第一章1-2
俺は佐藤君と北ゲートへと向かう。佐藤君の足取りは重かった。俺はいらいらしてついため口が出てしまった。
「あいつ、偉そうに……」
「ごめんね。僕が無理を言ってつきあってもらったのに」
「あ、いえ。そういうつもりでは」
「ううん、僕が悪かった。差し入れも良くなかったね。うっかりしてた」
「でもあれは会計と書記からのリクエストですよ。自社製品と言ってもグループ会社の商品ですし。会長こそご自身の立場を分かってるんですかね? 」
「立場……」
中村会長は、佐藤君の10年来の許婚だ。中村会長の親は一代で財を築いた剛腕の実業家で、中村会長は学園の小学部に入学した。「伝統」と「格式」を重んじるこの鳳堂学園では、会長を「成り上がりの息子」と誹謗する声も少なくない。
対して佐藤君の親は銀行業で財をなした古くからの資産家一族の当主で、一族の子息子女は代々鳳堂学園の幼稚園から入学する。当然佐藤君もだ。佐藤はよくある名字だが、この学園では別格だ。名字に緊張する周りに向かって、「違います、私は普通の佐藤です」と恐縮しながら自己紹介をする気の毒な佐藤さんもいる。
学園一普通じゃない佐藤君の親は、小学生だった中村会長をいたく気に入り、ぜひ末の息子の婿にと望んだ。中村会長の親は断れる立場ではなかった。縁談話はすぐに噂となり、佐藤君と中村会長はまだ幼い当人達を差し置いて、公認の仲となった。
ちなみに佐藤君の遠縁に当たる俺の名字は鈴木で、この学園でも特別な名字でもなんでもない。俺は親の海外赴任が終わって家族で帰国した後、佐藤君と同い年で都合がいいという理由で小学部に入らされ、そのまま中等部、高等部と進学した。上級生になるにつれ、自分の立場は嫌でも分かる。佐藤君にはやめてほしいと言われるが、自然と丁寧語で話すようになった。
__初めて会ったとき、唯は柔らかい巻き毛に零れそうな大きな瞳、水蜜桃のような柔らかい頬に桜色の唇の、息を呑むような美少年だった。当たり前のように隣にいる俺は、男子からも女子からも羨望の的だった。
__あれから10年経った。俺は……。
佐藤君は言葉を続けた。
「僕も小さい頃からの刷り込みみたいなものかな。大きくなったら結婚するのよ、ってパパとママに言われて、じゃあ頑張って仲良くなるんだ、中村先輩もそう思ってるはずだって思ってた。でも僕の思い込みだったのかも。親同士の約束で心まで拘束できるものじゃないし……」
「会長は喜んで拘束されてますよ」
「でもさっきの……」
「今日は忙しいですし、会長の言う通り北ゲートまで少し距離がありますしね」
俺は咄嗟に会長をフォローしたが、俺がいらいらしていたのは会長の素っ気ない対応が原因だったから、まるで説得力がなかった。
佐藤君は中村会長の先ほどの様子を思い出したのだろう。佐藤君の表情は暗かった。
__柳眉を下げると、眦には艶めかしい色香が漂う。背は伸びて声変わりはしたものの、華奢な身体は危ういほど儚げだ。繊細な髪に触れて、細い腰を折れるほど抱きしめたい。
__気安く見るじゃない。俺の……。俺だけの……。
「今朝さ、嫌な夢を見たんだ」
「夢?」
「うん……僕が悪役っていうか。主人公の先輩を嵌めて学園から追い出そうとするんだけど、結局僕が犯人だって分かって、僕の方が学園から追放されるの 」
「現実にはありえないですね」
「でも夢は願望だって言うでしょ。夢で僕は主人公の差し入れに毒を入れていた。先輩が邪魔だからって、ひどいことをして……」
要領を得ない話だが、夢に出てきた主人公の先輩は、高橋副会長だろう。なんとしてでも副会長を会長から引き離したいという暗い願望を、そのうち実行してしまうかもしれないと恐れているということだろうか。佐藤君の立場なら退学くらいできないこともないが……
「夢は記憶や心の整理だとも言いますよ。今日の体育祭の緊張で、変な夢を見たんでしょう」
「でも、僕……」
「夢と現実は違います。現にだれの差し入れにも毒なんか入れてないじゃないですか。佐藤君がそんなことするわけないし、俺がさせません」
「うん……」
「あいつ…中村会長も今頃差し入れのレモンを食べてますよ」
「そうかな……」
「そうです。会長はむっつりですからね」
「へへ……そうだね。差し入れは受け取ってくれたんだし。まだ……決まったわけじゃないんだし。頑張らなきゃね」
「応援します」
「ありがとう」
佐藤君は刷り込みだの親に決められただの言っていたが、中村会長を慕っていた。中村会長もいつも無愛想だったが、それは照れ隠しだった。ゆっくりと時間をかけて、二人の関係は、双方の親ではなく、本人達の意思によるものに変わりつつあった。
しかし、2年生の高橋先輩が生徒会の副会長に就任してから、歯車が狂い出した。
中村会長が高橋副会長とつきあっていると噂され、今ではまるで佐藤君が会長と副会長の仲を邪魔しているように囁かれている。さきほどの会長も噂を裏付けるような冷たい態度だった。むしろ副会長が空回りするほど気を遣って喋っていた。佐藤君は夢を見るほど不安を募らせ、まだ決まったわけじゃないと言葉を濁したが、婚約解消を恐れている。
__なにが「しっかりしてくれ」だ。よく他人のことを言えたもんだな。
噂をされているのは中村会長だけではない。生徒会の他の執行委員達や風紀委員長、あげくに理事長や担任まで高橋副会長の虜になっているそうだ。一部の女子生徒の間では副会長は魔性の女だと嫌われているようだが、男子生徒の間では俺も堕としてほしいと人気が高まる一方だった。
そんな副会長と人気を争っているのは、他ではない佐藤君だ。繊細でたおやかな容貌、それとは裏腹の噂、そしてなにより佐藤君の家が有する権力と財力に、邪な興味を持つ人間もいる。本人は中村会長のことで頭がいっぱいで、周りが見えていない。俺は取り巻きとして、佐藤君の平穏無事な学園生活を守らないといけない。
気を取り直した佐藤君は、急に俺のことを尋ねてきた。
「鈴木君はつき合ってる人いないの?」
「は!?いるわけないですよ。もてませんから」
「そう?鈴木君もてそうだけど。じゃあさ、好きな人は?」
「なんですかいきなり!?」
「へへ、いるんだ?」
「……その……いいじゃないですか!どっちでも……」
「良くないよ~はっきり言ってよ。僕も鈴木君のこと応援したいからさ」
「僕のことはいいですから。急ぎましょう。そろそろ時間です」
俺は歩く速度を上げた。俺に歩調を合わせる佐藤君は、クスクスと笑っていた。
人の恋愛事情を笑うとはいい趣味をしている。しかし落ち込んでいる顔よりは良い。
__さっきからなにかひっかかる。はっきりしない。
__はっきり……はっきり言って……なんでこんなに焦るんだ……。