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其の終

 それぞれに個性がある家々が並ぶ、住宅街に潔ささえある。

 明るさを抑えた街頭が続く道の一隅に止めた車の中で、トオルと刑事の洞口が一点を見つめている。木場の家だ。

 弟の亘に先に気づいたのは洞口だった。マイカーの助手席に乗っていたトオルを軽く突く様にして合図をした。

 話には乗るが、もし弟が現れて小場の家に入ったら、その段階で逮捕することを条件にしていた。一般人に、たとえかすり傷ひとつでも負わせることは、間違っても許されない。それは警察全体の責任問題になるのだ。

 小場の妻は、洋子が説得してホテルの部屋に押し込むようにしていた。脅迫の予告電話があったとだけ話して、詳しく説明はしていない。

 いま小場の家のリビングでブランデーグラスを前に雑誌に目を落としているのは、長髪の鬘をかぶり小洒落たワンピースを着たおりんだ。たとえ真似でもセレブとおりんがどうにも結びか付かない。つい笑ってしまいそうで、トオルは家の中の様子をできるだけ見ないようにしていた。

 亘が小場の家の前に立った。インターホンを押そうとしているようだが、ためらっている。人を殺そうというのだから躊躇するのも当然だが、たかぶりのようなものはなく、むしろどこか落胆したような雰囲気がある。

 洞口が再びゆっくりと動いて車のドアに手をかけた時、亘はきびすを返すと、いま来た道を戻り始めた。

「やらないのか?」

 洞口が何故だと言いたげに呟く。トオルが口に指を当てて静かにするように洞口を制した。

 一台の車が静かに亘に近づいて、そして止まった。亘を乗せて走り出した。

「そうか、仲間がいたのか。でも行ってしまうぞ。どうする」

「大丈夫です。行き先は連絡が入るはずです」

 トオルがゆっくりと答えてから、車を下りて、おりんを迎えに行った。

 車に戻ると後部座席に洋子が乗っていた。小場の妻はホテルに置いて来たという。

 洞口が事の成り行きを洋子に説明していると、おりんの携帯電話が鳴った。トオルが出るとウマからだった。

「洞口さん、石井たちはアケボノ企画の管理する倉庫にいるそうです。間違いなく亘たちはそこに向かっています」

 トオルの言葉にうなずいて、洞口が静かにアクセルを踏みこんだ。

カワセミが見られることで知られる川沿いに倉庫はあった。気味が悪いほどの静寂が一帯を包んでいる。

馬の脚の衣装のパッチとどんぶりに着替えたウマが、街路灯の薄明りの中で待っていた。トオルとおりんはウマから衣装を受け取ると急いで着替えた。

倉庫の中では床にへたり込むようにしている亘に、高そうなスーツを着ているが腹のあたりの肉が声に合わせて揺れている、こずるそうな顔をした石井が罵声を浴びせていた。

「何度言わせるんですか。約束は約束です。どうなってもいいんですか。あなたは殺人の共犯者なんですよ」

言葉遣いと態度が一致していない。これがこの男の本性なのだろう。横顔に意地悪そうな笑いさえ浮かべている。ほかにアケボノ企画の社長の片岡と、その会社の社員だろう、スーツの似合わない品の無い、七、八人の男たちがいる。

おりんがCDデッキのスイッチを押した。

……すきま風がカーテンを揺らし 西日が心を揺らす

   窓辺の小さな陶人形 伸びた影の先には誰もいない

   六畳一間のアパートがとても広く感じます

   さよなら、じゃなくて、ごきげんよう

そしてあしたは、こんにちは

   短い言葉をくり返し

   歩いていくことに決めました……

いつになく悲しげな舞いだった。宙に遊んだ手が袖と一緒に木の葉のように揺れながら顔を隠す。しかし涙を表現したものではないことが、肩から肘にかけての力強い線になっている。強弱のある足取りは同時に希望さえ感じさせる女形らしくない舞いだった。

 不可思議で理解を越えた出来事に遭遇したとき、人間は何も考えることができなくなる。呆けたような顔している男たちに、踊りを終えたトオルが、

「私、鶴田亀之助一座の橘雪之丞と申します。本日は少しだけ皆さまの舞台にお邪魔させていただきます」

 と、いつもの口上を女形の調子で述べた。

「何をなさったか、そして何をなさろうとしているのかを説明する必要はございませんね。私は桜子さんの弟さんの亘さんとお話がしたくて参りました。先日桜子さんの作られたお茶碗でお茶をいただきました。ホトトギスという銘がございました。『ホトトギスの兄弟』という民話がございます。昔々、あるところに、ホトトギスの兄弟が住んでおりました。病弱の弟のために兄は必死の思いで山芋を掘って食べさせていました。弟は病気の自分がこれほど美味いものを食べているのだから兄はもっと美味いものを食べているのだろうと、兄を殺してそのお腹を切り開きます。しかしお腹の中には腐った野菜などしか入っていませんでした。初めて兄の優しさがわかった弟は涙にくれ、以来ホトトギスは「本性になった。本性になった」と泣くようになったといいます。桜子さんは子どもたちに民話の語り聞かせをしていました。その桜子さんならこの民話を知っていたと思います。さて、私は、初めホトトギスという茶碗の銘は弟に殺されるかもしれないという桜子さんのメッセージかと考えました。しかし弟のために先祖からの土地を担保にしてまでお金を借り、自分は野菜を売って細々と暮らしていらしたのです。ボランティア活動も世間に迷惑を掛けた弟に変わっての贖罪のためだったのではないでしょうか。誰にも話せない思いをその茶碗に込めたのでしょう。亘さん、あなたは桜子さんの財産を引き継いで初めてそのことを知りました。つまりお腹の中を見たのです」

 トオルは亘に言い聞かせるように話した。

「そうなんだ、姉ちゃんには財産なんて残ってなかった。全部俺のために使ってくれていたんだ。姉ちゃんがそんなに俺のことを思っていてくれたなんて知らなかった。結婚しなかったのも俺のためだったのかもしれない。迷惑ばかりかけてしまって、それを俺は殺してしまったんだ。ホトトギスか、姉ちゃんらしいや。ごめんよ。ゴメンヨ」

 かろうじて上半身を支えている両腕の間に大粒の涙が落ちて、コンクリートの床を濡らす。洋子も両手で顔を覆っている。

「桜子さんは、最後の最後まで、あなたにご自分の足で確かな道を歩いてほしいと願っていたのです」

 トオルの言葉に亘が大きく身を震わせた。

「何を茶番をやっているんだ。黙らせろ」

 片岡に命じられた男たちが進み出て身構えた。手に手にナイフを握っている。

「これまでのことは全てカメラに収めさせていただきました。そしてあちらのおふた方は警察の方です。どうシラを切っても駄目でしょうね」

 トオルが大振りの鉄の扇を手に取った。父の形見の鉄扇だ。

 まず小柄な男がトオルに襲いかかった。ナイフをふりまわすようにしながら意味の不明な叫び声を上げた。トオルはそのナイフの動きの間から男の胸に鉄扇で突きを入れた。壁に当ったように男が直立し、膝から崩れ落ちた。

 ウマは、つかつかと片岡の所まで行く。その間を二人の部下が塞いだ。ウマがラジオ体操のような動きで両手を左右に開くと、二人の男が胸を抑えて崩れた。小さい動きで大きなダメージを与える古武術だ。

 カメラを構えている洞口の頭の上を男が飛んで行った。おりんに投げ飛ばされたのだ。

「まず、カメラだ」

 片岡の悲鳴にも似た声に呼応した男がナイフを振りかざして洞口に襲いかかった。身構えようとした洞口を洋子が制した。

 男がナイフを伸ばす。と、洋子が小さく飛び上がった。スカートから出ている白い足が空中を掛け登るように素早く上下した。見事な二段蹴りだ。顎の先と胸をほとんど同時に蹴られた男がのけぞり、そのまま倒れて動かなくなった。

 トオルが石井の胸に突きを入れ、ウマが片岡の腹に拳を突き立てた。

「おねえちゃん、すごいなあ」

 ウマが洋子の方を向いて感心している。

「父が田舎で空手の道場をしています。私はそこの師範代で、洞口さんは私の弟子です」

 恋人ではなく弟子だと言う。トオルのとんだ勘違いだった。

「これだけ証拠があれば、もう大丈夫なんてもんじゃありません。ありがとうございました」

 洞口が署に連絡するために携帯電話を操作しながら言った。

「カメラは洋子さんに返しておいてください。後で取りに行きます」

「えっ、それじゃあまたお会い出来るんですね」

 洋子が嬉しそうに言う。

 カメラはアパートのパソコンのものだ。すり減るかと思うほどに磨いて大切にしているものを頼み込んで借りて来たのだ。その方が心配だった。

外に出て、倉庫を振り返ってウマが言う。

「あの声でトカゲ食らうかホトトギス。女ってのは見かけで判断しちゃいけないなあ。もっとも見たまんまの女もいるけどな」

おりんがウマの尻をしたたかに蹴り上げた。

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