穏やかな恋
中学校に入学した綾恵と諒真は、それぞれ部活にも入ってそれなりに忙しく過ごしていた。
複数の学区の小学校を纏めるような形で中学校に進学するため、小学校の時とは比べられないくらい一学年の人数が多い。
当然と言うべきか、綾恵と諒真は別々のクラスとなり、しかもこれまでのようにクラスが別れても隣、ということもなく廊下の端と端に別れるように振り分けられていた。
そんな中でも、諒真は綾恵を見かけては声をかけるし、恋心を自覚した綾恵も諒真に照れることもなく頻繁に話しかけた。
中学校では離れたクラスの者同士の親密なやり取りは目立つらしく、時折新しく出会ったクラスメイトにその仲を勘繰られてからかわれたりもしたが、同じ小学校の時から二人を知る友人たちがその仲の良さを説明すると、皆つまらないとでも言いたげにそれを話題にすることはなくなった。
綾恵や諒真の気持ちはともかく、そんな風に穏やかに夏休みが過ぎ、正月が過ぎて迎えた3学期、バレンタインに綾恵は大いに悩むことになる。
今までバレンタインには当然のように諒真にチョコレートを贈っていた。
意識はしていなかったけれど、恋心を自覚した今なら分かる、あれは常に本命チョコだった。
しかし変に意識してしまうと、今まで通りに渡せる自信がない。
どうしようと頭を悩ませていたが、友チョコを作りたいという梨香に付き合い、共にチョコレート菓子をいくつか作ってその日を迎えた。
───どうしよう
学校から帰ったら、諒真を訪ねて渡せばいいとも思ったが、意識し出すと親の視線が気になってしかたがない。
自意識過剰だとはわかっているが、どうにもいたたまれず綾恵は通学鞄に諒真あてのチョコレートを忍ばせて登校した。
しかしそう言う日に限ってお互い移動教室やらで顔を合わせることなく放課後になってしまった。
いや、実際に昼休みなら諒真に会いに行く時間はとれただろう。
どうしてもクラスメイトの視線が気になるのなら、教科書を忘れたことにでもして借りに行けば良かったのだ。
返すついでにお礼がてら持ってきたチョコを渡せばなんの不自然もないのだから。
綾恵がそれすらできなかったのは、諒真にチョコを渡しに行ったクラスメイトが、受け取れないと断られたからだと聞いたからだった。
───もしかしたら、諒真には既に好きな人がいるのかもしれない。
そう考えるとチョコを受け取らなかった諒真の態度も納得が行く。
もしかしたら幼なじみという特別枠にいる綾恵のチョコなら受け取ってもらえるかもしれないと思う反面、それでももし断られたらと思うと胃の奥が淀むように重くなり、動くことができなくなった。
何となく沈む心を抱えて部活を終え、昇降口に向かうと、そこは部活を終えた生徒でごった返していた。
綾恵の通う中学校は最終下校時刻が設定されており、生徒はその時間を過ぎて校内に残ることは出来ない。
そのためどの部活も最終下校時刻前に終えるよう練習時間を設定しているため、最終下校時刻前の昇降口は部活を終えた生徒で騒がしくなるのだ。
綾恵は靴を履き替えるとそんな昇降口の中を縫うように外へと向かうが、その時、やはりちょうど部活を終えて帰るところであろう諒真が目に入った。
諒真も綾恵に気がついたらしく、一緒にいた部活仲間に一言、二言何かを告げると綾恵の側にとやって来た。
「アヤ、帰ろう」
「うん」
当たり前のように並んで歩くのがなんとも言えずこそばゆいような不思議な感覚がする。
つい鞄に忍ばせたチョコを意識してしまうが、それを諒真に気づかれないように綾恵は諒真の隣を歩く。
いつもなら気にならない沈黙が何となく気まずい。
他の子のチョコを断ったって本当?
誰か好きな子がいるの?
私のチョコ、受け取ってくれる?
諒真に聞いてみたいことが沢山あるけど、うっかり口を開くと妙なことを口走ってしまいそうで、綾恵は言葉を探しては結局黙ったまま諒真の隣を歩いた。
諒真が口を開いたのは、校門も大分過ぎた頃だった。
既に家も近く、通学路にちらほら歩いていた同級生たちもそれぞれ自宅に向かって別れたせいか周りには誰もいない。
「アヤは、チョコくれないの?」
悪戯っぽい笑みを浮かべてさらりと訊ねる諒真に、綾恵は思わず何も返せずに瞳をぱちくりと瞬かせた。
だって受け取らないって言ってたんじゃないかとか一瞬忙しく思考が働くが、それはあまり意味をなさなかった。
「あ、あるよ!」
慌てて鞄からチョコを取り出すと、諒真の胸に押し付けるように渡す。
諒真はフリーズしたかと思うといきなりチョコを押し付けた綾恵の様子に少し驚いたように瞳を見開いていたが、胸に押し付けられたチョコを受けとると嬉しそうに破顔した。
「良かった。俺以外の誰かに渡したのかと思った」
「りょ、諒真以外に、渡す人なんていないよ」
「だってアヤ、昨日梨香とチョコ作ってたのにくれる素振りもねーし」
「それは、えっと、諒真、チョコは受け取らないって断ったって聞いたから」
「…アヤ以外からはいらないから」
思わず咎めるように口を尖らせると、存外真剣な口調で諒真は呟いた。
驚いて顔を上げると、先程までの笑顔をしまい込んで真剣な表情の諒真が綾恵を見下ろしていた。
「アヤが、好きなんだ。だからアヤ以外からは受け取れないって、断った」
その「好き」は、家族とも友人も違うのだと、瞬時に理解した。
諒真の心も綾恵と同じであることに、綾恵の心は震えるような歓喜に包まれた。
「諒真に好きな人がいて、受け取ってもらえなかったらって思ったら、怖くて」
「うん」
「私も諒真が、すき、だから…」
それ以上は胸がいっぱいになってしまって言葉を紡ぐことが出来ない。
思わず顔を伏せると、諒真は綾恵の手を取った。
指を絡ませて強く握り込むと、嬉しそうに綾恵の手の甲に唇を当てた。
「ありがとう」
◇◇◇
綾恵と諒真が付き合いだしたことは、綾恵と諒真のクラスはもとより、学年中の知るところとなった。
もともと仲の良い幼なじみである綾恵に対する優しげな態度や、バスケットボール部に入ってからというもの段々と背が伸びた諒真は女子に人気があったのだ。
綾恵も、色白に黒目がちな大きな瞳が可愛らしいと密かに想いを寄せる男子が少なくない数いたのだが、それは綾恵の知るところではない。
幼ない頃からの二人を知る同級生はやっぱりね、という反応であったし、中学生になってから二人を知った同級生も付き合っていなかったことに驚いたりと、もともと仲の良い幼なじみと認識されていた二人の交際はごくごく当然の流れのように受け入れられていたのだった。
二人はよっぽどの用事がない限りは一緒に下校し、たまに通学路の途中にある公園で話し込んだり、梨香も交えてお互いの家に行き来したりとあまりこれまでと変わらないような付き合いを続けていった。
もともと家も隣、家族ぐるみで行き来したりと濃い付き合いだったのだから、その距離感はそうそう変わらない。
しかしふとした時の諒真の綾恵を見つめる甘い視線や、並んで歩くときに繋ぐ手の暖かさに、綾恵はこれまでとは違う距離の近さを感じていた。
二人の関係が穏やかながらも特別な熱をもったものになったこと以外は特に変わらずに時は過ぎ、春休みを経て進級した。
新学期にはクラス替えで期待したがまたしても諒真と別のクラスとなったことに少し落胆したものの、夏休み、お正月と過ぎていき、とうとう綾恵も諒真と受験生となった。
今度こそと祈るような気持ちで迎えた中学最終学年の新学期には、念願かなって二人は同じクラスとなり、いつもは大人しい綾恵が大喜びする様子は暫くクラスメイトたちの揶揄いの種となった。
そんなふわふわとした気分も落ち着いた頃に迎えたGWに、それは起きたのだった。
ありがとうございました。