潘誕の凱旋
魏軍が降伏を申し出た翌日の晩、市場街では祝勝の宴会が催された。
兵達だけではなく商人も農民も誰もが、普段は市が立つ広場に集まり、呑めや歌えの大宴会となった。
市場街だけあって、普段は滅多に目にできないような各地の銘酒の数々が、惜し気もなく皆の前に供出された。
各地の珍味も多く卓に並んだが、一番注目を集めたのは、潘誕が作った料理の数々だった。
この宴会の為に、潘誕は朝早くから調理場に籠って、料理の腕をふるった。
魏軍の兵達を降伏へと追い込んだ肉汁が溢れる饅頭、簡単に箸で解れるほどにとろとろに煮込まれた豚足、特製の香辛料を塗して焼き上げた串焼きなどが大皿に盛られて、集まった者達がそれに群がった。
中でも飴色に輝く豚の丸焼きの前には、取り分けを待つ人々の長い列が並んだ。
列に並んだ鐘風が、料理が盛られた皿を二つ手にして、司馬炎の傍に戻ってきた。
皿を受け取った司馬炎は、早速それに箸をつけるなり思わず唸った。
「単に豚を炙っただけではないのだな。表面には、様々な香辛料が塗されている。そして、何よりもこれだな。豚の腹に香辛料と共に米を詰めたのか…。香辛料と豚の脂が絶妙な組み合わせだな、この炒飯は….」
司馬炎の隣で鐘風も頷いたが、何も言わずに黙黙と箸を動かしている。
「我が家の料理番に欲しいな。腕も立つし、側近としても重宝するな。」
すると鐘風が、期待する眼を司馬炎へと向けた。
その視線に気づいた司馬炎は、慌てて手を振った。
「冗談だ。潘誕殿のような人材、姜維殿も華真殿も手放す筈がない。鐘風、諦めろ。」
そう言われた鐘風は手元の皿にもう一度眼を遣ると、恨めしそうに司馬炎の顔を見つめた。
準備した料理を全て出し終えた潘誕は、広場に顔を出して、そこに集まった人々を見渡した。
皆が美味そうに、潘誕の料理に舌鼓を打っている。
人々の楽しげな顔を見ていると、潘誕の胸中は幸福感に満たされる。
いつもこんな顔に囲まれていたいもんだ。
そう思いながら、潘誕はふと成都にいる華鳥の顔を思い浮かべた。
華鳥にも食べさせてやりたいなぁ……早く帰って逢いたいなぁ……。
そんな事を思いながら、再び歓談する人々を見回した潘誕の眼に、見慣れない人物の姿が映った。
商人達と歓談の輪を囲んでいるその人物は、およそ商人らしからぬ風体をしていた。
極彩色の羽織と、後ろ髪を結う派手な髪飾り。
はて…こんな人物が市場街に居ただろうか?
まるで旅役者のようだな。
そう思いながらその人物を見詰めていると、その相手が潘誕の方へと顔を向けた。
そして潘誕と視線が合うと、その人物はにっと笑い、潘誕に向かって手招きした。
相手の顔に見覚えがない潘誕は、戸惑いながらもその人物が囲む人の輪に足を向けた。
潘誕の姿を見て、一座の中にいた一人の男が直ぐに声をかけて来た。
これはよく知る市場街の長の一人だ。
長は、件の派手な風体の人物の隣に潘誕を招いた。
そして直ぐに紹介の言葉を発した。
「こちらの方は、あの大店の飛仙の御当主です。一昨日からこの近くに立ち寄られており、本日は市場街で宴会がある事を耳にしてやって来られたのです。」
長の言葉に、潘誕は仰天した。
「飛仙の御当主!! …..と言うことは、お、御義父様…….」
二週間後、潘誕が成都へと戻って来た。
姜維達への報告を済ませた潘誕が落ち着かない様子で立つのを見て、王平が笑い声を挙げた。
「華鳥殿が恋しいのであろう? 良いぞ。早く家に帰り、久々に恋女房と顔を合わせると良かろう。」
王平の言葉を聞いた潘誕は、拝礼もそこそこに直ぐに部屋を飛び出した。
王宮から一目散に馬を走らせた潘誕は、家に辿り着くと転がるように中へと飛び込んだ。
家の中では、華鳥が満面の笑みで潘誕を迎えた。
「本当に御苦労様でした。大変な御活躍だったそうですね。」
潘誕は、華鳥の手を取って懐へと抱き寄せると、その体温を感じながら、暫く身動きを止めた。
そして漸く華鳥の身体から身を離した潘誕は、早口で捲し立て始めた。
「実はな。お前の御父上に、御目にかかったのだ。市場街でな…。魏の兵達が市場街を攻める事を耳にされて、様子を見に来られたと仰って…..」
それを聞いた華鳥が眼を瞠った。
「まぁ、お父様が….。それで、どうでしたか?その….、変な人だったでしょう?」
返答の言葉を考えるように視線を彷徨わせてから、潘誕はごしごしと髭を擦った。
「まぁ….想像していたのとは、まるで違ったな。まず姿形がどう見ても大店の当主らしくなかった。派手な色合いの羽織に髪飾り。最初は旅役者と見間違えた……。」
潘誕の言葉に、華鳥は頷いた。
「それと、べらんめぇ口調で話をされるのには面喰らった。国でも指折りの蔵書の数々を自分の眼で見ていたから、学者然とした穏やかな方であろうと思い込んでいた。」
華鳥がくすりと笑いを漏らした。
「それならば、実際の父を目の当たりにして、さぞ驚かれたでしょうね。」
「あぁ、でもお話を伺って、御父上の豪胆さには度肝を抜かれた。実はな。市場街の防衛に必要な木材の切り出しに、偉く難儀をしていたんだ。ところがある日突然、大量の木材が市場街に運ばれて来たんだ。木材を運んで来た者達の人数は、二百を越えていた。その連中は、木材を運び入れると、次は何をしたら良いかと俺に尋ねて来た。木材の組み立てに人手が欲しかった俺は、それこそ歓喜した。実は、全てが御義父の手配によるものだった。市場街の様子を、中にいた商人達から聞いて、直ぐに決断をされたと言う。これにはたまげた。」
しかし華鳥は、そんな潘誕の話にも驚いた素振りは全く無かった。
「お父様らしいですね。何時も即断即決の人でしたから。でも一仕事は終えた後なのに、どうして市場街に姿をみせたのかしら。いつもだったら、直ぐに別の所に飛んでいってしまうのに….」
「それがな…..。俺の料理が目的で来たと、そう仰った。何でも、今回の仕事の見返りに華鳥の亭主となった俺の料理を食べさせろと、華真様にねじ込んだらしい。」
すると華鳥が不思議そうな顔になった。
「貴方が料理上手な事を、なぜお父様は知っているのかしら?…」
「お前のお祖父様とお母上から聞いたと仰っていた。お前と共に飛仙に最初に行った時、猪料理を作っただろう。その時の話を聞かされたと…。自分一人だけがそれを口に出来なかったと、たいそうご立腹であった。」
それを聞いて、華鳥が笑い出した。
「それも、お父様らしいですね。そういう時には、直ぐに拗ねるのです。」
すると潘誕は、こほんと一つ咳払いをした。
「それとだな…..。御義父はこうも言われた。華真と華鳥に任せているだけでは、いつになったら俺の料理を口に出来るか分からぬ。だから市場街で宴会が行われると聞いて、足を運んだのだと….」
それを聞いた華鳥が眼を丸くした。
「まぁ…。兄も私もずいぶんと信用がないのですね。それで….私が貴方と一緒になった事については、何か言っていましたか?」
すると潘誕は、表情を改めて、華鳥の前に座り直した。
「何があっても、お前を守り抜け…..。そう言われた。自分の子供達が自ら求めた道を究める為には、多くの試練を克服しなければならない。それには危険も降り掛かる。それらの危険から華真様と華鳥を守り抜け….。そうお言葉を賜った。」
それを聞いた華鳥はふと涙ぐみ、その後改めて潘誕の顔を見つめた。
「実は、私からもお話すべき事があるのです。」
華鳥の言葉に、潘誕が顔を挙げた。
「何です?改まって…..」
すると華鳥は、何か思い当たった様子で潘誕に尋ねた。
「そう言えば...今回の働きに対しての褒美は頂いて来たのですか?」
それを聞いた潘誕は、思わず天を仰いだ。
「褒美?....。しまった…..すっかり忘れていた。」
それを見た華鳥は、声を挙げて笑った。
「貴方様らしいですね。それでは...私が御褒美を差し上げましょう。お待ちしていたのは私一人ではありませんよ。」
そう言って華鳥は、自分の下腹をそっと撫でた。




