華鳥の被傷
露糢が率いる狼群と別れた華鳥と潘誕は、山を越えると街道に戻る細い坂道を下り始めた。
「先程の山賊達は、流石にもう現れないでしょうが、宿の主人が言ってた通り、この辺りは物騒な所ですね。この一ケ月で旅人達が、もう十人以上殺されて、所持していた荷が奪われているそうです。」
「呉の王宮が権威を失った結果ですね。それ故に、治安が極端に悪くなっているのです。」
「正に無法地帯と言う事ですね。先を急がねばなりませんな。」
そう言った潘誕の眼下に、街道が見えた」
「やっと街道に戻りました。此処からは道の歩みが楽ですぞ。」
そう言った瞬間、潘誕は空気を切り裂くような音を背後に捕らえ、持っていた剣を一閃した。
二人の足元に、叩き落とされた一本の矢が転がった。
すると、更に頭上から幾つもの矢が、二人に降りかかって来た。
降りかかる矢を剣で払いながら、潘誕が華鳥に向かって叫んだ。
「走るのです‼︎ 前に‼︎」
その時、街道に新たなニ人の山賊が姿を現し、華鳥の行く道を塞いだ。
それを眼にしたした潘誕は宙に跳躍し、華鳥の前方へと身を躍らせた。
「前を塞ぐ者には容赦はしない‼︎ 其処をどかねば、遠慮なく切り捨てるぞ‼︎」
潘誕は、剣を風車のように頭上で回転させ、襲い掛かって来る山賊達に向かって剣を振るった。
山賊の一人が突き出した槍が、潘誕の剣によって穂先近くから切断された。
そして二人の賊の間に割って入った潘誕が、あっという間に二人を打ち倒した。
「さぁ華鳥様、早く‼︎」
全力で走りだそうとした二人の頭上から、また矢が降り注いだ。
そして一本の矢が、潘誕の右腿に突き立った。
思わず地面に手を突いた潘誕が振り返ると、街道脇の樹の上で弓を構える二人の男の姿が見えた。
「おのれ‼︎ 」
潘誕は、地に転がった山賊の蛮刃を拾い上げると、それを樹上に向けて投げつけた。
回転しながら宙を飛んだ刃が、一人の賊の首を飛ばした。
それを眼にしたもう一人は、慌てて樹から転げ降りると、身を翻して一目散に逃げ去って行った。
賊が去ってゆくのを見届けた潘誕が振り返ると、そこには道の真ん中に蹲る華鳥の姿があった。
その肩先には、一本の矢が突き立っていた。
「華鳥様!!」
駆け寄った潘誕は剣を脇に挟み、地に伏した華鳥を両手で横抱きにすると、脚を引きずりながら直ぐに駆け出した。
やがて前方に、谷を渡す吊り橋が見えた。
両手に華鳥を抱えた潘誕は、足元に注意を払いながら、慎重にその吊り橋を渡った。
吊り橋を渡った潘誕は、街道脇の草叢に華鳥を下ろし、暫く後方の様子を伺った。
後方に人の気配がない事を確認した後、潘誕は渡ったばかりの吊り橋に歩み戻ると、橋を支える二本の大縄に向かって剣を振るい、それを切り落とした。
追っ手の追路を絶った潘誕は、華鳥の元に戻ると、今度は華鳥の肩を抱くようにして、街道脇の小道を、谷川に向かって降った。
そして河原に達すると、岸辺の崖の脇に小さな洞穴を見つけ、その中の石畳に華鳥の身を横たえた。
「華鳥様、大丈夫ですか‼︎ しっかりして下さい‼︎ 」
潘誕の声に、華鳥は身を捩って半身を起こした。
「不覚でした。あの程度の矢を浴びてしまうとは...」
「直ぐに手当をします‼︎ 」
葛籠の蓋を開け、中を探る潘誕に向かって華鳥が言った。
「貴方も矢傷を負っているではありませんか。先に貴方の脚の傷を見せて下さい。」
「そんな...華鳥様が先です...」
慌てた様子で言葉を重ねる潘誕に構わず、華鳥は潘誕を後向きにさせると、腿の上部に突き立った矢を一気に引き抜いた。
「直ぐに衣類を脱いで下さい。下帯も取って下さい。」
「えっ。華鳥様の前で、尻を丸出しにするんですか?」
言葉とおりの尻込みをする潘誕を、華鳥が怒鳴りつけた。
「何をつまらない事を言ってるんです。私は、医者ですよ。さぁ早く‼︎ 」
華鳥は洞穴の中にあった枯枝を集めると、先ず火打ち石で火を起こした。
そして葛籠から取り出した医療器具の包みを拡げた。
華鳥は広げた包みの中から一本の小刀を手にすると、その先端を火で炙り、潘誕の腿の傷口に押し当てた。
そして薬草を潰した練薬の器を開け、それを傷に塗ると包帯を施した。
「これで終わりました。今度は私の番ですね。私では、傷口に手が届かないので、潘誕殿が手当をお願いします。」
そう言われた潘誕は、まず華鳥の肩の矢を引き抜いた。
すると華鳥は無造作に服の胸元の帯を解くと、直ぐに諸肌脱ぎとなった。
透けるような白い肌と豊かな胸の隆起を眼にした潘誕は、目をぱちぱちさせて立ち竦んだ。
「どうしたのです? 女の裸を初めて観る訳ではないでしょう?」
立ち竦んだまま、呆けた顔をしている潘誕を見て、華鳥は小さく笑った。
「兵の皆さんが前線から成都に戻る度に、交代で女郎屋に出入りしてる事は知ってますよ。女の裸など、其処で見慣れてるいるでしょう。そんなに見つめられると、照れてしまいます。」
そう言われた潘誕は、顔を赤らめてどぎまぎとした口調になった。
「し、しかし....こんな綺麗な肌は今迄見た事が無いんで...。で、では失礼します...」
そう言うと、潘誕は華鳥が自分に施してくれた方法に習って、焼けた刃を傷口に当て、練薬を肩口の傷に塗り込んだ。
「では、包帯をお願いします。後ろからだけでは包帯が回りませんよ。前にも来て下さい。」
潘誕は、包帯を巻く自分の手が華鳥の胸の膨らみに当たる度に、指先が震えるのを感じながら、何とか包帯を巻き終えた。
「矢に毒が塗って無ければ大丈夫と思いますが、念の為に毒消しを飲んでおきましょう。」
そう言った華鳥は、丸薬を潘誕に差し出し、自分も同じものを口にした。
「取り敢えずの応急処置ですから、街に着いたら、二人共医者にきちんと処置をしてもらいましょう。しかし今夜は、此処で野宿ですね。」
二人は、洞穴の石畳に麻布を敷いて横になった。
夜が更けた頃、潘誕は傍の華鳥の様子に異常を感じて眼を開けた。
「如何されました?大丈夫で御座いますか?」
潘誕の呼びかけに対する華鳥からの返事は無く、苦しげな息遣いだけが闇に伝わった。
潘誕は、直ぐに側の埋み火を掻き、その灯の中で華鳥の様子に眼を凝らした。
額に大粒の汗を滲ませた華鳥の様子を見て、潘誕はその額に手をやった。
「高熱が出ている….。此れは、やはり矢には毒が塗られていたのか。こうしては居られぬ。一刻も早く医者の元に運ばねば...」
潘誕は直ぐに出立の支度を整えると、葛籠を胸元に縛り、華鳥を背負って立ち上がった。
華鳥を背にした潘誕は、真夜中の街道を脚を引きずりながら進んだ。
天に満月が冴え渡り、潘誕の歩む道筋を照らした。
幾つかの峠を越え、夜明けの空が白む頃になった。
漸く辿り着いた最後の峠で、眼下に街並みが姿を現した。
「華鳥様。もう少しで御座いますよ。」
そう語り掛けた潘誕が街にたどり着いた時には、既に朝日が昇り、街のあちこちに人の姿が現れ始めていた。
潘誕は街に入ると直ぐに、最初に眼にした男に声を掛けた。
「医療処が何処にあるか、教えてくれませんか。怪我人が居るのです。」
潘誕に尋ねられた男は、直ぐに前方を指差した。
「まだ医療処は開いておりますまい。この先の角にある大きな商家に行かれると良い。あそこなら何とかしてくれるでしょう。真っ直ぐ行けば、直ぐに判ります。」
潘誕は男に礼を言うと、華鳥を背負い直した。
男に教えられた商家は、既に玄関が開いており、奉公人の小僧が店の玄関口で箒を振るっていた。
「申し訳ない。怪我人なのです。助けていただきたいのですが....」
潘誕が声を掛けた小僧は、潘誕と華鳥の様子を見ると。直ぐに店内に駆け込んで行った。
程なく番頭らしき老人が姿を現し、潘誕に駆け寄った。
「大丈夫ですか? とにかく直ぐに中へ....」
そう言いながら、潘誕が背負う華鳥の顔を覗き込んだ老人が、慌てたような大声を挙げた。
「お、お嬢様....」




