馬超の招来
蜀陣の指揮所で待機する姜維と華真の前に王平が姿を見せ、二人に告げた。
「たった今、馬超将軍が戻られました。捕えた夏侯覇も此処に連行して来ております。」
やがて、入口の陣幕を両手でかき分けて姿を見せた馬超は、姜維の姿を眼にすると、まずは破顔一笑した。
「宰相殿。お久しぶりで御座るな。俺のような年寄りまで引っ張り出すとは、人遣いの荒いお方だ。迷宮鉄鎖の陣をやれ...と知らされた時は流石に驚いたが...。」
姜維は、嘗て聞き慣れた馬超の大声を久しぶりに耳にした。
そして、再開の感激に上擦った声で返事を返した。
「いやいや….流石に亡き孔明丞相に導かれた経験のある馬超将軍ならではです。まさに孔明丞相が采配した動きそのものであったと報告を受けています。暫く戦場から離れていたとは思えぬ、鬼神のような指揮ぶりだったそうな…..」
姜維の賛辞を受けた馬超は、満足そうに髭を撫でると、やおらに姜維の周囲を見渡した。
「ところで姜維殿…..あの迷宮鉄鎖の陣をを俺に対して提案して来た御仁は…….? 今どこに居る….?」
すると姜維が口を開く前に、隣に立っていた華真が馬超に向かって拝礼した。
「馬超将軍。お目にかかれて光栄です。飛仙亮華真と申します。」
すると馬超は、華真をじっと見つめてから、意外そうな声を発した。
「貴方が、華真殿か?...」
そして華真の全身を検分するように見回すと、再び破顔した。
「いや失礼した。こんなにお若い方とは思わなんだ。姜維宰相殿に代わって...と書簡に記してあったので、どんな方かと興味津津であった。まるで孔明丞相からの書簡を読んでいるような心持ちになったのでな...。書簡に迷宮鉄鎖の文字を見た時には、久々に血が騒いだ。単なる召集の依頼であれば、あのように気持ちが昂る事はなかったろうな。あの書簡は、人をその気にさせる名文ですな。」
馬超にそう言われた華真は、改めて拝礼した。
「それは、過分なお言葉です。」
「隠遁していた身としては、本来ならば帝からの直直のお召しでもなければ、受ける気は無かったのだが...。あの書簡によって、俺の心は奮い立った。久々の実戦であったが、兵達がよく動いてくれた。日頃の鍛錬を惜しまなかった成果だな。」
馬超の言葉に対して、今度は姜維が拝礼した。
「すぐに駆けつけていただいた事、心より感謝申し上げます。あの迷宮鉄鎖の陣、並みの将軍では捌き切れませぬ。引き連れて来られた兵達も、見事に調練されておりました。流石としか言いようがありません。」
そこで馬超が笑顔を消して、真剣な表情になった。
「ところで姜維殿。一つ質問なのだが...。夏侯覇をおびき出した、あの兵糧を運んで来た荷馬車隊だが...。今の蜀軍に、あれだけの糧食を買う金があったのか? 最近では、この前線への補給も難儀していたと聞いていたのだが…」
馬超への拝礼を解いた姜維は、再び隣に立つ華真に眼を遣った。
「実は、この華真殿の御父上が支援して下さったのですよ。華真殿の生家は、中華だけに留まらず、広く外国とも商いを行なっている大商家なのです。馬超将軍への書簡と同時に、食糧の支援を請う書簡を実家の御父上に送ってくれたのです。」
「そうだったか...。しかし...その虎の子の兵糧。本来ならば、出来るだけ人目を避けて運ぶのが普通なのに、夏侯覇をおびき出す罠として使うとは…。華真殿は、孔明丞相も顔負けの策士ですな…。」
そう言った馬超は、再び高笑いを繰り返した。
すると華真は、今度は姜維に視線を移した。
「さて私は、さきほど話が出た夏侯覇殿と話をする許可を、姜維宰相殿から頂いております。夏侯覇殿とお会いする前に確認しておきたい事が御座いますので、これで失礼致します。」
その場を退出する華真の後姿を見送りながら、馬超が姜維に尋ねた。
「宰相殿。あれは、どういった者なのです? どう見ても只者ではありませぬな?」
相変わらずの馬超の洞察力に、姜維は舌を巻いた。
「いや、それが...。馬超殿には、お話しておかねばなりませぬな...。実はあの方は、亡き孔明先生の.....」




