魔王の首を狙う者達
重い銃声の後、カジノ場はパニックに陥り、混乱だけが溢れ返る。
「シックさん、なんで……」
シンシアは何故と碧瞳でシックの黒瞳を見遣る。しかし、シックの黒い瞳にはなにも映ってなどいない。
それどころか、普段よりも生気などなく廃人のようなその様に、残った巨躯の男2人とシンシアは恐怖で身を震わせる。
一方、シックは首の折れた人形のように首を傾げた。
「なんでかって? 簡単な話だろ。お前は善いことをしてるんだ。なのに、咎められるなんて不条理だろ? しかも、 圧倒的な強者に襲われるなんて」
シックは言う。
圧倒的強者に弱者が嬲られるのは、ただの不条理だと。そんなことなどあってはならないと。
彼もまた『デーモン』と言う圧倒的強者ながら、弱者の味方をする。
一体何故か? そんなものは簡単だ。
「善い人間は尊重されるべきで、人類にとっての宝だ。だからさっさとゴミ溜めから逃げな。クソドブ鼠の相手をするのは同じゴミだけで構わねぇ」
シックが銀色の銃口を巨躯の男に向けた瞬間、男もまたライフル片手に応戦するが、シックは易々と銃弾を避けていく。
本来運動神経など並み以下である彼なら、『義賊』のような超人錬成の施術を受けた人間に敵う訳がない。
人々の叡智を具現化した超人錬成は、かつて存在した“法”と言う存在の遣い手には及ばないものの、視覚や運動神経の底上げを行うなら十分な代物だ。
例えシックが『デーモン』であっても、彼が操れるのは人の死期のみ。
彼が持つ罪業はそれ以外の異能を有しておらず、もちろん展開したところで身体能力は向上しない。
そんな条件下でする捨て身とも言えよう攻撃は、何故か身体能力の差を平然と埋める。
「ちっ! こちらは視覚を強化して、速さも上げているんだぞ!? 俺達『義賊』を馬鹿にするのも大概にしろ!」
「別にお前さん方を馬鹿にしちゃいねぇよ、馬鹿は俺だけさ。だがな、馬鹿って愚かそうに見えて、実は無敵なんだぜ?」
そう言って、空の弾倉を捨てて弾を装填。それらの動作を秒で行うシックの行動は正に神業とも言えた。
『デーモン』としての能力ではないが、彼が宿したもう1つの呪いが発動することで、彼はまた人間を超越した存在として力を奮う。
なにより、その人外染みた動作を対『魔王討伐』の組織の一員が見抜けないはずもなく。
「まさか、お前——!」
瞬間、男が答えをするより前に、シックが男の顎を撃ち抜く。
顎を撃ち抜かれた男は咥内から溢れ出る血と香る硝煙の匂いに噎せながら、なにかを言おうとするが、そうはさせるかとシックは続けて男の頭を撃ち抜いた。
「うるせぇよ。こちとらただのおじさんですがなにか?」
「そんな訳——ッ! そもそも、お前、髪色が……ッ!」
「髪?」
そう言われ、シックが前髪を引っ張って髪を1本抜くと自身の中で起きていた変化に気づく。
「しまった。変化の術が解けてやがった」
シックは抜いた髪をまじまじと見れば、ミルクティーベージュに染まっていた髪は金色へと変色し始めていた。
そんな光景を目にした以上、カジノ内が徐々に困惑に浸されていく。
「……シックさん、まさかあなた」
シック達の抗争に巻き込まれぬよう階段を盾にしていたシンシアは、声を震わせながらシックへと問う。
「『デーモン』、なの?」
「いいや」
しかし、シックは否と自身の正体を偽る。
なにせ、今の彼は悪魔に取り憑かれたただの亡者であるがために。
「俺ぁ、どこにでもいる死にたがりなおっさんさ」
そう言って、残った男へ銃口を向けた瞬間だった。
「見つけた」
幼い声が混沌と化したカジノ内に響き、その後に銃声が響く。
シックの放った弾丸は男のこめかみを掠り、致命傷を与えるには至らなかった。むしろシックが今狙ったのは、この場に突如割って入ったもう1人。
そしてシックは視線を残った巨躯の男ではなく、声の持ち主へと向ける。
「そこか」
しかし、シックが再度銃口を向けた先には誰もいなかった。
狭まった視界のせいで見誤ったかと錯誤するも、瞬間シックの背後に誰かが回り込んでは腕を捻り上げる。
「づ――ッ! テメ、ェッ!」
シックは捻り上げられた腕を振り払おうとするが、それよりもシックの喉元に冷たいなにかが当たる方が先だった。
シックはその冷たい物体がなにか理解した後、自身を襲った存在を横目に見た瞬間に引き金から指を外す。
「ガキ、だって……?」
今、シックの目に映るのは少年の姿だった。
少し視線が高い気もするが、腕を捻り上げる手のひらの小ささで、シックは彼を少年だと見定めた。
だが、少年と思わしき人物はシックの言葉を否定する。
「ガキじゃない。俺だってもう19だ、立派な成人だよ。それよりおっさん、このままお前を連行させてもらうよ。だって……」
少年はシックを拘束したまま、ナイフの刃先でシックの喉仏をつつく。
「お前だろ? 『デーモン』って。だったら、お前の命は俺が獲る」
瞬間、この場にいる全員がシックを『デーモン』だと確信すると悲鳴と混乱だけが押し寄せた。
しかし自身の正体が明かされ、窮地に立たされたシックは、呑気に少年へこう問いかける。
「へぇ、じゃあなんでそのナイフで俺の喉をかき切らないわけ? どうせお前も『義賊』の人間だろ?」
「それを教えてやる義理はない」
瞬間、少年はシックの喉元に当てたナイフの刃を深く突き立てると、そのまま横薙ぎにする。
血飛沫と共にシックの首と胴体は切断されて、そのまま頭部と別れた胴体は後ろへと倒れた。
少年はシックから距離を置くと、そのまま胴から切り離された首をキャッチする。
「邪魔」
そう少年が短く吐き捨てると、混乱で溢れかえっていた人々の行動はピタリと止んだ。
カジノ内には安堵が行き渡るも、残った『義賊』に属する巨躯の男は怒りと屈辱で震えていた。
それもそうだ。今まで自分達が討伐せしめんとした怨敵の首を易々と持っていかれたのだ。しかも、人体改造など一切施していないただの人間に。
「貴様、その首を寄越せ! それは――ッ!」
「お前らの仇だから? だから寄越せって? 知らないよ、そんなの。俺だってこいつの首が欲しかったんだ。だから渡さない」
そう呟くと少年はナイフを構えるが、それよりも早く巨躯の男は動き出して、少年の背後を取っては腰に下げたナイフを抜く。
「ただのガキが『デーモン』を討ち取ったからと言って調子に乗るなッ!」
「いや、調子こいてんのはお前の方な。本音としては、正義に目が曇ったイカれ野郎達に俺の首はくれてやらんよ」
「は?」
刹那、男の瞳孔に首と胴が元通りに繋がったシックの姿が映る。
しかしそんな荒唐無稽な光景を目にした0.5秒後に、男の目の前からシックと少年の姿が消える。
「……ふぅん。『デーモン』って頭と胴体が別れようと動けるんだ? しかも瞬時に頭が再生されるなんて随分便利だね」
一方、一瞬だけ再生した姿を見せたシックは、少年を抱えてはそのままカジノ内から脱出する。
人間業とは思えない速度で道を駆けながら、シックは『アテカ』の出口へと向かう。
「当たり前だろ、俺は一生死ねやしない不幸者だ。首を断とうが瞬時に再生されるんだよ。後、奴らを攪乱したいから、獲った首はそこらに捨てとけ」
「? 俺はお前が憎くて、その首を獲ったんだよ?」
「その割には、なんか違うんだよな」
「何が違うのさ?」
シックは少年が舌を噛まない様に速度を落とし、少年を抱えて疾走を続ける。そして、少年と『義賊』らの違いはこうだと指摘する。
「お前さんの憎悪は殺意がない。それどころか、愛情臭いモンを感じるのよ。自意識過剰だったらすまんね」
シックはあのとき少年に首を切断された瞬間に、彼は『義賊』と同様に正義に酔って自身を討ち取ったのではないと理解していた。
それどころか、再度自身の首を拾い上げたときにも違和感を抱いていたのだ。
「普通さ、首を持つんなら髪を掴むだろ。でも、お前は俺の首を拾った後は抱え込んでた。まるで大事な玩具を持つようにな」
本当に憎いのなら、服を怨敵の血で汚したくもないだろうと付け足せば、少年は感嘆と共にシックの疑問へこう返す。
「確かに自意識過剰だけど、あながち間違ってないかな。お前も聞いたことあるんじゃない? 俺みたいな変わった存在をさ」
少年は突如シックに対して、ある存在を思い出せと迫る。
この世界に生きる9割の人間は『デーモン』を敵としているが、残り1割の稀有な人間は『デーモン』を崇拝している。
謂わば『魔王信仰』と称されるものだ。
現に少年は『魔王信仰』の信者が持つとされているルビーの欠片をナイフの柄に埋め込んである。
『魔王信仰』と言う存在——それこそ少年の言う変わった存在だ。
それを聞かされると、シックは憐憫の意を込めて溜息を吐く。
「まさか、こんなところに信奉者がいるとは思わなんだ。お前も若いくせに相当苦労してんね」
「そういうお前こそ、ここ2年は肩身の狭い思いをして生きてたんだろ? そんな気性じゃ随分精神的に堪えただろうに」
「大丈夫。あの街にゃいい女がたくさんおったからさ、目の保養でなんとか生きる気力を補ってた」
「はぁ?」
少年が怪訝そうに顔を顰めた瞬間、シックは地を蹴っては岩場へと着地する。
既に2人は『アテカ』を出ているどころか、『アテカ』の先にある森さえも抜けた。
これだけの距離をおけば、奴らではない以上、追ってはこれまいと安堵したその刹那、シックは少年を地面に降ろす。
すると少年はシックを見上げて、「ねぇ」と疑問を投げかけた。
「匿ってくれる人とかいないの?」
「いないねぇ。ついでに金もないねぇ」
「頼れる人は?」
「そんなもんいたら、俺はとうにその人に寄生して生きてますぅ~」
「じゃあ、お前のそのしょうもない希死念慮と空虚さを知る人間は?」
「は?」
少年の言葉に、思わずシックは言葉を失う。
だが、少年はただ翠玉のような瞳をシックに向けたまま淡々と問いを投げる。
「お前があのとき無敵だったのは、なにも守るものもなければ自分を捨てていたからでしょ? 人間って不思議だよね、守るものがない方が強くなれるんだから」
「……お前さん、本当に19のガキか? そもそもどこから見てた?」
自身の弱点と本性を突如突かれ、シックは訝しむように少年を睨む。
しかし少年は至って自身の言葉に偽りはないと、片手をヒラヒラと振って見せた。
「『義賊』の連中がカジノに入ってきたときからだよ。後、本当に19だから。ただ、俺は結構魔王様に傾倒しているから、色んなことを知っているかも?」
そう首を傾げる少年を見て、シックの背に一瞬怖気が走る。しかし、その怖気は一瞬で消え去るどころか、芳香となってシックを惑わそうとしていた。
シックはしゃがみこんだままの少年に手を伸ばし、今度は核心を突くべく問いを返そうとする。
「なぁ、なんでお前はただの人間のくせに俺の病を理解している? それにお前からは――……」
と肝心の言葉をかけた瞬間に、シックの腕が紅く錆びた鎖に巻き取られる。
「な――ッ!?」
少年はすぐさま立ち上がり、鎖の飛んできた方向へと体勢を建て直す。
するとそこには、銀色の鎧と仮面を身に纏った少女のようななにかがいた。
肝心のシックは少女には目も暮れず、参ったように項垂れる。
「神の使徒のご登場だね。久しぶりだな、『カレンデュラ』」
魔王は引きつった笑顔を見せながら、新たに自身に訪れた運命を歓迎する。
白金の鎧を纏った神の使徒はシックの言葉にはなにも答えず、少年は息を呑んだ。
いよいよ、シックは平穏な日々を捨てなければならなくなる。しかし、これこそ予定調和。
何故なら、既に2人は出会ってしまったのだから。
シックが1人チート無双してたら、まさかの乱入者———ッ!? どうも、織坂一です。
なんかもうわちゃわちゃしてきましたが、もうこれでシックは平穏を取り上げられました。哀れ。
これで第1話が終了になるのですが、まーた『魔王信仰』とか訳の分からない単語が出てきましたね……。これらに関しては次回の2話が終了し次第解説しますので、もう少々お待ちくださいね。
一瞬、前作を読んだ方なら既知感のあるものが出てきましたが、はたしてあの人物は本作に出てくるのか……。