意味も分からないうちに死んだ人
頭蓋を砕く嫌な音が響くと同時に少年は言葉を失って地面へ落下していくが、宙から降って来た少年をシックが受け止めては地面に降ろす。
「ささ、今のうちに逃げようぜ。けど、細工するからちょい待ち」
そう言って、シックは同時にキャッチしたナイフを少年へと投げ渡し、懐から1枚の湿布のようなものを取り出す。
「傷口にでも貼るの?」
「一応な。これは俺の『デーモン』としての能力を一時的に失わせるもんだ。自ら能力を封じれば、奴らはセンサーが働かなくなるんでな。ああ、見えて五感全部ないんだよ。あいつら」
シックは千切れた左腕に湿布を張り付ければ、瞬時に腕は再生される。
切った唇も修復され、金色の髪もミルクティーベージュに染まっていく。
「はい、一丁あがり。これでなんとか生身で動ける」
「……お前ってさ、もしかしてなんでもアリな手品師かなにかじゃないの? そんな都合よく事態は転ばないって」
「たはーっ! その言葉はちょっと酷いぞ、少年。これでも俺は1000年間も神と言うストーカーから逃げきってんだぜ? 智慧だよ、智慧。卑怯なのはさっきの命令ぐらいか」
そう言えば、と少年は立ち上がって渡されたナイフの柄を見遣る。
先程まで黒く光っていたルビーは、元の紅い色を取り戻し、光沢の1つすらなかった。
なにより、『魔王信仰』を行っている自分達が持つ証が、『デーモン』の命令で動いたとなれば、今起こったタネは1つしかない。
そのタネを明かすように、シックは少年へ視線を向ける。
「お前ら『魔王信仰』信者達が持つ宝石はな、俺の血で作った鉱石だ。昔、『魔王信仰』が活発な場所にこれを置いてきたんだが、信仰深い信者とそれのおかげで一時的に俺はお前らに命令が出せるってわけ。……って」
「なに?」
今起こった手品めいた戦闘のカラクリを明かした後、シックは突如立ち止まる。少年も数歩歩いた後に立ち止まるが、シックは視線を30度ほど上げると同時に声を上げた。
「お前……っ! ガキのくせにタッパありすぎだろ! お前、身長いくつだ!?」
「175はあると思うよ。魔王様は随分とサイズが小さいよね」
と、シックは見事自身より遥か年下の少年——いや、こうして全身を見て見れば、歳相応に見えた。
幼いのは声と口調のみ。年上の威厳と余裕が、ついでに吐かれた毒舌によって砕かれる。
「ぐ……っ! 仕方ねぇだろ、1000年前は大体こんぐらいが平均身長だったんだよ!」
「ふぅん。けど、女より小さいっていうのはどうなの? 男としてずいぶん魅力が欠けるけど」
「安心しろ、俺にとっての魅力は身長より口説き文句——って、女?」
「ん?」
刹那、シックは身を震わせて後ずさりし始める。一方、少年——いや、少女はそれがなんだと疑問符を返すが、シックの絶叫がこの場を震わせる。
「嘘だろ――ッ!? おま、女ァッ!? いや、身長は納得出来たとしても胸は!? なんでそんな絶壁なわけ!? いや、おいちゃんは絶壁ツルペタ少女でも美味しくいただけますがね!?」
「うっわ……セクハラじゃん、キモ」
しかし、シックの驚愕による現実への訴えは、少女の冷めた視線によって却下された。
シックはショックでその場に崩れるが、少女はシックを睥睨する。
「って、そんなのはどうでもいいの。俺はお前を探してて、用件があるんだよ。聞いてくれる?」
「聞きます。聞きますから、その一人称どうにかしてくんない? この歳になって新たな性癖の扉は開きたくないんだよぅ……」
「知るか」
少女は崩れ落ちたシックの肩を踵で踏むと、こう言葉を継ぐ。
「さっきも言ったけど、俺は『魔王信仰』の信者の1人。そこで取り分け信心深い信者なんだけどさ」
「信仰心があるなら、その信仰してる対象を踏みつけるなんてことはしませんー……」
「うるさい。とにかく人の話を聞け」
そう叱責されると軽く蹴られるシックだが、せめて信仰対象としての威厳だけは死守するべく、必死に姿勢を保つ。
そして、少女はシックへ用件を切り出した。
「俺はお前に興味があるの、だからずっと探してきた。お前が俺の見立て通りならば、俺を好きにしてくれていいよ」
「マジすかァッ!?」
魔王もとい万年助平爺は、うら若き少女からの申し出に恥も肩書きも捨てて飛び上がるが、再度少女から蹴りを食らって、一旦平静を取り戻す。
「……んで、お嬢ちゃんが確かめたいってことってなにさ?」
「さっき言及したじゃん。そのしょうもない希死念慮と空虚さは本物かって。それがお前にとっての病なのかって」
「……あー、そいつぁ」
シックは見上げていた少女の顔から視線を逸らすが、少女はしゃがみこんでシックの顔を両手で挟み込む。
少女はシックの顔を挟み込んだまま、シックの黒瞳を覗き込んではこう問い詰めた。
「答えて。じゃなきゃ殺す」
「へー、神様すら殺せない魔王様を人間が殺すって? 俺すら俺を殺せないのに、そんなこと……」
出来るはずがない、そう嘲笑しかけた瞬間。シックの脳内にノイズが走る。
「あれ?」
そしてノイズの霧が脳内を荒らす中、徐々にノイズは晴れていく。
ノイズが綺麗に晴れたシックの脳内にいるのは、1人の女性と過去の自分。
「■■■■、あなたも現世へ来て。私はいつまでもあなたを待っているから」
そう涙ながらに語る女性は、翠玉の瞳から大粒の涙を零しながらも微笑い、シックへ問いかける。
一方、脳内で想起されたシックも儚く微笑い返した。
「分かった、また逢おう■■■。……次の満月の夜に『ニシア』の教会前で俺は君を待ってる」
「お前——……」
今シックの脳内で呼び起されたのは、自身が『デーモン』となったばかりの不鮮明な記憶。
冷たい冥府の底で交わされた契りが、1000年ぶりにシックの脳裏に蘇ってきた。
「名前は?」
過去の記憶に誘導され、シックが少女へ名前を問う。次瞬、記憶の中にいる彼女とよく似た色の翠玉の瞳が細められ、少女は口を開く。
「ルタ。ルタ・エーデルシュタイン」
永遠の愛を誓った彼女とは違う名を聞いて、シックは安堵する。だが、同時に胸の中で黒い靄が浸食していく。
形容し難い不安めいたそれは、あの日——自身が『デーモン』と化した日に感じた恐怖とよく似ていた。
シックは意味の分からぬ間に殺されて、意味の分からないままに化け物となった。
なによりルタの翠玉のような瞳が自分にとってなにより美しく、悍ましいものだからこそ、より彼は過去に苛まれる。
「ひっ」
シックの横隔膜が吊り上がった瞬間、夜闇に魔王の絶叫が響き渡る。
1人の少女が自身に与えようとする不安に抗おうとするが、彼に出来ることなどなに1つないがゆえに魔王は無様に擦り切れた思い出の海へ墜ちていく。
どうも皆様こんばんは、織坂一です。
今回は短かったですが、これにて第1章は終了になります。
ルタと出会ったシックですが、早々にトラウマ抉り出されて「この男…大丈夫か……?」状態になっていますね。大丈夫じゃありません。
後、この作品ではよく名前を伏せ字にしています。
以前からいっていましたが、今回は現在作中に出て来た単語や設定などを解説しています。お時間があればどうぞ。
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