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マナイズム・レクイエム ~Miserable Daemon~  作者: 織坂一
2.魔王救済のために少女は箱舟で魔王を死に導く
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最低最悪な現実逃避と愛の言葉



既にシックは自分が何を問いたくて、何をしたいかさえも分からなくなっていた。

あのとき――遠目から指輪型のお守りを見て去来した意識。それは、まだアーロン・ミセラであった頃の自分だった。


自分は『デーモン』ではなく人間だ。

けれども、それを散々否定されて、もう逃げ場などどこにもなくて。

自業自得だと言われればそうだが、自分だって被害者なんだ……なんてことを延々と考えるのにはもう疲れたのだ。


だからもう、人間だった頃の自分を身代わりにして地獄へ還ろうと思った。

遠い昔、愛しい彼女と再会すると言う約束さえ放棄して、シックは地獄へと墜ちていく。

ただ、1人はどうしても寂しいから最期に1度だけ夢が見たかった。


いつか人間としてやってみたかったこと。

愛した女性に指輪を渡して、愛の告白をするだなんていい歳をした人間がするには恥ずかしすぎる行為だ。


でも、ルタにならばそれをしていいと思った。彼女ならば受け入れてくれると期待していた。

彼女は自身の信奉者だ。

だからきっと、自身を拒まない。

現に彼女は、会ったばかりの自分を愛して殺してくれると言ったのだ。なら、もうその希望に溺れて死んでしまいたい。


そんな動機で、シックは昔焦がれたことをルタへとやってしまった。

既にシックはルタの姿さえ認識していないが、それでも自壊衝動と我侭とある願いがこみ上げてくる。


どうか、お前だけは生きてくれと。

魔王(じぶん)なんかと一緒にいなくていい。『祭壇』(はか)に自分を埋めたのならば、すぐに現世へと引き返せと。


そうしてくれれば、自分は喜んで再度生贄になろう。

今度は傷つけてきた人間達の平和を願うために。もう、それでいい。


そんな諦観が脳裏を過った瞬間、ルタがシックに優しく覆い被さる。

先程、自分が照れて出来なかった抱きしめるという行為を、彼女は公衆の面前で平然とやってのける。



「おい」



なにをしているんだと問えば、ルタは優しくシックの背中に腕を回す。



「もういいの」



そう告げる声は、あの夜自身に殺すと宣告したときのように優しく甘い。

シックはそのまま、ルタの薄い胸元へと押し付けられる。


胸の感触はほぼないが、それでも心臓の音が心地いい。

服を通してあるはずなのに、ルタの体温を理解出来てしまう。

そして、泣きじゃくる子供を宥めるようにルタは言葉を継ぐ。



「もういいんだよ。シックはよく頑張ったよ、今までいっぱい耐えてきたね。その病に、理不尽な現実に、負ってきた傷に」



そう言うと、ルタはシックの左腕を掴んではジャケットとシャツを捲る。無論、シックは放心状態でありながらも本能がルタの危険を察知した。



「止せッ! 今の俺は加減すら限界で……下手すりゃ死ぬんだぞ!?」



いくら能力を開放していないとはいえ、今のシックは『デーモン』へと完全に堕ちかけている。

先程は無理して罪業を操作したが、今やその操作をすることさえ難しい。


そんな中で自分に触れてしまえば、ルタが生きていられる保証などない。だが、ルタは大丈夫だと告げる。



「安心して。俺は死なない、死にたくない、死ねない。だって、シックの傍にいたいから」



衣服が捲れた手首が見せたのは、何本も連なった切り傷のようなもの。



「……これ、いつ負った傷? 『デーモン』になってからの傷なら癒えるはずだよね? もしかして2年前の?」


「いや、そいつは……」



手首に残った6つもの切り傷は、かつて断罪者を殺すために罪業を展開させたときに創ったものだ。

言ってしまえば、『デーモン』となる契約の証。これだけはいくら時間がかかろうとも消えてはくれなかった。


頭部を貫かれようが、首を落とされようが、どんな傷を作っても回復はするのに、この傷だけは消えないのだ。



「俺が……『デーモン』になったときのやつ、だ。ラインバレルを殺したときの……」


「そう」



まるで罪人が吐いた供述のような言葉は、たった一言でかき消されるが、何故か痛くない。

いつも過去を言及すれば痛む傷が、今は何故か痛くなかった。

剥き出しになった手首の傷の上に、ルタの唇が重なる。

シックは恐怖で息を呑むが、伏せた翠玉色の瞳がシックへと向けられた。



「……ほら、俺は他の人間と違って死んでない。不安なら自分の目で確かめてみたら? 視えるでしょ?」



そう言われ、再度シックはルタの死の運命を覗き込む。

すると、やはり先程視た2週間後の『祭壇(アーク)』での出来事が映っている。



「なんで……? 例え俺の信者であっても、そんなこと……」


「さぁ? それは知らない。でも、これが始まりだったんだね」



“全ての始まり”なんて言葉を思い返せば、いつだって恐怖とあのとき味わった痛みが想起される。

けれども、今はそれがない。


ただルタの温度しか感じなくて、それ以外がどうでもよくなってくる。

徐々に意識は薄れていき、頬が紅潮していく。

急激に上がる体温に疑問を感じていれば、ルタが微かに笑い声を漏らす。



「大丈夫。今はただ素直になってるだけだよ、怖くない。シックの元の体温に戻っていってるだけ」



再度ルタは目を伏せて、今度は古傷を舐める。

舌のザラつく感覚にシックは身震いするも、抵抗出来ない。いや、したくない。

もうこのままいっそ、本当にルタに全てを預けてしまおうか。そんな誘惑が耳元で囁かれる。

誘惑の言葉が頭を埋め尽くすも、何故か全くうるさくなかった。


いつもはやたら騒がしい脳内が、やけに静まっていて気味が悪い。でも、こんな状態も悪くないと思えてしまう。


本来なら、いつもの自分であればルタのような人間は自身の劇薬となるゆえに遠ざけて来ていた。だが、今は違う。

今、目の前にいるルタ(あくま)は怖くないと、むしろ彼女はこの世の誰よりも無害で優しいとシックの全てを赦していく。

舌先から手首から離れると、翠玉色の瞳が空虚な黒瞳を覗き込む。



「怖かったよね、全部が。人間も自分も、壊れていく感情も、過去も、自分のしてきたことも」



シックは、その言葉に小さく頷く。



「全部責任転嫁出来たらさ、本当は楽だっただろうね。俺は悪くない、俺は被害者だ……って。でも、変に生真面目なお前はそんなことなんて出来なくて」



彼女は変に「優しい」と言った言葉は使わない。

何故なら、絶対にシックがその言葉を拒絶するから。


自分は優しくないと、ろくでもなしだと、最低な奴だとすぐ罵るのを分かっているから、現実だけを突きつける。

でも、その痛かったはずの現実を痛く感じないのは何故なのか。その答えは一向に出てこない。



「でも、出来なくていいんだよ。人ってそんな完璧な生き物なんかじゃないから。矛盾はどこにでもあって、善も悪も欲もそこらに蔓延ってる。それにね、罪を犯した殺人犯でも、刑に服した後は解放されるんだよ? 幸せになる権利はあるんだよ? シックが幸せになっちゃいけないなんて誰が決めたの?」



ルタはシックの全てを赦す。そしてそのまま幸福に溺れて狂えと囁いてくる。

罪人でも幸せを享受しているのだから、魔王が幸せを感じてはいけないというルールがどこにあるのだと詭弁を使ってだ。



「そんなもん、俺が許せないんだよ」



そう、きっとシック・ディスコードと言う男は、誰かに許されたって自身の罪過を捨てない。

今まで人間にしてきたことも、奪った命も、元の原因であるラインバレルの尊厳さえも手のひらから零さないと足掻く。



「知ってる。だからね、もう止めちゃいなよ。そうやって余計なことを考えるの。考えて責め込むから苦しいんだよ。吐き出していいんだよ?」



駄目だ、とシックは本能で察する。

このままだと自分は自分でいられなくなる。


いや、そもそも自分とはなんだったか。

『デーモン』と言う人類の敵か。それとも1000年前に死んだアーロン・ミセラと言う男だったか。

それとも、シック・ディスコードと言う死人だったか。

どれだろうと手探りした瞬間に、その手をルタの空いた手が優しく包み込む。



「お前はシック・ディスコード。『デーモン』でも、『アーロン・ミセラ』でもない。俺が殺して愛すべき存在なんだよ」


「お、れは……」



自分はシック・ディスコード。

ルタ・エーデルシュタインによって愛されて殺されるべき存在。ただ、それだけ。

それだけであれば、幸福でいられるという訴えが、シックの胸を巣食って不安と恐怖を溶かしていく。

しかし、完全に堕ちる前にこれだけは謝りたいとルタは苦笑する。



「別にね、俺は本当にお前を……シック・ディスコードを殺したくはないんだよ。俺が殺したいのは、俺が崇めた『デーモン』。お前が死である弊害だけ」



だからなにがあっても、その心だけは守るからという真摯な訴えに、いよいよシックの唇から嗚咽が漏れる。



「ああ……っ、そうだよ、俺は死にたいんだ。魔王なんて自分を殺したいんだ、殺したいけど殺せないんだよ! だったら、世界ごと死んでしまえばいいッ! なのに、なんで――……」



真っ当な人生を歩みたいと、愛されたいと、幸せになりたいと願ってしまうのか。

そんな自分がどうしようもなくて、罪深くて、勝手で大嫌いで。



「幸せになりたいとか愛されたいって思うかって? それが本能なの。人間として抗えない衝動なの。それを抑えることは決して悪いことじゃない。誰だってやってる。誰だって、ね?」



だから受け入れろという声に、シックの病は薄れていく。

同時に『デーモン』としての破壊衝動や自壊衝動も、徐々に収まっていった。

このまま、全部消えてしまったら幸せなのに――そう言葉を零しかけた瞬間だった。



「全部を消すことは誰にも出来ないけどね、見ないことだけは出来る。だから、俺がその視界を塞いであげるよ」



本来であれば怖いと返すところだが、もうシックには恐怖など微塵も残ってはいなかった。

恐怖や葛藤、苦しみ、罪過といった毒の皿は、全て目の前にいる少女が食べきってしまった。

残すは、自分だけ。シック・ディスコードと言う憎い存在だけ。



「だから堕ちておいで? 怖くなんてない。お前はただ甘やかされて逃げていいんだよ。それだけ今まで頑張ってきたんだから」



ずっと欲しかった一言。その一言を聞いた瞬間、我慢していた涙と嗚咽が堰を切って溢れ出る。

そうだ。ずっと誰かに言って欲しかった。

辛かったよね、苦しかったよねと。お前は悪くないよと、全ては仕方のないことだったんだよと。


これら全てが逃避であり、責任転嫁であり、最低な行為なのは百も承知である。だとしても、それを理解していても、ずっと許されたかった。許容して、自身を肯定して欲しかった。


1000年間ずっと欲しがっていたその言葉が、今ようやく聞けたことに安堵する。

しかし、その安堵を聞いた瞬間にまた意識が薄れ始める。


まるで酸欠を起こしたときのようでいて、酔った感覚をシックは心地良いと思ってしまった。

出来る事ならば一生、この感覚に包まれていたいと。

ずっとこのまま、ルタの腕の中でこの安心感を感じていたいと。

自身の罪と本性を知っている彼女と一生共にいて、ずっと甘やかされていたいと。


けれども、ときには自分を最低だと罵って欲しいと。許さないでいて欲しいとそんな我侭だけが湧いて出てくる。

そんな勝手を、(シック)の理解者であり、自身を愛する信奉者が拒むはずもなく。



「俺以外に誰もシックを咎めさせないから、安心して。大好きだよ」



自身を愛して、守ってくれるという告白にもう息が出来なくなる。

でも何故か全く苦しくなくて。むしろこの苦痛が心地良いとさえ思えてくる。


言ってしまえば、今ルタがしていることは一時的に傷口から膿を除く行為だ。

もしくは未だ癒えない生傷を抉って、さらに傷つけて感覚を麻痺させる行為か。どちらにせよ、この苦痛(こうふく)がシックにとって救いとなるのは確かだ。


彼女はシックに囁いた通り、シック・ディスコードと言う男だけを救って愛する。

彼を『デーモン』と言う化け物から解放出来るならば、それ以外はどうでもよかった。

他人も、世界も、自分自身さえも。

それが痛い程シックには理解出来てしまうから、涙を止める術を知らない。


そして、泣きに泣いて数時間が経った後のこと。

シックは重い頭を抱えて、熱くなった瞼を冷えたペットボトルで冷やす。

一時的な現実逃避はなによりも甘くて、普段から手放せない煙草以上に厄介なものだと、頭の中でぼんやりと考える。


いや、これはそんなものじゃない。1度飲んだら手放せない劇薬だ。

既に空になった煙草だが、きっと追加分など買わなくていいと思えてしまう。

なにせ、最も欲しい安らぎは自分の隣にいるのだから。



はい。この作品におけるラブストーリー要素は大体見えてきましたね。

もうどうしようもない意地を張ってるシックをルタがよしよしして、さらにルタがシックを駄目男にしていくという救いようがないこの話……。


余談ですが、マナイズム・レクイエムシリーズにおいてのろくでなし筆頭はシックとリアム君ですが、シックの方がまだ良心はあります。彼は命の重さも殺戮者でありながら理解していますし、手にした罪業の罪深さも承知済みです。リアム君は力を手にした瞬間、なんであろうと喜んでましたが。そこが違いです。


だからこそ彼は今まで犯してきたことの罪と罰を背負い、更には今は亡き(というか自分を殺した)ラインバレル君の尊厳さえ捨てずにいるという小悪党ぶった小心者ですね。


シックの意地とは仕様がないものばかりです。しかし、それらが彼らを人間に留めていたものなのに、それを奪って盲目にする行為ははたしていいのか……?


もうルタの正体や目的が謎ですが、中盤の最後で一気に明かすので、あまりの速さに振り下ろされないで下さい。


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