愛を悪魔の証明にしたのは
一難去ってまた一難とはよく言ったもので、シックは今ある試練に望んでいる。
その試練こそ、1ヶ月間はルタ以外に現を抜かないことだが、はっきり言ってそれだけなら余裕だ。
しかし、問題なのは試験官であるルタの方だった。
あの後、無事にある村でルタとシックは落ちあった。
ルタが襲われた女性を連れて逃げている途中、女性は自身の住んでいる村まで送って欲しいとルタへ頼み込んだのだ。
その末、ルタの気配を追ったシックもまたその村にて合流する。
だが、その村は合流先としては最悪だった。
なにせこの村では『魔王信仰』が活発で、挙句にこの村にも先日の『アテカ』で暴かれた情報が出回っていたのだ。
と言うのも『魔王討伐』を確実に成し遂げるために、『義賊』がシックの人相書きなど詳細を近辺の街や村に流したから。
運の悪いことにこの村にも、『義賊』が流した情報は出回っていた。と言うことはつまり、このようなことも十分起こりうる訳だ。
「ねぇ、魔王様。御身が危ういのであれば、私達がお守りいたします」
そう、紅いドレスを纏った美女がシックの左腕に腕を回しており。
「むしろこの村に永住していただけたらどうでしょう? 私達は歓迎いたしますわ」
黒いドレスと『魔王信仰』の象徴であるルビーのネックレスと腕輪を嵌めた美女がシックの右肩に手を添えて身を寄せている。
正に、美女らによる篭絡合戦とはこのことだろう。
まだ夕食時ではないものの、既にシックの目の前にあるテーブルの前にはシャンパンのボトルやフルーツなどが並べられている。
ああ、そうだとも。これは非常に緊急事態かつ、試験開始早々に難問がきた。
「あー、悪いねぇお嬢ちゃん方。俺ぁ少し地獄に用がありましてですね、ここに滞在する気はないんですわ」
そうやんわりとシックが、身を剥がせと言うも、黄色い声だけが上がる。
「嫌ですわ、まさか地獄に還られるなんて」
「そうそう、もう少し人間界でゆっくりしていらしたら?」
「いや、もうこちとら1000年は遊び倒したからいいんですわ……」
再度お前らが邪魔だとやんわり伝えると、またもや黄色い声が上がり、シックは成す術もなく項垂れる。
元々女性には強く出られない気性ゆえ、それがまさかここで裏目に出るとはシック本人は思ってもいなかった。
なにより、この酒場の隅へと視線を移せば、1人寂しくワインを煽るルタの姿があった。
既にテーブルの上には2本空いた瓶が転がっており、後真新しいワインが3本はテーブルにある。
まさかそれ全部を呑む気かと、シックは気が気でならない。
だが、両腕に絡み着いた女性2人を無理に離すことも出来ない不甲斐なさに大きく溜息を吐いた。
すると、右腕から離れない美女がこうシックの耳元で囁く。
「でもぉ、まさか『デーモン』がこんな美丈夫だったなんて驚きです。人間の女を娶る予定はありますの?」
「あっ、はい。後1ヶ月後には。なので少々お嬢さん方はどいてもらってもいいですかね? 妻(になるかは未定のツレ)が嫉妬で狂いそうなんで」
しかし、そんな切実なシックの訴えをシックの左側を譲らない美女が揶揄い始める。
「やだ、ご冗談でしょう? 私達の魔王様が誰か1人を愛するなんて、信者からしてみれば許せませんわ」
いや、そこは信者なら俺の幸せを祝えと思いつつ睨むが、その刹那、酒場にテーブルを叩く音が響く。
シックが恐る恐る音のした方へ視線を向ければ、やはりそこにはルタがいた。
相変わらずワインを煽ってはいるが、もはや背中には殺気しか纏っていない。
あ、これ絶対もう毎日定例のご褒美はねぇわ。むしろ蹴り殺される未来しか残っちゃいねぇとシックは思いつつ、強引に席を立った。
後ろから、なんやら声が聞こえるが、シックはそれらを無視してルタの方へと向かう。
そしてルタを背後から抱きしめては、声を上ずらせてルタへこう声をかける。
「こら~、ルタちゃーん。若いからってお酒の飲み過ぎは駄目ですよ~? 飲酒は容量を心がけ――ぶへッ!」
ルタのアフターケアに入って早々、全力の肘鉄を食らって思わず床に崩れ落ちるシック。
あっ、もう駄目だ。神様仏様ヘレ・ソフィア様。どうかルタの怒りをお収め下さいと祈りを捧げた次瞬。
席を立ったルタが無言でシックへと近づき、しゃがんでは床に転がるシックを全力で踏みつける。
「はぁ? てめぇ今なんつった? 飲み過ぎ? まだ夜はこれからだろうが。邪魔すんな、馬鹿」
「ごめんなさい……」
あまりの人相の変わりようと全力の踏みつけに、シックの心は折れかけそうになる。
しかし、これでは百点満点なんて取れはせんぞと身を起こして、再度ルタを宥めようとしたときだった。
「ちょっと、お姉さん。あなた、ここがどこだか分かっていて?」
先程までシックの両隣を譲らなかった美女2人が、ルタのいるテーブルを囲む。
そしてルタを睥睨しながら、こう吐き捨てる。
「ここは『魔王信仰』が盛んな村です。そんな魔王への信者が多い場所で、私達の信仰対象を踏みつけるなんて我慢ならないわ。このガキ」
同時にルタは周囲にいた男達に無理やり腕を掴まされて、席を立たされる。そしてそのまま、酒場の出口へと引き摺られていく。
「おい! 止せッ! そいつは俺の――……」
「俺の……なんです?」
黒いドレスを身に纏った美女がにこやかにシックに笑いかけると、彼女は淡々と言葉を継ぐ。
「やだ。まさか本当に人間の女を娶る気でいらしたのですか? それとも彼女はあなた様をより強力にするための生贄でしょうか?」
女の目は笑っておらず、そこには確かな殺意があった。
無論、それは決してシックに向けられたものではない。
「だとしたら、生贄としていただければいいのに。死そのものであるあなた様が、まさか人間めいたことなどなさりませんよねぇ?」
女の目にあるのはルタへの殺意と、異様なまでの死への信仰心だ。
結局、彼女ら――いや、ここにいる全員は死にたがりだとシックは再確認する。
自身が人類に死をもたらす存在なのは事実だし、それゆえに煙たがられているのはとうに知っている。
だが、実際死に焦がれる人間の執着心と、内側に秘めた醜悪さを目の当たりにすると、もう溜息すら出てこない。だが。
「……ああ、そうだな。俺は人間じゃねぇ」
そう言って静かに立ち上がれば、再度美女はシックを懐柔しようと寄り添おうとする。
「ならば、そのまま死の象徴として祀られて――……」
「もう罪の意識もなにもねぇし、過去の記憶さえほぼねぇよ。今あるのは、あいつに対する執着心のみだ」
「え?」
シックの声が氷点下まで達した瞬間、手袋を外したシックの手が女の首を掴む。すると、女の首は徐々に焼けていった。
「え、えっ……」
「それともなんだ? お前は私を飼い慣らせるとでも? 死という事象をその身1つだけに浴びる覚悟があると?」
気付けばシックの髪色は元の金色へと変わり、服もスーツではなく黒い死装束と化していた。
額を突き破った黒い両角に蒼褪めた肌。
そして背中に生えた折れた羽と、右半身から突き破る山羊の胴体。
半『魔王』と化したシックは、ならば望みをくれてやると嗤笑する。
「その覚悟があるならそれでいい、お前が彼女の代わりとなれ……と言いたいが、お前は私好みではないんでね。遠慮させてもらおう」
紅く血走った瞳が細められると同時に、いよいよ女の首の皮が蒸発し始める。
「ひ……ッ!」
「ああ、そう恐れるな。死とはこういうものだ。まさか生半可な気持ちで死に焦がれていたと? なら、私が触れるにも値しない」
そう吐き捨てると、女の首から手を離し、背中に生えた羽が女を薙ぎ払って地面へ転がされる。
酒場中から悲鳴が上がる中、『デーモン』は1人の男へと形を戻す。
そして、シックはそのまま酒場を後にした。
急いで酒場の外まで出て見れば、そこには地面にしゃがみこんだままのルタがいた。
「ル――……」
シックは彼女の名前を呼ぼうとするが、刹那彼女の肩が震えていることに気付く。
ルタは自身の肩を抱き、ただただ震えている。
微かに漏れる嗚咽がシックの耳を撫でた瞬間、シックは手袋を外したままの手でルタを引き寄せた。
「ルタ?」
再度彼女の名前を呼べば、ルタは歯を食いしばって涙を零していた。
乱暴に扱われた際、怪我をしていなかったことに安心したシックは、空いた左腕でルタの頬を撫でる。
「ルタさんや、お前の右腕見てみ? また俺に素手で触られてんぜ? なのになんでお前だけ無事なんだろうな」
「知らない……そんなの……」
鼻を啜りながら弱々しく答えるルタだが、そんなルタを見てシックは苦笑する。
「多分さ、これって運命だと思うんだよな。あのクソ野郎じゃない別の神様が、俺とお前を引き合わせてくれたの」
「知らない、そんなの……! どうせ俺のことなんて、最初に会ったから選んだんじゃないのッ!?」
顔を上げて怒号を飛ばすルタだが、シックはそんな怒りを見せる彼女を愛しそうに見つめる。
「確かにお前が1番先だった、俺を殺すって言ったのは。そして俺の心を救ったのもお前だった。それに嘘偽りはどこにもないだろ?」
「——ッ、でもそんなのは今のお前が言ってるだけだ! また都合のいい信者が現れたら、お前はそっちに乗り換えるんだろ!? 愛してるなんて、人が愛せないことに罪悪感が抱けないなんて全部嘘のくせにッ!」
「かもしれないな。じゃあ、どうやってそれは嘘じゃないと証明すればいい?」
「だったら……」
急にか細くなるルタの声は、縋るようにシックに訴える。
「俺を抱いてよ。それで安心させて、本当だって証明してよ」
「……成程」
シックはルタの瞳を見つめ、この言葉が冗談ではないことを悟る。
しかし、冗談ではないと知っているから、その証明の仕方は間違っているとシックは正すようにルタへ言う。
「無論、お断りだ。言ったろ? そういった大人の都合はお前が見るべきもんじゃねぇって。というか逃げるな」
「逃げてなんてない! それ以外の証明がどこにあるって言うの!?」
「その証明っていうのは、これからの俺次第だろ?」
瞬間、シックが声を低めると、ルタは身を震わせる。
気付けば温かい視線は、人を突き刺せる程に鋭く変わっていた。
まるで、この本音でお前を今突き刺すと宣告するように。覚悟があるのならば、これくらい受け入れろとシックは視線で訴える。
「俺が言えた話じゃあないが、お前は俺を信じていない……いや、警戒してるって感じだな。お前も俺が怖いか? それとも俺に傷付けられるって、裏切られるのが怖いって?」
「それ、は……」
しかし、核心を突かれたルタは視線を泳がせては逃げる。
シックを受け入れることに嘘はないし、彼を愛していることも事実。だが、彼に捨てられて自分が傷ついて泣くことだけが怖い。
なにより、それを言及しなくとも理解しているからシックは宥めるようにルタを胸元へ引き寄せる。
「怖いよな。俺が逆の立場だったら、怖くて逃げてるよ。だから逃がさない。今すぐ信じろなんて言わねぇから、少しずつでいい……お前も俺に歩み寄ってくれよ」
いつの間にか柔和に笑うその様に、ルタの翠玉色の瞳から涙が零れる。
普段とは逆に声を涸らして泣きじゃくるルタの姿に、どこかシックは安堵していた。
お前だけは俺を正しく見てくれているのは、確かだったと。
だから、愛するきっかけとなったし、一生離したくないとも思う。何故なら、もう嘘偽りの理解や愛など飽き飽きしていたから。
なにより、それらで他人に傷を負わせた過去があるからこそ、今大事な人に対しては贖ってやりたいのだ。
シックはルタを抱き留める腕に力を込めて、彼女の耳元でこう誓う。
「俺はもう逃げねぇよ、だから見定めてくれ。もし俺が嘘を吐いたなら、詰って捨ててくれ。もう一生お前に会わないって突き放せ」
「うん……」
「良い子だ」
シックは胸中で1人呟く。これは甘えてばかりじゃいられないなと。
そもそも、ルタはまだ19と未成熟なのであって、情緒も歳相応のものだ。だというのに、自分だけが寄りかかることが間違っているのだ。
こんな辛いときは、試練は2人で乗り越えなければならない――なんて思うが、その胸中を識った神は呆れて溜息を吐いた。
「……気づいていないとは憐れですね。もう既にお前は彼女を愛しているというのに、それさえ自覚出来ないとは。いや、もし自覚していても――」
自身の想いが本当だと証明することは不可能だ。
ただ今みたいに疑って、慰めて誤魔化して、それの繰り返し。
もうそんなことはしないと確定しているのに、それに気づかないのは本当に呆れてしまうが、これは自業自得である。
「愛の証明を悪魔の証明にしたのはお前だ。例え証明出来ても、碌なものにならないと理解していて愛を欲するなど……どうして人間は愚かなのでしょうね」
愛を識らない神はそうシックを嘲笑うが、例えこの嘲笑をシックが聞いていたとしても笑い飛ばすことだろう。
愚かでいいと。それが愛の立証になるなら、どうでもいいのだと。
自身の愛しい女の気を落ち着かせられるならば、それぐらい当然の対価だと。
徐々に変わっていく仇敵の姿に、ヘレ・ソフィアは吐き気を覚える。
よくもまぁ、さっきは大言壮語を口にしたと。このままではお前は死という事象から外されるどころか、もっと厄介なものになるだけなのに――やがて訪れる彼らの未来を視ては馬鹿馬鹿しいと吐き捨てる。
「神にもありますがね、そういった罪は。だが、どれも碌な結果にならない。……しかし、その覚悟さえ済ませたとは、ねぇ」
はぁ、と神は自身の玉座で盛大に溜息を吐く。
本当に出来ることならば、ただの少女と病をこじらせた男として物語を完結して欲しいと思う。
だが、そうならないからこそ自分がこうして動いている。
決まっている未来を唯一視ている身としては、余計に頭が痛くなる心地だった。
わぁ~~~、『魔王信仰』がされている村ではこんな扱いをされるんですねシックは。
いや、そんなことはどうでもよくてですね…ヘレ・ソフィアさん、それって本当ですか!? 本当なら大変じゃないですか!!
……まぁ、シック達がどうなるのかはそろそろ開示されるので乞うご期待。




