突然の別れ
「諒真、お昼何がいい?」
「あー、ミートソースでいいかな。確かレトルトがあったはず…」
GWも後半になったその日、綾恵は諒真の部屋を訪れていた。
諒真の両親は、父親の取引先に招待されたとかで揃って出かけ、綾恵と諒真は近くに迫った中間テストのために勉強することにしていた。
二人して問題集に集中してしまったらしく、気がつけば昼近くになっており、そろそろ友人と遊ぶと言って出かけていった梨香も、お腹をすかせて近所の公園から帰ってくる頃だろう。
お昼ご飯を用意しようと、二人は勉強を中断して台所で支度を始めていた。
諒真はごそごそと食料庫から目当ての物を取り出すと、鍋の用意をしていた綾恵に手渡した。
諒真がスープでも作ろうか、と冷蔵庫に手をかけたその時、家の電話がルルル、と鳴った。
「ごめん、適当に野菜出しておいて」
そう綾恵に頼むと、諒真は電話を取りに身を翻した。
「はい。生島です 」
電話に余計な物音が入らないよう、気をつけて支度を進めていると、予想通りお腹をすかせた梨香が帰って来た。
ただいま、と声をかけようとして、諒真が電話に出ていることに気付くと慌てて声を落とす。
「…え?あ、はい」
その時、電話の対応をしていた諒真の声に戸惑いが滲む。
綾恵は妙な胸騒ぎを感じて、手を止めて諒真の様子を伺うと、梨香も何か感じるものがあったのか、不安そうに綾恵の側まで来ると、心配そうに諒真を見ていた。
「はい。すぐ行きます」
短い応答の合間にメモを取り、電話を切った諒真は顔色を無くしていた。
何か良くない事が起きてる、そんな予感に誰からだったのか、どんな用件の連絡だったのか、訊ねても良いものか迷う。
声をかけあぐねていた綾恵と梨香を見ると、諒真は硬い表情のまま、平坦な声音で言った。
「父さんと母さんが事故に遭ったって。梨香、病院に行くよ」
◇◇◇
休日の病院は外来が休みのせいか人気がなく静かだ。
そんな中バタバタと足音を立てて走ると罪悪感が過るが、そんな事も気にしていられないほど綾恵は焦っていた。
電話を切った諒真がメモした病院を確認すると、綾恵は隣の自宅まで走った。
いきなりキッチンに飛び込んできた綾恵の様子に母は驚いていたが、諒真の両親が事故に遭ったらしいこと、諒真と梨香を病院まで連れて行って欲しいことを動揺からか若干支離滅裂になりながらも告げると、さっと車の鍵を掴んで隣家へと走っていった。
綾恵が火の元だけ確認して鍵を締め母の後に続くと、母が梨香を抱き締めていて、諒真は何かを探していたのかノートのような物を持ってきた。
やはり生島家の火の元と戸締まりを手早く確認すると、慌ただしくも言葉少なに病院へと向かった。
休日のため、病院の正面玄関は開いていない。
逸る気持ちを抑えて休日来院用の通用口で諒真の両親の名前を告げると、通されたのは集中治療室ではなく静かな病室だった。
二人は並べられたベッドに横たわり、白い布をかけられている。
隣で立ち竦む諒真の手が、ガタガタと震えてることに気がついた綾恵は思わず諒真の手を取った。
振り払われるかもしれないとも思ったが、冷たい指先は綾恵の手を拒むことなくきつく握り返してきた。
諒真たちの到着が伝わったのだろう、ペタペタと静かな足音ともに医師と看護師がやって来ると、搬送時既に心肺停止状態だったこと、事故の状況から二人とも即死であったであろう事が告げられる。
二人が乗った車は、高速道路で居眠り運転のトラックに追突されたのだという。
追突だけであれば怪我はしても命は助かったかもしれない。しかしトラックにぶつかられた車は、弾かれたようにスピンして路側帯の壁に激突した。
「お力になれず、申し訳ありませんでした」
そう力無く頭を下げた医師にこちらこそ、と頭を下げ、諒真は看護師の説明に従って二人を自宅へと引き取ることとなった。
しかし驚くことに諒真の両親は親戚との関係が薄かったらしく、それらの連絡先は残されていなかった。
確かに大型連休や夏休みなど、諒真たち家族が田舎に帰ったことはなかった。
それは諒真の父親が、綾恵の父親と同様に仕事で忙しくしているからだとばかり思っていた綾恵は、葬儀にすら呼ばないほどに親戚との関係を断っているとは思っていなかったのだ。
かくいう綾恵も、親戚と言えば東京に住む叔母くらいで、母方の祖父母は既に鬼籍に入っているし、父方の親戚は父親の忙しさを理由に全くといっていいほど交流はない。
だから諒真も似たようなものなのだろうと気にもしていなかった。
ただ、諒真の父親は親戚との付き合いを意識的に断っていたことから、もしもの時の事も想定していたらしい。
病院へ向かう前に、綾恵の母に親戚などの連絡先を確認するよう言われた諒真が探してきた連絡帳には、諒真の父親に何かあった場合は彼を頼るように、とのメモ書きとともに弁護士の名刺が入っていた。
真鍋と記されたそれを見て、諒真は思わずと言った様子で小さな声を漏らす。
「真鍋さん、弁護士だったんだ…」
「知ってる人?」
「あぁ。父さんの友人。よく家に遊びに来てくれてたんだ」
どこかホッとしたような表情を浮かべ、しかしそれをすぐにしまい込んで口もとを引き結ぶと、諒真は落ち着いた様子で名刺の番号をダイヤルし、数コールで出た真鍋に挨拶もそこそこに両親の死を告げた。
もともと近所に住んでいたらしい真鍋は、すぐに病院に駆けつけてくれ、綾恵の母と共に必要な手配をこなして遺体の引き取りから葬儀の準備に至るまでを、諒真をサポートするように取り仕切ってくれたのだった。
諒真の両親の通夜は、連休最終日にも関わらず、諒真の父親の会社関係者や諒真や梨香のクラスメイトなど多くの弔問客が訪れた。
喪主を務めることになった諒真は、真鍋の助けを借りながらも気丈にもそれらの対応をこなしていた。
遺体の引き取りもそうであったが、喪主としての葬儀の手配なども、諒真だけでは手に余っただろう。
それでも心細さを押し隠して気丈に振る舞う様子は、何も出来ずにいた綾恵の心の奥に締め付けるような痛みを与えていた。
「葬儀場、締めてもらってきたよ」
通夜振舞いも終わり、暫く急な訃報を聞いたら古い友人や仕事関係者などがポツリポツリと訪れていたが、全ての弔問客を見送った後に、葬儀場のスタッフと共に式場の施錠を確認した綾恵は、親族の控え室に戻っていた諒真に声をかけた。
綾恵の母は憔悴しきっている梨香を休ませるために、先に梨香を連れて自宅に戻っている。
親族は葬儀場に泊まることも出来るが、自宅も徒歩数分と近く、無宗派である諒真たちは火の守りをすることもないため、葬儀場を締めて自宅に戻ることにしていた。
「…ありがとう」
ぼんやりと座り込んでいた諒真に、そっとお茶を用意すると諒真はやっと口を開いた。
「疲れたでしょ。ひと休みしたら帰ろ」
真鍋がその殆どを差配してくれたとは言え、諒真はずっと喪主として気を張っていたのだ、慣れないことばかりでその心労は計り知れない。
明日の告別式は、親戚もいないことから諒真と梨香、綾恵たち家族と真鍋だけで質素に済ませることにしている。
通夜を無事に終えてやっと一息つける、そんな風に思って綾恵はそれまで張り詰めていた気持ちが少し凪いだような気がした。
二人分のお茶を淹れた湯飲みを持って諒真の隣に座る。
さっきからずっと控え室の畳の上に座り込んだ諒真は、何か考え込むかのようにじっと座卓の上に置かれた湯飲みを見つめている。
そんな彼を労りたいけれど、どんな言葉をかけていいものか綾恵は迷っていた。
どうしたって綾恵は諒真や梨香の辛さを同じように受け止めることは出来ない。
安易に気持ちが分かるなんて思えなかったし、どんな慰めの言葉をかけても、虚しく空々しいだけだろう。
少しでもその辛さを負担できたら良いのに。
けれどかけられる言葉なんて無い。
綾恵はそんなもどかしさを、控え室に落ちる沈黙を破ることは出来ないかと視線をさ迷わせていたが、ふと畳の上に投げ出すように置かれた諒真の手が目に入ると、そっと自分の手を重ねた。
ぴくり、と諒真の手が反応するが、綾恵が怯えていたような拒絶は無かった。
どうか拒まないで欲しい、少しでも気落ちしている諒真の力になりたい。
そんな気持ちを込めて、冷たい指先に体温を馴染ませるようにそっと力を込めてその手を握ると、不意に肩にとん、と諒真の額が押し付けられた。
「…疲れた…」
小さく漏れた呟きに、綾恵の胸の奥に締め付けるような痛みが再び走る。
空いていた手で思わず諒真の後ろ頭をそっと撫でると、諒真はさらに額をグリグリと肩口に押し付けてきた。
諒真は綾恵が握っていた手を振りほどいたかと思うと、その手を背中に回して強い力で綾恵に抱きついた。
突然タックルするかのように抱きついてきた諒真に驚いたものの、未だに肩に押し付けられた額に、背中に回された腕の強さに、やるせない悲しみから諒真を守りたい、力になりたいと震えるような気持ちが込み上げてくる。
抱き締め返すようにそっと諒真の背中に手を回すと、諒真の肩は小さく震えていた。
両親の死から、諒真は涙を見せなかった。
明日は身内だけとは言え、諒真はまた喪主として気を張るだろう。
たとえ明日を乗りきったとしても、梨香と二人で生きていくために兄として強くあろうとするに違いない。
でも、今だけは。
綾恵の前だけは、悲しみも、不安も隠さなくていい。
どうか、解り合うことは出来なくても。抱えきれない気持ちを隠さずに晒してくれればいい。
綾恵はそう強く思うと、震える諒真を抱き締める腕に更に力を込めた。
ありがとうございました。