華鳥の求婚
成都では、華鳥と潘誕が長い呉への旅から戻り、街中の料理屋で慰労の席に着いていた。
「わざわざ、このような事をして頂くなど恐縮です...。姜維様も王平様もご多忙でしょうに...」
「何を言うのです。大役を果たし無事に戻ったのです。この程度の事は当然です。本当にご苦労様でした。」
そう言う姜維の横で、王平も華鳥に頭を下げ、傍では華真が微笑みながら華鳥達を見守った。
すると潘誕がちょっと不服そうに王平に声を掛けた。
「王平様。俺にも何か言ってくれないんですか? 俺だって華鳥様と一緒に旅をして来たんですよ。」
「何を言ってる。お前は華鳥殿と同行出来る事に、最初からはしゃいでいたではないか。それに、此れは任務だったのだぞ。まぁ首尾よく任務を果たした事は褒めてやる。」
王平の言葉に、潘誕は無邪気な笑顔を浮かべた。
そんな潘誕の姿を、華鳥がじっと見つめた。
「潘誕殿は、本当に心強い護衛でしたよ。この方には何度も危機を救われました。それに....」
そう言いながら、華鳥は卓に並べられた料理をちらりと見遣った。
「このように飾り付けられた料理ではなかったですが、旅先で潘誕殿に作って頂いた料理は、どれもが本当に美味しかった。あの味は一生忘れられないでしょう。真の料理とは、見た眼ではなく、作る人の真心と言う事が良く判りました。」
華鳥の言葉に、照れたように頭を掻く潘誕の横で、華真がくすくすと笑いを漏らした。
「実は、華鳥はこう見えても、大変な食いしん坊なのです。本当に良き同行者を付けて頂きました。」
「しかし、志耀様というお方、真に素晴らしい方なのですな。『与えられた輿に、只乗りなど出来ぬ。己の器量を示すのが先だ』というお言葉には感服しました。お会い出来るのが楽しみです。」
志耀を待ち焦がれる姜維の様子を見た華真は、小さく微笑んだ。
「そういう方なのですよ。だからこそ、陸遜殿も呂蒙殿も、蜀に行く前に呉でなすべき事があると主張されたのでしょう。あのお二人が傍に居れば大丈夫でしょう。ほどなく呉は、志耀様の下で治りましょう。」
「楽しみに待ちましょう。しかし気になるのは、突然に現れた魏の司馬炎殿ですな。華鳥殿は、味方となれば華真殿にも匹敵すると言われましたが、それほどの人物なのですか?」
姜維の問いに対して、華鳥は自信あり気に答えた。
「嫌味のない方です。夏侯覇将軍が、祖父の司馬懿殿は陰湿で好きになれないと言っておられるそうですが、司馬炎殿には、そのような影はありません。しかも、物事の先の先を見抜く鋭い眼を持っておられると思いました。私の観るところ、真に兄の華真にも匹敵すると思います。」
横で聞いていた華真が苦笑した。
「兄の私を引き合いに出すのは、どうかと思いますが…..。まぁ、華鳥がそこまで言うのなら間違いありますまい。私が言うのも可笑しいですが、妹の人を観る眼は確かです。味方について貰えればと願うばかりですね。」
そこで思い当たったように、華鳥が言った。
「大丈夫と思います。実は、別れの朝にちょっとした事件があって...。瀕死の子供を背負った母親とたまたま出会ったのです。その子は私が治療したのですが…。その時に志耀様が、その母子の行く末を司馬炎様に託されたのです。その時のお二人のやり取りの中で、司馬炎様の眼から迷いが晴れて行くのが、私にははっきりと判りました。司馬炎様は、きっと我我と共に志耀様を支えて下さいますよ。」
華鳥の言葉に、姜維はふむふむと頷いた。
「そうなってくれれば良いのだが...。まぁいずれにしても、今夜は来るべき明るい未来を祈念して、乾杯を致しましょう。」
そう言って姜維が盃を取り上げた時、華鳥が一堂に向かって両手を付くと、座ったまま後方に下がった。
「それならばもう一つ、皆様に了承と乾杯を頂きたい事があります。」
「どうしたのです?急に改まって....」
そう姜維に問われた華鳥は、きっぱりとした口調で言った。
「私は、夫を持ちたいと思います。」
いきなりの華鳥の言葉に、その場にいた全員は口をぽかんと開けた。
呆気に取られた一堂の中で、姜維が確認するように華鳥に尋ねた。
「お、夫...。つまるところ、それは....心に決めた男がいるということですか? そして、その男と添い遂げたいと....」
頷く華鳥に、今度は王平が尋ねた。
「華鳥殿が心に決めたという、その野郎……。いえ….その方とは、一体誰ですか?」
それに対して、華鳥はゆっくりと潘誕を見遣った。
「此処におられる潘誕様です。私はこの方の妻になりたいと思います。」
華鳥の言葉に、一堂はまた唖然としたが、最も狼狽えたのは潘誕だった。
「か、か、華鳥様….。何を仰るのです。如何に酒席とは言え、人をこのようにからかってはなりませんよ。」
口をぱくぱくさせる潘誕に華鳥は向かい合い、姿勢を正すと潘誕の前に両手をついた。
「このような私で宜しければ、妻として迎えて頂けませんか? 女子の方からこのような事を切り出すのははしたないのですが...。駄目ですか?」
華鳥に膝まづかれてそのように言われた潘誕は、返す言葉が見つからない程に狼狽えた。
そして驚愕のあまり、壁際にまでずり下がった。
「な、何を(おっしゃ)るのです。で、でも、もし本気で仰って頂けてるのなら夢のようです。な、何で、俺なんかに?」
華鳥は、潘誕の手を取りその傍に坐り直すと、兄の華真に眼を向けた。
「兄上は、私を食いしん坊と言われましたね。その通りです。半年余りもずっと、潘誕様の作る舌の蕩けるような食事を頂いてきた今、もうこれから離れる事は出来ません。しかも潘誕様は、常に私を見守り、護り続けて下さいました。」
「私は、潘誕様ならば、必ず生涯私を護り、愛おしんで下さると確信したのです。どうかお許しを頂けますように...」
そう言って頭を下げる華鳥を見て、華真は高笑いをした。
「成程。しかし、本当に良いのかな?」
兄の言葉を聞いた華鳥は、むっとした顔で華真を見返した。
「本当に良いか?...とはどのような意味です? 先程兄上は、私の人を観る眼は確かだと言われたばかりではないですか。」
非難するような華鳥の口調に、華真は再び笑い声を挙げた。
【華鳥。お前に言ったのではない。潘誕殿。本当にこのようなじゃじゃ馬で良いのですか? 後になって、やはり返しますと言われても、私は知りませんよ。】
相変わらず動揺した様子のまま、潘誕は直ぐに華真に向かって平伏した。
「な、何を仰るのです。じゃじゃ馬などとは…。とんでもないです。華鳥様は天女ですよ。必ず幸せにします。一生を賭けて愛おしみます。」
そのやり取りを前にして、王平が今一度確認するように言った。
「しかし華鳥殿。本当に良いのですか?こんな無骨な男で....」
すると華鳥が、ちょっと頬を赤らめながら下を向いた。
「潘誕様は、人の心を本当に解って下さる方です。それに私は、潘誕様には既に裸を見られてしまっていますしね。」
その華鳥の言葉に、王平が気色ばんだ。
「な、何だと!! 潘誕、貴様!! 華鳥殿に何をした? あれほど、この方に妙な気を起こすなと言い聞かせたのに....」
王平の怒声を浴びた潘誕は、再び狼狽えた。
「そ、それは誤解ですよ。」
狼狽のあまり声が裏返り、しどろもどろになりながら潘誕は弁解を始めた。
「た、確かに華鳥様の….は、裸は観ましたが....。で、でも、其れは、ち、治療の為であって….」
それを聞いた王平の怒りが、さらに沸騰した。
「ええい、訳の解らぬ事を…。ちょっと俺は、厠に行ってくる。」
怒りの表情のまま、王平はいきなり立ち上がった。
肩を揺すって部屋を出る王平の後ろ姿を見送りながら、姜維が苦笑した。
「潘誕。心配する事はないぞ。王平は、喜んでくれているのだ。驚いたのと....それにちょっと嫉妬をしているのかもしれんがな。」
その言葉に、潘誕は複雑な表情で頷いた。
歓談が続く中、ずっと落ち着かない様子をしていた潘誕が立ち上がった。
「俺、ちょっと王平様の様子を見て来ます。」
そう言って部屋を出た潘誕が、厠に向かう廊下の角を曲がると、其処では王平が仁王立ちの姿勢で腕組みをしていた。
「王平様.... 先程の事ですが、あれは本当に治療の為に止む無くした事で....。俺は、やましい事など一切していませんから....」
再び弁解を始めた潘誕を、王平はじろりと睨んだ。
そしてその後、王平から大きな溜息をが漏れた
「判っているさ。お前がそんな馬鹿な事をする男ではない事くらい...。それより、お前に聞きたい事がある。」
そう言った王平は、潘誕の鼻先のすぐ前まで自分の顔を近づけた。
「なぁ、教えてくれないか。どうやったら、あの華鳥殿のような絶世の美女を妻にするなどと言う事が出来るのだ? 俺だって、まだ独り身だぞ。あんな美人を娶るのは、どんな男にだって夢の一つだ。なぁ、そうだろう?」
曖昧に頷く潘誕に、王平は更に言葉を重ねた。
「お前と華鳥殿の取り合わせなど、正に美女と野獣だぞ。何故...?」
潘誕は、少し考えると顔を挙げた。
「王平様。好きな相手を口説くのに最高の方法。それはきっと、相手の胃袋を掴む事じゃないですかね?でも俺は、今後ずっと華鳥様の為に、三度の飯を作り続ける事になるんですよ。凄く嬉しい事なんですがね...」




