1話 憂鬱な月曜日
ナオが目を覚ますと、カーテンの向こう側から朝日が差し込んでいた。
眩しい光に耐えかね、寝返りを打つ。彼女は目を擦って、まだ眠っていたい気持ちを堪え上半身だけ起き上がる。
まだぼうっとしているナオは、その体勢のまま目を瞑る。
それから少しして、やがてナオはベッドからのそのそと起き出した。
カーテンを開き、一つ大きく伸びをする。
ふと、ベッドの横にあるデスクに目をやった。
デスクの引き出しの、三段目。
ルーティンのような流れで彼女はそこを開けた。
そして寝ぼけ眼のまま、手探りで引き出しから何かを探す。
"それ"はすぐに見つかった。
ナオは、見つけた"それ"を取り出し、手慣れた様子で刃を出した。
そして、手首に刃を当てたとき―――
「おはようございま~……!!」
ドアが開く。
マイがひどく驚いた様子でナオのもとまで走ってきて、彼女の持っていた"それ"をはたき落とした。
ナオの手から、カッターナイフが、床に転がり落ちる。
「もう……びっくりした……」
刃の出たままのカッターナイフをマイは拾い上げ、刃をもとに戻してからポケットに仕舞い込んだ。
ナオは呆然としたまま、黙ってその様子を見ていた。
マイは開いたままだった引き出しを閉じて、安堵した様子でナオに声をかける。
「お嬢様、」
「……なに?」
無表情のまま、マイの目を見るナオ。
マイは、口を開き何かを言いかけたが、それは言葉にならずに溜め息へと変わる。
「……そろそろ朝ご飯ですよ、ほら、一緒に行こ?」
やがて、マイが優しく微笑んで、それだけ言った。
「うん」
ナオは頷き、ようやく少しだけ笑った。
*
ナオが着替えてマイとともに大広間へ行くと、すでにアリサは席についていた。
「あら、遅かったじゃない」
ナオは、アリサの向かいの席に座る。
今日の朝食はフレンチトーストだ。たっぷりの甘いシロップがかかっている。
アリサは既に食べ始めていた。それを見て、ナオもいただきます、と口にして、すぐに目の前に置かれていたナイフとフォークを手に取った。
「えと……ナオちゃんが、手首を……」
マイが少し震えた声で、アリサに理由を説明する。
「まぁ。駄目でしょう、ナオ。マイに迷惑をかけちゃあ」
「ん、ごめんなさい」
アリサはそれを聞いても、食事を摂る手を止めないままにそれだけ言った。ナオも同じく、トーストに夢中でアリサの方には目もくれないままだ。
マイは呆然と、おもむろにアリサの後ろに控えているカレンの方を見る。カレンはそれに気付くと、少し困ったような顔をした。
「ほら、マイもカレンも、座って食べたらどう?このトースト、絶品よ」
アリサがそう声をかけると、二人のメイドはそれぞれ席についた。本来であれば主とともに食事を摂るなど、メイドとしてはあるまじき行動だが、如何せん、この家では立場のルールが緩いのだ。
「ほんとにおいしい!」
「ふふ、でしょう?」
誰が見ても分かるであろうほど、「おいしい!」を表す顔をしているカレン。そして、マイが一口食べてそう言うと、アリサは自分の手柄かのように微笑んだ。
そんなとき、ナオが一人、トーストを切っていた手を止めた。
「……」
「ナオちゃん?」
すぐに彼女の変化に気が付いて、マイが心配そうに声をかけた。しかし、彼女はその声に反応を返さない。
彼女の目線は、お皿の上、いや、そのやや右。
彼女が見ているのは、右手に持っている凶器だ。
「!!」
その一瞬、ナオが、右手のナイフを喉元へ向けた。
しかし、その刃先が肌に届く前に、マイがその凶器を奪い取る。
マイはナイフを握りしめたまま、肩で息をしていた。ナオはと言えば、焦点の合わない目で、自身の右手をぼうっと見ている。
「……。カレン、スプーンでいいわ。持ってきてくれるかしら」
アリサは溜め息を吐いて、カレンにそう指示をした。カレンは頷くと、マイのもとへ行き、マイからナイフを預かる。
カレンがキッチンへと消えていくのを尻目に、マイは今にも泣き出しそうな顔で、ナオのことを見つめた。
そんなマイを見て、アリサは更に溜め息を重ねる。
「マイ、落ち着きなさい。今日に限った話じゃないんだから」
そんなんじゃキリがないわよ、と呟くアリサ。
マイはその言葉に一瞬の間を置いてから、そうですね、とだけ返事をする。けれども、彼女の表情は変わらないままだった。
「ねえ」
ナオがアリサの方を向いた。
アリサはようやく食事の手を止めて、ナオをまっすぐと見つめる。二人の目線が交わった。
「なぁに?」
「死にたいの」
アリサが聞き返すと、ナオはそれだけ言った。相変わらずの無表情で、何を考えているのか傍目には分からない。
「そう」
けれど、それを聞いて、アリサは微笑んだ。そして、また食事を再開する。
そんな歪んだ会話を、マイは聞かないふりをするのに必死だった。
そんなことを話していると、カレンがスプーンを持って戻ってきた。ナオにそれを渡して、彼女も席に戻り、食事を再開する。
「フォークとスプーンで食べろってこと?」
ナオは、アリサにそう聞く。
アリサはそうよと言って、またナオに笑顔を向けた。
「嫌かしら?」
「ううん。難しそうだなって」
「そこは頑張って頂戴」
ナオはアリサのその返答に笑みを零す。
スプーンでのトーストのカットに困りつつも、彼女もまた、食事に戻る。
まるで何事もなかったかのように、時間は流れる。どこか不穏さを残したまま。
「そうだ。マイ、あとで課題教えてほしいんだけど」
「えー!?あたしそんなに頭よくないからなぁ……」
ナオの言葉に、マイは焦ったようにそう言う。アリサは呆れたように溜め息をつき、それをカレンは微笑ましそうに眺めている。
今日は、いつもと同じ、少し憂鬱な月曜日。
まだ今週は、始まったばかりだ。