『アーロン・ミセラ』
ここから第3話となります。よろしくお願いします。
アーロン・ミセラ。それこそ『デーモン』であるシック・ディスコードの本名である。
正しくは、彼が『デーモン』と化す前の人間としての名だ。
アーロンは、元々どこにでもいるような青年であった。
聖都・『ニシア』の住人であり、ただごくごく普通に生活を送る一般市民。
少し変わったところこそあったが、それでもまだ彼は後の『デーモン』と呼ばれる存在より真っ当な生き物だった
しかし、改暦1099年4月18日未明。彼は帰らぬ人となる。
正しくは改暦に新たに現れた破滅の使徒の手により、彼は生贄とされたのだ。
破滅の使徒の生贄となったアーロンは、1人破滅の使徒へと抵抗する。
何故、なにもしていない自分が悪だと裁かれなければならないのかと思わせる暇もなく、彼は地獄へと墜とされた。
なんで? どうして?
確かに俺は非道いことをしたことはあるが、ここまでされる謂われはないのに。
彼は突如墜とされた地獄で何度も悔やみ、自身を裁いた断罪者を憎んだ。そして沸き上がる憎しみは沸騰して、アーロンは破滅の使徒への殺意へと変わる。
その末、今度はアーロンが人類の敵となってしまったのだ。
アーロンはある日、『デーモン』と化した自身へと本音を吐露した。
「俺はただ、彼女の教えに従ってそれを受け入れようと努力していたんだ……。なのに、こんなのはあんまりだろう。どうして、俺じゃなきゃいけなかったんだ?」
そして『デーモン』と化したアーロン――いや、とある病を抱えたシック・ディスコードはアーロンの本音にこう返す。
「それはな、お前が理解してなかったからだよ。人を愛せないのに、人を愛そうとした愚行を……愛してるという言葉の重さを。それさえ分かっていれば、俺達は彼女と一生添い遂げて死ねただろうに」
アーロンは生前、人を愛せないと言う病を抱えていた。
彼が抱えるは先天性の愛情の欠落。ゆえに、彼は愛がなんたるか理解していない。
例えば、彼が幼少期に風邪を引いたとき、アーロンの母は仕事で多忙な中、仕事を休んで彼を看病した。
普通の人間なら、親が子供を心配しての行動だと理解出来るが、アーロンは何故なのか理解出来ない。
それどころか、過干渉だと思った挙句に後々風邪を引いたことを咎められた際こう思った。
じゃあ、捨てておけよ。
看病してやったなど、厚かましい。
単に彼の母がアーロンに体調を崩したのを咎めたのは、アーロンの弟の行動に悩まされて機嫌が悪かったから。
人間だから仕方ないな。そう思えることさえ、アーロンは思慮出来ない。
他者への配慮も思いやりもないが、彼の病の性質の悪さはそこではなかった。
彼の病の悪辣さは、自身が他人を愛せないと言うのに、自分は相手を愛していると虚言を吐くこと。
彼が愛を囁くのは多数の女性。年齢や容姿など一切拘らない。
こうして常に誰かと関係を持つ理由は、単に興味と暇つぶし。
ただ目に留まった玩具を手に取って、飽きたらその玩具を捨てるという不誠実極まりない行為。
そんな一面を柔和な笑みに隠して、彼はとことん他者を振り回す。しかし、彼は一向に満たされないし、愛情を理解出来ない。
そして彼の病は深刻化し、迎えた末路は自殺未遂だった。
一体、どうして自分だけがこうも宙に浮いた不安定さを感じているのか。
なんて被害者ぶっているが、彼は愚かゆえに簡単なことも理解出来なかった。
そんな不安定さは誰もが抱えており、人を愛せずに悩む者もまた多いのだと。
それに気づかず、ずっと自身は被害者だと被害者ぶっていたから、悪人として破滅の使徒の目に留まってしまった。
そんな罪過と過去が、ずっと鉛のように胸の奥に溜まっている。
それはアーロン・ミセラではなく、病を拗らせたシック・ディスコードとなってもなお。
ああ、『デーモン』なんて人外と化しても、ずっと愛情に悩まされて胸を痛めるのかなんて痛みを感じている。
そしてその痛みは徐々に引いていき、彼の意識は現実へと帰還する。
再度、シック・ディスコードが見た世界は古びた小屋だった。
彼は勢いよく起き上がると、辺りを見回す。すると、数メートル先で闇の中をなにかが蠢く。
お前は誰だ――そう口にしかけた瞬間だった。
「やっと目を覚ました?」
暗闇からうっすら姿を現したのは、先程から行動を共にしているルタ・エーデルシュタインと言う少女。
彼女の中性的な顔と、印象的な翠玉色の瞳を視認した瞬間に、シックは意識を失う前の出来事を思い出した。
意識を失う前——ルタの名前を聞いた瞬間、彼は自身が『デーモン』になる前の恐怖を思い返したのだ。
あの日感じた死の恐怖。そして1度死んだときの冷たさと気味の悪さ。
なにより『デーモン』として再誕したときの、人とは違う感覚にどれだけ怯えたことか。
ただ、何故こんなタイミングでこれを思い出したのかが理解出来ない。
あの忌々しい恐怖が蘇る前に、彼女とのやり取りを思い返したが、何故彼女のことを思い出したのかも不明だ。
シックは額に浮かぶ汗をぬぐい、震える手のひらを見つめる。
シックの手のひらは血に塗れており、視界の奥には1人の青年の死体が転がっていた。
「あ゛……ッ!」
再度、強い衝撃が脳内を揺らして意識を落としかけるが、その衝撃がルタの蹴りによって加重された。
「しっかりしてくんない? いつまで寝ぼけてんの? つか、ここまで運んでやった礼は?」
「ル、タ……?」
未だ痛む頭を抑え、ようやくシックの視界は正常に現実を受け止め始める。
もう手のひらは血に塗れてもいないし、なんなら視界さえ夜闇で暗いのだ。ただ、そんな中でルタの姿をはっきり視認出来るのがどうしようもなく不気味だった。
なら、もう白痴めいた人間ごっこは終わりだと気を取り直して、シックは表情をだらしなく崩して苦笑する。
「……ああ、悪い悪い。ちょっとおじちゃん歳だから、疲れちゃってさ。重かったろ?」
一気に人格が豹変するシックの様子に、一瞬ルタは黙り込むも、3拍程置いて頷く。
「うん。背は低いくせにやたら重いからすごい困った。少しはダイエットに励んでみたら? どうせ酒ばっか飲んでるんでしょ?」
「面目ない……。そして、ビール腹の指摘をアリガトウゴザイマス」
「で? 本題に入っていい?」
「本題?」
そうシックが首を傾げると、ルタは顔を手で覆って大きな溜息を吐く。同時に頭痛を訴えるような顔で、文句を吐き出した。
「もしかしてお前って単細胞生物なの? さっきも言ったじゃん、お前の病を解明したいって。お前のことが知りたいって」
「ああ、それか」
ここで、確かそんなことも話していたなと思い返すシックだが、一拍置いてあることに気付く。
「いや、俺が意識を失ったのは明らかにその言葉が原因なんだよね」
「は? メンタル豆腐すぎない?」
「それでお前の目を見てたら、過去のことを思い出して――……」
「待った。過去のことって、どこまで?」
「どこまでって……。多分、俺が『デーモン』として生まれ変わるまでだが?」
「……そう」
「どうしたよ?」
一瞬、シックはあることを見逃すが、それよりも突如陰りを見せたルタの表情の方が気になった。
ルタとは先程会ったばかりだ。だというのに、どうしてこうも苦し気な表情を浮かべるのか、シックには理解出来ない。
だが、シックはこいつは自身の信奉者だったと都合の良い情報を結びつけることで、なんとか納得した。
すると、ルタは唇を噛んだ後に顔を上げて、シックを真っすぐと見据える。
「誰にも話さないって約束するから、『デーモン』になるまでの過去を話してくれない? きっとそれが、俺の求めてる答えになりそうだから」
「ふぅん……。なら、ガチの俺の信者かチェックと行こうか。とにかく座れ」
「ああ」
シックがルタに座るように促すと、ルタは床を埋める埃を足で掃っては腰を下ろす。そして溜息と同時に過去を話すようにシックへ促す。
アーロン、中々にお前クズだな!! ……どうも、織坂一です。
「こんな序盤にシックの過去を明かすだと……ッ!?」と思うかもしれませんが、まだこれは序の口ですのでご安心下さい。というか、ここで明かさないと物語が進まないんですよぉ~……。
なんだか破滅の使徒やら断罪者というワードが出てきましたが、これはもしかして~~~?
ちなみにマナレクAMから今に至るまでの時系列は次回で明かされます。