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初恋の行方

「……それは、おじさんたちも驚いたでしょ…」


葛城を名乗る経緯を聞いて、諒真が思わず呟くと、綾恵はますます顔を赤くして俯いた。

寿々はそんな綾恵の様子を見て可笑しくてたまらないらしく、ますます笑みを深くする。


「そりゃもう、ね。しかも事後報告だったから余計にねー。愕然て、あーいうのを言うのねってくらい驚いてたわ。驚きすぎて言葉も出ないって感じだったわよ」


でも成人している以上、手続きは問題なく済むしね、と悪戯っぽく微笑むと、寿々は鞄を手に取ってリビングの扉へと向かう。


「じゃ、アヤちゃん、出かけてくるね」

「え、今から?」


時計を見るとすでに11時近い。

綾恵と諒真に気を遣っているのであれば申し訳ない、と慌てた諒真が立ち上がると、寿々はひらひらと手の平を振ってそれを否定した。


「違う違う。さっきそろそろ羽田に着くってメッセージ来たの。彼が帰国して(かえって)来たから、迎えに行ってくるね。どうぞごゆっくり」


今晩は帰らないから、と決して厚意だけではないとでも言いたげな人の悪い笑みを浮かべて、寿々は颯爽と玄関へと向かっていった。

ばたん、と重い玄関ドアが閉まる音を聞こえると、急にリビングには静寂が落ちる。


「…手放せるまで、好きでいれば良いんじゃないって、言ってくれたの」


寿々が出掛けてからそう時間を置かずに、短い静寂を破るように綾恵が口を開いた。

諒真は思わず震えるその手に自分の手を重ねて握りしめた。


「好きなだけ想ってから、もしも手放せるならそれでいいじゃないって、言ってくれたの」

「うん」


高校の卒業式を終えて再び上京した綾恵は、春から迎える新生活に期待を寄せる素振りもなく塞ぎ込んでいた。

その原因はもちろん諒真との別れで。

そんな綾恵を、寿々は変に元気付けることもなく淡々と見守っていた。


「寿々さんなら、寿々さんのそばなら、ずっと諒真のこと好きでいてもいいんだって、そう思えて。だから、寿々さんに養子縁組してほしいってお願いしたの。安直なことしたって思うんだけど、どうしてもだまし討ちみたいなお見合いで、もう本当に橋上を名乗るのが嫌になっちゃって。…子供の癇癪みたいでしょ…?」

「それで、反抗期」


綾恵はばつが悪そうに頷いた。

反抗期で名字まで変える人はなかなかいないだろうと思うけれど、恥じるような様子の綾恵を目の前に、諒真もそれを口にするのは憚られて口をつぐんだ。


しかし綾恵は若干の人見知りと普段の穏やかな態度と相まって、大人しく気が弱いと思われがちだが、それは違うと諒真は思う。

他者への思いやりや心遣いは惜しまないが、それは綾恵が自身を軽んじているからではなく、綾恵がそうありたいからだ。

だからその優しさを御しやすさと勘違いして近づいても、綾恵は決してそれ以上のものは与えない。

綾恵の優しさに付け込み、軽んじて利を得ようとする人には、決して心を明け渡さないし、綾恵が大切にするものは譲らない頑固さがあった。

実際、この3年間は真剣だった芳賀からの好意も諒真への思いゆえに断り続けてくれていた。

高校生の頃に諒真がそばにいたときも、穏やかさを気の弱さゆえと侮り、押せばなびくと勘違いした輩に綾恵は何度か受けた告白も断っている。

だからたとえ実の両親であっても、彼女の心を軽んじていることに傷つき激しく憤った綾恵が名字すら変えてしまいたいと考えても、不思議なことではないと妙に納得する気持ちすらあったのだった。


「アヤがそうやって怒ってくれたのは、全部俺のためでしょう?」


重ねていた手に力を込めて、そう囁くとようやく綾恵は顔を上げた。

そうしてまで自分への想いを大事に抱えてくれていたのだと、そう思うと愛おしくて堪らない。


「初恋は実らないっていうから、仕方ないんだって思ってたの。でも、叶わなくても、思っているだけなら自由でしょう?それだけは、大事にしたかったの」


綾恵はいまだに表情を朱に染めているが、まっすぐと諒真を見つめてそう告げた。


「綾恵の初恋は、俺?」

「そうだよ。諒真以外、好きになれないって、言った…」

「嬉しい。俺の初恋も、アヤだから」


握っていた手をほどいて綾恵の背中に腕を回すと、そっと力を込めて細い体を抱き寄せた。


「初恋は実らなくても、二度めの恋なら叶うよね?」

「え?」

「初恋は実らないなら、二度目を叶えればいいんじゃないかな。…だから、二度目の恋も、俺にしてほしい」


驚いた綾恵が思わず身を引くように諒真の腕の中で距離を取ろうと諒真の胸に当てた手に力を籠めるが、諒真はそれを許さずにさらに力強く抱き寄せた。


「ずっとアヤが好きだ。今までも、これからも。だからもう一度、俺を好きになってくれないか」


心臓の音がやけに大きく体に響く。

この音が綾恵にも聞こえてしまっているだろうかと思うとさらにその鼓動は速く跳ねる。

しかし抱き寄せて隙間なく重なっているお互いの体からは、どちらの鼓動かもわからないほどの脈動が伝わってくる。

やがて強ばっていた綾恵の体から力が抜けていくのがわかると、諒真は腕の力を緩めて綾恵の顔を覗き込んだ。

驚きに目を見開いた綾恵の瞳には、涙の幕が張っていた。

それをそっと拭うと、もう一度優しく抱きしめる。


「二度目も何も、ずっと好きだったってば…」


綾恵はそう呟いて諒真の背中に腕を回すと、胸に顔を押し付けるようにすり寄せる。

ぐりぐりと甘えるように抱きついてきた綾恵の頬を手のひらで包みこんだ諒真は、ふわりと上を向かせてその唇に諒真のそれを重ねた。



◇◇◇


明るい日差しが目蓋の裏を刺すような刺激となって、諒真はぼんやりと目を開けた。

もともとあまり寝起きが良い方ではない。

見慣れない天井が視界に入るのものの、頭が働かずに妙な違和感を感じるだけで、ここがどこなのか自覚するのに少々時間を要した。


「…アヤ」


傍らに腕を伸ばすも、そこにあるはずの温もりはない。


「…アヤ?」


起き上がるとそこはシンプルながらも女性らしく整えられた部屋で、思考が覚醒するとともに昨晩の記憶が一気によみがえる。

綾恵の部屋で、今まさに起き上がった綾恵のベッドで、昨晩分け合ったはずの温もりが消えていることに、どくりと心臓が波打つようにその速度を上げていく。

慌てて掛かっていた毛布を剥ぐと、下着一枚にはまだ冷たい空気が肌を刺すが、気にする余裕もなく諒真は部屋のドアへと手をかけた。


「おはよう……それじゃ寒いでしょ、服!服着て!」


先に起きていたのだろう、キッチンで朝食の支度をしていた綾恵は、ドアが開く音で諒真の起床に気が付いて振り返ると、諒真を見るなりシャツを取りに行こうと慌てて部屋へ向かおうとしたが、がっしりと諒真に捕らえられた。


「良かった…居なくなったかと思った」

「そんな…ここ私の家だよ。居なくならないよ」


諒真の腕の中で、くすくすと笑みをこぼす綾恵を見つめて、諒真は抱きしめていた腕の力にさらに力を込めた。


「アヤ、結婚して」

「え、はい?」

「あー、戸籍謄本いるんだっけ。引っ越しの時に本籍も移しちゃえばよかった」


梨香に送ってもらうか、とぶつぶつと呟きながらも、綾恵を抱きしめる腕の力が緩むことはなく、さらに抱き込むように耳元へと顔を埋めている。


「りょ、諒真、どうしたの?急に…」

「起きたときにアヤがいなくて焦った。また離されるかと思うともう気が気じゃない。芳賀さんだって油断ならないし…」


綾恵も諒真が朝に弱いことはよく知っている。

しかし寝ぼけているにしてはしっかりとした様子の諒真に、どうしたらいいのかしばらく反応に困るようにおろおろと視線を彷徨わせると、ためらうように口を開いた。


「今日は区役所やってないし、そんなに急がなくても…。とりあえず風邪ひいちゃうから、服着て?」

「やだ。うんって言うまで離さない」

「わかった!わかったから、服着て…!」


ぎゅうぎゅうと手加減なく綾恵を抱きしめる諒真の腕の中で、ギブアップとばかりに背中に回した手で諒真の背中をたたくと、やった、と呟いてようやく諒真は綾恵の体を離した。


「すぐに戻るから、待っててね」


慈しむように綾恵の瞳を覗き込むと、諒真はちゅ、と唇に軽く押し当てるだけの口づけを落として服を取りに部屋へと戻っていく。

その瞳は、かつて綾恵とともにいた頃と同じ、暖かく優しい光に満ちていた。


◇◇◇


「は?!結婚?」


週末が明けて出勤した芳賀は、オフィスに素っ頓狂な声を響かせた。

金曜日の晩、気の進まない会食に負のオーラすら発する綾恵を案じて助け舟になればと約束し、かけた電話に出られなかったらとその詫びとお礼を伝えに来た綾恵に、首尾を尋ねると思いもしない答えが返って来たのだから芳賀の驚きは致し方ないものだっただろう。

芳賀の叫びに興味をひかれたのか、すでに出勤していた飯野や若松も驚いたように綾恵と芳賀のやり取りに注目している。


「はい…。じつは、りょ、生島さんと…」

「…あぁ、まとまったのか。良かったな」


芳賀は一瞬息を飲むように言葉を失ったが、それを気付かせることなく綾恵に穏やかな笑みを向けた。


「え、葛城さん結婚されるんですか」


これまで恋愛のれの字も気配がなかった綾恵の結婚宣言に驚いた若松がたまらずに会話に加わると、芳賀がにやにやと揶揄うような笑みとともに告げた。


「初恋を実らせたんだってよ」


最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました!

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