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Black Coat


『全国民に告ぐ』


ずっと耳に残るようなアラートが響いたあとで、男の低い声が続く。


『未曾有の大災害により、日本は現在、滅亡の危機に瀕している。唯一の安全地帯は皇居宮殿より半径七キロメートル内のみである。繰り返す。唯一の安全地帯は皇居宮殿より半径七キロメートル内のみである』


無機質で堅い口調のアナウンス。


『我々は対魔族殲滅部隊、アマデウス。天皇陛下及び総理大臣直属の軍隊であり、日本を救済、解放出来るただ一つの希望である。安全地帯の境界線にて、我々が全軍を上げて生存者の保護、結界の防衛を行っている。これを聞いている生存者は直ちにここを目指せ。繰り返す。これを聞いている生存者は直ちにここを目指せ。  ………全国民に告ぐー』








18時20分、川口駅北のショッピングモール三階、多目的ホール前。


「真中隊長、バリケードの設置完了しました。これでしばらく三階部分は安全かと」

「ふむ、生存者は?」

「今のところ、約五十人です」


吹き抜けになっているモールの中央から、隊長と呼ばれた男が下を見下ろす。

一階の正面入り口に近い開けた場所がちょうど見えた。モール内に退避するときに通ってきたその場所には生存者を軽く越える数の助けられなかった民間人の遺体が無数に転がっている。それらを片っ端から貪る気の狂ったような化物達。そいつらは、ちょうど二時間ほど前に起きた首都直下型の地震の直後から急に溢れ出してきたのだ。


「もっと上手く誘導できていれば……」

「隊長がいなければ犠牲者はもっと増えていたはずです」

「ちっ、くそ!まるで映画じゃないか」

「現在も迎撃班と狙撃支援班が二階で化物共と交戦中ですが、救出が間に合わなかった民間人の死者多数。我々も、動ける人間はもう半分以下です」


二階部分からはマズルフラッシュが確認できる。そして化物の悲鳴らしきものも。小鬼や魔犬ウルフ共が迫ってきているのだ。何としても食い止めなくてはならない。


「警察トップの特殊部隊も、得体の知れん化物にはこのザマか」

「我々がここに居なければ奥のホールに避難している民間人も今頃は全滅してますよ。極秘ミッションの移動中だったのはある意味運が良かったです」


真中の部下、稲垣はそう言うとホールの方へ歩き出す。時々イベントなどを開催する為の開けたスペースに近付くと、避難の間に合ったモールの客達がざわつき出した。


「おい!俺達は助かるのかよ!?」

「貴方達警察なんでしょ!?何とかしてよ!

「東京に行けば安全なんだろ!?早く連れていってくれ!!」


矢継ぎ早に稲垣にぶつけられる感情的な言葉。誰もが混乱しているのだ。壊れてしまった日常に。恐怖しているのだ。外に溢れる命を脅かす異形の怪物達に。平常心で居られるはずはない。


「落ち着いてください!この階の安全は我々が確保しています!皆さんの命は我々が守りますから!」


稲垣が声を張る。だが自信はなかった。混乱し恐怖しているのは自分も同じだ。突如起きた日常の崩壊を心はまだ受け入れていない。それでも体が動いて今ここに立てているのは、隊長である真中が居るからなのだろう。ショッピングモールでの籠城及び防衛、周辺の民間人の避難ミッションを迅速に開始することができたのは間違いなく彼が居たからだと板垣は思う。と同時に、目に写る光景が悔しさを込み上げさせる。同僚を半分近く失いながらも無我夢中で出来ることをやったのに、避難が間に合ったのは目の前にいる五十数人。たったそれだけ。

人のやれることに限界があるのは分かりきっている。

だが思わずにはいられない。自分にんげんは無力だと。


「稲垣!本庁と通信が繋がった。お前も来い」

「はっ!」


背中にかけられた真中の声に反応し、すぐに戻る。




『……以上だ。生存者を護衛し、至急安全エリアまで退避しろ』

「……了解」


たった十数秒の通信は一方的で最低限な説明と指示を告げられ終わった。一つは警察組織全体がアマデウスの傘下に入ったこと。もう一つは民間人を可能な限り守りながらの安全エリアへの到達。たったそれだけ。そして通信相手は警察の人間ではなく、アマデウス所属、と始めに名乗っていた。

既に接続の切れた無線機テーブルに叩きつけ、真中は怒りを露にする。


「……隊長、あいつらに従うんですか?」


怒りを滲ませて稲垣が言う。


「訳の解らない連中を信用なんて……」

「信じるしかない」

「……隊長?」

「今の通信は極秘回線だったんだ。警視庁上層部と繋がるはずだった。しかし出たのはアマデウスとか言う奴等……。警察組織そのものがあいつらに吸収されたのは事実かもしれん」

「…………。」


そこまで聞いて稲垣は言葉を失う。


「だがそんなことは後でいい。最優先事項は生存者を守りながら安全地帯に辿り着くことだ。あいつらに指示されなくてもそれは変わらん。だろう?」

「仰る通りです!」

『こちら迎撃班。隊長、応答願います』

「こちら真中。どうした?」

『化物共が二階から退き始めました』

「なんだと?」

『原因は不明。ですが突然なにかを思い出したように、次々と建物の外に向かっています。もう二階フロアに化物は確認できません』

「了解した。迎撃班は引き続き警戒を保持しつつ二階の生存者の捜索、救出にあたれ。支援班は一階フロアと出入り口付近の警戒を怠るな」

『了解』

「……なんだか嫌な予感がする」


通信を切った後で真中が言う。


「ですが、動けるチャンスかもしれませんよ」

「結局外に奴らが溢れていたら出られんだろ。民間人数十人を引き連れてあの地獄を長時間移動するのは無謀だ」

「案外無謀ではないかもしれません」

「……何か作戦があるんだな?」

「少々賭けではありますが」









「テトラってどうかしら?」

「は……?」

「貴方の新しい名前」


足下に転がる瀕死の小鬼に、装飾の施された綺麗な細身の剣で止めを刺した後でアリアが言う。彼女が仕留めたのが、モールの裏側の駐車場に溢れていた最後の一匹だろう。アリアが作り出した謎の黒い空間に入り、まるでどこぞの猫型ロボットがよく使用する何処へでも行けてしまう扉の如くあっという間にここに着いてから、迫る魔物達を片っ端から斬り伏せた。少し前に変わってしまった身体の動きを確かめるように。その身に染み付いた剣筋を、技を試すように。おかげで一気に戦闘の経験を積めた。必要以上に心が満たされているのを感じながら、自分とアリア、人間の姿をした化物二体が散らかした駐車場を見渡す。ひとまず魔物の気配は消えた。その一方でモール内部にはまだ多くの何かが蠢いているのを感じられる。


「俺は熱帯魚じゃねぇ」

「私からしたら小魚みたいに可愛い存在だけれど」

「うるせぇよ」

「気に入らない?」

「好きに呼べ」

「決まりね。ふふ」


名前なんてどうでもいい。とにかく胡桃達を助ける。目の前の巨大な建物を見つめる大希を見てアリアが続ける。


「それで?放送で言ってた安全地帯とやらまでどうやってお友達を連れていくのかしら?」

「…………。」

「もう感じているんでしょ?胡桃ちゃん達の魂を。一緒に集まってる他の生き残りの魂も」


アリアの言う通り、それはすぐに感じることができた。

半日前まで平和な日常を一緒に過ごしていた大切な友達の魂が、地獄に変わってしまった世界でまだ存在している。助けたい命が、壊れた日常の中でまだ生きている。


間に合った……


安堵が、喜びが、沸き上がる感情が欲望を少し満たした。

化物にされてまだ少ししか経っていないのに、身体はもう憶えてしまっている。魂独特の味を、匂いを、気配を。そして魔物達のそれより綺麗で美味しそうな気配が三階の一番奥に集まっている。その中から胡桃やアキ達の気配を探すことなんか容易だった。

モール内部に感じる魂は大体七十くらい。うち十数は一つ下のフロアだ。銃声も聞こえる。警察か自衛隊が一緒に籠城しているのだろう。

胡桃とアキ、葵が最優先だ。その為にここまで来た。

だが他の生存者を見殺しにする選択肢はない。

『人間だった』大希の名残が欲望を刺激する。助けられるのなら助けたい、と。

どうすれば救える?俺に何が出来る?考えろ。


「ここに来たときに使ったやつは?」

「闇の回廊は多くの魔力を消費するの。あれだけの人数を運ぶには向かない」

「……アレなら一気にいけそうだな」


モールの裏を通っている線路の方に目をやりながら大希が言う。


「貴方……大胆過ぎ。でも嫌いじゃないわ」

「安全地帯とやらに行くには寧ろ近道だろ」

「まぁそうね。それにあの放送はたぶん本当だわ。南の方に大きな術式が展開されていくのを感じる」

「さっさと中の奴らも片付けるぞ」


だが直後、内部に感じていた穢れた魂の気配達が一層激しく蠢きはじめた。


「っ!?」


空気が、変わった……?

ビリビリと肌に伝わる。異様な圧が加わったような、一瞬前とは別物の空間になったのを全身で感じる。


「ちょっとまずいわね」


アリアも当然異変に気付いた。同時にモール裏の出入り口から魔物が溢れ出し、こちらに向かってくる。が、隣の彼女はそちらではなく空を見上げている。その目線を追った建物上空から、翼を広げた大きなシルエットがゆっくりと旋回しながら高度を下げてきていた。


「ちっ、このタイミングで新手かよ」

「あれは……魔獣。飛竜幼体ね。たった今モール一帯を領域で包んだ主よ」

「これが『領域』……」


それを聞いて自身の黒山羊との戦闘を思い出す。さっきまでお世話になっていた山羊の怪物のこともアリアは領域の主と言っていた。それに追われ、戦った大希は知っている。他の小鬼や魔犬等とは別格の魔物であると。


「領域の展開は上位魔族の証。権力の具現化とでも言えるわ。だから領域内では配下の魔族以外は踏み入ることすら許されない」


「なるほどな。でも一ついいか?」

「な~に?」

「何で中にいた奴ら『全部』こっちに向かってきてんの?」


このショッピングモールの敷地は埼玉でトップクラスの広大さだ。建物に立体駐車場を併設していない代わりに正面と裏側に広い駐車場が展開されている。つまり領域で覆われたモールから退くのは理解できるが、内部に感じていた魔族の気配全てが、何故か大希達のいるモールの裏側だけになだれ込んできているのだ。


「何でって……あなたの足が匂うから」

「はぁ?それってどういう」

「黄色い石、何処かで踏んだでしょ?もうだいぶ薄れてはいるけれど、魔犬(ウルフ)達は鼻が利くし仕方ないわ」

「黄色い石って、…トリプルクロスか」


黒山羊から助けられなかった、あの尾行対象だった女性が身に付けていたピアス。彼女のピアスにはトリプルクロスを使用した装飾が施されていた。黒山羊から逃げようと、一歩動いた時に踏み砕いてしまったシーンが蘇る。石の砕けた音なんて殆ど響かなかったはずなのに、あの瞬間黒山羊はこちらを認識した。


「アレはある生物を培養して作り出された人工物よ」


さらにアリアが続ける。


「ただ存在するだけでも魔族を吸い寄せる代物。それを砕いた貴方は魔族が好む匂いを纏った状態。群れるのを嫌う黒山羊(ルークレプリカ)に目を付けられたのはある意味幸運だったわね」


そう言われてみれば、黒山羊との戦闘中、たしかに他の魔族は近寄ってこなかったのを思い出す。

あの石が猟奇事件と繋がっているかもと知らされたのは今日の昼間。上司である暮人から聞かされたが、おっさんの話と違うのは、あれが天然石でなく人工物ということ。暮人の人脈は不透明なところが多い。今度彼に会ったときはこの事態について、トリプルクロスについて探りを入れてみる必要があるかもしれない。無事に生きていればの話だが。


「……おっさん。今回のイレギュラーはシャレにならねぇな……」


真っ直ぐに飛び掛かってきた魔物数体を『蒼迅』でまとめて斬り飛ばす。その隙に魔犬が側面から牙を向けて襲ってくる。が、大希が動く前にアリアの剣によって斬り伏せられた。


「手遅れになる前に早く行きましょ。領域を作り出せる程の魔族に、人間は無力だもの」

「ちっ、急がねぇと」

「あ、待って」


腕を掴まれて振り返った直後に唇に柔らかく触れる温もり。軽く触れるだけのキスの余韻が静まっていた欲望をまた刺激する。


「ん!ふ、ん……」

「ぅんっ、っはぁ。ご馳走さま」

「いきなり何だよ」

「少し魔力を補充しただけ。続きは後でね」


わざとらしく色気を込めた声で言いながら、アリアが一人魔物達に近付く。


「面倒だからまとめて消すわ。シェスカ、ナギ、ルーナ、力を貸しなさい……」


手のひらを斬って地面に滴った血が、見えない線をなぞるように動いて魔方陣らしき形に変わる。

その中心にアリアが剣を突き立てた瞬間、青い閃光が広がると同時に冷気が生まれる。それはどんどん冷たく強く吹き荒れ、前方に群がる魔物達を囲うように集約していく。


「インフェルノ・リミテッド!」


アリアが呟いた直後、集約した冷気が一気に凝縮し、さらに冷たさを増す。空気中の水分も凍り、強い風と共に濃い靄が一帯を包んだ。


「……ほんと、何でもありだな」

「さぁ、行くわよ」


薄れた靄の先に見えたのは氷の塊。アリアの放った魔術はモールから溢れた魔物全てを分厚い氷で、一撃で包んでしまった。

ともあれ邪魔な奴らは片付いた。あとはモールの屋上に降りてきたあの怪物だけ。その巨大なシルエットを真っ直ぐ見上げる。


「待ってろよ、お前ら」


絶対に助ける。

強く心に誓って、大希はフードを深く被った。










「アキ、どう?痛む?」

「もう大丈夫だって。血も止まったし」


多目的ホールの奥の壁際、他の避難者が騒然としている入り口付近から離れた所でそう返したのは二ノ瀬明久。

明久、葵、そして胡桃もなんとかこの避難場所に辿り着くことができた。大希と別れ、ちょうど映画を観終わってモールを出た矢先に、日常が終わりを迎えた。小鬼や異形の獣が逃げる人々を次々殺し、広い駐車場が一気に地獄絵図へと変わるのを赤黒い異様な空が見下ろす中、無我夢中で走った。葵も胡桃も、今のところ怪我はない。三人でここまで来れたことに明久は安堵の溜め息を漏らす。


「ごめんねアキ君、私がどんくさかったから」

「何言ってんの~、俺が避けるのミスっただけだよ。掠り傷だから心配すんな」


少しだけ血の滲んだ包帯が巻かれた左腕を動かしてみせながら泣きそうな顔の胡桃に優しく返す。さらに続けた。


「それに胡桃に何かあったら、俺が大希のヤツに殺されるしな」

「ははっ、それあり得るかも」


葵も憔悴した顔を笑わせながら明久に続く。胡桃にも笑ってほしくて言った冗談。でも逆効果だった。


「大ちゃん……」


震える声で幼馴染みの名前を呼ぶ。同時に、目尻に溜まってた涙も流れ出してしまう。すぐに胡桃を抱き締めて背中を擦ってやる葵も、つられて涙を浮かべる。


「あいつは死なねーよ」


明久だけはケロッとした顔で、しかし自信に満ちた声でそう言った。


「俺の親友だからな」

「そういう冗談いいから」

「いやいや親友なのは本当!」


明久の微妙なボケに、葵が冷静に突っ込みを入れる。高校の時からのノリを挟んで自身を落ち着かせた上で話を戻しながらポケットからスマホを取り出した。


「さっき別れるとき今日は池袋で仕事って、言ってたろ?」

「言ってたわね」


葵が返す


「さっきまで繰り返し流れてた放送が事実なら、池袋は安全エリア内だ」


胡桃と葵に見せるようにスマホを向ける。電波は相変わらず圏外のままだが、オフラインで表示された地図アプリには測定機能を使った線が引かれている。先程の放送にあった半径七キロ。皇居宮殿から引かれた線は左上の池袋駅を越えた位置まで伸びていた。


「さっきの放送が事実なら、大希はもう安全圏内にいるかもしれない」

「それじゃ、もしかしたらすぐに合流できるかも!?」

「確証はないけどな」

「……うん」


また心配を顔に浮かべる胡桃を葵は優しく抱きながら、余計な一言を付け足した明久に睨みをきかす。


「あたしも、何となくだけどあいつなら生きてるって思えるんだ。アキと同じで確証はないけど、でも今は一緒に信じよう?」

「……うん!」

「だからあたし達もこんなとこで死ねない!ちゃんと生き延びて、また皆であそぼ!」

「うん!!」

「も~また泣いて!泣き虫だねぇ胡桃は」

「うぅ…葵ちゃんも顔グシャグシャなくせに」 

「見るなぁ~!」


本泣きし始める二人に明久も貰い泣きしそうになるが堪える。


「良い話がもう一つ。俺達が安全エリアを目指すなら、池袋が最短かもしれない」


同時に向けられる美女二人の泣き顔に一瞬だけ背徳感のようなものを覚えるが気にせず明久は続ける。


「ここに逃げてくる最中に窓からチラッと見えたんだけど、このモールの真裏の線路に電車が止まってたんだよ。真っ青なやつが」

「……それってもしかして、埼浜スカイブルー?」


葵が反応する。それは今年から開通した新たな路線の名だ。大宮と桜木町間を繋ぐ、池袋新宿渋谷などの最低限の駅にしか停車しない最速の特急電車。


「そうそれ。もし動かせたら、一気に安全地帯まで行ける」

「それはそうだけど、いくらなんでも無謀じゃない?だいいち電車を動かすなんて……」

「あの人達も同じ考えかもしれないぜ」


明久が遠くに顔を向ける。避難場所に再び入ってきたのは武装した男二人。一人はさっきも見た顔。もう一人は避難誘導からずっと指揮を取り続けている隊長格の男。ざわつく避難民の中央を通りすぎて、JRの制服を着た男達の前で止まった。


「我々に、協力してほしい」

「い、一体何をすれば……」

「線路上に残されている埼浜スカイブルーを貴方に動かしてもらいたいんです」


真中の部下、稲垣が言う。彼らは真中達がモール裏の車両から救出した生き残りだ。


「まさか……あれに乗って東京へ!?」

「この人数を守りながら奴らが溢れる街中を抜けるより危険は少ない」

「しかし……。首相直属とか言ってた人達は救助に来ないんですか?第一、化物が溢れているのにここから出るなんて」

「助けは恐らく来ない。だからここの生存者全員と共に安全地帯まで辿り着く為にはあの電車が必要なんだ。それに我々の装備も限りがある。タイミングは今しかない」

「今……?」

「理由は分かりませんが今モール内に奴らの姿はありません。我々の部隊が建物裏の車両までのルートを確保すべく動いています」

「……私なら車両は動かせますが、あ、あれはもう使えません」

「なぜです?」

「き、緊急停止の影響で後部車両が脱線してしまっていて……先頭部の何両かは無事でしょうが、恐らく連結部が歪んでいるので切り離すのはこ、困難かと……」

「ふむ、後部車両を切り離せば使えるということでいいか?」

「え、えぇ、まぁ……」

「稲垣」

「はい。一階正面に乗り入れた車にバリケード突破用の炸薬があったはずです」

「すぐに回収させろ」

「はっ!」


すぐに稲垣は部下に無線を飛ばす。


「こちら稲垣。各隊状況を報告しろ」

『こちら支援班。南西口までのルート、クリアです。内部に敵は見当たりません』

「了解。正面入口の護送車へ接近は可能か?」

『可能です』

「訓練で使用しなかった炸薬を回収してくれ。次の作戦で使用する」

『了解』


そのすぐ後だ。ズンッと建物全体が揺れるような感覚を中にいる全員が感じたのは。

同時に響き渡る激しい音。それがモール中央の天井部に施されている天窓が大きく破壊されたのだということは真中達からもすぐに確認できた。


「っ!?なに?」

『っこちら迎撃班!敵襲です!!天窓が破られて化物がっ!くっ、来るなぁぁ!!!!』


無線から響いてくる銃声の奥に聞こえる甲高い鳴き声のようなもの。それが無線越しに大きくなり、肉を引き裂くような音を最後に無線が切れた。


「迎撃班!応答しろ!!……くそっ!」


稲垣が避難エリアから出る。飛び回るシルエット。至る所から響く銃声。隊員の叫び。そして破壊された天窓からさらに入ってきた影が稲垣の目に写る。細い脚、大きな翼、前方に突き出したような頭部。それがこちらを向いた。すぐにライフルを構えて、化物が動き始める前に連続でトリガーを引いた。


「キシャァァァアア!!!!」


真っ直ぐ放たれた弾道は翼や頭部を見事に貫き、断末魔をあげながら化物は吹き抜けから一階の床まで落ちていく。


「はぁ、はぁ、ちくしょう……」


一体仕留めたとて状況は変わらない。飛び回っているシルエットがまだ八、いや十はいるだろうか。

絶望的な風景。だがさらに絶望を重ねるように、背後の避難エリアから轟音が響く。振り返った先に見えたのは大きく破壊された避難エリアの天井。崩れた瓦礫が避難民達に降りかかり、再び混乱に包まれた避難エリアは悲鳴が溢れ、完全パニックに陥っていた。


「全員端に寄れ!!!


独り残っていた隊長、真中が叫ぶ。ぐったりした男性に腕を回して抱えながら。その頭上、破壊された天井から降りてきた大きな影に稲垣がいち早く気付く。


「隊長!逃げてっ!!!」


そう叫びながら走る稲垣の姿を真中が捉え、上から迫る気配にも気付き上を見上げた。大きな怪物がもう視界を埋めるほどの距離にいる。もう避けられない。真中は死を覚悟した。

直後、ズンッ!!!と巨大な影がホール中央に降り立ち、その衝撃波で周囲の人間を吹き飛ばしながら怪物は全貌を現す。

モールの天窓から入ってきた奴らとは比べ物にならない大きな体。肉付きの良いその巨体の表面はゴツゴツした鱗のようになっている。背中から広がる二つの翼、ワニのような突き出た顎と鋭い牙と爪。その姿はまさにドラゴンそのもの。

胴体と同じくらいの大きな翼を広げ、自らが破壊した天井から空を仰いで、竜は咆哮を轟かせた。

彼が立っていた場所は筋肉質な脚に床ごと踏み砕かれ、そこから赤い液体が割れた床に広がっていく。


「隊長ぉぉっ!!!!!!」


呻き、悲鳴、泣き声。三階の端で逃げ場の無いホールを一瞬で絶望に突き落とした巨大な竜に、普段ならどんなことがあろうと冷静さを欠かない稲垣がキレた。絶望の色に染まる空間で、稲垣は怒りを弾に込めてライフルのトリガーを引く。


「ちくしょうがぁぁぁああっ!!!!」


全彈を撃ち尽くした。

リロードして再びトリガーを引く。

近距離、しかも大きい的。放たれた弾丸は殆ど命中したはず。しかし手応えはない。命中したはずの体表面には傷一つなかった。

どんなに怒りを込めたところで、数十発の弾丸では怪物には全く効かないようだ。

無力さを実感した瞬間、怒りで誤魔化していた恐怖が膨張し、戦意は容易く消え失せていく。

頭上の破壊された部分からさらに二体程小さい影が入ってくるのが見えた。それらが次々に避難民達を襲い始める。あいつらには銃弾は効いた。だが稲垣は動けない。所持していた弾丸は全て目の前の巨大な怪物に打ち尽くしてしまったから。

竜の肉厚な脚が上がる。さっき隊長を踏み潰した血塗れの脚が上がる。稲垣の頭上まで降り上げられたそれが自分を踏み潰そうとしていることは簡単に想像がついた。だが稲垣は動けない。

目の前に聳える怪物に、肉体も精神も、恐怖と絶望で支配されてしまっている。

本能が、心が、抗うことは無意味だと悟っている。だからもう身体に力が入らない。目の前の圧倒的捕食者に、人間(じぶん)の無力さを刷り込まれた稲垣の思考は、もう『死』の一文字しか浮かんでこない。


「隊長…すみません……」


涙を流したのはいつぶりだろう。恐怖のせいなのか、悔しさなのか解らない。一度決壊した涙腺から止めどなく溢れてきた。潤んだ視界に竜の脚が迫る。


隊長、すみません…


心の中でもう一度、尊敬する隊長の真中にそう言って、稲垣は迫り来る死を受け入れた。


ズゥンンッッ!!! 


鋭い爪を伸ばした脚が床を踏み砕く。その光景を、稲垣は見ることができた。踏み潰される直前、凄まじい力で後ろに体を引っ張られたからだ。何が起きたかも解らず、勢いそのままに転がる。


「っ!? がぁっ!!」


助かった……?

何が起きた……?


首だけを動かして顔を上げる。見えたのは誰かの足元、その上を全部覆うほどのロングコートを纏っていて姿は解らない。


「ぅ……だ、誰だ……?」

「邪魔よ。人間は早く逃げなさい」


落ち着いた女性の声で、全身を漆黒に包んだ人物が言った。

直後、その周囲にゾッとするほどの冷気が漂い始める。







「ぐぅっ、くそ……痛ぇ……」


衝撃波で吹き飛び転がった体を明久は何とか起こす。ドロッと顔を伝う感触がして額を拭うと、すぐ手が赤く染まった。周囲には瓦礫と一緒に転がる人々が目に写る。打ち付けてぼーっとする頭を起こすように銃声が響き。ハッとしてすぐに辺りを見渡した。


「ぁ……葵!胡桃!どこだ!?」

「イヤァァァァ!!!」

「っ!?」


ホール中央に現れた巨大な怪物の近く。抜けた腰を引きずりながら悲鳴を上げる知らない女性。その目の前には小さい竜の化物。小さいといっても恐らく二メートルは超えているであろうそのシルエットは、何かを咥えている。


「あなたぁぁっ!!いやぁっ!!その人を放してぇっ!!!!」


その叫びは届く筈もなく、化物の強靭な顎でその肉塊が噛み砕かれると、飛び散った血飛沫が女性の全身を汚した。「ぁ……ぁ……」と声すら出ず放心する彼女を、まるで普通に食事でもするかのように自然に頭から咥え、貪り始めた。そんな光景がそこら中に広がっている。轟いていた銃声も止んでしまった。中央に降り立った巨大な竜の前で立ち尽くしている男も、今にも踏み潰されようとしている。考えるまでもなく、さっきまで自分達を守っていた特殊部隊は壊滅状態だ。もう化物に対抗する術はない。残された人間は逃げることもできずただ捕食されるのを待つだけ。明久の中を絶望が圧迫していく。

また一体、崩れた天井から化物が入ってきた。差し込む月明かりに口元から伸びる牙が光る。


獲物を探るように見渡すその紅い眼に、次に映るのは、誰だ?

あの牙の犠牲になるのは、俺か? それとも…


「しっかりしてっ!!!」

「っ!?」


聞き慣れた声。すぐに分かった。


「葵!!」

「ぅっ、アキ!?」


自分に向けられた言葉だと思い振り向いた明久だが、その声に反応するように葵は顔をこちらに向けた。その表情はさっき以上に涙でグシャグシャになり、恐怖の色で染まっている。


「胡桃が、胡桃が動かないのっ!!頭から血が出てて……どうしよう!?」


葵自身も服に血を滲ませ、震える腕でぐったりとしている胡桃を抱いていた。すぐに駆け寄って胡桃の具合を確かめる。出血は額の切り傷からだけのようで量も少ない。吹き飛んだ際に頭部を強打していれば一大事だが、この状況で、しかも医学において素人の自分が幾ら見たところで胡桃の正確な容態は解らない。今は大丈夫だと祈るしかないのだ。


「デコの傷は浅いな……。お前はだいじょ」

「ぅぁ……アキまで血がっ!ゎ、私は……私はどうしたら…!!」

「落ち着け!俺なら平気だ。お前は?怪我はないか!?」

「ぅ……ん、腕を少し切っただけ」


葵に大きな怪我はない。とにかく二人とも近くにいてくれて助かった。明久はそう安堵しながら、心の中で自身に憤怒する。

独りで勝手に絶望している場合じゃない!日常が終わったとき、二人だけは何としても守ると決めた。胡桃も葵も、大切な友達だから。だから今はこの二人をどう守るかだけ考えろ!自分の命は後回しだ。


どうする…どうする?


「っ!!??」


ゾワッと全身を巡る悪寒。体の芯から震えてしまう程に冷たい殺気が込められた視線。ついに明久達も奴等の標的に入ってしまった。首を動かした明久と、口からだらだらと液体を滴らせている怪物の紅い眼が合う。

化物は翼を広げて跳躍すると、一気に明久の数メートル手前まで距離を詰めてきた。


「ちくしょうっ!葵!胡桃を抱えてどっかに隠れろ!!」

「そんなことしたって!!それにアキは!?」

「俺がこいつを引き付けるから!だから早く!!」

「いやあぁぁ!!できないよ!!」

「早くしろって!!」


酷なことを言っているのは分かりきっている。葵ももう動けないのは明久も解っているから。さっき駆け寄ったときには既に足が震えていた。それまでも無理して恐怖を押し殺して逃げてきたはずだ。だが胡桃が倒れ、逃げ場のないこの避難エリアに地獄絵図が広がってしまってはもう押さえてなどいられる筈もない。一気に恐怖と絶望が全身を侵食し、身体を硬直させる。それが常人の普通なのだ。

ズンッ、ズンッと竜が迫る。明久の中にも絶望が膨れ上がり、侵された思考が死を連想させる。

自分が食われたら、今度は葵…。そして最後は…。


「ここで……終わる、のか?」


ここで諦めても、いいのかな。大希?

お前なら、どうする?


「っ!まだだっ!」


足下にあった瓦礫を見つけると、それを思いっきり竜の頭に投げつけた。しかし当然効いてはいない。寧ろ怒りに満ちた唸り声を上げてこちらを睨む。

そうだ。まだ諦めるわけにはいかない。

まだ会わなきゃならないヤツがいる。

こんな日に、自分達より仕事を優先した野郎に、酒の一杯でも奢らせなきゃ気が済まない。

だから、命が有る限り足掻いてやる。

体が動く限り、後ろの二人を守ってやる!


「キシャァァア!!!」


目の前の化物はもう臨戦態勢だ。隙を見せれば一瞬で頭から食われる。

どうする……どうする……考えろ、考えろ!


ガシャンッ!


酷く冷たい風がホール内の空気を強く揺らし始める中、明久のすぐ側に何かが落ちてきた。目線だけを動かし確認する。奇跡的にもそれは今この瞬間一番求めているものだった。


「っ!?」


黒光りした重厚感のあるフォルム、落ちてきたのは紛れもない拳銃。土壇場で訪れた奇妙すぎる偶然。だが考えている暇はないのだ。目の前の化物に対抗できるかもしれないチャンスが、文字通り舞い降りてきた。

今動かすのは頭じゃない、身体だ。

明久が拳銃に飛び付く。それを合図に明久を食らうべく化物も迫る。距離はもう五メートルもない。掴んだ拳銃ですぐに狙いを定める。


「頼むぜ……っ!」


パンッ!!っと乾いた音と共に打ち出された弾丸は見事に化物の胴体に突き刺さった。だが動きが止まったのは一瞬だけ。


「キシャァァアッ!!!」

「くそっ!!だったら……!」


大きく開いた顎から臨む鋭い牙が明久に迫る。もう目と鼻の先。自身を喰らうべく開かれたその大きな口の中を目掛けて、明久は引き金を引く。


「喰らえっ!!」


近距離だ放たれた弾丸は真っ直ぐ口内を捉え、血が溢れだす。連続で響く乾いた音を掻き消すように化物が甲高い鳴き声を上げた。


効いてる!?これなら……


一瞬油断してしまった。だらだらと血を撒き散らしながら暴れ、直後に繰り出してきた翼による薙ぎ払いを避け切れず、もろに受けてしまう。


「キシャアアッ!!!」

「っぐぁぁっ!!」

「アキぃぃいいっ!!!!!」


吹き飛んで激しく転がった明久の体は壁に打ち付けられ、止まった。明久の影は倒れたまま動かない。そして目の前に迫る化物の赤い瞳は、ついに葵を捉えた。ズンッと一歩踏み出す度に口から溢れた血が床に落ち、赤く汚しながらだんだんと葵の目の前まで近づく。


「いや……いや、来ないでっ!!」


さらにもう一体。空中に浮かぶシルエットに光る紅い眼とも目が合ってしまった。真っ直ぐに自分を見つめる捕食者の眼光は酷く冷たく、そのせいか身体の熱が、希望がどんどん奪われていく。

胡桃の意識は戻らない。明久も動かない。体から力が抜けていく。もう声もほとんど出せず、涙だけがまた止めどなく溢れてきた。その涙も凍りそうな程に、吹き荒れる冷気が冷たさを増す。


「ぅ、アキぃ…胡桃、ごめ、んく…うぅっ許して…」


潤んだ視界でもすぐ分かった。空中にいた化物が真っ直ぐ飛んでくる。紅い眼が、殺気を籠めて迫る。


「…大希ぃ……バカ……あんただけは、生きてよ」


大きく開かれた口から剥き出しになった鋭い牙が視界いっぱいに広がった瞬間、凄まじい光が目の前で弾け、同時に葵は意識を手離した。












「間に合ったようね」

「なんとかな」


今しがた自らが首を斬り飛ばした化物達の横を通り過ぎ、大希…テトラは横たわる友の無事を間近で確認した。二人とも、強い魂を感じる。少し離れた所で倒れている明久からも、強くはないが鼓動は聴こえる。


「お前ら、よく頑張ったな」


葵に守られるようにして後ろで眠る胡桃の頬に触れた。手に伝う体温が、大切な人を守りたいという欲望を満たしていくと同時に、目に映る綺麗な唇によって己の中にある別の欲望が掻き立てられるのを自覚する。


「待たせてごめん、胡桃」

「ゆっくりしてる暇はないわよ」

「分かってる。お前の方は片付いたのか?」


小さい化物はテトラが全て斬り伏せた。ホールの中心にはアリアが造り上げた大きな竜の氷像が周囲に冷気を漂わせている。


「氷で動きは封じたけど一時的よ。長くはもたない」

「ちっ、急ぐぞ」

「ま、待ってくれ!!」


胡桃をそっと抱き上げ、テトラは動きを止める。先程飛竜幼体に踏み潰されそうになっていた稲垣だ。フードを被ったままの、全身を黒で覆った後ろ姿に、よろよろと近付いてきた。


「あんた達は、アマデウス……なのか?」

「…………」

「あんたらは一体何者なんだ!?世界はどうしてこんなことになっている!?何か知っているんだろ!?」

「そんなことより、散らさずに済んだその命で今何をすべきか考えるのが先じゃないかしら?」


代わりにアリアが言葉を返す。自分達のことを稲垣はアマデウスの人間だと思っているらしい。その組織については、テトラもアリアももちろん無関係なのだが、自分達と謎の組織の関係を今ここで稲垣に説明する必要も、そんな時間もない。だからアリアはそう返したのだろう。

今の最優先事項は胡桃達を安全地帯に届けること。そして稲垣の最優先事項も、ここにいる生存者達と共に安全エリアへ向かうことなのだから。


「シャアァァァアア!!!」

「あぁっ、くそ、またっ!?」


何度も聴いた化物の奇声に稲垣は再び戦慄する。崩れた天井から先程の小さい竜の化物が一体入ってきた。目にした生存者が一人叫び、それを聴いてさらに悲鳴が連鎖する。


「リトルワイヴ。群れて主人に(たか)るところは相変わらずね」


そう言い、アリアが剣を抜く。先に動いたのはリトルワイヴだ。すぐ近いところに踞っている生存者には目もくれず、紅い眼を光らせ飛んでくる。その軌道は真っ直ぐテトラへと向かう。が、跳躍したアリアが数メートル手前で首を切り落とし、リトルワイヴは絶命した。


「貴方の足、まだ匂うみたい」

「黙れ」

「ぁ……あんたら、一体……」


唖然としている稲垣に、テトラは胡桃を抱いたままで近寄る。


「今のうちに逃げてくれ。コイツらのことも頼む。友達なんだ」


胡桃の体がそっと稲垣の腕に渡ると、テトラはすぐ背を向け歩き出す。目の前で見ても、稲垣にはテトラという男のフードの奥の顔は見えなかった。見えなかったが、何となく切なそうな表情をしていると思った。そういう感情が、言葉に混じっていると感じたからだ。


「友達なら!あんたらも一緒に…」

「ここは俺達が引き受ける。だから、早くしろ」


さらに数体の化物がホール内に入ろうとしている。その眼はやはりテトラだけを捉えている。自分がここにいる限り他の人間にヘイトは向かない。ならば好都合だ。胡桃達を安全に避難させるには囮になればいい。それに化物と戦えるのは、化物である自分だけなのだから。


「またな、お前ら」


またな。と自分で言っておいて、また会える日なんて来るのだろうか、と頭の中で自身に問いかける。会えたとして、化物に成り果てた俺を、こいつらはまた友達と呼んでくれるだろうか。

歩きながら、刀を鞘から抜く。


建物の上空にも多くの穢れた魂を感じる。フロア内にいた二体目を斬り伏せ、破壊された天井から先に外へ出たアリアに続いて、テトラも地面を強く蹴って跳躍した。


「稲垣さん!」

「お前達!無事だったのか?」

「えぇ、その……黒いコートを着た二人組が現れて化物を全て倒しながら上に向かっていったんです。お陰で我々も負傷者は三名で済みました」

「そうか……とにかく無事でよかった」

「それにしてもこれは一体……」

「ここもそいつらに救われた。隊長と、民間人がかなりやられてしまったがな」

「彼らは何者なんですか?」

「分からん。その話は後だ。作戦を続行する」

「はい!既に車両までの最短経路の安全は確保済みです」

「よし、すぐに避難を始めるぞ!」










『待たせてごめん。胡桃』


愛しい声が聞こえた気がした。

何も見えない、暗い闇のの底に漂う体が、何かに包まれるのを香月胡桃は感じる。暗闇が与える恐怖と孤独から守るように、冷たくなった意識を優しく暖めていくその温もりからは、大好きな人の匂いがした。


「大……ちゃん……?」


周囲の闇がだんだんと晴れていく。気がつくとそこは見渡す限りの真っ白な世界に変わっていて、自分以外にもう一人、見慣れた人物が立っていた。


「大ちゃんっ!!」


自然と涙が溢れ出す。気づいたらもう駆け出していた。何も答えず、ただ穏やかな表情で胡桃の泣き顔を見つめる大希に手を伸ばす。だが、その手が触れる前に大希は背を向け、歩き出してしまう。


「っ!?大ちゃん!待って!行かないでっ!!」


大希は止まらない。離れていく背中を追いかけるが距離は縮まらない。さらに接近を阻むように、大希の足下に黒い霧が広がる。それは徐々に大希の体を包み込んでいく。真っ白な世界で、大好きな人だけが闇に染まる。


「大ちゃん!大ちゃん!!!いやぁぁああああっ!!!!!」


大希の体が完全に闇に包まれた瞬間、真っ白な世界が急激に光を放ち、胡桃ごとその世界全てを包んだ。




直後、ゴトン、ゴトン、と機械的な音と振動を体に感じて胡桃は目を開けると、そこは走る電車の中だった。ボーッとする。体を起こそうとするが、上手く力が入らない。すると天井を映していた視界に泣き顔が入ってきた。


「胡桃?胡桃!?うぅ…よかったぁ!」

「ぁ、葵……ちゃん?私たち……」

「うん、うん!私たち助かったんだよ!!」


葵の瞳からボロボロと涙が零れ、落ちた滴が胡桃の頬を濡らす。伝った涙を追うようにして、胡桃の目からも涙が流れていく。


「じゃあ、アキくんも……?」

「うん!ひどい怪我だけど、応急処置してもらって今は眠ってるって」

「よかったぁ…。葵ちゃんは怪我してない?」

「あたしは掠り傷だけ。でもいつの間にか気絶しちゃってたみたいで、あたしも今さっき目が覚めたとこなんだ。ははっ、情けないよね」


そう言ってくしゃくしゃの顔で笑う葵の手を、胡桃は優しく握る。


「そんなことないよ。無事でよかった」

「うん!うん!本当に無事でよかったね!」

「……大ちゃんも無事だといいな」

「あいつなら大丈夫だよ、きっと」


葵が手を優しく握り返してくれる。

少しだけ不安になるのは、さっきの夢のせいだ。


「夢でね、ちょっとだけ会えたんだ」

「うん」

「昼間に会ったばっかりなのに、なんだか変に懐かしく感じて」

「うん!」


散々流れ出たはずの涙がまた溢れてくる。


「……早く会いたいな」

「もうすぐ会える」

「…うん!」

「目が覚めたか」


近付く足音と共にそう声がかけられた方を見る。


「警視庁第零機動隊副隊長の稲垣だ。今電車で安全地帯へ向かっている」

「あ、あの…っ!」

「君達の連れなら、他の重傷者達と隣の車両にいる。我々の救護班がついているから大丈夫だ」


胡桃の心配を先読みしてか、稲垣はそう言って、すぐに他の避難者の様子を見に歩き出す。


「あのっ!助けていただいて、ありがとうございます!」


稲垣の背中に、今度は葵が言う。足を止めて稲垣はついさっきまで味わっていた地獄を思い出した。怪物を前にして一度は戦意を失い、涙を流して全てを諦めた自身がフラッシュバックする。


「助けたのは俺達じゃないさ」

「え?」


そうだ。俺達を、生存者達をあの地獄で助けたのは……


「礼なら君達のと…」

「稲垣副隊長!後方に化物が大勢追ってきています!!」


後方の扉が勢いよく開き、隊員の声が車両内に響く。


「絶対に近付けさせるな!!」


そう返してすぐに胡桃達、避難民全体を向いた。


「民間人は全て先頭車両に移動してくれ!揺れに備えてどこかに掴まっていろ!!」

「行こう!胡桃立てる!?」

「うん!」


数人の隊員が後方に向かっていくと、間もなく激しい銃声が鼓膜を叩く。その先には群れとも言うべき魔物の大群だった。まだ全員の移動が終わらないうちに、ウルフが一匹銃弾をかい潜って車両に侵入してくる。


ダァンッ!!


ウルフが避難民の方へ動き出すより一瞬早く、稲垣が拳銃の引き金を引く。それは確実に獣の頭部を捉えた。


「急げ!!」


最後の民間人が車両を移り終えるが、魔物の群れはすぐに追い付こうとしている。あと少しで池袋のはずだが、このままではまた隊員が犠牲になってしまう。


「くそっ!どうする……」


今度は数匹一斉に飛び込んできた。

もう間に合わない。ここで抑えられなければ、今度こそ全滅だ。


どうすれば……


一番手前で銃を構える隊員に獣二体が牙を剥き出しにして噛みつこうと飛び上がる。が、隊員と獣の間を裂くように凄まじい閃光が稲妻のように空間を走るのが見えた。一瞬目を逸らし再び目をやると切り裂かれた獣の体が転がっている。


何が起きてる!?


『こちらアマデウス。応答せよ』

「っ!?」


突然入った無線から、淡々とした声が耳に飛び込んできた。


「こっ、こちら警視庁第零機動隊!副隊長の稲垣だ!現在民間人を連れて電車で池袋方面へ走行中!安全地帯までの援護を頼む!!」

『その必要はない』

「んなっ!?なんだとっ!?」


衝動的に怒りが込み上げる。安全地帯を目指せと言っておきながら、見捨てるというのか?

またウルフが数体車両に追い付こうとしている。だが、ある地点を通り過ぎた瞬間、ウルフ達が何かに押し返されるように後方に吹き飛んだ。乱雑に転がった獣の体が青色の炎に包まれ、瞬く間に灰になって散っていったように見えた。


「なにっ!?」


さらに後ろから迫ってきていた大群も見えない壁があるかのようにどんどん弾き飛ばされ、炎の中で蠢き、灰に散っていく。更にその後方から一際大きな体の獣が物凄いスピードで突進してくるが、見えない壁ほそれすらも簡単に阻んだ。衝突の衝撃なのか、怪物が突進した所から水面に広がる波紋のように空間が撓み、そこには確かに化物を退ける何かがあった。


『たった今、お前達の防御結界の通過を確認した。そこはもう安全エリアだ』


結界…?安全…?


「俺達は、助かった…のか…?」

『稲垣副隊長、生存者の救出及び保護、ご苦労だった。そのまま駅構内まで進め。我々の部隊が保護する』


そう言ってまたすぐに通信が切られる。

ハッとして稲垣は窓から外を見渡すと、通過した結界とやらの内側には、沿うように軍事車両が並んでいた。さらに付近には、見たことのない灰色の軍服に身を包んだ人間が大量に配備されている。その光景は、ここが本当に日本なのかと疑ってしまう程にひどく異質な雰囲気を漂わせていた。しかしその更に内側は、少なくとも自分達が見てきた地獄のような惨劇は見当たらなく、建物も無事のようだった。もともと結界内に居たのか、外部から避難してきたのか分からないが民間人も野次馬の如く大勢群がっているのが伺える。

ここでやっと、地獄から解放されたと理解する。


「皆聞いてくれ!安全地帯に到着した!ここまでよく頑張ってくれた!!」


先頭車両への扉を開け大きくそう叫んだ。

安堵のあまり腰を抜かす者。泣きながら笑って抱き合う者。各々に感情を溢れさせるたった十数名の民間人達を見て思う。


たったこれしか救えなかった。

隊員も大勢死なせてしまった。

自分がもっとしっかりしていれば、真中隊長も……。


全滅を免れた安堵や自分が助かった喜びを、後悔の渦が飲み込んでいく。だが電車がゆっくり速度を落としながら駅構内へと入る中、奥にいた女性が少年を連れて目の前まで近づいてくると、深々と頭を下げた。


「息子を助けていただき、ありがとうございました!」


母親を見て少年も真似をして頭を下げる。

それを見た他の避難民も次々と感謝の声を上げる。


後悔は消えない。

でもその言葉で、少しだけ心が救われた気がした。

その感謝で、少しだけ肩の荷が下りた気がした。

ここまでの自分達の頑張りは無意味ではなかったと、少しでも思わせてくれた。途端に眼の奥が熱くなる。警察になってから泣いたことなどなかったはずなのに、今日だけでいったいどれ程泣いただろう。必死に涙を堪えようと顔に力を入れるが、気が付けば視界は潤み、既に頬を伝っていた。

窓の景色が駅のホームへと変わり、埼浜スカイブルーはゆっくりと動きを止めた。


真中隊長。任務…完了しました!


表情を変えず、涙も拭わず、稲垣は静かに敬礼をする。

避難民の感謝と、尊敬していた先輩へ向けて。










「アブソリュート・レイ。最高度の領域結界術ね。下等種(にんげん)がこんな禁術を扱うなんて……。いったいどんな人柱を用意したのかしら」


ウルフの群れが灰になった場所を見下ろせるビルの屋上、空間を歪ませるように闇が集まった場所からアリアが現れ、足首まで覆う程のコートを靡かせながらそう言う。横を向くと、一体だけ生き残った巨大な獣が何度も何度も体当たりをかましているが、一つの歪みも起こさず、結界の強固さが伺える。


「頑張り屋さんね。その元気な魂、私にちょうだい」


アリアが剣を抜く。掌に刃を滑らせ、己の血を付けた剣を足下に突き立てると、獣の足下に水色に光る大きな陣が広がる。冷気と共に現れたそれは暴れる獣の自由を奪うように、四肢を氷付けにしていく。


「ヴォォッ!?ヴゥォォォオ!!」

「安心して。痛くしないから」


アリアは笑ってそう言い、更に一言続けた。


「ゼロ・グレイブ」


直後、陣から尖った大きな氷の槍が無数に出現し、獣を容赦なく何度も貫いて、やがて獣の体は動かなくなった。流れ出た血が透明度の高い綺麗な氷の表面を汚していくが、冷気によってそれもすぐに凝固し、醜い氷像が完成する。


「うふふ、ご馳走さま」

「…………」

「貴方も欲しかった?」

「別に」


遅れてやってきた大希はそれだけ返し、体を結界の方に向ける。化物(テトラ)となった自分の眼には確かに見えた。厚く張られた魔力の壁が。それは鏡のように周囲の景色を反射させているようで、結界の内側はよく見えない。


「中が気になる?」

「まぁな」

「心配性ね」

「当然だろ」

「妬けちゃうわ。私という女がいるのに」

「黙れ」


世界は変わった。何故かは分からないが、化物が無数に蔓延る地獄に成り果てた。その地獄から胡桃達を救い出すことはできた。だがそれは、先程の放送が真実だった場合だ。

あの中が本当に安全であると仮定した場合だ。

魔族の脅威からは守れたとして、この結界を展開させた組織について、安全地帯の中で生存者を保護しているアマデウスという機関について、大希はまだ何一つ情報を持っていない。

今立っている場所は見晴らしが良く、音もよく聞こえる。少し遠くの大通りを数台の車が魔物の大群から逃げながら荒れた道路を走っているのが見えた。結界まではもう少し。だが最後尾のワゴン車が減速し、群れにのまれかけている。しかしドンッ!という強烈な音が響いた直後、その群れがまとめて吹き飛んだ。結界付近に何台も停まっている軍事車両に搭載された砲台から煙が上がっていて、その周囲にはやはり灰色の軍服を着た者達。他の通りでも、安全エリアに向かっている人間を守るように、迫る化物共と戦闘を始めている。

突風が吹いてフードが外れる。それを直さず、大希は多少広くなった視界で見渡した。傾き、崩れた荒れ放題の街並みを。至る所で燃え広がる火事の色を写した赤い空を。


「そろそろ教えてくれよ。何が起きたのか」


遠くを見たままで問う。


「ふふ、知りたい?」


この問いに対して、アリアが明確な答えを持っていると、大希は多少期待する。平和だった世界を地獄に変えたのは大量に溢れた魔族どもで、アリアも間違いなくそちら側の存在だからだ。今となっては、自分もそちら側かもしれないが。


「じゃあ…キスして?」

「何でだ」

「約束したじゃない。さぁ……さっきの続き」


前に回り込んできてそう言いながら肩に腕を回してきて、うっとりした表情でゆっくりと唇を近付けてくる。見るだけで唇の柔らかさが、キスの味が容易に想像できてしまって、欲望を揺さぶる。だが、迫る可愛らしい顔を拒むように大希が口を開いた。


「早く答えろ」

「……むぅ」


キスを拒否したことで、可愛いキス顔から膨れっ面に変えるアリアに、少しだけ申し訳なく、そして勿体無い気持ちになるが気にしないようにする。


「……境界線だった聖域結界が破られたの。地脈は闇に堕ちて、こっちの世界、外郭界は魔族領域(イビルサイド)と完全に繋がってしまった。もう、ここは飢えた魔族達の餌場も同然」

「どうしてそんなことに?」


遠くを眺めながら言うアリアの眼は、退屈そうで、でもどこか寂しそうに感じた。

なんにせよ、日常の終わりを体感してきた今、何を聞いても大して驚きはしない。だが数時間前まで平和そのものだった日常が、なぜ壊されなければならなかったのか、確かめずにはいられない。


「歪で強引な術式解体(ディスペル)。使われたのは血継陣ね。マナの代わりは血と魂。陣の構成に使われた人柱は、13ってところかしら」

「誰が何のために…」

「さぁ、知らない。誰がやったのかも、理由も。私にはどうでもいいことだもの。ただ、魔術の行使には素養が要るの。ただの人間だけでは扱えない」


つまらなそうに、目の前の悪魔は言葉を紡ぐ。


「…………」


要するに、魔族サイドが絡んでるってことか。


しばらく大きな戦争も起きていないこの世の中で、人間関係における小さな争いはあれど、大多数は平和な日常を過ごしていたはずだ。少なくとも三次元の現代社会において魔界なんてものを認知している人間は、一部の拗らせた者を除けばほぼ居ないだろう。

普段の日常であれば自分もそうだった。

今は違う。魔犬(ウルフ)と戦った。黒山羊(ルークレプリカ)に追い詰められた。アリアと出会った。可愛い悪魔に化物にされた。そして今、目の前に地獄が広がっている。人間の世界だった場所には、文字通りの魔界が広がっている。それらの事実は、もう魔界というものを否定することを許さない。

数時間前、日常は終わった。地脈の聖域結界なんてものが突然壊され、世界が崩壊した。関係のない人間が大勢死んだ。それぞれの平和な日常を生きていただけの、何の関係もない人間が巻き込まれて、何も知らないまま大勢殺されたのだ。異界の者達に振り撒かれた理不尽によって。

これが戦争だとするならば、あまりに一方的な展開だ。

弱者(にんげん)に勝ち目はあるのだろうか?

突然現れて東京を結界で守り、今まさに地上で魔族達と戦っているあの組織は、人間を守るための正義の刃として信用できるのだろうか?

人間と魔族。神代大希(テトラ)は一体、どちら側の存在なのだろうか?

最後のクエスチョンの答えはきっとすぐ解る。それを知っている女の子がすぐ隣にいるのだから。

大希はまたアリアに問う。


「もうひとつ、いいか?」

「な~に?」


こちらを振り返ったアリアは、少しだけ笑っていて、大希の思考を見透かしたような瞳で見上げてくる。それを気にせず問う。


「結局、お前は何者なんだ」


目の前で可愛らしく笑う悪魔に重ねて問う。


「お前は人間の味方か?」


やはり見透かされていたのか、答えはすぐ返ってきた。


「私は、貴方の味方よ」

「なに?」


アリアが続ける。


「人の身でありながら魔の匂いを漂わす特異種族。人間と魔族の交配のもと生まれた歪な存在。それが私達。どちらでもなく、どちらにもなれない狭間の異端者」

「……私達?」

「貴方もだもの」

「俺は人間だったぞ」

「貴方は少しだけ特別なの。でも魔人であることには変わりない」

「魔人……どちらでもない、どちらにもなれない狭間の存在……まるで根無草(デラシネ)だな」

「侮蔑の意味を込めてそう呼ぶ他種もいる」


淡々と紡がれるアリアの言葉には素直にに納得できた。禍々しい紅い瞳を除けば、その見た目はとても綺麗な顔立ちの人間の女の子なのだから。

そういえば、初めて現れた時に彼女は自身のことを『行き場のない野良の悪魔』と言っていた。


「どちら側でもないお前がここにいる目的は?」

「特に無いわ。ただ、退屈凌ぎにやりたいことならあるけど」

「そういえば、お前の暇潰しに付き合う約束だったっけ」


そう返すと、アリアは嬉しそうな笑みを浮かべてくる。


「ふふ、そうよ。貴方の急用は終わったもの。次は私の番」

「で、暇潰しってなんだ?」

「一緒に魔王を殺しに行くの」


可愛らしく微笑んだまま、穏やかな声に愉しそうな色を乗せて、他愛のない会話をするように、アリアは物騒な台詞を言ってきた。

そのせいで若干反応が遅れる。


「……暇潰しにやることじゃねぇ」

「あら、暇潰しよ?私にとっては」

「要するに俺は魔王を殺すための駒か」

「そうなるわね。ちなみに魔王を殺せば、この世界の魔界化は止まるかもしれない。ついでにこの世界も救いましょう?」

「どちら側でもない奴の言葉じゃないだろ」


魔王を殺す。

魔界化を止める。

それは魔族に日常を破壊された側の言葉のはずだ。


「……こっちの世界の方が好きなだけよ」


そう言いながらアリアは手をかざす。地上の方でアマデウスらしき奴らが数人動き始めるのを見ながら、闇を集めて回廊の扉を作り出した。


「魔王って言うからには強いんだろうな。勝ち目はあるのか?」

「今のままじゃ無理ね。貴方にはもう少し強くなってもらわないといけない。まずはこの壊れた世界を見て回りましょ。どうせ他にも助けたい人間がいるんでしょうし」


先にアリアが扉に足を踏み入れる。小さな体はすぐ闇の霧に包まれ見えなくなった。


「……」


大希もフードを被り直して、アリアに続き闇の扉へと歩き出す。がすぐ足を止めた。


「動かないでください」


背後で突如放たれた殺気と共にそう言われたからだ。












埼玉方面へ抜ける大通り、川越街道付近の結界が揺らめき出すと、そこから小さな影が人間離れした凄い速さで飛び出し、地面を抉りながらブレーキをかけて氷像の前で止まった。


「よっと……うわぁ~、スゴいですね!これが領域結界の迎撃システムですかぁ」

「それは違う。勝手に先行するな桜士郎。周囲を警戒しろ。そして帽子をちゃんと被れ」


他の部下を数人従えながら遅れて現れた灰色の軍服の人物に凛とした口調で言われるが、同じく軍服に身を包んだ小柄な青年、柳沢(やなぎさわ) 桜士郎(おうしろう)は氷像を見上げたまま、緊張感のない態度で言葉を返しながら、後ろのポケットから帽子を取り出して渋々被る。男にしては華奢な体。その腰には、支給品である日本刀が重苦しい黒色の鞘に包まれてぶら下がっている。


「分かってますって~」

「はぁ……こちら討魔専任部隊、(かなえ)班、膨大な魔力を感知したポイントに到着。高レベルの魔術が行使された形跡を確認。我々の討伐予定だった領域主が何者かによって倒されています。術者は不明。……はい、ではこれより任務を開始します」





アマデウス通信指令隊との通信を終え、(かなえ) 雪穂(ゆきほ)は切れ長の目を伏せてため息をつくと、目を輝かせて凍った怪物を見上げている桜士郎を放置して、後ろに待機している他の部下達へ顔を向けた。


「鼎班の任務は二つ!一つは結界付近の魔族の掃討。生存者の保護は後続の救護隊に任せる。我々の優先すべきは魔族の討伐。奴等は世界を崩壊させた敵だ!一匹残らず殲滅しろ!いいな!!」


「「「はっ!!!」」」


「そして二つ目は、魔術使用者の調査だ。遠隔感知されたマナの瘴気変換量から言って、高位魔族の可能性がかなり高い。強力な術の使用に加えて同族を狩るような野蛮で危険な敵だ。接触した際は十分に注意しろ。輝石の使用許可は降りているが、決して油断するな」

「「「はっ!!!」」」

「行動は常時バディを組め。桜士郎!お前は私とだ!」

「りょーかいしましたっ!では、お先に!」

「な!?ちょっと待ちなさい!桜士郎っ!!」


上司である雪穂の怒声が耳に届く頃には、既に桜士郎は地面を蹴って跳んでいた。信号機を足場にしてさらに跳躍する。


「高いとこは任せてください!班長は地上をお願いしまーす!!」


右手首に装着している、軍から支給された輝石の加護が身体能力を大幅に向上させる。

ただの人間が、化物と戦うために得た『祝福』。それが強く光を放つと同時に、マンションの壁を走りながら、桜士郎は刀を抜いた。前方には部屋に逃れた生存者を狙って壁を這いずっている蜘蛛の怪物が二体。そのどちらも桜士郎に気付くが、全く気にせず真っ直ぐに突っ込んでいく。


火幻(かげん)藪椿(やぶつばき)


赤みを帯び、瞬時に炎を纏った刀身を手に、捕食しようと迫る二体をまとめて左薙ぎの一閃。斬られた途端燃え上がった炎に焼かれ、奇声をあげながら地上へと堕ちていく。その勢いのままベランダの縁を蹴って一気に屋上まで昇る。


「さてっと、悪いヤツは高い所が好きって言うよねぇ」


各地で鳴り響く爆発音、悲鳴、怪物の咆哮。それらが彩る荒れ果てたコンクリートジャングルを見渡す。


「っ!?」


首都高速を挟んだビルの屋上に、何かがいる。感じたのではなく、輝石によって強化された視力によって見えたのだ。

なんだ……あいつら……?

見た目は人間っぽいが、ここからではさすがに遠くてよく見えない。

魔族から逃げ延びてきた生存者か?

だがそれは違うとすぐに分かった。二人見えたうちの片方が手をかざした瞬間、その先の空間が夜よりも暗い闇色に捻れ、歪んでいき、そのまま一人はその中に姿を消してしまった。人間の力ではない、明らかな魔術の類いだ。


「怪しすぎでしょ」


向こうが魔族なら迂闊に近づけばすぐ察知される。だが時間はない。残ったもう一人が闇の歪みに歩み始めるのを見て動く。

間に合うか……?

桜士郎は軍服の内ポケットから刻印(ルーン)が刻まれたナイフを取り出すと、それを向こうのビルに向かって投げた。真っ直ぐ飛ぶナイフが、間を通る首都高を越えるタイミングで桜士郎は手を合わせると、ナイフに刻まれたものと同じ刻印を手を組んで刻んでいく。


刹影(マジックナイフ)


体がフワッと軽くなり、目を閉じる。風の抵抗を感じながら目を開ければ、さっき投げたナイフの元まで体は飛んでいた。本来は対魔族戦における緊急時の回避や撤退の為の空間移動術式なのだが、桜士郎は攻撃や普段の移動にまで使用しており、その機動力はアマデウスでも一目置かれているが、自身の奔放な性格を体現したような戦闘スタイルでいつも周囲を困らせている。主に雪穂を。

移動を終えた瞬間、さらに二本目のナイフを投げる。今度はビルの屋上、怪しい奴の背後に回れる位置。




「動かないでください」

「………」


抜いた刀を背中に突きつけながら言うと、その人物は未だ空間で歪んでいる闇の扉の手前であっさり止まってくれた。全身を覆うような長いロングコート。鞘に納めたままの日本刀を左手に持っているが、それを抜く気配は微塵もない。


「悪いヤツって本当に高い所が好きですねぇ。まさか僕が当たりを引けるとは」

「…………」

「さっきの怪物、倒したのは貴方達なんでしょ?どういうつもりです?」

「…………」

「まぁいいや。討魔専任部隊鼎班、柳沢桜士郎。アマデウスの名の下に、魔族を粛清します」


右手首の輝石が光を放つと、その人物は何も喋らないまま桜士郎の方に体を向けた。フードのせいで顔は見えないが、体格からして恐らく男だろう。

魔力は殆ど感じない辺り、先に消えた方がさっきの魔術を使ったのか。何にせよ、助けるべき生存者でないのは明らか。粛清とは言ったが、鼎班の任務は大型魔族を殺した魔術使用者の調査だ。とりあえず拘束して、こいつから何かしら情報を引き出すのが現状の理想か。一対一の今、こいつが高位魔族だとしたら撤退必至だが、感じる魔力からみてそれはない。大丈夫。普通に勝てる相手だ。


千景流抜刀第一秘技……。

刀身に炎を纏わせ構える。男はまだ動かない。

余裕ぶっているのか、ただ動けないのか、そんなのどっちでもいい。

まずは右足を斬り飛ばして相手の機動力を奪う!

火幻、藪椿っ!!!


空気を焼き斬りながら、刃が男を捉えると同時に纏っていた炎が飛散して周囲の空気を焼く。


「っ!?」


決して嘗めてかかったわけではないが、桜士郎の一撃は直前で止められていた。刃は納めたままの鞘で桜士郎の刀を弾いてくる。

くそっ!もう一度!!


「藪椿!!!」


今度は胴体を狙う。さっきよりも早い剣撃。男の左肩に目掛けて振り下ろす。が、今度は当たりすらせず空間を焼き斬っただけだ。

なんだ…こいつ!?

男はほとんど動いていない。だが、かわされた。必要最低限の回避だけで避けられた。

まさか、たった一度受けただけで、既に太刀筋を、間合いを掴まれている?偶然か?

とりあえず後方に飛んで距離をとる。


「あなた……いったい何者ですか?」

「…………」


男は喋らない。表情はフードで隠したまま、得物も抜かずに桜士郎を見ている。


「ははっ、あまり嘗めないでくださいよ」


邪魔な帽子を投げ捨て、桜士郎は構える。今度は本気だ。

輝石がまた光を放つ。属性付加はいらない。必要なのは速さ。

千景流抜刀術、迅速の四連撃で倒す!


白山吹(しろやまぶき)!」


幼い頃からずっと、地元の道場で習っていた剣術。成績は常に上位だったが、一番になったことは一度もなかった。絶対に敵わない相手が二人いたから。彼らより強くなろうと必死に努力した。結果として、努力は二人への勝利には繋がらなかったが、神代家当主の推薦でアマデウスの兵士として刀を振るい、この終わった世界で魔族と戦えているのは、何度負けても決して諦めず努力してきたあの頃の自分がいたからだろう。

この技は、アマデウスに入ってからも一層鍛練を積み重ねてきた一番得意な型だ。輝石の加護で速度も上がってる。

初撃の左薙ぎが男に迫る。

だが、


「っ!?」


一瞬と呼べる時間の中で、三度、空気だけを斬る音が連続する。技を繰り出しながも、桜士郎は目の前の出来事に驚愕した。迅速の連続剣を、男は尽くかわしていくのだ。まるで予定調和のように。

まさか本当にこちらの剣術を見透かされてしまった…? いや、あるいは……

だがまだだ。まだ一撃ある。弾かれてはいない。この勢いのまま更にスピードをのせて四撃目を叩き込む!


「はぁぁぁぁぁあっ!!!!!」

「…………」

「ぅっ!?……ごふっ!」


最後の一振りは、空気すら斬れなかった。

刀を振り上げた一瞬の隙、と言っても隙など見せたつもりはなかったが、その一瞬にも満たないタイミングで間合いの内側に入り、桜士郎の鳩尾に柄を打ち込んできた。強烈な衝撃が走り、後ろへ吹き飛んだ体は屋上の柵を歪ませながらなんとか止まる。


やべぇ、相手、間違えたかな?


腹は痛いが、輝石の加護が身体能力を上げているおかげでまだ体は動く。もう身も心も察しているが、目の前の男は間違いなく高位魔族クラスの強さだ。恐らく自分一人では勝てない。アマデウスの騎士理念で言うならば、本来なら高位魔族一体に対し、少なくとも三人以上の小隊での対峙がベスト。だが桜士郎自身は、これまで何度か高位に近い魔族を単独で倒したことがあるのだ。しかし過去の倒した奴らと比べても、男の放つ魔力量は乏しい。

なのに勝てる気がしない。理由は明白だ。

魔力以前に、自分の剣術が全く通用していないから。

そして悔しい。数人のチームで倒すべき高位魔族に対しては殆ど抱かなかった感情だが、黒コートに身を包む男には無性に悔しさが込み上げてくる。

桜士郎は剣士だ。そしてこの男も、剣士。

故に、理由は明白だ。

剣士同士の勝負で、男はまだ、刀を抜いてすらいないから。

相手にすらされていないということ。

悔しいが、同時に楽しさも込み上げてきている。この感じは道場での稽古の時以来だ。全身黒に包んだ謎の強敵を前にしているのに、久しぶりに抱いた感情に懐かしくなった自分の能天気さに少しだけ笑みを溢す。

相手が強ければ強いほど燃える。昔から、桜士郎はそういう男だ。

立ち上がり、また剣を構える。


火幻、藪椿……散開!


「さぁ、第二ラウンドといきましょうよ」


輝石が一層強く輝き、炎がさっきよりも熱く大きく刀身を纏う。

例え剣をかわされても、具現化した炎が周囲を広く焼き払うこの魔導剣なら…。


「…………」

「っ!?」


技を繰り出そうと地面を蹴った。その瞬間だ。男が構えたのは。

よくある居合い抜きの構え。だがどこか既視感を覚える型の男に、桜士郎は突っ込む。もうキャンセルできない。こうなれば、どちらの技が速いかだ。

炎の分のリーチがある桜士郎が先に刀を振り上げた。このタイミングならいける。


「……蒼迅」


振り下ろす直前だった。そう聞こえたのは。

初めて男が放った声。それが聞こえた瞬間、目の前で強烈な閃光が弾け、桜士郎は意識を失った。




「…しろう!おいっ、しっかりしろ!桜士郎!!」


聞き覚えのある声。普段よく自分を怒ってくる声だ。その声と共に体を揺さぶられているのを感じて徐々に意識が覚醒していく。目を開くと、視界に大きく、綺麗に整った大人な女性の顔が映る。キレのある美しい一重の目尻に溜まっているのは涙だろうか?この人に泣き顔は似合わないなぁ、なんてことを思いながら体を起こそうとするが、節々が痛んで上手く力が入らない。当然か。回復の分まで加護を攻撃の方に使用したのだから。それでも、勝てなかった。


「まったく、一人で無茶をするからだ!ばか!」

「はは、いつもすみません雪穂さん」

「班長と呼べ!で、何があった?」


なんとか上半身だけを起こして周囲を見渡す。もうあの男も闇の扉も、すでにビルの屋上から消えていた。


「黒いローブを着た奴等が…いたんです」

「魔族か!?」

「分かりません…あはは。さっきの怪物を殺した奴かも」

「何故一人で戦った!?」

「逃がしたらまずいと思って……手も足も出なかったですけど」

「それでお前が死んだら意味ないだろう!」

「ははっ、でも生きてるんだからいいじゃないですかぁ~」


終始苦笑いで雪穂に言葉を返す。笑っていないと、負けた悔しさで泣きそうになるから。


「……まぁいい。とにかく、詳しい話はあとだ。撤退するぞ」

「……はい」


桜士郎を支えながら、雪穂は片手で刹影の刻印(ルーン)を刻んでいく。


そいつらが領域主を殺したと仮定する。

同じ魔族を殺したのに、桜士郎を見逃した?どうして?

桜士郎は若いが剣術の腕はずば抜けている。それを一方的に負かす相手……、只者ではないのは確かだ。


「……桜士郎」

「なんです?」

「お前が生きていて良かった」

「……はは、ありがとうございます」

「帰ったらお仕置きだ」

「あはは……え?」


その声を最後に、二人は同時に屋上から姿を消した。














「エクレール様。飛竜の回収、滞りなく終了しました」


川口のショッピングモール屋上で、色気のある美しい声が空気を揺らす。細身で高身長、それに加え上品な立ち振舞いが、身に纏う白基調の燕尾服の魅力を完全に引き出している。


「ごくろーさま。まったく、幼体とはいえドラゴンを一撃で封じるなんて、流石と言うべきだよねぇ」


弾切れの拳銃をくるくると回して遊びながら、同じく白が基調の、しかし所々に華やかな装飾が施された、貴族の礼装を思わせる衣服に身を包んだエクレール・フォア・ローゼスは屋上の端っこ、縁に腰掛けて遠くの空を眺めたままで、続けて口を開いた。


「魂の収集は?」

「終わっています。ですが半分程は既に瘴気に侵されておりましたので……」

「相変わらず人間の魂は傷みが早いなぁ。下種(げしゅ)が汚く食い散らかしたからってのもあるけど。美味しいのに、本当に勿体ない。君もそう思うだろ?セレーネ」


問いには答えず、セレーネと呼ばれた中性的な顔立ちの人物は、(あるじ)の手元に目をやりながら逆に問いかけた。


「……先程は何故あのようなお戯れを?」

「んー?理由なんてないよ。弱者の前に玩具(オモチャ)を落としてみただけさ。オスがメスを守るのに丸腰じゃ格好つかないでしょ。まぁ大して意味はなかったけど、結果的に彼らが僕らの探しものを導いてくれた。悪い戯れじゃなかったろ?」

「そうですね。まさか、長らく行方を眩ましていたお嬢様がここに現れるとは…。すぐに追って連れ戻しますか?」

「んー、魔王には悪いけど、今日は放っておいていいかな」

「しかし、直々の命令なのですよね?」

「そうだけど、別に急げとも言われてないしねぇ。だから先に、別の仕事を片付ける。君は先に帰っていいよ」

「はぁ、かしこまりました。では」


ズズズッと空間が歪み、奥から溢れる黒い霧と共にセレーネは屋上から姿を消した。一人になったところで、エクレイルは拳銃を投げ捨て、ようやく立ち上がる。


「会えるのを楽しみにしているよ。皇然の『忘れ形見』くん」




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