旅立ち
潘誕は直ぐに王平に呼び出され、華鳥と共に呉へと向かうように命令を受けた。
「本当ですか!華鳥様のような綺麗な方と、一緒に旅が出来るんですね。」
両手を頭上に突き上げ、眼を輝かせて喜び跳ねる潘誕の様子に、王平は呆れ顔になった。
「おい、勘違いするな。物見遊山の旅ではないのだぞ。蜀の将来、いや天下の未来を賭けた使命を背負っているのだぞ。どうもお前は呑気な所がある。それと…。これが一番大事な事だ。華鳥殿に対して、絶対に妙な気を起こしたりするなよ。」
王平に釘を刺されても、潘誕の高揚した様子は一向に収まらなかった。
髭もじゃのいかつい顔が、相変わらず喜色満面に輝いている。
「分かってますよ。俺の特製の香辛料を一杯持参していきます。華鳥様に美味いものを沢山食べて頂く為に...。」
浮き浮きとした足取りで立ち去る潘誕のがっしりとした背中を見送りながら、王平は苦笑した。
「全く....俺の言った意味が本当に分かってるのか...。しかし、まぁ…。あいつなら間違いなかろう。武芸は我が軍でも指折りだし、本人が言う通り料理の腕も一流だ。」
こうして、華鳥と潘誕は、呉を目指す旅に出立した。
二人は、共に商人の装束に身なりを整え、潘誕は背中に大きな葛籠を背負っていた。
蜀領の国境にある峠に達した時、潘誕が大声で華鳥に話し掛けた。
「今日は正に晴天白日ですね。こいつは初日から縁起がいいです。」
はしゃいだ声を上げた潘誕の顔を見て、華鳥は思わず苦笑した。
まるで初めての遠足を心待ちにしていた子供のようね….。
そう思いつつ、華鳥にも微笑が漏れた。
「そうですね。でも旅先では幾つもの困難が待ち受けてるやもしれません。それに、いつもお日様が照らしてくれる訳でもありませんし..」
ちょっと嗜めるような華鳥の口調にも、潘誕は相変わらず弾むような足取りのままだ。
「そうですね。でも雲外蒼天という言葉もありますよ。叢雲や困難の先には、必ず澄み切った青空が広がるものです。」
いかつい風貌にはおよそ似合わない潘誕の言葉を聞いて、華鳥は驚いた表情になった。
「ふうん。貴方は、見かけによらず学があるのですね。誰に学問を習ったの?」
「王平様ですよ。王平様の師匠は、姜維様と同じく諸葛亮孔明様ですから、俺は孔明様の孫弟子ですね。」
そう言って快活に笑う潘誕を見て、華鳥も思わず微笑んだ。
すると、潘誕は何かを思いついたように顔を挙げると、少し照れたような表情で華鳥に問いかけた。
「ところで華鳥様。これからの旅先では、宿坊や食堂などで、沢山の知らない人達と顔を合わせますよね。その時、俺達の関係を聞かれた時は、どう答えますか? えっとですね……まさか夫婦なんてのは...?」
それを聞いた華鳥は眼を丸くし、やがて直ぐに笑い出した。
「あはは…。其れも良いかも知れませんが、とても貴方の風貌は、商家の若旦那には見えませんよ。そうでは有りませんか?」
華鳥の指摘を受けた潘誕は、自分の体躯を改めるように見下ろし、次にごしごしと髭を撫でた。
「確かに、そりゃそうでしょうが...」
「其れに夫婦となれば、貴方が私の主人と言うことになりますね。今回の旅の主役は私ですよ。貴方は私を護る為に随行して頂いた方ですよね?違いますか?」
その言葉に、潘誕は頭を掻いた。
「やっぱりそうですよね。それじゃ、華鳥様は商家のお嬢様で、俺は貴女の旅に付き従う下僕と言うのが、収まりが良いですね。」
華鳥は、その言葉に微笑み頷いた。
その後、一刻ほど街道で歩みを進めた頃に、潘誕が突然立ち止まった。
「華鳥様、お腹が空いて来てはいませんか? そろそろ昼餉の頃合いですね。持参して来た携帯の保存食は、危急の時の為に手を付けないでおきましょう。ちょこっと昼餉の材料を物色してきますね。華鳥様は、此処で待っていて下さい。」
潘誕はそう言うなり、飛ぶような身のこなしで道の横の林の中へと足を踏み入れて行った。
暫くすると、潘誕は片手に野兎を一匹ぶら下げて戻ってきた。
そして街道脇の草叢に腰を下ろすと、手慣れた手つきで兎の皮を剥ぎ、内臓を取り出した。
下処理を済ませた潘誕は、次に傍の葛籠の中から小さな麻袋を幾つか取り出し、袋の中の刻んだ乾草を肉に振って、それを丁寧に揉み込んだ。
暫くの後、その肉を切り分けると、葛籠から取り出した金串に、切った肉を次々と刺して行った。
それが終わると、今度は火を熾し、火の周りに金串を立てて肉を炙り始めた。
そうした調理の手際の良さを、華鳥は感嘆の眼差しで見詰めていた。
やがて肉から脂が滴り始め、何とも言えぬ良い香りが周囲に漂って来た。
その香りに鼻腔をくすぐられ、下腹が小さな音を立てると、華鳥は思わず腹を押さえた。
そんな華鳥の様子に含み笑いをしながら、潘誕は肉の焼け具合を確かめた。
丁度良い焼き加減を確認した潘誕は、 一本の串を華鳥に差し出した。
潘誕から渡された串を頬張った華鳥の顔が、ぱぁっと輝いた。
「うぅん、美味しい‼︎ こんなの初めてよ。……さきほど揉み込んだ調味料が秘密ね。これも貴方が作ったのですか?」
串焼きの味に眼を瞠る華鳥を見て、潘誕はどうだとばかりに親指を立てた。
「俺の特製の調味料です。気に入りましたか?」
「これは薬草も混じってますね。薬草は苦いだけのものと思ってたのに...。此れは、今までの経験とは全然違う。」
「薬草だけなら苦いだけです。今回は薬草は隠し味に使ってます。甘、酸・辛・塩・苦の調合の妙が、食い物の旨さを決めるんですよ。」
潘誕の言葉を耳にしながら、華鳥はもう次の串にむしゃぶりついていた。
その様子を見て、潘誕が笑った。
「華鳥様のような綺麗な方は、小鳥が啄むように、優雅に食事をされるものと思ってましたが...まるで狼のようですな。」
揶揄うような潘誕の口調にも動じず、華鳥は目の前の肉串に夢中になっていた。
「そんな事言ったって...とっても美味しいんだもの。貴方は何時もこんな美味しい料理を作っているのですか?」
そう言いながら、華鳥は次の串に手を伸ばした。
「野戦で勝利した時などは、兵全員で獣を狩って、そいつを使った戦勝料理を作ります。そんな時の調理は、何時も俺の役割です。一番美味いのは猪ですね。内臓を除いた後の腹の中に、香辛料と米を詰め込んで焚火でじっくり炙るんです。猪の脂と香辛料が混じり合って、絶品の炒飯となります。此奴を作った時は、肉より先に、炒飯に皆が列を作ります。機会があれば、華鳥様にも作って差し上げますよ。」
華鳥と潘誕は、陽が落ちる前に、街道脇の川沿いに宿坊が群がる場所までたどり着いた。
「さてと...今日の宿はどの宿坊にしましょうか?美味いものがあると良いんだが...」
潘誕の呟きに、華鳥がちょっと首を傾げた。
「貴方が作る料理以上の美味など、期待できるんでしょうか?」
それを聞いた潘誕は、ふと立ち止まると、街道脇の川辺を眺めた。
「これは…..。美味そうな魚が川面を跳ねてますね。それでは夕餉は、彼奴にしますか。」
即製の釣竿で魚を釣り上げた潘誕が作り始めたのは、細かく刻んだ魚の身を具にした饅頭と、魚汁だった。
釣りあげた魚を横に置いた潘誕が、葛籠の中から、鍋、包丁、木杓などの調理道具を次々と取り出すのを見て、華鳥が呆れたような顔になった。
「こんな調理器具まで持参するなんて...貴方は本当に武人なの?」
そう言いながら、華鳥は出された饅頭と汁をあっという間に平らげた。
「今日は、野宿で結構です。兄との旅の中で、野宿には慣れてます。こんな美味しいものを頂いた気分のまま、今日は眠りたい。」
そう言った華鳥は、葛籠の上に巻きつけてあった麻布を、街道脇奥の草原に敷き、其れを身に纏って横になった。
「いや...華鳥様、それはいくらなんでも...」
慌てた様子で声を掛けた潘誕の傍で、直ぐに華鳥は静かな寝息を立て始めた。
苦笑いを浮かべながら、華鳥の寝顔を観た潘誕は呟いた。
「まるで天女のようなお方だ...。王平様、ご命令通り絶対にこの方をお護りします。目的の地に到達し、そして戻るまで...」




