2人の目指す先
今話から第4話になります。よろしくお願いします。
魔王と恐れられた男の本性が暴かれてから一晩が経ち、陽が頭上に上がる頃に2人は小屋を出た。
あの後、ルタはシックの意識が落ちる前に言った通り、ルタのなすがままとされていた。
おかげでシックは今傷心した精神を抱え、項垂れている。
先程から延々と呪詛のように昨夜の後悔を紡ぎ続けるが、ルタはそれに一切耳を貸さずにシックの1歩先を歩く。
「御年1029歳の俺が……『デーモン』と恐れられた男が……20に満たないクソガキにされるがままだったって? なんだよ、マジで俺は男か? もうお婿にいけないじゃん」
そう、雰囲気に流されるがままに、彼は自ら望んでルタに身を預けていた。
とは言え、所詮2人がしたことなど、ルタが色々と気を紛らわせて楽にさせてくれただけだ。しかし、この現実はシックの男としてのプライドを砕くには十分すぎた。
一方、シックの威厳を粉とした張本人は口笛を吹きつつ上機嫌にこう返す。
「別にいいじゃん。一応、お前の望むことをしてあげたんだし。ラッキーと思っておきなよ」
「つかさ、俺思ったんだよね。お前の貞操概念どうなってんの? おじちゃんマジでお前が心配なんだけど。普通、数時間前に会った男と寝るか?」
「寝ないよ。……つか、深刻ぶってるけど、添い寝程度でなに言ってくれてんの? お前こそ思考が童貞なの?」
実際のところ、あの後シックは放心状態に陥っていたが、無意識のうちにルタに甘えていたと言う。
結論、シックが添い寝を望んだことで、ルタがそれに付き合っただけである。だが、今まで欲情塗れの色恋をしてきた彼に昨夜の出来事は逆に刺激が強すぎた。
「……まぁ、自身の本性を暴かれて許されないと暴言吐かれて、長年の悲願を叶えてあげるなんて言ったら昇天しちゃうかも?」
「しましたね。まさか自分がこんなメンタルマゾヒストなんて思っちゃいなかったんだわ……」
項垂れるシックに対し、くすくすと笑うルタ。
2人は小屋を出た後、シックの願いを叶える上で鍵となる場所を目指すことが急遽決まった。
そして、2人が目指す場所と言うのが、シックの故郷である聖都・『ニシア』だ。
シックはおよそ1000年ぶりの帰郷となるが、1000年も経てば街も変わっているとルタは語っていた。
「んで? 『ニシア』に俺にぴったりの棺桶があるって?」
「うん。アレなら、お前の『デーモン』としての能力を無効化出来るかも」
「聖櫃……いや、名前の通り『祭壇』か。どっかの地域じゃ、邪神を祀ることで逆に良い作用に回す術もあったな」
聖都・『ニシア』の辺境の村に『祭壇』と呼ばれる神殿兼聖櫃が存在する。
本来であれば、聖櫃とはある宗教において特別な箱を示し、中に収めるのは聖人の不朽体だ。だが、『魔王信仰』が盛んなその場所では、聖櫃である『祭壇』をこう扱っている。
それが、魔王専用の棺。
『デーモン』をここに祀ることにより、彼らは魔王の加護を良い意味で受けることが可能となる訳だ。
この意を唱えたのは今から982年前に『魔王信仰』を広めた聖女だったと言う。
彼女が『デーモン』と言う存在を『ニシア』に広めたが、彼女はこう言った。『デーモン』とは本来、真の断罪者から自分らを守った救世主だと。
この一言により、ニシアの一部では『デーモン』を救世主と崇めたが、それはシックが別の土地で派手に暴れたことで、聖女の言葉は嘘だとされた。
だが、シックがこの世界において破壊をもたらすものと知れたことで、逆に死を望む者が彼の信者となる。
ゆえに、『祭壇』とは現在では『デーモン』の墓ではなく、『デーモン』がこの地を訪れた際の客間として用意されているとのこと。
シック自身、『祭壇』の存在を知ったのはついさっきのことだ。
そもそもシックはこの1000年間は『ニシア』に帰郷していない。丁度1000年前に故郷への郷愁で置いてきた自身の血がああした扱い方をされていることを知ったのも270年も前のことなのだ。
これらの話を聞いて、シックは嫌な汗が背中を伝った。
『魔王信仰』を広めたのは、とある聖女。
そして、自身が真の魔王——かの断罪者に抗い、その冠をはぎ取ったこと。そしてその代償に『デーモン』と化したことを聖女は知っている。
これらの事柄から推測するに、その聖女とは彼女かと思慮に耽っていたが、「そう言えば」とルタがシックの意識に割って入る。
「お前って臆病でヘタレなくせに、なんで大陸で暴れ回ったの? ずっと引きこもってれば、魔王なんて渾名はなかっただろうに」
「ああ、それ? それは自棄ってやつだ。後は風評被害」
そう、何故ここまで堕落を愛し、虚無を抱え込んだ男が凶暴と化したのかと言うと、理由は罪業と言う“法”の性質に他ならない。
「罪業ってのはね、そいつ自身にとっての罪を現す。俺は、ラインバレルをぶっ殺したい力が欲しくて、奴を上回る力を望んだのよ。それが死の誘発ってなだけ」
もっと言ってしまえば、そうでもしなければ断罪者は殺せなかったと言うことだ。
かつて、断罪者は神も邪神も等しく殺すと噂されていたが、正にその噂に違わぬ凶悪性と力を有していた。
だから罪業によく似た“法”を行使したところで、彼に敵うはずがない。
だが、そんな断罪者は自身の終焉を求めていた。つまり、自身の人生に幕を引きたかったのだ。
ならば、そのまま望みとして死をくれてやればいい。そんな思考に至ったがため、シックの罪業は死の誘発を宿した。
「それは昨日聞いたよ。でも、風評被害って何?」
シックの語る風評被害。それは後程、自身を危険視した神とシックの長きに渡る戦いの火種となったものだ。
この世を統べる神の一柱。繁栄を司るヘレ・ソフィア神はラインバレルを危険因子として見ていた。
しかし、自身では殺せないがために取引を持ちかけたが、その直後に別の危険性を孕んだ罪業の持ち主が誕生してしまった。
当然、ヘレ・ソフィアはシックを仕留めんと一戦を仕掛けたのだが、シックは『デーモン』と化した際に死そのものとなってしまったのだ。
それもそのはず。自身が死と化したのなら、もはや彼は人間ではなく事象そのものに変化する。
もし、シックがラインバレルのように人間であったのなら、もしくは邪神であったのなら殺せた。だが、事象はどう足掻いても消せやしない。
それに死と言う事象を消してしまったら、人間は不死者となる。
神からすれば大した都合ではないだろうが、人間達から考えれば最悪と言えるだろう。
不死とは決して平穏なものではない。
不死とは死が訪れないことだが、あくまでそれは額面通りに受け取ったらの話。
実際、不死が死ねないと言う意味を成すならば、人間は延々と苦しみを与えられるだけの生を与えられるのだ。
人間の肉体はたんぱく質で構成されており、細胞の再生と死を繰り返して内臓組織などを保っている。
しかし、この工程を繰り返す中で、細胞がなんらかの異常を起こせば、それは病として発症する。
1度異常を起こした細胞を元通り再生するとなれば、それは非常に難しい。
万が一再生出来ずに、異常が広がり続ければはたしてどうなるか。
答えは簡単だ。人間はなにかしらの病を抱えて生きなければいけなくなる。
あくまでこれは生物学に則った場合にありえる可能性であるがゆえ、確実に死を失くしたらそうなると言う訳ではない。
だが、ヘレ・ソフィアはその可能性を捨てきれなかった。
もし、人間がこの先延々と苦しむだけの生活を送るだけならば救いようがない。
例えそうならないように改良したとしても、人間は繁殖行動を行うことで増え続ける。
では、延々と増えた場合は一体どうなるか? それももはや自明だ。
100年と経たぬ間にこの大陸は1ミリの感覚も空くことなく、人間のみ並べられるだろう。そうなってしまえば、減らす必要がある。
だが、増えた人間達に罪はあるのか? ないに決まっている。
罪のない人間を、邪魔だからと言う勝手な理由で殺すのか? そんなことなど人間を愛する神に出来やしなかった。
ゆえに、ヘレ・ソフィアは死を操る『デーモン』を殺せない。しかし、だからと言って、シックが人間に害を及ぼさないかは別の話。
万が一、シックが人間に危害を加えようものなら、人類は激減の一途を辿る。
人口は一気に減り、100年もあれば世界には人1人いなくなる。だからこそ、ヘレ・ソフィアはシックを人々から隔離する必要があった。
これは、まだ邪神であったリアムが生きていた頃にとっていた手段だが、今回は相手が悪すぎた。
なにせ、『デーモン』の持つ罪業とは罪深いものだからだ。
「んー……風評被害って言うか、事実かもな。この罪業を背負った奴は加虐性が強制的に付与される。つまり俺からしたら、人間は罪業の“法”を持つ者にとっての玩具だ。そんなヤベー奴を放っておいたらどうする? 人間が危ないよなぁ? だから奴は人間達に伝えたのさ。もし魔王に出会っても逃げろってよ」
「……で。結局、ヘレ・ソフィアの作戦は上手くいったの?」
「行くわけねぇだろ。罪業って“法”に振り回された俺は、そりゃあ虚無感を忘れて暴れに暴れまくったさ。誰1人逃がす暇もなくな。なんで俺の幸せを奪ったんだボケェエエ―――ッ! ……って。おかげで風況被害は事実になっちまった」
「自業自得じゃんよ」
全くその通りだと、シックはルタの正論に苦笑する。
今こそ罪業の操作は出来るが、まだ“法”が馴染んでいない頃は常にシックは破壊衝動を抱えていた。
それに耐え切れず、『デーモン』がこの世界に顕現して280年程人類は『デーモン』の恐怖政治に苦しめられてきた。
だが時が過ぎれば加虐性はすっかり抜け落ち、それどころか虚無感が襲ってきた。
おかげで不死を1人背負ったシックは死ねないことに絶望し、今まで殺してきた人間達に1秒逃すこともなく謝罪と祈りを捧げていた。
しかし、そんな行為も70年過ぎれば馬鹿らしく思えてきたのだ。
何故、自分だけが不幸を背負わなければならないのか。
自分とて被害者であり、好きでこうなった訳ではないのだ。だったら、何故生きることを否定される必要があるのだとシックは訴えた。だが。
「まぁ、そうだがね。酷いのはヘレ・ソフィアよ。俺はもうなにもしません、と言うかこれ以上俺の悪評を広めないで~つったら、黙れ不敬者が、とか言い出して怒っちゃって。それで『カレンデュラ』が生まれて、俺は神様とのカーチェイスを繰り広げてるってわけ」
「もうそれってさ、ヘレ・ソフィアはお前のことが好きなんじゃないの? それとも情緒不安定なのかな?」
「いや、多分俺の言い方が悪かった。明らかに下手に出てなかったもん」
「……一応聞いてあげるけど、なんて言ったの?」
「俺はただ自身の安寧が欲しい。だから、俺を止めたいのならばそれを保証しろ。保証しないのであれば、神だろうと人間だろうと等しく殺すぞ……って」
「自業自得だね」
瞬間、はぁあとルタは大きな溜息を吐く。もうこいつは救いようのない馬鹿だと。
しかし、シックはもう笑みを保つ気力もなく、ただ不満だけを零した。
「いや、あの言葉を額面通りに受け取ったあいつが悪い! つか、あいつが俺を好きとかやめてくんない!? マジで吐くから! 頑張れば同性もイケるけど、基本は女性しか愛せません~!」
「その見た目がほぼ男の女に好きにされて、新しい性癖を開拓した奴がなに言ってんだか」
「それも不可抗力でしょうがぁあああ―――ッ!」
と、シックの虚しい叫びは丘いっぱいに広がり、反響し始める。
シックはルタに「黙れ」と横っ腹を蹴られ、数回深呼吸をして酸素を脳に届かせた。
ようやくシックは多少まともな思考を取り戻すが、正常な思考回路を取り戻した瞬間に、あることに気付く。
「つかさ、なんで俺ら徒歩で移動してんの? 電車使おうぜ、電車。俺金ないけど」
そう、今は改暦2000年代。
1000年前とは違い、産業や文明も発展しており、移動手段も徒歩や馬車などではなく電車が利用出来る時代だ。
さらに、駅へと向かえば列車もある。今は大陸間でも線路は通じているため、列車を使っての行き来の方が早いし楽だ。
なにより、列車はともかく電車の運賃は酒場で頼むビール一杯の値段と同等。大して払えない額じゃない。
ルタも一応財布は持っているし、金銭面的に余裕は持っている。だが、昨晩の追走劇を体験して、電車を使っての移動は危険だと判断したのだ。
しかし、その危険性にシックは気づかない。
お前の頭は本当に人間のものか? ああ、でもそう言えば『デーモン』に頭はなかったななどと思いつつ、吐き捨てるようにこう返した。
「『デーモン』としての力は封じててもさ、万が一『カレンデュラ』が襲ってきたらどうする?」
「そんな可能性1ミリもねぇよ。あいつらは俺が罪業を展開しないと死の芳香を検知出来ない。それに街中にいるのもおかしい。ヘレ・ソフィアの配慮ゆえか、奴らは国境に潜んでることが多いんだよ」
「じゃあ、『義賊』みたいな連中は? お前がポカやらかした瞬間、またお前の正体が割れるかも。だとしたら、俺らは当分電車が使えなくなる。と言うか、こんな田舎に移動手段はないんだけど? 黙って歩いて」
「はぁい……。でも、一体どこまで歩くの?」
「このまま道なりに進めば、次は『アーシア』って街が見えてくる。ここから寝台列車に乗れば、『ニシア』まですぐだよ。そして『ニシア』の中心駅で下車して、後は『祭壇』を目指せばいい」
「おっ、結構楽なミッションじゃん。これなら安心して死ねるわね」
「……」
そう上機嫌にシックが呟くと、ルタは突如黙り込む。
シックがルタの顔を覗き込むと、翠玉色の瞳はどこか生気を失くしていた。
失望と言うよりも、絶望に近い昏さを宿した翳に思わずシックは息を呑み、一瞬言葉を失う。
何故、こいつは昨晩俺を殺すと言ったくせに、俺が死ぬことに対して絶望しているのだと。
いつか見た覚えのあるその色に、思わず古傷が痛む。だが、こんなことで一々悲しんでなどいられない。
そもそもの話、ルタの目的は本当に自分を殺すことだと言うこともおかしいと思う。
本来、『魔王信仰』の信者であれば、自分が死んだり眠ってしまったら意味がない。
それと真逆の行為をすることになんの意味があると考えたところで、答えなど出てくるはずもなく。
結局、小心者で借り物の優しさしか持てない魔王は、ルタの背中をさすっては凛とした声でこう返す。
「冗談さ。お前さんがなんであんなことを言い出したんか知らんが、俺を殺せるならそうしてくれ。俺はあの断罪者のように惨めに逝きたくないんでね。せめて、俺の墓に供える花になってくれ」
冗談めかして頬を緩めた瞬間、シックはルタの表情を見て瞠目する。
「……安心して、約束は守るから。俺が花になるかはお前次第だよ」
先程の絶望を感じさせる翳など1ミリも残さず、ただ優しく微笑うルタ。
まるで、自身が花と呼ばれたのが喜ばしいと言わんばかりの笑みに、シックは怖気を感じた。
しかし、昨日知ってしまった意味の分からない欲情を思い返せば、自分はこうされて当然だと思う。
いや、それでいいのだ。
ここで下手に抵抗などしてしまえば、それこそルタは愛想を尽かすだろう。
せっかく手にした秘酒を手放すのは惜しいし、ルタだからこそ許せるのだ。
彼女だけが唯一、自身の本性を暴いて愛してくれると誓ってくれたから。
1000年前に彼女と叶わなかった夢をもう1度見るためだけに、男はまだ幼い少女へと縋る。
今回は少しばっかり長くなって申し訳ありません。キリのいい切り方が思いつかなかったので……。
すっかりシックのメンタルはマゾ化してしまったのですが、この危うい状態で2人は『祭壇』を目指すことになりました。
後、人間が不死者になる可能性ですが、それは死と言う事象と化したシックを討った場合です。
つまり、シックが死んでしまったら、人間は死ねなくなります。ゆえにヘレ・ソフィアはシックをどうにか弱体化させて、柱に縛り付けてやりたい訳です。本当にシックが不憫すぎる……。