其の捌
ウマは元新聞記者で、いまは一座の一員だが、その調査能力には目を見張るものがある男だ。
「お前はその弟を疑っているわけだ」
トオルから概略を聞いたウマが、興味なしという顔で言った。
「疑っているというより、どうしても気になることがあるんだよ」
「何だよ、気になることって」
「もう少し煮詰めてから話すよ」
「煮詰めすぎると良くないぞ。味が濃くなっちまう」
農家が収穫に忙しい時季に旅芝居は暇だ。連絡をするとウマはすぐに来た。駅前の喫茶店でビールの小瓶の残量を気にしながら言う。
口調の割には機嫌が良さそうだ。よほど退屈していたらしい。
「でも、弟のアリバイは完璧なんだろう?」
「うん、完璧すぎるほどね」
「だったら犯人じゃないだろう」
「実行犯ではないけどね。でも殺したいと思ってたとしたら?」
「思っただけじゃ罪にはならないだろう」
「そうなんだけどさ」
「あとは、誰かに頼んだってことか?」
「その可能性もあるね。でも、もし頼んだとしてもプロに、ではないね。手口が全く素人のものだもの」
「わかったよ。じゃあその弟の事を調べてくればいいんだな」
「そう、お願い。特に周辺に工業関係の人間がいないかどうかね。だけど長くなりそうだね、調べるの。ウマさん、僕のアパートに泊まる?」
「嫌だよ。久しぶりの東京だからな。安い宿を探すさ。それぐらいの金は持ってるよ」
警察の捜査は常に真正面から行われる。容疑者を罠にかけるような捜査方法は許されない。おとり捜査などはもってのほかだが、一般の人間には犯罪にならない程度の自由がある。権限はないがその分を埋める能力が元新聞記者のウマにはある。
トオルは桜子の弟の高倉亘の住所をメモした紙を、喫茶店の伝票と一緒にウマの前に滑らすように差し出した。
ウマとの連絡には駅の伝言板を使うことにした。携帯電話の普及で姿を消しつつある伝言板だが、トオルの利用する駅にはまだ辛うじて残っている。トオルもウマも携帯電話を持っていない。
『焼き鳥、七時』
伝言版には他に何も書かれていない。普段はあまり利用しない北口に降りて、まだ新しい暖簾を分けた。
「いたぞ、小場惣一っていう部品加工の工場をやっている奴だ」
「弟の知り合い?」
「まあな、だがそれほど親しくはない関係だな」
「でも、普通じゃないことを頼むのに、それって変じゃない?」
「うん、変だな」
ウマはつくねに卵の黄身を絡めて口に入れると、同時に焼酎にお湯を足した。トオルはウーロン茶を飲んでいる。
「ボン、お前みたいな奴が飲み屋で嫌われるんだ。いい加減飲めるようになれ。訓練しろ、訓練」
「だから、変だよね」
トオルはウマを無視した。酒が飲めなくて困ったことはまだない。
「釣り仲間だと言えなくもないが、それほど深い関係じゃないんだ。釣り船で一度一緒になっただけだ」
「どうやって調べたの?」
「弟がやっている事務所に客として行ったんだ。空間コーディネーターとか訳のわからん仕事をしてたぞ。古い民家の柱とか襖とかを都内の飲み屋に売る商売だ。しかし厳しいらしいな、社員はいなくて、ひとりでやっていたな」
古民家風の造りの飲食店がブームになったことがあった。一瞬だったがそのブームに乗って儲けたこともるらしい。
「事務所に行ったら釣り竿の手入れをしていたから、釣り好きだというのは本当だな。でかいクーラーもあって、釣り船のシールが貼ってあったんだ」
「何屋に化けたの?」
「松阪牛専門のシャブシャブ屋だ。囲炉裏を探して欲しいということにした」
ウマの芝居での役どころは渾名の通り馬の脚が主だ。だから、自分で役が決められることが嬉しいらしい。もも肉を櫛から外し、七味を振る調子がどこか楽しげだ。
「あの男、結構商売変えをしているぞ。外国雑貨の輸入だろ、イベント企画だろ、あと脚本家を目指した時もあったそうだ。人に使われるのが嫌なんだと。聞きもしないのにペラペラ喋っていたぞ」
話すように持って行くのがウマの手腕だ。ツボをしっかり擽ったのだろう。
「クーラーに貼ってあったシールの船宿に行ってみたんだ。予感みたいなものがあってな」
それは嘘だとトオルは思う。単に釣りがしたかっただけに違いない。ウマに船頭の真似事をしていた時期があるのをトオルは知っていた。
「弟はその船の常連だったよ。だけど小場って男は初めて来た客だったそうだ」
「それがどうして知り合いだってわかったの?」
「知り合いじゃなくて、ある男が連れて来て引き合わせたんだと。これが弟の釣り仲間で石井正則という男だ。経営コンサルタントだとさ」
「よくわかったね、そんなに詳しく」
「釣り船の船頭が覚えていたよ。客のことを覚えられるかどうかが死活に直結するんだ。客の取り合いの厳しい世界だからな。これが小場という男と石井というコンサルタントの住所だ」
ウマが胸ポケットから住所を殴り書きしたメモを取り出した。船釣りの仕掛けの中に入っている紙だ。反対の面に針の結び方が印刷されている。
「どうやって調べたの?」
「乗船名簿ってものがあるんだ。事故なんかがあったときに誰が乗っていたがわかるように書くノートだ。書かせることが義務付けられているけど、個人情報なんて漁師には関係ないさ。見せてもらっただけだ。簡単なもんさ」
それもまたウマの技量なのだ。計算づくのやりとりがあったことは想像できる。
トオルがまた考え始めている。ウマは砂肝を注文して店主が焼く手元を食い入るように見つめている。
「塩を振るタイミングと距離だよな。リズムかなあ。見事なもんだ修行しないとこうはならないな」
独り言のように言う。
「独学ですよ。元が鳥肉屋だったんですよ。今も鳥を丸ごと仕入れて捌いています」
聞かれもしないのに店主が話し始めている。聞き出す才能は先天的なものかもしれないと思えてしまう。
「ウマさん、初めて紹介された相手に頼めることじゃないでしょう。でも、交換条件があったらどうかな」
「交換条件?そうか。それならば経営コンサルタントの石井の存在も説明がつくな。二人の間を取り持ったってことか」
「たぶんね。ウマさん、その石井って人のことも調べてくれる?」
「ああいいぜ。そうか、交換か」
「はい、お待ち遠さま。レモンを絞ってください。うちの砂肝はね……」
店主がまた語り始める。トオルたちの会話は当然耳に入っていたが、人を探している程度にしか思っていない。殺人や犯罪などの単語はトオルもウマも口にしていない。まだ時間が早い焼鳥屋のカウンターだった。
伝言板を見てからアパートに帰る日が続いた。携帯電話が欲しくなる。