んできました。楽しそうなリコに案内されながら、これから会う人について考えを纏めていました。

 ビオラ様は、パグリシア当代のもとへ案内して、と仰いました。

 まぎれもなくパグリシア大図書館を建造された貴人の末裔です。リコは使用人だと一目でわかる恰好をしていたので、多少、不自然に思われたところで問題ないと判断しました。対してパグリシア当代は他人で、さらにいえば貴人です。

 絡繰人形――鉄と歯車で出来た人形とまでは見抜かれなくても、わたしの返答次第で不愉快にさせて、ククリ様とビオラ様の不利益になるかもしれません。リコのときのような会話は控えて、必要なときにだけ発言をすること。パグリシア当代を観察して、表情の変化などから不利益になると考えられるときは、ククリ様に耳打ちをすることなど指針を決めていきました。

 リコは一室のまえで立ち止まると「ここです」と小声で告げてから、ノックしました。

「パグリシア当代。ノヴァ当代と絡繰技師のククリ、その助手のメアリッサを連れて参りました」

「はい、お待ちしておりました」

 きこえた声は柔らかく、老いた女性のものでした。

 右側の扉が静かにひらくと、中から上品な使用人が現れました。パグリシア当代にあてがわれたメイドのようです。若くはありませんが、そのぶん、立ち振る舞いに洗練された美しさがありました。

 ビオラ様、ククリ様、わたしの順で入室したあと「わたしたちは外に控えていますので」とメイドは一礼して、リコを引き連れながら外へ出ると扉を閉めました。

 パグリシア当代にあてがわれた部屋は壮大華麗でした。

 磨き抜かれた大理石の床はシャンデリアを鏡のように反射して、ダンスパーティーでも催せそうな広さがありました。荘厳な機械時計(燃料に石炭を使うものを絡繰と呼ぶのに対して、発条など他のものを使うと機械と呼び名が変わりました)は、聖母が胸へ抱いているような彫刻と一体になり、正確に時を刻んでいました。コリント式の柱頭は、神々の建築様式を模したものと伝えられています。そのため神殿などに用いられることも多く、細やかなレリーフがほどこしてありました。

 点々と四人掛けの円卓があり、パグリシア当代は入口近くの円卓へ腰掛けていました。円卓の中央にキャンドルスタンドがあり、三灯の蝋燭が揺らめいていました。あらかじめ香蝋を焚いて来客の準備を整えていたようです。

 パグリシア当代――老婦人は煌びやかなドレスで着飾るわけではなく、リンネル生地よりもさらに安価な生地の服を着ていました。丈夫な反面、肌触りが悪く、裕福であればまず身につけません。壮大華麗な部屋に、パグリシア当代はあまりに不釣合いな恰好をしていました。失礼を承知で書きますと、迷い込んだ老婆が貴人の気まぐれで持て成されているように見えました。

 ビオラ様はパグリシア当代のとなりへ腰掛けて、パグリシア当代の正面にククリ様が座ります。わたしは座ることなくククリ様のうしろへ控えることにしました。

「はじめまして、絡繰技師のククリです」

「助手のメアリッサです」

 ククリ様に次いで挨拶して、今回はきちんと会釈します。

 パグリシア当代は柔和な笑みをうかべて挨拶を返すと、いたわりの言葉と共に礼を述べられました。はじめは緊張していたククリ様も、パグリシア当代の穏やかな雰囲気にのまれて安らいでいくようでした。

 わたしは決めたように不用意な発言を避けるため、三人の会話に入ることはありません。

 代わりにパグリシア当代について考えを巡らせていました。一番の疑問は、パグリシア当代は貴人のはずなのに、なぜ、庶民とおなじような恰好をしているのか、でした。

 名を明かしているので、わたしたちを試しているという可能性はありません。

 リコと挨拶をかわしたときに、宝石は着飾らずとも美しい、と述べましたが貴人は着飾らずとも貴人です。パグリシア当代の目を見れば、穏やかな中にも強さがあり、ビオラ様と似たものを感じました。着飾りさえすれば、ビオラ城の主といわれても信じていました。

 だからこそ、わかりません。

 パグリシア当代はなにを考えて、このような恰好をしているのでしょう。

 あれこれ考えを巡らせていましたが、パグリシア当代が懐から取り出したものを見て、一瞬で意識がそちらへいきました。手が円卓の中央へ伸びて、静かに、それを置きました。

「貴人証時計……ですね……」

 確認したククリ様の声は、緊張に……あるいは歓喜に震えていました。

「はい、パグリシアの当主が引き継いできた貴人証時計です」

 パグリシア当代は抑揚のない声で答えます。

 貴人証時計――ルミナージュにおいて、最も価値のある機械のひとつです。

 円卓の中央へ置かれた懐中時計の蓋は黄金で作られており、正義の女神の緻密なレリーフがほどこされていました。左手に天秤、右手に剣……天秤は正しさを、剣はちからを表しています。パグリシア当代は慣れた手つきで蓋をひらくと、文字盤と機構が計算され尽くした美しさで調和していました。ただし、針は動いていません。

 美しいだけの時計を貴人証時計とは呼びません。

 正義の女神のレリーフがほどこされていた蓋の裏側に、まるで幼児がらくがきしたような不器用さで、永久の盟友へ捧ぐ、と彫られていました。この刻字があるからこそ貴人証時計には価値があり、刻字を入れた者こそ当時の国王でした。

 貴人証時計の話をするには、まず、ノブレス・オブリージュの成り立ちから話さなければいけません。まだルミナージュが一枚岩の国となるまえの話です。統治を盤石なものにするため、国王は様々な手段を講じたのですが、その中のひとつに反乱の資金源になりそうな貴人から財産を奪うこと、大金を使わせるような仕組みを作りました。

 国王が貴人に依頼するという形で、産業基盤、生活基盤に出資させたのです。

 もしも出資の依頼を断れば、反乱の意思があると受け取られ、各地の貴人に通達されました。無駄な出費を抑えたいのは、みんなおなじでした。依頼を断ると、卑怯者と罵られ、当然ながら他の貴人たちは取引をしなくなります。今では断っても通達はなく、他の貴人に出資の話がいくだけですが、あまりに私腹ばかり肥やしていると、よくない風評が立つようです。

 先に書いたように、出資した貴人には命名権が与えられました。

 このようにノブレス・オブリージュは浸透していくのですが、特に貢献の大きな貴人、国の発展に、人々の生活が豊かになるように尽くした貴人には、貴人証時計を贈りました。

 ルミナージュの長い歴史で、貴人証時計は五点しか存在しません。稀代の天才絡繰技師、ククリ様をして歓喜と緊張に声を震わせてしまうのも仕様がありません。

「これを修理して頂きたいのです」

 パグリシア当代は静かな声でいわれました。ククリ様は息を呑んでから背を伸ばして、深呼吸を三度ほど繰り返しました。落ち着いたところで、確かめるように問います。

「どういう意味なのか、理解していますか?」

 どことなく責めるようなククリ様に、けれどもパグリシア当代は相変わらず柔らかな声で答えました。

「ええ、貴人証時計の修理は事実上不可能といわれているとか」

 ククリ様は頷いてから理由を述べていきました。

「貴人証時計は、当時の最高技術で作られています。第一に、すべて一点もので、完成したあとに設計図は破棄してイミテーションの制作さえ禁止されています。どのような内部構造をしているのか、解体すまでわかりません。表面から見えるところ、製作者、歴史書などと照らし合わせれば見当はつきますが」

 パグリシア当代が頷くのを見計らい、ククリ様は次の理由を述べていきます。

「第二に、一度解体してしまうと、もとのように組み上げることさえ非常に困難です。少なくとも、それを作り出した絡繰技師と同等程度の技術が必要になると考えていただいて相違ありません。当時の最高技術の絡繰技師と比肩できなければ、組み立てることさえ不可能です。修理となれば、さらに困難でしょう。もしも修理に失敗すれば、貴人証時計の価値は永久に失われてしまうかもしれません」

 ククリ様の説明に、そのような問題は承知のうえとパグリシア当代はしきりに相槌を打ちました。

 貴人証時計の制作は、当時の最高技術の絡繰技師が担います。絡繰技師の代表作品になるのはもちろん、その時代をも代表するような一品といわれていました。そのため最高の腕をもつ絡繰技師が技術のかぎりを尽くして制作にあたりました。

 技術的な問題さえクリアできれば、貴人証時計の修理は可能でした。

 修理できれば機械時計としての価値も上乗せされて高まるのかもしれませんが、反面失敗したときのリスクが高すぎるのです。端から修理など考えずに作られたものなので、リスクを冒してまで修理をするメリットはなく、ゆえに事実上不可能といわれていました。

「理由がわからなければ、とても受けれません」

 諭すようなククリ様の言葉に、パグリシア当代は頷いて、やがて理由を語りました。

 パグリシア当代には余命幾許もない難病の娘がいるのですが、外科治療を受ければ助かるらしく、治療費の捻出に貴人証時計を売り払いたいとビオラ様に相談を持ち掛けました。ビオラ様の返答は、壊れた貴人証時計では生き長らえるだけの金額では売れない。ルミナージュで一番の絡繰技師に事情を説明して、修理が可能かどうか、引き受けてもらえるかを相談したい。そのような経緯でククリ様を紹介したようです。

 ありふれた理由ですが、そうまでして難病の娘を助けたいのはわかりました。

 過去に栄華を極めて、貴人証時計まで贈られたパグリシアですが、難病の娘の治療費も払えないほどに落ちぶれたのでしょう。ビオラ様がパグリシア大図書館を悲しそうに眺めて涙を流していたのは、貴人証時計を売り払わなければ治療費も用意できないほどに落ちぶれたパグリシアを思えばこそで、欠伸して流れたククリ様の涙とは大違いでした。

 けれども、わからないこともありました。

 貴人証時計――名の示すように貴人の証として国王から贈られるもので、公式に地位を約束するという意味もあります。当人が望むのであれば、売り払わずとも助けられるはずでした。貴人証時計を贈られたほどの名門を、どのような者も、たとえ国王さえも蔑ろにはできません。治療費が必要だとビオラ様ではなく国王に相談していれば、国庫から捻出していた可能性も大いにありました。

 それなのにパグリシア当代は選びませんでした。

 そんなパグリシア当代の心にもまた、貴人のプライドという厄介な病魔が住み着いていたのです。それを知るのは、夕食を頂いたあとでした。

 ちなみにククリ様は「ビオラ城は広くて落ち着かないけど、食事だけは美味しいんだよね」と食事のあとだけ上機嫌でした。わたしの食事といえば石炭です。おなじ食卓を囲むわけにはいきませんが、きちんと燃料の石炭を頂きました。

 いつもとおなじ石炭化度の瀝青炭でした。

 なんだか不公平な気がします。


     *  *  *


 ククリ様は貴人証時計を一旦預かり「僕に修理可能かどうか、一晩、検討させてください」と保留にしていました。夕食のあと、わたしたちはククリ様の部屋へ集まり、パグリシア当代の依頼を受けるかどうかの話し合いをしました。

 わたしとククリ様の部屋は別々に用意してあり、パグリシア当代の部屋と較べると小さく質素なものの、これまで暮らしていた住居とは比較にならないほど立派でした。ビオラ様の説明では、直属の使用人(ククリ様はビオラ様直属の絡繰技師で、他の絡繰技師を束ねるような地位にありました。リコはククリ様の世話係を命じられているので、ビオラ様直属の使用人ではありません。ビオラ様直属の使用人には、コックチーフ、レディーズメイドなどがいます)に与えられる部屋と同等程度ということでした。

 ククリ様はマホガニーの円卓の中央へ貴人証時計を置いて、蓋をひらきました。

「まずは、そうだね。引き受けるかどうかのまえに、一応尋ねておくけれど、ククリ、君の腕で修理は可能なのかい」

 今回はわたしも同席して、なりゆきを見守ります。

「解体してみるまで正確なところは、なんとも。表面から見えるところだけなら、スプリットセコンド、パワーリザーブインジケーター、メロディーミニッツリピーター。あとはクロストゥールビヨン機構などが搭載されてます」

 時を刻むだけの時計なら、ククリ様は欠伸をしている最中に直してしまいます。けれども搭載された機構が増えるだけ修理も難しくなりました。

 スプリットセコンド(より正確には、スプリットセコンドクロノグラフという機構です)は簡単に説明するなら、ふたつの時間を計測可能なストップウォッチ機能のことです。二本の秒針をコントロールするため高い技術が求められます。パワーリザーブインジケーターは、残り稼働時間を可視化する機構のこと。メロディーミニッツリピーターは、様々なメロディーで時間を知らせる機構のことです。

 中でも飛び抜けて難しいのは、クロストゥールビヨン機構でした。

 クロストゥールビヨン機構は時計本体(テンプ、脱進機など)にふたつの回転軸を持たせることにより、時計の心臓部を三次元的に回転させる機構のことです。おなじところばかりに負担が掛からないように考えられた機構で、長期間にわたり優れた精度を維持できました。ただし要求される技術が桁違いに高く、部品の数も多いため壊れやすく、値段に見合うだけの機構とはいえません。今では、絡繰技師が自らの腕を宣伝するため、展示用の時計に搭載されることがあるという程度でした。

「これらの機構を基準に考えると、修理は可能です」

 ククリ様は答えたあとに、天井を仰ぐように背板へ凭れました。

「僕に修理できないのは、リリーナ・シュベイン・アサーランの作品だけ」

 リリーナ・シュベイン・アサーラン――検索を掛けたのですが、あまりに膨大なデータ量に処理に時間が掛かりました。

 リリーナ様はククリ様の母親で、おなじく絡繰技師でした。

 というより、どれほど過小評価しても、歴史上最も優れた絡繰技師といわれるほどでした。絡繰技師の腕はもちろんのこと、新たな機構を生み出すことに天才的な才能を発揮しました。

 リリーナ様の才能を語るのに適した言葉がありました。

 あと一周期長く生きていれば白暦を終わらせていた、とそのように評価されていました。

 白暦を終わらせるとは、すなわち、霧の歴史を終わらせるということ。石炭を燃やせば煙が出るのは当りまえで、燃料に石炭を使用するかぎり白暦は終わりません。リリーナ様が今も生きていれば、石炭を燃やしながら煙を出さない機構を生み出していたかもしれない、と多くの絡繰技師がそのように評価していました。もちろん例え話で、そのような機構は存在そのものが矛盾しています。

 死亡原因の欄には事故とありました。

 検索結果が情報の洪水なのに対して、死亡原因は雨水の一滴ほどのデータしかありません。いつの事故なのか、どのような事故なのか、そのような情報がひとつも見つからないのです。データの偏りでは説明がつきませんが、調べても見つからないので検索を打ちきりました。

 ククリ様の言葉は、リリーナ様は別格として、他数多の絡繰技師よりは優れているということ。リリーナ様の血を引いていなければ、高慢がすぎると思われるでしょう。

 ククリ様の声には悔しさのようなものが含まれていました。鬼籍に入られた母親を尊敬しながらも、いつの日にか、追い越したいという思いがあるのかもしれません。

「はは、それは頼もしいな」

 ビオラ様は乾いた笑声のあと、声を震わせて言いました。

 円卓の貴人証時計を見るように俯いたビオラ様の表情が、パグリシア大図書館を眺めていたときの悲痛なものと重なりました。

 ククリ様は、ビオラ様の口から、仕事を引き受けてほしい、と言われるのを待ち構えていました。けれどもビオラ様の口はひらかれず、あたりを沈黙が支配していました。

 重たい沈黙を破ったのは、ククリ様の大きな溜息でした。

「売り払うために修理してほしいなんて、正直、気乗りしませんね」

「ああ、貴人証時計は、いわば貴人の魂だからね。売り払うと明言されていたら、修理すべきかと悩むのは当然だろう。自らの命ならともかく、娘の命より価値があるかと問われたら、当人次第だろうけれど。見捨てたところで、だれも、責めたりしないさ。どちらを選んでも悔いは残るだろう」

 息もつかずにビオラ様は捲し立てました。

 どことなく話が横道にそれているように思うのですが、ククリ様は「そういうことか」とビオラ様にきこえないように呟いていました。この時点でククリ様は気づいていたのかもしれません。ビオラ様は仕事を断られるのを望んでいると。

 わたしは気づかず、横道にそれたのを幸いと口を挟みました。

「なぜ、売り払わなければならないのですか? パグリシアは代々、多くの慈善奉仕をされてきました。パグリシア大図書館、パグリシア通り、大通り、歴史美術館、いくらでも出てきます。それらの功績が認められて、貴人証時計を贈られました。わたしの読んだ童話では、こういうシーンだと、みんなが恩を返していました。なぜ、パグリシア当代がお困りのときに助けないのですか」

 わたしは歴代のパグリシア当代の活躍を並べ立て、捲し立てました。

 冷たく感じたから、とそのような人間らしい感情からではなく、単純に童話との差異が知りたいからでした。もしも心が画一的なものであれば、童話とおなじように、みんなが少しずつでも金銭を出し合い、パグリシア当代は貴人証時計を売り払わずに済むという結末を迎えると思いました。

 ビオラ様の一言で、知ることになります。

 心は画一的ではなく、パグリシア当代の心に厄介な病魔が住み着いていることを――。

「それはね、メアリッサ。パグリシア当代が真の貴人だからだよ」

「……真の貴人、だから?」

 意味がわからず、ビオラ様の言葉を繰り返しました。

 ビオラ様は大きく息を吸うと、わたしを鳶色の目で真直ぐに見つめて答えてくださいました。

「貴人の義務、ノブレス・オブリージュ。貴人とは当然のように慈善奉仕をしなければならない。今のパグリシアに出資するだけの財は無いけれど、貴人とは決してほどこしを受ける側ではないんだ。パグリシアは落ちぶれたといえ、貴人の心を忘れていない。貴人の義務を果たせないことに、だれより心を痛めておられた。もしもパグリシア当代が一言、娘を助けてほしい、と声に出せば、多くの人が手を差し伸べるだろう。でも、こちらから手を差し出すことはできないんだ。そのようなことをしようものなら、あなたはもう貴人ではないのです、と宣言するようなものだからね。貴人にとり、最大の侮辱だ」

 わたしには難しい話でした。

 だからこそ不用意な一言を発してしまいました。

「貴人の義務を果たせないパグリシア当代は、もはや、貴人とはいえないのではありませんか」

 次の瞬間に、ビオラ様の瞳のなかに怒りの炎が揺らめきました。ビオラ様は怒りの炎を鎮めるように、瞼を閉じて、天井へ向けて両手を伸ばしました。手をおろしながら長く息を吐いて、低い声で尋ねてきました。

「貴人と庶民の違いは、どこにあるんだろうな」

「貴人は地位の高い人のこと、庶民は一般の多くの人ではないでしょうか」

 いつものようにデータを参照して、ふたつの差異について読み上げました。調べれば出てくるようなことを尋ねられているとは思えませんが、どのような答えを求められているのかもわかりません。

「ビオラ様は、どのような違いがあると考えているのですか」

 辞書に書かれている程度のことなら、ビオラ様も知識としてあるでしょう。そのうえで、おなじ質問をビオラ様に返しました。綺麗なものには心が有るとビオラ様は仰いました。辞書のどこを探しても、そのようなことは書かれていません。ビオラ様自身の考えを知りたくなりました。

 童話のなかで、人を助けることは常に善いこととして描かれていました。それなのに、パグリシア当代は助けなど求めていない。手を差し伸べられることは、最大の侮辱とまでビオラ様は仰いました。もしも心が画一的なものであれば、助けられることを嫌がりなどしません。

 だからこそ知りたくなりました。

 考えを知ることは、心を知ることに似ていると思うから。

「一番の違いは、心の在りかただろうね。わたしはそう考えているよ。地位が人を作るではないけれど、貴人に生まれた者は、死ぬまで貴人のままなんだ。貴人の義務は果たせない、暮らしぶりは庶民と変わらない。それでも貴人証時計があるかぎり、貴人のプライドは捨てられない。貴人証時計を売り払うのは、貴人の心もプライドも、国王からの信頼も、祖先が積み上げてきたあらゆるものを捨てることに等しいんだ」

 貴人には貴人の心があるということ、庶民には庶民の心があるということ。心とは生まれや環境で大きく変わるのかもしれません。もしもパグリシア当代が庶民に生まれていたら、貴人のプライドなど持ち合わせるはずがないのです。

 ククリ様は、ふたたび背板へ凭れて「偏屈な人ですねえ」と欠伸をしながら仰いました。

「ああ、偏屈な婆様だよ、パグリシア当代は。わたしもそうありたいと思うほどに、貴人の鑑だ」

 心の底から尊崇しているようにビオラ様は温かな声で仰いました。

「ノヴァは栄えているけれど、いずれ落ちぶれるかもしれない。落ちぶれたときに、今のパグリシア当代のように気高く生きたいとおもう。美しく生きたいとおもう。わたしの末裔が落ちぶれたときに、貴人の誇りを忘れないでほしい。追い詰められたときにこそ、人の本性は現れるものだから」

 盛者必衰という言葉が示すように、栄える者もいずれ衰えます。

 ビオラ様が落ちぶれたパグリシア当代を持て成していたのは、貴人としての理想を体現しているからなのかもしれません。

「身の丈に合わない生きかたなんて、苦痛なだけですよ」

 静かな水面に一粒のしずくを落とすように、ククリ様は呟きました。

「貴人証時計が貴人の生きかたを強要するものなら、そんなものは呪いですよ。ないほうがいい、ないほうが幸せに生きられるから」

 水面を叩いたしずくから波紋が広がるように、ククリ様の言葉は小さな波のように広がりました。ククリ様は円卓を軽く叩いて、さらに大きな波を起こします。

「いつまで茶番を続けるつもりですか。やめましょう、ビオラ、こんな建前の話なんて」

 和やかな空気は、一瞬で張り詰めた緊張感を纏いました。

 ビオラ様は顔を伏せました。いつもの堂々としていた雰囲気も消えて、幼い少女のように見えました。しばらくしてククリ様はまた円卓を叩きました。

「今度は、だんまりですか。なら、わかりやすく言い換えます。……あまり僕を無礼るなよ」

 それでもなお、ビオラ様は黙り込んでいました。

 ククリ様は呆れたように溜息を吐いたあと、自らの推察を述べていきます。

「壊れている程度で貴人証時計の価値がさがると本気にするわけないでしょう。パグリシア当代は、このように相談を持ち掛けたのではないですか。貴人証時計を売り払い、娘の治療費にあてたいけれど、壊れているから高値で売れないでしょうね。ビオラの答えは、ええ、そう思います。腕利きの絡繰技師に修理が可能かどうか尋ねてみましょう。だれも本心では売り払うつもりなんてないんですよ。ではなぜ、このような話を僕に持ち掛けたのか。簡単なこと。娘を見殺しにしたわけじゃない、助けるために最善を尽くした。そういう贖宥状が欲しくて、僕を利用した。僕が仕事を断るように誘導してますよね」

 ククリ様のチャコールグレーの瞳がビオラ様を射抜くように見ていました。

「貴人のプライドなんて、庶民の僕には石炭の一欠片の価値もない、つまらないものにしか思えない。でも、僕にも絡繰技師のプライドがあります。僕の仕事が誰かを不幸にするなら、はじめから引き受けたりしない」

 もしも売り払うことでパグリシア当代が苦しむなら、ククリ様は引き受けません。

 静かな時間が流れていきます。長い沈黙は、壊れた時計から秒針の音がきこえてきそうなほどでした。ビオラ様の息遣いが変わり「……すまない」と小さな声で謝罪がありました。

「でも、勘違いしないでほしい」

 顔を上げて、ビオラ様は経緯を話し始めました。

「パグリシア当代は、本心から貴人証時計を手離そうとしていた。わたしが引き止めたんだ。パグリシア当代は、今まで、誰よりも苦しんでいた。あのように生きたいと、わたしは幼い頃から憧れていた。没落して、苦しみながらも気高く生きるパグリシア当代は、誰よりも美しく思えた。真の貴人とは、あのような人のことを指すのだと。でも、もしも、貴人証時計を手離してしまえば、パグリシア当代は命を終えたあとも救われない。これまで散々苦しんできたのに、どうして、それより重たい罪を背負わせようとするんだ。貴人の生きかたを貫いてきたのに、祖先に顔向けできないなんて、あんまりじゃないか」

 懺悔なのでしょう。

 ビオラ様は捲し立てたあとに俯いて、唇を噛んで嗚咽を堪えていました。けれども涙は止められず、円卓のうえに滴が落ちていきます。パグリシア当代の娘とも面識はあるのでしょう。本心では助けたい。助けたい――けれど、ごめんなさい、と。

「わたしのこと、人殺しと罵ればいい」

 詳しい事情を話さなければ、ククリ様は引き受けていたかもしれません。ビオラ様の言葉は、ククリ様を守ろうとしたように感じました。最終的に、仕事を受けるかどうかの判断はククリ様がします。断られるように誘導したのだから、その罪は、ビオラ様自身にあると。

「本当に、くだらない。貴人のプライドなんて」

 ククリ様は吐き捨てるように言うとビオラ様のあたまへ手を置きました。まるで幼児をあやすように優しく撫でながら、温かな眼差しで見ていました。

「言えばいいのに。助けてほしい、と一言だけでも。パグリシア当代も、ビオラも」

 ビオラ様は顔を上げて「……わたしも?」と不思議そうに首を傾げました。ククリ様は撫でていた手を離して不機嫌そうに眉を寄せます。

「僕に助けを求めていれば、それで終わりなんですよ。同情を求めたり、あげく、人殺しと罵ればいい? ひとりで背負おうとして、押しつぶされて、貴人のプライド? 本当に、くだらない。助けてと言えないくせに、弱味を見せて、僕が見捨てるとでも考えているんですか。それほどまでに、僕は薄情者に見えるんですか。本当に似てますよ、ビオラとパグリシア当代は」

 一息で捲し立てたククリ様は、肩で息をしていました。

「でも、どうすることも出来ないわ!」

 男性を装う仮面が外れて、泣き叫ぶような声でビオラ様は言いました。

「誰もが救われる結末なんて、どこにあるのよ。どちらかを選ばないといけないの。正しいか正しくないかなんて、そんなの知らない。わたしは、パグリシア当代を救いたい。それは、そんなにもいけないことなの」

 人を救いたいという思いは、悪いはずがありません。

 それだけなら、とても尊くて正しいことです。

「仕事、引き受けるよ」

 ククリ様は柔らかな笑みをうかべて、静かな声で言いました。

 ビオラ様は息を呑むと、親の仇のようにククリ様を睨みました。貴人のプライドを守るより人の命を助けるほうが重要、とビオラ様は受け取りました。

「もう忘れたの、ビオラ。絡繰技師のプライドは、絡繰で人を幸せにすること。僕の仕事が誰かを不幸にするなら、はじめから引き受けたりしない。他人には石炭の一欠片の価値もないプライドでも、絡繰技師であるかぎり、決して曲げない。そういうものだから」

 ククリ様は一旦言葉を止めると、真直ぐにビオラ様を見ていました。

「僕を信じて」

 誰も不幸にしない。その言葉を信じて、と――。

 ビオラ様は大きく瞬きを繰り返したあと、静かに視線をさげました。

「信じる、信じているわ。……これまでも、これからも」

 ククリ様は立ち上がり「はい」と満足そうに頷いて「明日から仕事だよ、メアリ」と寝室へ向かいます。寝室の扉をひらいたところで思い出したように振り返りました。

「あ、そうそう、ひとつだけ条件がありました」


     *  *  *


 仕事を受けると決めた次の日です。

 ククリ様とビオラ様は、パグリシア当代へ会いにいきました。ククリ様は、貴人証時計の修理依頼を引き受けたことを伝えるため。ビオラ様は、すでに買主と金額も決定していると伝えて、手数料を引いた金額をパグリシア当代へ立て替えて渡しました。

 ここからの流れは次のようになります。ククリ様は修理した貴人証時計をビオラ様へ渡して、ビオラ様と買主のあいだで売買をおこなえば終わりです。

 ククリ様は、起きてすぐにアトリエの舘へこもりました。

 ククリ様の朝食を運んできたリコは、慣れたようすでアトリエの舘へ入るとテーブルのうえに鉄製のサービングトレイを置いて、作業中のククリ様には声を掛けず、速足でわたしのもとまで来ました。

「メアリ姉さまの食事の世話はしなくてよいと、ビオラ様は仰いましたけれど」

「はい、わたしは先に頂きましたから」

 小声で残念そうに話しかけてきたリコへ、わたしは微笑みながら返しました。

 わたしの正体を知るのは、ククリ様とビオラ様だけです。なにも知らないリコに食事の石炭を運ばせたり、食べるところを見られるわけにはいきません。いくら残念がられても、ここだけは譲れませんでした。

 ふたりで並んで作業を眺めながら(見えるのは主にククリ様の背中ですけれど)、ククリ様が手を止めたところで、リコは「ククリ様、食事を用意しています」と一声掛けました。ククリ様の朝食はブルスケッタでした。一〇枚ほどスライスされたパンが置いてあり、別皿にハムやチーズ、煮込み肉、サラダ、ジャム、あとはハーブなど様々なトッピングが用意してありました。

 食事が終わるとリコはトレイをさげて「ククリ様、また夕食の時刻に呼びに来ますね」と主城へ戻りました。リコの主な仕事は、ククリ様とわたしの部屋の清掃、ベッドメーキング、キャンドルスタンドの蝋燭の減り具合の確認、備えつけの時計の遅速などの点検。ククリ様とわたしが快適に暮らせるように様々なことをしてくださいました。

 ククリ様は一日目に、貴人証時計の解体をしました。

 解体には先を樹脂加工した逆作用ピンセットを使います。先が金属であれば、解体中にキズを入れてしまう可能性がありました。逆作用ピンセットを使うのもおなじ理由で、ちから加減でパーツに歪みを入れないためです。

 解体したパーツから洗浄液へ浸して、全パーツ、数千ものネジや歯車、シャフトを洗浄し終えたところで一日目の作業は終わりました。

 一日目にわたしの仕事はなく、代わりに昨夜のことを考えていました。

 ククリ様は、どのような手段を用いようとしているのか。代々引き継いできた貴人証時計を売り払えば、パグリシア当代は苦しむことになります。売り払わなければ、パグリシア当代の娘は助かりません。

 ククリ様は、修理する代わりに、ひとつだけ条件を出しました。

 ですが、それらの要素を合わせても、ククリ様の考えはわかりませんでした。

 二日目から、わたしの仕事は一気に増えました。貴人証時計の全パーツ――数千ものパーツ、すべての規格を紙に記していく仕事です。

 いいえ、パーツの規格と表現するのは乱暴かもしれません。本来修理といえば、破損したパーツを調べ上げて、代用可能なパーツに差し替えることをいいます。規格とは、形や素材などを基準にしたもので、規格が合えば代用可能となります。

 歯車の規格であれば、使用された素材、モジュール、歯数、ピッチなどを指していました。

 ククリ様は規格にくわえて、パーツの精度、細かなキズ、歪みや捻じれ、疲労度数など――現在の技術で計測可能なすべての要素を最高の精度で調べて、結果を読み上げていきます。わたしは読み上げられたものを記憶しながら、コットンペーパーへ書き出していきました。

 歯車ひとつ、ネジひとつ、それ自体がひとつの完成作品のように、すべてのパーツの設計図とも呼べるものを書き出していたということです。このような工程は修理には不要でした。わたしの勘が鋭ければ、あるいは気づいていたのかもしれません。ですがまだ、ほんの小さな違和感でしかありませんでした。

 ククリ様はすべてのパーツの規格を一〇日ほどかけて計測すると、作業は次の工程へ移ろうとしていました。次の違和感は、ククリ様と一緒に修理に必要な材料の買い出しに出掛けたときでした。


     *  *  *


 ククリ様は、朝起きてすぐにアトリエの舘へ出掛けて、仕事を始めます。リコの運んできた朝食を短い時間で摂り、夕食までアトリエの舘から離れません。夕食のあとも就寝まで作業をすることがほとんどでした。

 一日目の作業は、壊れた貴人証時計の解体と洗浄。

 次の日から一〇日かけて、全パーツの計測。

 計測を終えた次の日の午前中に、全パーツの規格を読み返して、ついでとばかり貴人証時計を組み上げていました。当時の最高技術の絡繰技師と比肩できなければ、組み立てることさえ不可能ですが、ククリ様は二時間足らずで組んでしまいました。

 修理を終えたのかと組み上げられた貴人証時計を見ましたが、相変わらず針が動く気配はありません。

 ククリ様は立ち上がると、わたしのほうへ振りむいて、

「メアリ、これから修理に必要な材料を買いにいくよ」

 と、アトリエの舘から出ていきます。

 わたしは助手らしく一歩半遅れてついていきました。

 アトリエの舘の裏手に一台のスチームコーチが停めてありました。スチームコーチは自動車部とスチームエンジンを連結させていますが、こちらは自動車部しかありません。修理中かと思いましたが、自動車部にスチームエンジンを内蔵したタイプのようです。

 ククリ様は手慣れたようすでフラッシュボイラーに火を入れると、すぐに排気口から白い煙が上がりました。ククリ様が運転席に乗り込んで、わたしも助手席へ乗りました。

 一般的なスチームコーチの排気音は、お世辞にも静かとはいえません。背中から打楽器を打ち鳴らすような音がします。けれどもこちらは、内緒話も出来そうなほどに静かでした。

 乗り心地にしても段違いでした。

 一般的なスチームコーチは乗り心地が悪く、貴人の腰痛はスチームコーチが原因と揶揄されていました。貴人への皮肉もいくぶん含まれているとはいえ、乗り心地は馬車より悪いといわれていました。けれどもこちらは、あたかもゆりかごです。お喋りしても舌を噛むことなく、いびきを掻きます。運転手がいびきを掻いては、大変なことになりますけれど。

 道路の衝撃を吸収するためにスプリングを入れているようです。

 ククリ様は絡繰専門店のまえにスチームコーチを停めました。

 錆びたアイアンサインに『ネオヴィクトリアン』と書いてあるのがどうにか確認できました。店に小窓もありますが、黒の画用紙を貼りつけたように煤で汚れていました。ククリ様は押しながら戸をひらくのですが、錆びた蝶番が悲鳴のように高い声で鳴きます。

 店へ入り、わたしは目を疑いました。

 失礼な書きかたをするなら、ゴミが散乱していました。棚という棚にネジやらベアリングやらシャフトやら金板やら道具やらやら。棚が傾いて、となりの棚を支えにしていたり、とても営業中の店とは思えません。店にスチームコーチが突撃すれば、このような惨状になるのかもしれません。

 ククリ様は棚からはみだしたシャフトに顔面を強打したり、足もとの金属片に躓きそうになりながら「わあ」とか「これは凄いよ、高いんだろうな」と目を爛々と輝かせていました。もちろん目を光らせたのではなく、生き生きと嬉しそうに笑うという意味です。

 珍しいものを見つけたら、それしか見えなくなるようでした。

「ほらほら、見てよ、メアリ」

 ククリ様は手のひらほどの大きさの、でこぼこした金板を手にとり(ついでに棚から金属製のプーリーが落ちて、ククリ様の右足を直撃しました)、少しだけ涙目になりながらも嬉しそうにわたしに見せてきます。わたしの感想といえば一言でした。

「ゴミですね」

「違うよ」

 ククリ様は眉根を寄せて不満げな表情を作ると「いいかい、メアリ」と、手にした金板の説明を始めました。

「これはね、一五周期ほど昔に作られた――(ククリ様の説明は長く、日記のページを一〇枚ほど使うため、一言で済ませますが、とても貴重な合金とのことです)――宝石と同等の値段で取引されていたんだ。つまり、なんていえばいいのかな」

「つまり、ゴミですね」

 ククリ様は憤慨して「違うから」と叫びますが、どう見てもゴミでした。

 ククリ様の怒声に呼応するように、店の奥から店主らしき老人が現れました。立派な白髭をたくわえ右目にモノクルを着用した、いつ寿命を迎えてもおかしくない高齢の老人です。

「おやおや、賑やかな客だと思えば、ククリかい。すぐにそいつを見つけるとは、リリーのせがれだけあるわい。あいつもここへ来ては、商品で騒音を立てていたわ。懐かしいねえ」

 ククリ様は背筋を伸ばして、会釈してました。

「はい、ご無沙汰しています」

 ビオラ様相手だとククリ様は挨拶すらしません。目のまえの老人が、ビオラ様よりも敬意を払うべき人とは、とても思えませんけれど。

「堅苦しいのはよしとくれ。わしはただの老いぼれよ」

 ただの老いぼれと自称していますが、わたしはすぐに、老人が只者ではないと見抜きました。無数に散らばる足もとの商品ゴミをひとつも踏まずに近づいてきたのです。

「そちらのお嬢さんは、はじめてだねえ」

「はい、はじめまして、メアリッサと申します。ククリ様のもとで助手をしています」

 わたしの自己紹介に、老人は悲痛な表情をしました。

「ククリのもとで働きながら、そいつの価値がわからんとは」

「あはは、身の回りの世話だから、メアリの仕事は」

 見ず知らずの老人に嘆かれたあげく、ククリ様は弁解するように仰いました。役立たずな助手を雇用していると思われるのは、ククリ様の不利益になるかもしれません。わたしはすぐさまデータを検索して、合金の説明文を読み上げていきます。

「――と、このような性質から、当時は重宝されていましたが、より安価で上位互換というべき合金が出回り始めたことで役目を失いました。当時は貴重な合金でも、今はゴミでしかありません」

 老人の目が哀れみから驚きへ変わりました。

「ほほう、悪いのは目ではなく口かね。ククリが助手として雇うだけあるわい」

「わたしの口は、正直なだけですけれど」

 老人は白髭を撫でながら笑います。

 わたしたちの会話が一段落して、ククリ様はここへ来た理由を話しました。

 ククリ様は貴人証時計の修理に、当時使われていた金属を使おうと考えていました。金属は時間の経過とともに自然時効、あるいは経時変化などで性質の変わるものもありました。貴人証時計は歴史を代表するような作品です。修理して一部のパーツのみ新しいという不自然さを避けようとしていた――という尤もらしい理由ではありません。修理に使うにしては、買い込んだものが異常に多いのです。買い込んだ量に違和感がありました。

 修理に不要な、パーツの設計図と呼べるものを作成していた違和感。

 修理に使うには、あまりに多くのものを買い込んでいた違和感。

 数日して、ククリ様がなにをしようとしているのか、わたしも気づきました。

 もしも仮にですが、パーツの設計図をもとにして、新たなパーツを作り出したとしたら。現在の技術で測定可能なすべての要素を最高の精度で再現したとしたら。もしかしたら現在の技術では、いくら時間をかけても、もとのパーツとの差異を見つけることは不可能かもしれません。

 もしも仮にですが、すべてのパーツを設計図をもとに完璧に作り出して、おなじように組み上げたとしたら、現在の技術では鑑別不可能なおなじ時計がふたつ存在することになります。

 ククリ様は貴人証時計を修理していたのではなく、贋作を作ろうとしていました。

 貴人証時計の作られた時代の最高技術をはるかに凌駕した技術を用いて、真作をこえた贋作を――神をも欺く奇跡の贋作を作ろうとしていました。


     *  *  *


 買い出しから贋作を作り終えるまで、五〇日ほど必要でした。

 材料は当時のものを用いて、設計図の通りにパーツを整形していくのですが、新たに作り出したため表面は本来のパーツほど腐食していません。腐食さえも本来のパーツに近づけていくため、薬品を染み込ませたコットンで表面を優しく叩いていきます。

 絵画のクラクリュールとおなじで、金属表面の腐食率は真贋判定に大きく影響しました。今では薬品を用いることで人為的にクラクリュールを再現させるという技術が生まれ、金属も同様に人為的に古く見せることも可能になりました。ですが、クラクリュールは絵画の指紋のようなもので、おなじものは作れません。ククリ様は、金属のそれさえも再現しようとしていました。

 もしも修理だけに時間を費やしていたなら、一日も経たずに終えていたかもしれません。

 イミテーションと呼ぶのも憚られるほど完璧に再現された贋作は、けれども存在してはいけないものです。ククリ様はもちろん、贋作の作製が罪に問われることを承知していました。

「もしも」

 ククリ様は完成した貴人証時計の贋作と、となりに真作を並べて呟きました。

 卓上のスチームライトのもとで黄金に輝くふたつの貴人証時計の表面には、大小様々なキズが無数にありました。並べることで、はじめて異様さに気づきます。無数のキズさえ精確に再現しているため、輝きかたに違いがないのです。

「もしも貴人のプライドを損ねることなく、貴人証時計を手離さなくて済むなら」

 ククリ様は目を閉じて、緩やかに言葉にしていきます。

 パグリシア当代の依頼を受けるかどうかの話し合いのとき、はじめは不可能だと思いました。

「それを幸せというのなら」

 ククリ様の答えは、贋作を作りだすこと。

 贋作を売り払い、真作をパグリシア当代へ返せば、なにも失うことなく治療費が手に入るかもしれません。けれども、貴人証時計を返そうとしたところで、パグリシア当代が素直に受け取るとは思えませんでした。

 なにかしら受け取るための口実が必要でした。

 今も、具体的な口実は、わたしには思い浮かびません。

「僕は、そうするよ」

 ククリ様は瞼をあけて、ふたつの時計の蓋をひらきました。

 天秤と剣を手にした正義の女神のレリーフの裏側、永久の盟友へ捧ぐ、と彫られています。文字盤と機構が計算され尽くした美しさで調和して、表側同様に僅かな違いも見つけられないほど贋作は精巧に作られていました。

 当時の技術のかぎりを尽くして作られた貴人証時計と、それをも凌駕した圧倒的技術で作られた贋作。神をも欺く奇跡の贋作。けれども決定的な違いが一箇所だけありました。

 秒針の音は、ひとつだけ響いていました。


     *  *  *


 贋作をビオラ様へ渡して、代わりに修理代を頂いて、表向きは今回の仕事は終わりました。ですが、ククリ様の手もとには貴人証時計の真作があるので、なにかしらの手段を用いてパグリシア当代へ返さなければなりません。

 ビオラ様の運転で六一日振りに小さな住居へ戻り、五日ほどは平穏にすぎていきました。毎日のようにビオラ様がいらしては、わたしが応対して、ククリ様は道具の手入れに余念がありません。本当になにも起こらず、静かで、変化のない日々でした。

 事態が大きく動いたのは、五日目にビオラ様がいらしたときです。

 ククリ様は道具を片づけたあとに「パグリシア当代に用事があるんだ。ビオラ、運転よろしく」と、まるで使用人のようにビオラ様へ命じました。ビオラ様は機嫌を損ねるどころか「ようやくね」と笑顔を弾けさせて飛び出していきます。

 用事とは、貴人証時計を返すためだと予想していました。

 ビオラ様もおなじ結論に達していたのでしょう。どのような手段を用いて貴人証時計を返すのか、ビオラ様もわたしも知りません。いいえ、ビオラ様は修理したと渡された時計が贋作とさえ知りませんでした。

 ビオラ様がスチームコーチのエンジンを始動させているあいだに、ククリ様は貴人証時計と修理代を懐へ入れていました。そうして、わたしたち三人はパグリシア当代の暮らす住居へ向かいました。

 パグリシア当代の住居は、パグリシア大図書館をすぎたところにありました。

 大きさは、ククリ様とわたしの暮らす住居と変わりません。ただ周りに他の住居はなく、閑散としていました。住居のとなりに井戸があり、畑もあります。買い出しにいかなくても、食料に困ることはなさそうでした。

 住居から二〇歩ほど離れた道べりにスチームコーチを停めると、ククリ様は「すぐに用事を済ませてくるから」と軽い口調で告げてから、ひとり、パグリシア当代のもとへ向かいました。白い霧へ消えていくククリ様の背中を、ビオラ様は首を傾げながら見ていました。

「どういうことかしら」

「だれも不幸にしない。その約束を果たすためだと思います。パグリシア当代は娘の治療費を手に入れました。一度は手離した貴人証時計を返還すれば、だれも不幸になりません」

 ビオラ様は懐へ手を入れて、

「でも、貴人証時計は、ここにあるわ」

 感触を確かめたあとに言います。ビオラ様に渡したものは贋作ですが、口に出すのは憚られました。贋作の作製は罪に問われるため、ククリ様の不利益になると考えたからです。

「あんな条件を出したくせに、なにも言わないのも変なのよね」

 ビオラ様のいう条件とは、仕事を引き受けるときにククリ様が提示したものでした。

『あ、そうそう、ひとつだけ条件がありました。修理した貴人証時計は僕が買い取ります』

 このときに、すぐにひとつの筋書きが見えました。修理した貴人証時計をククリ様自身が手に入れて、パグリシア当代へ返すというものです。

「はじめは、なにも失わず治療費を手に入れることなど不可能と思いました。なによりパグリシア当代が情けを受けるのを望んでいないのですから。ですが、ククリ様は、奇跡を必然に変えてしまえるほどの才能があると感じました。心も感情もない絡繰人形のわたしでも、ククリ様の仕事ぶりを近くで拝見して、わたしなどには一端さえ見えない構想があるのだと確信しました。ビオラ様は信じていないのですか」

 ビオラ様は思案を打ちきると、表情を和らげました。

「信じているわ、もちろん」

 大きく頷いたあと「でも、確かめたいの」と、ククリ様のあとを足音を立てないように追いかけて、わたしも続きました。

「ククリの仕事と技術を余すところなく見届けて、ククリの世界へ少しでも近づきたい。その世界は、わたしの知らないことに溢れているわ」

 好きな人を目で追いかけてしまうように、ビオラ様は目を輝かせていました。ですが恋する乙女というには好奇心も大きく、好意と興味がおなじだけ同居しているようでした。

 ククリ様は戸をノックして「絡繰技師のククリです。パグリシア当代に伝えなければならないことがあり、参りました」と、淡々と用件を伝えると、しばらくして「どうぞ」とパグリシア当代の返答がありました。

 ククリ様が入ると、ビオラ様とわたしは閉じられた戸まで駆け寄りました。

 ビオラ様は戸口の横に膝を立てて座り込みました。抱きしめるように両手をまわして、折り曲げた膝にひたいを当てて俯いています。

「大丈夫、ククリなら大丈夫だから」

 どんな話をするのか知りたい気持ちと、信じていても拭いきれない不安を感じているようでした。わたしはククリ様とパグリシア当代に気づかれないように、小窓へ近づいて中のようすを窺います。

「どうぞ、おかけください」

 テーブルへ着くように勧めて、ククリ様は対面するところへ座りました。

 一呼吸の時間を置いて、パグリシア当代が尋ねました。

「わたしに伝えなければいけないこととは、どのようなことでしょう」

「貴人証時計の秘密と、あなたとの取引を」

 ククリ様は淡々と答えました。

「秘密と取引。わたしに心当たりはないのだけれど」

 ククリ様の手がテーブルへ伸びて、小さな音が鳴ると、パグリシア当代の穏やかな表情が驚きへ変わりました。小さな音の正体は、貴人証時計をテーブルへ置いた音でした。驚きの表情はやがて真剣なものへ変わり、口もとへ手をやると沈思黙考しました。

 しばらくしてパグリシア当代は尋ねました。

「ノヴァ当代に貴人証時計の売買を頼んだのは、紳商と見込んでのこと。壊れた貴人証時計では高値で売れないと、あなたに修理を依頼しました。ここに壊れたままの貴人証時計があるということは、あなたの腕では修理は不可能ということですか」

 未熟と暗に仄めかした挑戦的な言葉ですが、そう思うのも尤もでした。

「ええ、僕に修理はできません。たとえ神手とよばれた絡繰技師、リリーナ・シュベイン・アサーランでも、貴人証時計の修理はできません。僕たちは、前提を間違えていたんです」

 パグリシア当代の目が射抜くようにククリ様を見ていました。修理できないのは腕の未熟さではなく、理由があると。嘘はないか見抜こうとしているようでした。

「説明してもらえますか。修理できない理由があるのでしょう」

 ククリ様は首肯したあとに、一見すると無関係なことを尋ねました。

「童話のメメントモリを読んだことはありますか」

 メメントモリは、わたしがはじめて読んだ童話でした。

 もう一度、ストーリーを説明しておきます。

 怖がりな王様は、夜が明けるごとに死に近づいていると、恐怖で夜も眠れないほどでした。ある日、王様は名案を思いつきました。世界中の時計を止めてしまえば、永遠に老いず、死ぬこともないと。世界中の時計を止めて、ようやく王様は安心して眠りにつきました。美味しそうなにおいがして起きると、朝食を準備していた使用人が言います。

『おはようございます、王様の体内時計は正確ですね』

 王様は青ざめました。

 時計を止めれば、なぜ、老いないと考えたのか不思議でククリ様に尋ねました。

 時計は常に動いているもので、変化を象徴しています。時計を止めるのは、変化を止めること。そうすることで不変の象徴になると王様は考えた、とククリ様は答えてくださいました。もちろん時計を止めたところで、時間は止まりませんけれど。

 不変――思い出すのは、貴人証時計に彫られていた一文でした。

 蓋の裏側に、国王自らの手で一文、永久の盟友へ捧ぐ、と彫られています。

 パグリシア当代は息を呑んで、震える声で尋ねました。

「あなたは、こう、仰りたいのですか。貴人証時計は、はじめから壊れていない、動いていない、と」

 いくらククリ様の腕がよくても、壊れていないものを修理などできません。けれども、針の動かない時計を見て、正常だと思う人もいません。パグリシア当代もビオラ様もククリ様も、針の動かない貴人証時計を壊れているものだと思い込んでいました。

「当時の最高精度の時計機構を搭載しながら、貴人証時計は一秒も時を刻んだことがありません。にわかに信じられない話ですけれど、最先端の機構と技術を集結させた美術品にすぎない。解体したときに、動いた痕跡がないと気づきました。貴人証時計は国王と貴人の永久の友好を示すために贈られるものです。永久の友好をどのように表現すべきかと考えた結果が、動かない時計ということでしょう。このことは、大きな副次的な効果をもたらしたのだと考えています」

 ククリ様は言葉を止めると、一拍置いて言いました。

「副次的な効果とは、だれでも真贋鑑定が可能ということです」

 ビオラ様は懐から貴人証時計を取りだすと、動く秒針を目を丸くして見ていました。針が動いているということは、贋作の証でした。真作と僅かな違いさえなく作られた精巧な贋作でも、針が動いているかぎり一目で見抜けます。

 貴人証時計は、すべて一点もので、完成したのちに設計図は破棄されます。わかることは、製作者、当時の最高技術で作られていること、蓋の裏側に国王自ら一文彫るということだけでした。イミテーション、贋作などを作ることは罪になりますが、当時の資料がなにも残されていません。同製作者の傑作時計を手に入れて、蓋の裏側に細工をすれば、貴人証時計の条件をすべて満たしたことになります。ただ一点、違いがあるとすれば、時計か美術品かの違いです。

「なるほど。先入観を利用した、真贋鑑定ということですか」

 パグリシア当代は頷いたあとに、ククリ様の台詞を引き継いで理由を話しました。

「針が動いていれば、一目で贋作とわかりますね。どのような形をしているのか知らなくても、その一点さえ承知していれば。古い時計に細工をして、その時計が壊れていようと、動いた形跡があれば鑑定官であれば見抜くでしょう。わたしが修理を依頼したのは、まるで見当違い。そうなりますね」

 裏を返せば、貴人証時計を針が動くように細工してしまえば、真作でも贋作と鑑定されてしまいます。貴人証時計を解体洗浄したあとに、なにも手をくわえず組み直したのは、そのような理由がありました。

 ククリ様は頷いたあとに、だんだんと本題へ近づけていきました。

 まずは、パグリシア当代との取引の内容です。

「副次的な効果とはいえ、真贋鑑定において極めて有効であり、このことはルミナージュの最重要機密として扱われていると確信しています。もしも広まれば、真贋鑑定は著しく困難になり、貴人証時計の価値そのものがなくなるかもしれません。修理は事実上不可能といわれているのも、解体でもされたら、機密が漏洩してしまうから。修理ができない本当の理由をかくすために、技術的な問題さえクリアすれば修理は可能としたのでしょう。僕は嘘の理由を信じ込んで、壊れていない貴人証時計を直そうとして機密を知りました。広めるつもりはありませんが、一介の絡繰技師の命と引き換えに漏洩の事実を消せるなら安いものです。だからこそ、あなたと取引をしたい」

 ククリ様はテーブルへ、貴人証時計と並べるように今回の仕事の報酬――修理代を入れた金袋を置きました。

「僕には、いくつかの選択肢がありました。機密をノヴァ当代に打ち明けて、修理はできないと伝えること。他人に機密を漏らすリスクがあります」

 パグリシア当代に機密を漏らしていますが、貴人証時計と共に語り継いできた、とそのような口実を用意すれば承知していても不思議ではありません。他人に漏らすリスクというのは、貴人証時計と関りのない人たちを指していました。

「次の選択肢は、なにも話さずに、修理はできないと伝えること。引き受けた仕事を理由もなく破棄すれば、僕の信用問題になります。ノヴァ当代は僕に仕事を依頼することがなくなり、大言壮語な絡繰技師と広まれば、仕事がなくなります。どちらも選ばないとなれば、表向きは仕事を終わらせたように見せなければいけない。ノヴァ当代に修理した貴人証時計を渡さなければいけません。だから僕は、贋作をノヴァ当代へ渡しました。針が動いているという一点をのぞけば、現在の技術で違いを見つけられないほど精巧に作り上げた贋作です」

 パグリシア当代の目が大きくひらかれました。

 追い詰められて、唯一の活路は罪を犯すことでした。そこまで追い詰めた原因が、他ならぬパグリシア当代自身にあるということ。

「僕が取引の天秤に乗せるのは、貴人証時計の返還と、修理費用全額の返金です。あなたに頼みたいのは、貴人証時計の修理依頼など誰にもしていない。そう貫き通してほしい」

 パグリシア当代は深呼吸を繰り返したあとに「詳しく、おしえてください」と尋ねました。

「売買はまだ個人間のやりとりで、美術館も把握していません。展示の依頼があるとすれば、まず、あなたのもとに話がきます。ノヴァ当代を介して売却したと知らると、買主のもとへ話がいきます。買主が展示に応じて、多くの人の目に触れると、針が動いていることで贋作と見抜く人が現れるかもしれません。国王に、国王に近い人たちに、贋作を作りだした者がいると知られてしまう。真作のゆくえについて調べたときに、あなたにも心当りがないかと尋ねるはずです。あなたに口止めしていなければ、すぐに僕までいきつく。貴人証時計はパグリシア当代の手もとにあるのが好ましく、ここで見聞きしたことを誰にも話さない、修理依頼などしていない。今回の件をすべて、なかったこと、にしてほしい」

 一通り話したあとに、ククリ様は静かな声で足しました。

「貴人証時計が国王に由来するものと知りながら、修理を引き受けました。貴人証時計を返還するのも、僕に都合がいいからです。僕は贋作の作製に手を染めましたが、あなたにも責任の一端はあると考えています。僅かでも責任を感じているなら、取引に応じてもらえると信じています」

 ビオラ様は、買主と金額は決定していると、手数料を引いた金額をパグリシア当代へ渡していました。買主がククリ様というのは口止めしているので、パグリシア当代は知りません。パグリシア当代が取引に応じなくても、贋作が多くの人の目に触れることなどありません。

 ククリ様の自作自演――ですが、どこからどこまでが、自作自演なのかわかりません。

 もしかしたら、はじめから動いていない、というのもククリ様の吐いた嘘かもしれません。

「……嘘吐きね、ククリは」

 ビオラ様は顔を上げて、白い霧に覆われた空を見上げていました。

 いつもの優しい微笑みを湛えて、けれども頬に沿うように涙が流れていました。

「理由もなく仕事を破棄しても、ククリの腕を疑うわけないわ。……でも本当に、あるはずのない世界を見せてくれた。わたしの願いと、パグリシア当代の願い、どちらも叶えてくれた」

 あとはパグリシア当代が取引に応じれば、今回の仕事は終わりでした。

 ビオラ様は鼻を啜り、清々しい表情をすると涙を拭いて「さて、気づかれるまえに、スチームコーチへ戻りましょう」と、立ち上がろうとしたときでした。

「誰にも話さないというのは、受け入れられません」

 パグリシア当代の一言で、ビオラ様は途端に表情を曇らせます。壁に耳をつけて澄ましているようでした。

「わたしには貴人証時計と共に、あなたの罪を伝えていく使命があります。なにも伝えていなければ、贋作が存在すると知られたときに、あなたの名誉を損ねてしまうかもしれません。あなたに仕事を依頼したことに、責任を感じています。だからこそ、わたしからも取引の条件があります。あなたの名誉を永久にわたり守ることを約束させてください。そのためにも、代々のパグリシア当代にのみ話すことを、お許しください」

 ククリ様が貴人のプライドを守ろうとしたように、パグリシア当代もまた永久にククリ様の名誉を守ると約束してくださいました。そのために、誰にも話さないという条件を受け入れませんでした。

「取引成立ですね。……でも、勘違いしないでください。僕は、あなたの罪悪感につけこんだ。様々な可能性のなかで、最も勝算があると踏んだ。それだけです」

 ビオラ様は口もとに手を当て、肩を小さく震わせながら笑いました。

「ククリらしいわ。君の主は、優しくするときに怒るんだ」

 と、ふいに戸があきました。

 しまった、と顔を強張らせたビオラ様と、なにしてるんですか、と呆れた顔のククリ様は一呼吸のあいだ見つめ合いました。ククリ様は大きく息を吐いたあとに、うしろ手に戸を閉めました。

 ククリ様を先頭に一〇歩ほど歩いたところで立ち止まり、振り返りました。

「……で、なにをしてたんですか、ビオラ」

 ビオラ様はうしろ髪へ手をやり「散歩……。そう、散歩をしてたの」と、だれでもわかるような嘘を吐きました。

「そうですか、盗み聞きをしてたんですか」

「そうだけどお、してたけどお」

 容赦のないククリ様に、すぐに観念しました。

 ビオラ様は思い出したように懐へ手を入れると、贋作時計を取りだしました。

「他人の手に贋作が渡らないようにしたのはわかるんだけど、これをどうするの」

「貴人証時計はすべて一点もので、贋作の作製も罪になります。その時計は、存在してはいけないもの。もう役目を終えたのだから、壊しますよ」

 奪おうとしたククリ様の手をよけて、もとの懐へ仕舞いました。

「壊すくらいならさ、わたしに頂戴。取り返したければどうぞ、ご自由に」

 ビオラ様は大きな胸を突き出して、挑発するような目でククリ様を見ていました。取り返したければ、胸に手を入れなければいけません。ククリ様は頬を染めて、ううう、と唸り声をあげていますが、どう見ても演技でした。

「取り返さないということは、わたしにくれるというこ……」

「メアリ、取り返して!」

 ビオラ様は青ざめて「わあ、それ卑怯、卑怯者」と罵りながら逃げていきますが、いくら逃げても主の命令は絶対でした。五歩ほど逃げたところで怪我をさせないように抱きしめると、右手で胸のあたりをまさぐります。

「きゃあ、やめて、わたしはじめてなの」

 ビオラ様は悩まし気な嬌声をあげますが、無視して目的のものを取りだします。ククリ様へ手渡すと懐へ入れて満足そうに鼻を鳴らしました。

「全く、手間かけさせて。ビオラも条件は覚えてるよね」

 ビオラ様は乱れた服を整えていました。

「ええ、もちろん覚えているわ」

 ビオラ様は大きく息を吸い込んで、数秒間止めると、短く吐きました。仕事の話をするときの声になり条件を復唱しました。

「修理した貴人証時計をククリ自身が買い取ること。でも、修理した貴人証時計など、どこにもないんだ。君の懐にあるのは、貴人証時計を真似て作られた贋作。違うかい」

「詭弁ですね」

 ククリ様は一蹴しました。

「詭弁でも屁理屈でも、君の作品を救うためなら躊躇わないよ。……でも、そうだね、君の作品であると証明するために、銘を入れてほしい。これは贋作などではなく、ククリ・シュベイン・アサーランの真作時計であると。ここが妥協点でどうだろう」

 ククリ様は数秒間考えたあとに、諦めたように溜息を吐きました。

「……たく、依頼料をぼったくるからな」

 不機嫌な足音を立てながらスチームコーチへ歩いていきました。

「本当に、ククリ様は優しくするとき怒るんですね」

 わたしの言葉に、ビオラ様は微笑みでこたえました。先にスチームコーチへ乗り込んでいたククリ様は、大きく手を振りながら「ほら、はやくいくよ、ビオラ城へ」と仰います。またしばらく、ビオラ城で暮らすことになりそうです。

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