暁の建国
黄巾の動乱から六十年。
魏呉蜀の三国の時代を経て、中華の世はようやく一つに纏まった。
新帝の志耀は、統一された新しい国を【暁】と命名した。
志耀が送って来た文に黒々と記された暁の一文字を見た華真は、感無量の声を発した。
「世の新しき夜明けという事ですね。まことに良き名です。」
志耀は、国都を成都と定め、その上で国を五つの地域に区分し、郡制による行政を宣言した。
蜀郡の郡主には姜維、魏郡の郡主には夏侯舜、呉郡の郡主には陸遜がそれぞれ任命された。
そして今日。
暁帝となった志耀が初めて成都を訪れた。
輿ではなく、自ら馬に跨って成都に入城した志燿は、出迎えの先頭の列に姜維と華真の姿を認めると、馬を降りてその側に駆け寄った。
「姜維殿ですね。ようやくお目にかかれ嬉しき限りです。華真の兄様も本当にお久しゅう御座います。」
直ぐに拝礼をした姜維は、困惑気味に志耀への最初の言葉を発した。
「帝...。親しき御言葉掛けは有り難いのですが、我等は下臣です。それでは余りに....。」
志耀の横で馬を降りた呂蒙が、苦笑しながら口を開いた。
「相変わらず、このようにされておられるのです。帝など単なる飾りだと仰って聞かぬのですよ。国を本当に動かす貴方達に対して、命令口調など以ての外だと...」
それを聞いた華真が微笑んだ。
「帝らしいご対応ですね。しかし帝が志を説かれる事の有り難さは、誰もが承知しております。我等は、帝に誠心誠意をもって従うだけで御座います。」
志耀への拝礼を解いた華真が、言上を発した。
「一つ、帝にお伺いしたき事が...。司馬炎殿はどうされているのですか。てっきり荊郡の郡主くらいは拝命されると思っておりました。」
その言葉に、志耀は困ったような表情を見せた。
「それなのですが....。表立った役職は、何れも全て司馬炎殿が首を縦に振らなかったのです。今更司馬の亡霊が表に出ても、世の混乱を招くだけだと言われてしまって...。どうしても説得する事が出来ませんでした。」
「司馬炎殿は、今後どうされるお積りなのでしょうか?」
そう呟く華真に向かって、志耀が答えた。
「長安で、夏侯舜殿をずっと陰で支えると伝えて来られました。あの方には参りました。『志を達する為とは言え、自分は夏侯舜殿を利用してしまった。一生を通じて、夏侯舜殿に償いをしなけばならない』...。そのように言われては、何も返せません。」
「漢なのですな、司馬炎殿は....。感服に絶えません。頭が下がります。」
そこで志耀が迎えの列に並ぶ皆を、見渡した。
「そう言えば...。華鳥の姉様は何処におられるのです?」
志耀の問いに、華真が頭を上げてにこりと笑った。
「実は、華鳥は、夫を持ったのです。」
「夫...? 相手は何方です?」
「その相手は帝もご存知です。あの潘誕で御座います。つい最近、子も授かったと聞かされております。」
華真の言葉に、志耀は破顔した。
「何と....あの潘誕殿ですか‼︎ 新たな命も授かったのですね。その子には、是非とも私が名付け親となりたいと思いますが、宜しいですか?」
「何とも勿体ない御言葉です。潘誕が聞けば、感激で卒倒いたしましょうな。」
志耀は、もう一度出迎えの列を観ながら尋ねた。
「ところで、その潘誕殿は何処に居られるのでしょう? あれほどの功績を挙げたのですから、それなりの処遇は受けているのでしょうね?」
志耀の問いに、華真が今度は頭を下げた。
「それが...。軍は辞めてしまったのですよ。『志耀様の世が訪れたなら、もう戦は無い。俺は元々争い事は嫌いだった。これからは妻子の側にずっと居たい』、そう言っていました。」
華真の答えに、志耀は首を捻った。
「軍を辞めて、どうしているのです?」
「成都の外れの街道脇に、料理屋を開きました。今は料理屋の主人ですよ。華鳥はそこの女将です。潘誕の料理の腕前は、帝もご存知の通りです。開店以来、蜀軍の者達を始めとした多くの客が押し掛け、連日の満員盛況だそうです。我等が行こうとしても、中々店には入れないのです。早く行かねばならぬとは思っているのですが....」
それを聞いた志耀の顔が再び輝いた。
「ほう...。それは、私も是非行きたい。潘誕殿の絶品料理は、まだ一度しか味わっていない。その際には一緒に連れて行って下さい。」
そう言う志耀に対して、横から呂蒙が厳しい声を発した。
「何を仰るのです。王宮に入ったからには、勝手気儘に出歩くなど、許される筈も有りませぬぞ。」
呂蒙の叱責に、志耀は肩を竦めた。
「やはり呂蒙爺はそう言うのだな。此れは...隙を見つけて王宮からこっそり抜け出すしかあるまいな。」
その日、開店の準備に忙しく動き廻る潘誕と華鳥の店に、突然の客が現れた。
「どうなんだ。新店の様子は……。」
そう言って店に中を覗き込んだ客は、呆れたような声を挙げた。
「なんだ、なんだよ。こう言うのを閑古鳥が鳴くって言うんだぜ。】
客の大声に、厨房から華鳥が顔を出した。
華鳥は、その客を見て唖然とした。
「お父様 !なんで此処に?」
店に現れたのは、華鳥の父の華翔だった。
華翔は、極彩色の羽織の裾を払うと、店の中の卓の一つにどかりと腰を下ろした。
「随分と暇をこいてるじゃねぇか。大丈夫なのか、この店…。」
父の遠慮のない言動を聞いた華鳥は、両手を腰に当てた。
「失礼な言草ですね。開店は夕刻からですよ。昼過ぎの今はお客様がいなくても当然ではないですか。突然に何をしに来られたのですか?」
「そんな言い方はねぇだろう。せっかく開店祝いに来てやった父親に向かって、可愛い娘のお前からそんな言葉を浴びせられるなんて……。俺は悲しい…。切ないぜぇ。」
そう言って嘘泣きをする華翔を見て、華鳥は笑い出した。
その騒ぎを聞きつけた潘誕が、厨房から姿を現した。
潘誕は、華翔の姿を見た途端に全身を硬直させた。
「お、御義父上。こ、これはようこそお越し下さいました。」
「おぅ。亭主のほうは、お義父を迎える作法がちゃんとしてるじゃねぇか。早速だが、何か美味いもんを喰わしてくれ。夕刻になれば、開店早々から客が押し寄せるのは分かってるんだ。だからこの昼間に来てやったんだぜ。ほら、早く何か喰わせろ。」
華翔の催促を聞いて、潘誕は慌てて厨房に戻って行った。
「お父様が、急に姿をお見せになるなんて…。何かあったのですか? 私達の顔を見に来ただけとは、とても思えませんが…。」
「お前も、暫く見ない間に、可愛げが失せちまったなぁ。親父がお前に会いたくて堪らないから駆けつけて来たのに、その言草はねぇだろうが。」
しかし華鳥は、あっさりと華翔の言葉を切り返した。
「嘘ですね。どうせまた新しい商いのついでに立ち寄ったのでしょう?」
「お前には敵わねぇなぁ。しかし、何だ。まぁ、その通りだな。」
潘誕が最初に持って来た串焼きを頬張りながら、華翔が言った。
「ほぅ、これは美味いな。だが、俺が此れをもっと美味くする材料を手に入れてやる。」
それを聞いた潘誕が膝を乗り出した。
「お前、胡椒っていう香辛料を知ってるか?」
「いえ、聞いた事も見た事もありません。」
その胡椒というものが何なのか、知りたくて仕方のない顔付きの潘誕に向かって、華翔が焦らすように笑った。
「印度という国の香辛料だそうだ。其処は、以前は天竺とも呼ばれてたな。口に入れるとちょっとぴりっとして、料理に使うととんでもなく味に深みが出る代物らしい。今度手に入れたら送ってやる。世界は広いんだぜ。お前の知らない香辛料が、世界のあちこちに山のようにある筈だ。娘の亭主の為なら、そういうのもしっかりと探してやるぜ。」
華翔の言葉に感激する潘誕の横で、華鳥が疑わしげな眼で父を見た
「それだけが目的ではないのでしょう? 本当の目的は別にあるのではないですか?」
「全くもって、お前には敵わないな。実は、旧の蜀の地で名産となっている絹だがな。最近になって遠い西域から、それを求めて異国の商人がやって来るようになっている。これから後、やって来る商人の数はぐんと増えると俺は睨んでる。遥か西域には、今の暁にも匹敵する大きな国があるらしいんだ。」
華翔からそう言われた華鳥と潘誕は、遥か西のその巨大な国とは、どのような国なのかと想像を巡らせた。
そんな二人の様子を見た華翔が、直ぐに催促をした。
「串焼きだけで終わりなんてのはねぇよなぁ。ほら、さっさと次の料理を持って来い。」
読んで頂き、有難う御座います。
この物語には、続編があります。
【志耀伝】というタイトルです。
正編で活躍した華鳥と潘誕の間に生まれた一人娘の耀春が、次の主役を務めます。そしてもう一人、あの永遠の生命の宿木を受け継いだ炎翔が、その非凡な才能を発揮して物語を盛り上げます。
続編の物語のタイトルに名を冠した暁帝の志耀を始め、前作で活躍した華真、司馬炎、華翔なども出どころ十分。更に新しい登場人物達が物語を彩ります。
人だけでなく、あの白い狼の露摸の息子も登場します。
新しき国である暁を舞台にした物語です。




