それぞれの対策
成都の王宮会議室では、重臣達が集合して緊急の評議が招集されていた。
「本当ですか? 魏が市場街に軍を向けていると言うのは...?」
夏侯覇の問いに、苦虫を噛むような顔で姜維が頷いた。
それを見た夏侯覇が、地団駄を踏んだ。
「馬鹿げた事を。正々堂々と戦を挑むならまだしも、多くの商人が集まる市場街を狙うなどとは。これでは野盗と同じではないか...。いつから魏軍は、このような愚劣な集団に成り下がったのだ。」
そんな夏侯覇を見て、華真が俯いた。
「迂闊でした...。魏が今夏の干魃で飢饉が避けられない事には気が付いておりました。危険な事は察知していましたが、まさかこのような行動に出るとは...」
その横で、王平が報告の声を挙げた。
「長安の司馬炎殿から急使が来た時は、何かの間違いではないかと思い、直ぐに確認しました。確かに長安より軍勢が既に出立して荊州に向かっているようです。その数約三千。兵数から見て、全軍が動いている様子ではありません。」
王平の報告に、華真が顔を上げた。
「恐らく、賈充と王沈の麾下ですな。飢饉によって一揆が頻発すれば、国は一気に傾く。しかも冬の間に食料庫が空となれば、兵達の不満も増大する。王沈と賈充は、それを抑えきれないと見たのでしょう。」
それを聞いた一同の皆から嘆息が漏れた。
「それにしても愚挙ですな。貧すれば鈍すると言いますが。これでは、もはや国とは言えない...」
「しかし、どうします。市場街の守兵は、百名足らずに過ぎません。」
姜維が、眉間に皺を寄せて腕組みをした。
「司馬炎殿は、凡ゆる手段で行軍を遅らせると言って来てはいますが、今から成都から援軍を仕立てても間に合うかどうか...」
その時、華真が立ち上がると、周囲の皆を見渡した。
「勿論、救援は直ぐに手配せねばなりません。呉の志耀様も、既にこの事は知っておられましょう。彼方でも何らかの手を打つ筈です。呉蜀の救援が駆けつける迄は、市場街は自ら防衛策を講じるしかありませんね。司馬炎殿が時間を稼いでくれてる間に準備をするのです。」
華真がそう言う横で、夏侯覇が首を傾げた。
「しかし、自衛と言っても、何か特別な手段があるのですか?】
【今月の市場街の守備指揮官として、潘誕殿が出立していますね。至急に連絡の早足を手配して下さい。私に考えがあります。非常の際を考えて、準備した策が...」
華真の声に、夏侯覇が直様立ち上がった。
「それならば、救援隊の指揮は俺に任せて欲しい。まずは騎馬隊だけを先行させる。魏の愚行、何としてでも止めてみせる。此れは俺の責任でもあるのだ。」
呉の建業にいる志耀の元にも、司馬炎からの急使が到着していた。
「うむ....。此れは拙いですな。蜀が始めた市場街というのは、物産の流通を促進し、各地に良品を普及させる為には欠かせぬもの。それが漸く軌道に乗って来たと言うのに…。今こうした事態に晒されれば、商人達の足も鈍ってしまいましょう。国の栄えを妨げる事となります。早急に手を打たねばなりませんな。」
陸遜の言葉に、張休が途方に暮れた声を挙げた。
「しかし、どうしたら宜しいでしょう? 既に魏軍は、長安を出発しております。今から荊州に援軍を差し向けても、追いつく事は出来ませんぞ。」
その時志耀が顔を上げて、陸遜に尋ねた。
「陸路ならば、追い付く事は出来ぬ。しかし水路を使えば話は別だ。例の鉄甲船だが、今の建造状況はどのようになっている?」
「千名の兵を運べる船が一艘完成し、既に山賊退治の為の兵を載せて出軍の途上にあります。」
「一艘だけか?」
「残り四艘は、建業にて完成手前まで漕ぎ着けてはいますが、その完成を待つ時間は有りますまいな。」
すると、志耀は即座に決断を下した。
「既に出軍させている一艘だけで良い。千名の兵が乗っているのであろう? その船の進路を、急遽荊州に向けさせるのだ。船の指揮は誰が採っている?」
志耀の問いに、張休が答えた。
「水軍大提督の大史享が自ら乗っております。しかし魏軍の数は三千ですぞ。三倍の数を相手に....。」
躊躇する張休に対して、陸遜が毅然とした声を挙げた。
「それは解っている。しかし、蜀には姜維殿と華真殿が居る。あの二人が、むざむざと市場街を蹂躙させる筈はない。必ず何か手を打つ筈だ。更には司馬炎殿自身も動くと言って来ているのだ。稀代の智慧者が、これだけ揃っているのだ。簡単に市場街は堕ちぬ筈だ。帝の仰る通り、此処で呉だけが何もせず静観を決め込むなど有り得ぬ。早急に大史享に指示を出します。」
荊州の市場街では、先行した鐘風達が、守備隊を指揮する潘誕と顔を合わせていた。
「鐘風殿。またお会いしましたね。霊鳥山の麓で別れた時には、このように早く再会出来るとは思っておりませんでした。」
「貴方の予想が当たりましたね。若殿は言われました。志耀様の世を創る為に全てを捧げると...。その為には、夏侯舜殿に、魏を纏めて貰わねばならぬ...そう仰いました。俺は、司馬の若殿の命を受けて此処に来たのです。」
潘誕は、鐘風を見詰めると、やや声を顰めた。
「昨日、華真様からの使者が来ました。この市場街を防衛する策を送って来て頂いたのです。そんな中で貴方達に来て頂けたのは。まことにに心強い。是非ご協力をお願いします。」
潘誕に頭を下げられた鐘風は手を振った。
「当然の事をする迄です。そう言えば、霊鳥山でご一緒した美しくも凛凛しい女子。今では貴方の女房殿だとか...。羨ましい限りですな。貴方もこんな処で死ぬ訳には行きませぬな。それで...その策とは、如何なるものなのです?」
潘誕から、華真が授けたという防衛策を聞かされた鐘風は思わず唸った。
「そこまで考えて、この場所に市場街を建設したのですな。司馬の若殿は、華真殿を諸葛亮孔明殿そのものと言われていた。その意味が良く判りました。」
「華真殿が伝えて下さった防衛策には、大量の木材が必要となりますね?」
鐘風に問われた潘誕は、身体を解すように両腕を回した。
「木材の調達の為に、俺は明日から、兵達を率いて山に篭ります。暫くは剣を斧に持ち替えての木こり仕事です。それでも必要な量の木材を刈り出すには、かなりの日数が必要になると思います。司馬炎殿にその時間を稼いで頂ける事が頼りです。」
祈るような表情の潘誕に向かって、鐘風が力強く頷いた。
「若殿を信頼して下さい。あの方も華真殿に決して負けることの無い智慧者ですぞ。」




