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隠された皇子

その日の思いがけない華真(かしん)からの申し出に、姜維(きょうい)は口を大きく開けたまま棒立(ぼうだ)ちとなった。

「なんですと...。新しい(みかど)(むか)える使者に、華鳥(かちょう)殿を(つか)わすですと...。何故(なぜ)ですか? 女人(にょにん)の身で、呉の山奥迄の長旅など、危険この上ありませんぞ。」


先日、姜維は、華真から蜀領内のあちこちに高札(こうさつ)を立てる事を提案された。

劉禅帝(りゅうぜんてい)は、(ゆえ)あって自ら(みかど)の座を退(しりぞ)かれ、蜀の地を離れられた。次の新しき(みかど)は、もうすぐ成都に入城される。」

劉禅は、蜀帝の(あかし)ともいえる玉璽(ぎょくじ)を王宮に残したまま逃亡した。

それ(ゆえ)に、『自ら(みかど)の座を退いた』と言うのは、あながち間違いではない。


しかし『新しき(みかど)』とは、誰のことか?

劉備帝には、魏に逃亡した劉禅、劉永、劉理の以外にももうひとりの皇子(みこ)がいる、と華真から知らされた時、姜維は(にわか)には信じ(がた)かった。

そのような皇子の存在など、姜維だけなく蜀宮(しょくきゅう)の誰一人として、今まで耳にした事がなかったからだ。


しかし華真から、(くだん)の皇子誕生の経緯、そしてその存在が外部に明かされていない理由(わけ)子細(しさい)に説明されたことで、姜維はその皇子が実在すると確信した。

その皇子は、今は呉の山奥に隠れ住んでいるという。

しかも華真自身がその皇子に会った事があり、(みかど)たる(うつわ)を持つ事も、自らの眼で確認しているという。


華真がその皇子を次帝に相応(ふさわ)しいと言うのなら、それは華真の中に転生(てんせい)している諸葛亮孔明が、そう認めた事にもなる。

姜維は、早急(そうきゅう)にその皇子を蜀に迎える手配をする事を主張し、華真もそれに同意した。

そして今日、華真はその迎えの使者に、自分の妹の華鳥を指名したのだ。


「華鳥でなくては駄目(だめ)なのです。何故(なぜ)なら、華鳥も私と共に、我らが新しい(みかど)に迎えたいお方とお会いした事があるからです。そのお方も華鳥を覚えておいででしょう。いきなり見ず知らずの者が尋ねて、拒絶される危険は避けねばなりません。」

姜維は、立ち(すく)んだ姿勢のまま、眼の前に立つ華真を凝視(ぎょうし)した。


「華真殿と華鳥殿が、お二人で(そろ)ってその方に会ったということは、それはお二人が蜀に来られる前の旅の途上でですか?どのように巡り会えたのですか?」

すると、華真は昔を(なつ)かしむ眼付きになった。

「そう。我々二人は、呉の領内を見聞(けんぶん)している途中にその方と出会いました。実は、最初からその方を尋ねたのではありません。最初に(おとづ)れたのは、私の中にいる諸葛亮孔明の知己(ちき)だったのです。姜維殿もご存知の人物ですよ。」

「其れは、誰方(どなた)ですか? 」


(かつ)て呉の宰相であった陸遜殿です。陸遜殿は、宰相を()された時には様様(さまざま)な経緯があり、故孫権帝からは絶縁(ぜつえん)されたとも言われていました。ところが実はそれは表向きで、孫権帝は、我らが求めるお方のお母上をを(ひそ)かに陸遜殿に預けられたのですよ。」

【そう言う事でしたか...。しかし我らが求めるお方が、まさか劉備帝と孫尚香(そんしょうこう)様の間に生まれた皇子(みこ)だったとは…。流石(さすが)にそれを最初に聞かされた時は驚きました。孫尚香様といえば、最初に蜀と呉が同盟を結んだ折に、盟約(めいやく)(あかし)として劉備帝に輿(こし)入れされた、故孫権帝の妹君なのですから...。あの方が劉備帝と過ごされた期間は(わず)か。その後直ぐに呉に戻ってしまわれました。まさか劉備帝の御子(みこ)身籠(みごも)っておられたとは...】


華真は、一度は伝えた劉備の隠された皇子(みこ)について、もう一度確認するように語り始めた。


これまで伝えられて来た(うわさ)...。劉備帝と尚香様が不仲であったという話は、全くの誤りです。

劉備帝は、呉からやって来た三十歳以上も歳下の尚香様を、とても(いつく)しまれたそうです。

尚香様も其れに応え、夫婦仲は本当に円満だったそうです。

しかしある時、呉の策謀(さくぼう)によって尚香様は呉へ戻る事となりました。

尚香様は別れぎわに、劉備帝と抱き合い泣かれたそうです。

尚香様のお名前は孫尚香(そんしょうこう)

其れが蜀では、今だに孫夫人(そんふじん)とか、呉尚香(ごしょうこう)と呼ばれるのは、『所詮(しょせん)は敵国の呉から来た女』という、蜀王宮での尚香様への眼差(まなざ)しの表れでしょうね。

それでも尚香様の劉備帝への想いは、呉に戻っても変わらなかった。

しかも日が()つに連れ、尚香様のお腹が(ふく)らんで来たのです。

故孫権帝は、妹の妊娠に気付くと、一つの決意をされました。

妹の子のことは、呉の宮中の誰にも知られてはならない...と孫権帝は考えました。

表向(おもてむ)きは同盟国と言いながらも、その頃は呉宮中の誰もが蜀を敵国と見做(みな)していました。

そんな中で、尚香様が劉備帝の子を産んだりすれば、その子は必ず命を狙われるだろうと...。

そこで孫権帝は、宮中で帝位継承争いの収拾(しゅうしゅう)に悩んでおられた陸遜(りくそん)殿に眼を付けられたのです。

陸遜殿は、孫権帝に(ひそ)かに呼びだされ、こう言われたそうです。

(おろ)かしい延臣共や、出来の悪い息子達の(いさか)いに(かか)わるのはもう良い。尚香と腹の子を守ってやってくれ。生まれてくる子が男子なら、将来において、呉と蜀を(つな)英傑(えいけつ)となろう。あの劉備と孫氏の両方の血を受け()ぐ者だからだ。』

そして孫権帝の密命(みつめい)を受けた陸遜殿は、尚香様を連れて建業を去ったのです。


「そして産まれたその方は、陸遜殿によって育てられたと...」

感慨(かんがい)深げに(つぶ)いた姜維に、華真はもう一つの事実を伝えた。

「陸遜殿だけでは有りません。孫権帝は、もう一人の重要な腹心(ふくしん)を、尚香様とその子の元に(つか)わしました。呉の歴史の中で、英傑と名を(きざ)みながらも、(すで)病没(びょうぼつ)したとされている方です。その方が陸遜殿と手を(たずさ)え、産まれた皇子の教育に当たったのです。」

華真の言葉を聞いた姜維は、眼を(しばた)いた。

「その方とは、一体どなたなのですか?」


その問いに、華真は一つの言葉を口にした。

「『(かつ)ての呉の阿蒙(あもう)(あら)ず』」

其れを聞いた姜維は、あんぐりと口を開けた。

「そ、それは、もしや…。り、呂蒙(りょもう)殿....。呉でも随一(ずいいつ)猛将(もうしょう)にして、歳を(かさ)ねて後、孫権帝の助言に従って日夜勉学に(いそし)しみ、遂には天下無双(てんかむそう)博学(はくがく)(しょう)されたお方...。その方が実は生きていて、陸遜殿と共に皇子(みこ)の家庭教師を(つと)めたのですか...?」

眼を丸くした姜維を見て、華真は大きく(うなづ)いた。


姜維は感極(かんきわ)まった表情になった。

「あの陸遜殿と呂蒙殿が、(そろ)って教育に当たったなどとは....。華真殿と華鳥殿は、その皇子(みこ)にお会いになったという事ですが、どのように成長されていたのですか?」

一言(ひとこと)で言えば....(さわ)やかな方です。そして、何事にも好奇心旺盛(こうきしんおうせい)なお方。その方は、華鳥の持つ薬学と医学の知識にも強い関心を示され、我々の滞在中は華鳥の元に通い詰めでした。華鳥も驚くほどの熱心さで....」


そこで華真は、視線を遠くに向けた。

「考えて見れば皮肉(ひにく)なものです。孫権帝は、ご自身の妹御(いもうとご)と産まれて来る子の為に、ご自身の両腕とも言える英傑を二人共に手離した。それ(ゆえ)に呉の宮中には、孫権様自身を支える人材が居なくなってしまった。それが呉の(かたむ)きの始まりだったのですから...。もしかして孫権帝は、それも分かっていながら、()えて決断されたのかもしれませんね。」


苦渋(くじゅう)の決断を行った孫権帝の心中(しんちゅう)に想いを()せながら、姜維は(くう)を見上げた。

「ううむ....。陸遜殿と呂蒙殿が(きた)え、孫権帝が未来を(たく)したという、そのお方。一刻も早く私もお会いしたい....。分かりました、使者は華鳥殿にお願いする事としましょう。(ただ)し、従者(じゅうしゃ)を付けさせて下さい。華鳥殿が、並みの男子以上に武術の(たしな)みをお持ちである事は承知しておりますが、万が一という事があります。従者には王平の付き人である潘誕(はんたん)を付けましょう。実直(じっちょく)で誠実な男です。」


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