後編
爽やかな笑顔で、我が家の玄関ポーチにロースバリ様が立っています。
あの夜会から三日経ち、今日は初デートとかいうものをするそうです。
「おはよう、ミカエラ嬢」
「おはようございます、ロースバリ様」
「ん。さあ、行こうか」
左手を差し出されたので、そこに右手を重ねました。
「今日は植物園に行くと伝えていたが、大丈夫だったかな?」
「はい」
「良かった。好きだと聞い――――いや、何でもない」
――――好きだと聞いていた? 誰に?
植物園は好きなのですが、最近は行けていなかったので、正直なところとても嬉しいお誘いではありましたが、ロースバリ様のお言葉に少し疑問が残りました。
植物園に到着し馬車を降りる際、またもや左手を差し出されました。もしや、ロースバリ様は左利きなのでしょうか?
「園の奥にカフェがある。見て回ったあとはそこで休憩しよう」
「はい」
ロースバリ様にエスコートされつつ園内を歩くのですが、 どうやっても会話が続きません。それは、私が「はい」だけしか返事しないこともあるのでしょうが、「はい」としか答えられない質問をされるので、どうしょうもない気がしていました。
「あ、この木」
ロースバリ様がとある木の前で立ち止まりました。
「まだ時期ではないが、小さくて美しい匂いを出す花が咲くんだ」
「フレグラント・オリーブ(金木犀)ですね」
「知っていたんだ?」
とても珍しい木で、十年ほど前に東の国から取り寄せたのだと植物園の園長が話していたのを思い出しました。この国には三本しかないそうです。
残りの二本は王城の奥にある一般の者が入れない庭園に植えられているのだとか。
ロースバリ様がふわりと微笑みながら、私の髪を無でました。
花の色が私の髪と似ているのだと。そして花言葉が私のようなのだと。
「謙虚、気高い人など色々あるそうだよ。そして私の想いも入っているかな」
「え?」
「初恋、貴女の気を引く、とかね」
「っ――――」
髪を撫でていた左手がゆっくりと移動して、私の右頬を撫で始めました。そして、右目の下目蓋辺りを優しくなぞられました。
「光を奪ってごめんね」
その言葉に、膝から崩れ落ちそうになりました。
これは贖罪だった?
なんで?
ロースバリ様には関係ない。
もしかして、そんな理由でこうなってるの?
あのくじ引きは仕組まれたもの?
「っ! 触らないで!」
思っていたより大きな声が出てしまいました。
彼の左手を払いのけ、後退りしていたのですが、右手をガシリと掴まれてしまいました。
「後ろ、段があるから……」
「……はい」
俯いて爪先を見ていてもなんにもならないのに、それしか出来ませんでした。だって彼の顔を見るのが怖かったから。
「カフェに移動しよう? そこで話を聞いてくれないか?」
「っ…………はい」
何の話をされるのか、怖くてたまりません。
でも植物園の通路で諍いごとを続けるわけにもいきませんでしたから、移動を了承しました。
カフェの一角には、可愛らしい小屋がいくつかあります。屋根と壁付きのガゼボで、恋人たちの憩いの場でもあります。
「勘違いさせた気がする」
「何を、でしょうか?」
「罪悪感からこうなっていると」
「っ……勘違いではないのでは?」
だって、あの事件後に幾度も謝罪の手紙を受け取っていましたし、先程の言葉も。
「手紙にも書いていたが……あのとき私が君を抱き寄せることに戸惑わなければ、光を失わなかった」
「はい」
――――だからこそ、罪悪感なのでは?
「あの時は、罪悪感だった。でも君からの手紙で自分の考えが高慢だったと気づけたんだよ」
いくら婚約者が加害者だったとしても、助けるためとはいえ別の女性を目の前で抱き寄せていいのかと戸惑った。その一瞬でナイフが私の瞳に吸い込まれていったのだと。だから償いたかったし、償いを求めてくるのが当然だと思っていたそうです。
「君はそれに対して、『必然の出来事だった』『誰も恨んではいないし、何も求めてはいない』『気にしないでほしい』と書いていただろう?」
「ええ」
自分の態度のせいでもあるとわかっていたから、彼女の性格もわかっていたから。仕方ない、としか思えませんでした。
本当に、誰も恨んでいないのです。
誰にも謝罪などされたくはないのです。
「それで君は一人で立ち上がれる強い人なんだと気付いた。そして、あの木を思い出したんだ」
東の国から取り寄せる際にロースバリ家も手を尽くしていたのだとか。その時に花言葉を知ったそうです。
「君に見せたいと思ったんだよ。開花の時期はまだだったけどね」
「……はい」
「いつしか、あの木の溢れるほどの匂いに包まれると、君を思い出すようになった。君は元気にしているだろうか、不便はしていないだろうかと」
ロースバリ様から向けられる微笑みが、あまりにも眩しくて目を逸らしてしまいました。
「罪悪感はね、やっぱりあるんだ。でも、違う想いのほうが大きいんだよ」
「違う想い?」
「ん。君のことが好きだ」
「っ!? なんでそうなるんですか。なんで、好きなんて言われるんですか。そんなの勘違いに決まっているじゃないですか!」
――――あり得ない。
私自身でも理解しているのに。私には人に好かれる要素がないのだと。貴族に必要な華やかさもないのに。
「勘違いじゃない」
はっきりと違うと言われてしまいました。
「君の父上が、高齢の後妻でもいいからと結婚相手を探していた」
「はい」
「っ! 知ってたのか。なんでそんなところに行こうとする!」
「え……っと、相手が見つかりませでしたし?」
「それなら誰でもいいんだろう? 私でもいいじゃないか!」
なぜ急に怒りだされてしまったのでしょうか?
「好きな子が不幸になるなんて嫌だ」
「そうと決まったわけでは……」
「水面下で動いていたのは、妻を道具としか扱わず死に追いやる最悪な伯爵だった!」
そんなところにしか貰い手がなかったのですね。
「君に嫌われているのはわかっているが、あんなところに行くよりは、私のところに来たほうが、君にとって少しはマシだと思ったんだ――――」
「ちょっと待って!」
この関係って、くじ引きで偶然の引き合いだったのでは? え? 今の話の流れだと、仕組まれていた? えっ?
予想外の事に混迷をきしていましたら、ロースバリ様が泣きそうなお顔で告げてきました。
「私たちだけだ」
「え?」
お父様にはもっといい縁談が舞い込むと情報をリークし、後妻になる話を潰したそうです。
あの司会の人はマジシャンで、私にだけロースバリ様が当たるように仕組んでいたのだとか。
そして、私が引く瞬間、くじを入れ替えていたのだとか。
「くじのあとに説明があった通り、断っても大丈夫だ。ただ、チャンスが欲しかった」
「チャンスとは?」
「君に、愛される」
その答えと、真っ直ぐな瞳に、心臓が大きく脈打ちます。
仕組んでまでやったのに、断る道も用意しているのはなんでなの?
「私は君を大切にする。毎日でも愛を囁きたい。でも、それが君に心労を与えるだろうから、できれば両思いになりたかった」
「普通に婚約の申し込みをすればよかったのでは?」
「……君の父上に断られている」
「え?」
ロースバリ家は地位も財産もものすごいのです。お父様には断る理由がないはずなのに。
「醜聞でしかない、と言われたよ」
「っ……申し訳ございません」
お父様、歯に衣を着せなさすぎです。
非常に申し訳ない気分になっていると、クスリと笑われました。
「私もそれにはぐうの音も出なくてね。こんな風に仕組んでしまって、すまなかった」
「いえ」
結果的にはロースバリ様に助けられたのでしょうし。
「ありがとうございました。そういえば、あのときのお礼を伝えていませんでしたね。お声を掛けてくださってありがとうございました。あのとき、死を覚悟していました。ロースバリ様のお声で少し顔が動いたのです。だからこの程度で済ました」
「君は…………っ、人が良すぎる」
ロースバリ様が顔を右手で覆って大きなため息を吐き出しました。
「ミカエラ嬢、もう少しだけこの関係を続けさせてくれないだろうか?」
「え……」
「もう少しだけ、お互いを知ろう? そして、できれば私を知って、好きになってほしい。君にイクセルと呼ばれたい」
「っ……はい」
もう少し、もう少しだけ、続けてみてもいいかなと思いました。
彼の想いをもう少しだけ知りたい。
この、胸がじんわりと温かくなる理由を、知りたいから――――。
―― fin ――