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其の陸

 桜子の葬儀から一週間ほどした日、洋子がトオルをアパートに尋ねて来た。

 婦警の制服ではなく、グレーのワンピースに身を包んでいる。髪留めを取って遊ばせている長い黒髪のせいもあるのだろうが、制服が作り出すイメージからは想像ができない、濡れたような、しなやかさがある。

「今日、桜子さんの初七日でしょう。私の田舎では初七日まで皆が集まってお見送りをするんですよ。だから今日だけでも送ってあげたいと思って料理を作って来たのですけど……」

 今は告別式の日に初七日の法要を済ませるのが普通だ。

 田舎の風習を思い出して、料理を作り、桜子の家に行ったが、鍵が掛かっていて誰もいない。お骨もどこにあるかわからないので、桜子が今どこにいるかもわからない、と洋子は気の毒なほどに心配顔になった。

「それで、せめて橘さんに一緒に送ってもらえればと思ったものですから」

「そうですか、それならば畑に行きましょう。芋畑です。桜子さんは絶対あそこにいますよ」

 本気でそう考えている自分に驚いているのに、洋子はたちまち嬉しそうな表情になって、

「そうですね、行きましょう」

 と、すぐに歩き始めた。

 大きな風呂敷包を持って足早に行く洋子の後ろを、サンダルをつっかけたトオルがあわてて追った。

 尻を気にしながらも、畑のあぜ道に草の多い場所を見つけて座ると、洋子は膝の上で風呂敷を広げて小皿を取り出し、白米を盛り、横にプチトマトと伊達巻き卵を添え、線香と一緒に地面に置いた。

 線香に火を点けて、あらためて重箱の蓋を取ってトオルの前に差し出した。

「食べてください、桜子さんと一緒に」

 洋子は風呂敷とは別にカバンも持って来ていた。

 中から桐の箱を取り出す。紐こそ付いていないが抹茶茶碗をしまっておくための箱であることはすぐにわかった。箱書もしてある。

「洋子さん、それ、ちょっと見せてください」

 朱色というよりも赤に近い茶碗だ。箱書に『時鳥』と筆で書かれていて、桜という小さな落款が押されている。

 トオルが手にしてみると抹茶茶碗というより大ぶりの湯飲みのようで、両手で作った窪みに柔らかく納まった。

 小さく波打つような見込みと、ざっくりとした高台はむしろ桜子の奔放さを示しているようで、赤い釉薬うわぐすりは手の中で鬼灯ほおづきのような色の変化を見せた。

「これって、桜子さんが作ったんですか?」

「そうです。陶芸もなさっていたんですよ。亡くなる前日にわざわざ署まで届けてくださったんです。虫が知らせたんでしょうかねえ」

「そうですか、わざわざ署まで」

 トオルが洋子の言葉をそのまま繰り返した。

「トキドリって銘があるでしょう?」

 洋子が、箱書きされた蓋を持っているトオルの手元を覗きこんだ。洋子の長い髪から日向ひなたの匂いがした。

「これは、時の鳥と書いてホトトギスと読みます。他にも、帰らざる如くで不如帰とか、いろんな字が当てられるんです」

「あら、詳しいんですね。橘さんは文学部ですか?」

「いいえ、理学部です」

 トオルの一座では時代劇だけでなく古い小説を芝居にすることもある。『不如帰』もそのうちのひとつで、舞台にするからにはと、図書館で調べたことがあった。

 「ああ、人間は何故死ぬのでしょう……」

 主役の浪子役の女形に作った、座長の亀之助の不気味な芝居が早く終わってくれ、と願ったことも思い出した。

 桜子のことを思い、線香の煙の流れて行く方向に心の中で手を合わせてから、

「葬儀に弟さんが来ていましたよね。あの人のアリバイはどうなんですか?」

 と、トオルが唐突に聞いた。

 言ってからタイミングも、また「アリバイ」という単語も無神経だったかと恥じたが、洋子は驚く様子も見せずごく普通に答えた。

「弟さんって高倉亘さんですか。一応調べたって聞いています。でもその夜は釣り船に乗っていたそうです」

 桜子の作った茶碗に茶を入れてトオルに勧めながら、洋子が言う。一連の落ち着いた受け答えに、洋子が警察官であることを、トオルに改めて感じさせていた。

「釣り船に?夜に?」

「ええ、なんでも伊豆あたりから出る大きな船で、夜の間に伊豆七島の御蔵島まで行って、一晩中釣りをして帰ってくる、二泊三日の釣りだと聞きました」

 その船のことはトオルも知っていた。カンパチなどの大物狙いの釣りだ。父親譲りの釣り好きのトオルは、一度は乗ってみたいと思っていた。

「なるほど、完璧なアリバイですね」

 独り言のように言いながらも、トオルの頭の中の推理の歯車が動き始めていた。

「それにしても交通課のあなたが良く知ってましたね」

 交通課の洋子が事件の捜査状況を知っているはずもないから、期待などせずにした質問だったのだ。

「だって桜子さんの事件ですもの。それに担当している刑事の中に知り合いがいますから」

「良く知っている人なんですか、その刑事さん」

「ええ、まあ」

 陽子が言葉を濁している。もじもじしているように見えるのが少し悔しい。

「一度その刑事さんに会わせてもらえませんか。桜子さんのことで聞きたいことがあります」

「でも一般の人に話すかどうか……」

「そこをなんとか」

「わかりました。紹介だけはします」

 刑事に会わせろと言っているのだ。恋人に会わせろと言っているのではない。

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