七縦七擒、再び
【『七縦七擒』とは、諸葛亮孔明が南方遠征を行った際に、敵将の孟獲と七度の戦いを行った時の逸話から生まれた言葉である。孔明は孟獲と七度戦い、七度共に孟獲を破りその身を捕えた。そしてその都度、孔明は孟獲を放免した。その結果、遂に孟獲は孔明に心服して蜀に従う事となった。四文字熟語としての意味は、『相手を自分の思うがままにあしらうこと』である。】
華真の言葉を聞いた孟獲は、怒りで顔を充血させた。
「ふざけた事を言うな。俺があの時の戦で負けたのは、相手が孔明殿だったからだ。あの方以外の者なら、決して負けたりはせぬ。ましてやお前のような青二才に....。ぐぐぅ…..俺を侮辱した報いは大きいぞ。俺が勝った時は、その場でお前の首を飛ばしてやる。」
物騒な猛獲の恫喝にも、華真の穏やかな表情は全く変わらなかった。
「私の首でよろしければ...。では、孟獲殿は自軍を率いて来ておられますので、私の方ですが....」
そう言った華真は、姜維を振り返った。
「丁度今、馬超将軍の軍が成都に駐留していますね。馬超将軍の許可が頂けるなら、その兵を千、お借りしたいのですが...。猛獲殿は、それでも宜しいですか?」
華真の申し出に、猛獲の眼が興味深げに光った。
「馬超軍だと…。面白い。隠遁した将軍と共に一時は辺境に引き篭もった兵団が、過日の魏軍との戦いで大戦果を挙げたという話は聞いている。相手にとって不足はない。」
馬超は、華真の申し出を姜維から聞かされると、興味津津に頷いた。
「模擬試合とは言え、華真殿が自ら指揮を採るのか。俺も是非見学させてくれ。麾下の兵達には俺から良く言っておく。孟獲殿なら、此方こそ相手に不足はない。存分に叩き伏せろとな....。」
その後姜維から、華真と孟獲に向けて、模擬試合の詳細が知らされて来た。
『試合は、死者が出ぬように、剣は木刀、槍は穂先のない袋槍を用いる。弓矢などの飛び道具は無し。火器の使用も禁じる。試合場は、成都北方の調練場で、二つの丘陵に各各本陣を構える。本陣の丘に立てた軍旗を両軍どちらかが奪った時点で勝敗は決するものとする。試合は三日後の夜明けより、銅羅の合図で開始する。』
試合の内容を確認した猛獲は、自信あり気に拳を握りしめた。
「夜明けに試合開始だと....? 本当に七回も試合が行われるとでも思ってるのか? 朝日がまだ山の稜線にかかっている最初の試合で、早々に決着を付けてやる。」
こうして両軍それぞれは、模擬試合の準備に入った。
三日後の未明に、調練場の二つの丘に両軍各千の兵が集結し、草原を挟んで対峙した。
草原を見下ろすもう一つの丘には観覧席が設けられた。
そこには、姜維を中央にして蜀軍将軍達の席が準備されていた。
草原の各所には、審判旗と法螺を背負った騎馬が配置され、戦況を監視する体制を取った。
やがて山稜が朝日に赤く染まり始めた時、観覧席の脇に設けられた銅羅が鳴らされ、その音響が調練場一帯に鳴り響いた。
銅鑼の音と共に、観覧席に座している将軍達から歓声が挙がった。
最初に孟獲軍が、雁行の隊列を組んで前方の草原へと押し出した。
対する華真の軍は、草原の入り口で三つの大きな円形の陣を組み、それらの円陣がゆっくりと周回を始めた。
観覧席から、その様子を眺めていた姜維が、隣に座る馬超に声を掛けた。
「先ず孟獲殿は、相手の出方を伺う姿勢ですね。華真殿の方ですが....。あれは今迄見たことのない陣形ですが…。馬超軍は、これ迄もあのような陣形の調練をやっていたのですか?」
すると馬超は、自分の麾下の軍が採った陣形に食い入るような視線を貼り付けた。
そして、丘の上に立つ華真に眼を向けた。
馬超の顔には、はっきりと驚きの色があった。
「此れは....『車懸かり』だ。俺も、華真殿からつい最近この陣形を教えられ、訓練を始めたばかりだったのだが...。いきなり此れをやるのか...。」
馬超の言葉に、姜維が首を傾げた。
「車懸かり...? 何ですか、それは?」
「軍を三隊に分け、各々が車輪のように巡りながら、情勢に合わせて相手に次々と打ちかかる陣だ。全ての兵の配置が次々と入れ替わるので、最前方で戦う兵の負担と疲労は著しく少ない。しかし情勢を見極めながら、各々の隊列を動かさなくてはならないので、指揮官には的確な状況判断と、瞬時の決断が要求される。一度決めたら後は成り行き任せの通常の陣形に比べると、遥かに難易度は高い。」
両軍は、草原の中央で激突を開始した。
雁行で攻め寄せる孟獲軍を、華真軍の車輪が次々と跳ね返す格好で、小競り合いが半刻ほど続いた。
やがて、華真軍の車輪を突破し切れないと見た孟獲軍が一旦前線を引いた。
そして蜂矢の陣形に隊列を整え直そうとした時、華真軍の本陣から法螺貝の音が響き、車輪から次々と兵達が列を組んで離れ出した。
それを見た馬超が、思わず椅子から立ち上がった。
「動いたぞ‼︎ 勝負を仕掛けた‼︎ 」
矢の穂先のような陣形となった孟獲軍に、車輪から放たれた華真軍の兵達が、左右から包み込むように動き、一気に戦線は変貌した。
最前線にいた自軍の騎馬隊が華真の軍勢の中に埋もれる様子を本陣の丘から見た孟獲が、歯軋りをした。
「おのれ‼︎ 包み込ませるな‼︎ 歩兵をもっと前へとせり出せ‼︎」
その時、横にいた副将が叫び声を挙げた。
「し、将軍....。本陣後方に、敵の騎馬が来ます…..」
副将の叫びに振り返った孟獲の目に、本陣後方から一気に駆け寄せる十騎程の騎馬の群が映った。
騎馬群は、あっという間に猛獲の本陣中央を突破すると、そのうち一騎が丘に立つ軍旗を奪い、それを高々と上に掲げた。
そこで審判席から銅羅が鳴らされ、両軍全ての兵の動きが停止した。
立ち上がって見ていた馬超は、思わず喝采した。
「見事だ!! 陣形変化の隙を捉えて、相手の最前方を包み込むと共に、別方向から遊撃隊を走らせるとは...」
次の試合でも華真の軍は、最初は車懸かりの陣形をとった。
それに対して孟獲軍が、今度は鶴翼の陣で、姜維軍の車輪を包むように競りかけて、今回も戦線は膠着した。
半刻が過ぎて、やや疲れの見えた孟獲軍の前線の動きが一旦止まった。
それを見た華真軍の隊列の車輪が解けて、蛇のように畝る隊形へと変化した。
そしてその蛇の隊列が、横に開いた猛獲陣の更に外側に巻きつくように取り付いた。
再度戦線が膠着したと思われた瞬間、華真隊の後方から一群の騎馬隊が一気に駆け上がって戦線を抜け出した。
一気に放たれた騎馬軍は、一本の槍の穂先のようになって、猛獲軍本陣の丘へと駆け上った。
馬超は、今度は小さく嘆息した。
「今度は、迷宮鉄鎖からの奇襲への転換か...。正に変幻自在だな...」
既に太陽は天空に高く昇り、第三回目の試合前に休息が設けられた。
両軍の兵士達の様子を窺った馬超は、思わず唸り声を挙げた。
「孟獲殿の軍勢の疲労が、華真軍に比べて遥かに激しい...。華真殿は此れを計算して、二度共に序盤は車懸かりを仕掛けたのだな...」
馬超の声を耳にして、王平が不思議そうな表情で問い掛けた。
「どう言う事です? 何故これだけ、両軍の兵達に疲労の差が出たのですか?」
王平の問いに、馬超は自らにも語り聞かせるような声音で答えた。
「車懸かりは、最前方でぶつかる兵が次々と入れ替わるので、前線の兵の消耗が少ないのだ。それに対して、孟獲軍は陣形を変えてはいるが、最前方で迫り出す兵は何時も同じだ。最前線に最強の兵を配置するのは、確かに鉄則ではあるが、こう何度もぶつかり合いが繰り返されてはな.....。こんな事は本番の合戦では少ないが…。華真殿は、そこまで計算していたと言う事だ。」
兵達の疲労差が明確となったその後の試合では、いずれも孟獲軍が、華真の軍に一方的に押し込まれる展開となった。
一度も相手本陣に迫る事なく、七度続けて自陣の旗を奪われた孟獲は、全ての試合が終わった時、思わず天を仰いだ。
そして騎馬を降り、丘の草原にぺたりとしゃがみこんだ。
その後、向かいの丘に華真の姿を認めると、大きく両手を挙げて華真に向かって土下座した。
「いやはや...。まるで大人と子供の試合のようだったな...。その上、車懸かりの陣というのはこのように使うのだという事を、華真殿は身をもって俺に教えてくれたという事だな。」
感慨深げに試合を回顧する馬超に向かって、姜維が不安げに言葉を掛けた。
「しかし、少しやり過ぎた感じもしませんか? あの自尊心の強い孟獲殿を、此れほどまでに徹底的に打ち負かすなど...」
しかし馬超は、自信あり気な視線を姜維に返した。
「大丈夫だろう。孟獲殿は潔い男でもある。逆に、華真殿に心から敬服するだろう。今回の事は、かつての七縦七擒の再来だ。それは、猛獲殿自身が一番分かっている筈だ。」
翌日、王宮の会議室で華真と顔を合わせた孟獲は、華真に対して真っ先に最敬礼をした。
「見事と言うしかない采配でした。此れほどまでに叩きのめされたのは、嘗て諸葛亮孔明殿に屈服させられて以来です。今回は、あの時以上の鮮やかさと言っても良い。潔く負けを認め、華真殿の言に従います。我々の地で早速にも新兵を募集して、成都へと送ります。調練は此方でして貰った方が、兵も強くなるでしょう。」
最初の出会い時とは打って変わった猛獲の態度に接して、華真は笑みを見せながらも、丁重に言葉を返した。
「恐れ入ります。大切な民達、しかも兵に志願してくれる人々ですので丁重に扱います。それと、南方に派遣する農耕の技術者を増員させて頂きます。」
それを聞いた猛獲が、不思議そうな表情で問い返した。
「それは、何故ですか?」
「常時兵に志願する者が多く出れば、その分農耕に携わる者の数が減り、耕作の苦労が増えます。それを補う為には、耕作の効率を上げなくてはなりません。その為に新しい技術を持った技術者を送ります。」
猛獲の表情に、今度は驚きが広がった。
「新しい技術とは...? そのようなものがあるのですか?」
「稲を刈り取った後の耕地に、麦を植えて収穫を増やします。土地が痩せるのを防ぐ為の肥料も工夫しましたので、それも一緒に持たせますよ。」
猛獲は、ほうっと大きな息をして、眩いものを見るようにして華真に視線を遣った。
「貴方様は、まるであの孔明殿のようなお人ですね。戦以外でも様々な知恵をお持ちのようだ。」
「新しい帝をお迎えする前であっても、国を富ませる手段には早く手を付けねばなりません。此れが先日のご質問への答えです。」




